ノート:人間動物園

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「セントルイス、ロンドンともに欧米人からのアイヌに対する評価は高く、高額な報酬が支払われた。」について・・・・ 筆者の方にお願いします。セントルイスではどうだったか資料をみていませんが、ロンドンでは「高額な報酬が支払われた」というよりも「観客からかなりのチップが集まった」ということではないかと思います。「黄色い仮面のオイディプス:アイヌと日英博覧会」に当ってみてください。--onogawa_u 2009年5月14日 (木) 10:19 (UTC)

宮武のセントルイス博論文に具体的な数字があげられています。観客からの民芸品などの代価と合わせて一人当たり最終的には1000円程持ち帰ったようですね。いつの間にやらオイディプス論文が削られているので追加し、具体的な数字に置き換えます。--Kulukulu 2009年5月15日 (金) 09:35 (UTC)

Kulukuluさん、ありがとうございました。お金の問題はのちのち妄想が膨らみがちですから、少し長文になっても詳しいほうがいいですね。ただし日英博の「台湾生蕃」の方の待遇は、文献がまだ掘り起こされていないようなので残念です。台湾生蕃は本人達との契約ではなくて台湾総督府との契約でロンドンに行ったこと、また、2つの「社」から24人の「生蕃」が警部と巡査の引率で参加したことなどが、「博覧会 事務報告」に書いてあるそうですね(宮武「オイディプス」)。「博覧会 事務報告」は国会図書館にフィルムがあるそうですが。--onogawa_u 2009年5月15日 (金) 12:16 (UTC)


日本は人間動物園を行っていたのか?[編集]

出典要請の部分。これらが「人間動物園」と呼ばれているという出典を求む。仮にそう呼ばれている出典があるならば、しっかりと「~が人間動物園と呼んだ」と主語を書くように求めます。民族を紹介することが「人間動物園」という表現になるのか激しく疑問です。NHKですら「英国の『人間動物園』を真似た」という表現だったと思いますが、この記事では日本が行った民族紹介が「人間動物園」なる表現に確定してしまっています。これはどういうことでしょう?現在の状態では一つ一つの文章はそれなりに成り立っていますが、それが「人間動物園」と呼ぶのかどうかが不明であり、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の状態になっています。一週間お待ちしますので、出典と正確な表現の記載をよろしくお願いします。できない場合、除去させていただきます。--PSIA 2009年5月20日 (水) 04:31 (UTC)--PSIA 2009年5月20日 (水) 05:05 (UTC)

民族紹介を人間動物園とすることに違和感があると書かれていますが、現在でも一般的に行われている生人形や民具などを利用した博物館などの民族紹介は、誰もそれを人間動物園とは言っていないので、ここでは取り上げていません。あくまでen:Human zooの冒頭にある、<Human zoos (also called "ethnological expositions" or "Negro Villages") >を参考に、「進化主義や植民地主義のもと」「伝統的家屋を展示会場に復元し、そこに住み込ませて展示した」民族学的展示・村落展示、ヒトの展示と称されたものをすべて含めてまとめて記述しています。『人間動物園』が基本的にポスコロ的分析用語であることは明記しています。日本においてこの用語を輸入しているのは吉見俊哉(1992)ですが、同じ対象を分析している他の研究者は「ヒトの展示」「人間の展示」という表現であるケースが多いので、節のタイトルとしては人間動物園ではなく「人間の展示」としています。なお博覧会における日本の人間の展示と欧米の展示にとくに違いがないということは、引用文献・参考文献であげている様々な研究者が指摘しています。ご確認ください。引用されている文献に目を通した上で、著者の意図をねじ曲げていると感じる場所があればご指摘ください。--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 07:41 (UTC)
んー、こちらは「人間動物園」という記事ですので、日本が行った民族紹介が人間動物園であったと表現している文献がないのならば、載せるべきではないと思います。「定義と似ているから・同じだから」という編集者の独自判断で、こちらの記事に入れてしまうのは独自研究にあたるものだと思いますが、いかがでしょう。「人間の展示」という文献が複数あるのならば、その表現の記事を新たに作成すべきでしょう。個人的にはそれぞれの博覧会の記事に、日本はこういう展示をしたと載せればよいだけに思えますけどね。とにかく日本がおこなった民族紹介は「Human zoos」やら、まして日本語で「人間動物園」などと、どんな百科事典を見ても載ってませんし、お止めになったほうがよろしいかと思います。完全に独自研究に該当してしまっておりますので、私が指摘しました部分の改良ができないようであれば、除去することになってしまいます。他の部分(博覧会などの)へ該当箇所を移動させるか、独自研究にならないあらたな記事を作成するか考えていただきたい--PSIA 2009年5月20日 (水) 07:54 (UTC)
人間動物園(にんげんどうぶつえん、「民族学的展示」「人間の展示」とも)という記事です。私自身の判断ではなく吉見の、「(欧米の博覧会で行われた人間の展示)が人間動物園である。同様の人間の展示は日本も行った。」というような記載を元に、そこで取り上げられた個別の博覧会における実態を各論文に当たっています。独自研究とおっしゃりますが、(1)実際に吉見がHuman zooを人間動物園と翻訳している。(2)国内及び海外の展示における各研究者の名称を尊重している(3)あくまで人間動物園(Human zoo)を使っているのは欧米の研究者中心であることを明記している(4)欧米によるHuman zooとされている展示について検討している論文に基づいている(5)Human zooが差別的であるという議論の対立議論についても言及している(6)日本の人間の展示が人間動物園であるとは書いていない。これらのことから、中立性と検証可能性について配慮できていると考えます。
定義が似ているからというのは独自研究かもしれませんが、定義が同じだからまとめることが独自研究だというのは理解できません。まとめが批判されるのは、その結論の出典が不明なときであるはずです。
しかしながら翻訳が誰によってなされたのかが焦点のようですので、それに関しては記載を充実させることにします。--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 09:08 (UTC)
吉見の文献にまだ当たってないので、わからないのですが、吉見が「日本が行った民族の紹介」を「人間動物園」と称しているのですか?--PSIA 2009年5月20日 (水) 09:15 (UTC)


該当個所を引用しておきます。

七八年のパリ万博が莫大な赤字を出したことから、大衆動員に直接結びつくような博覧会の「目玉」を求めていた八九年万博の主催者たちが、この「人間動物園」の人気に目を付けないはずはなかった。彼らは、ジャルダンの展示方式をそれこそ国家的規模に拡張し、博覧会展示の新しいジャンルを創出していったのである。 (中略) こうして八九年のパリ万博では、会場内に植民地集落が再現され、連れてこられた原住民たちが展示させられていった。(中略)こうしてヨーロッパ人の側から見るなら、その植民地主義的な視線に適合するような「人種」の「劣等生」が、眼前の民族学的「実物展示」により「発見」されていくこととなった。 (中略)  実際、この東洋の帝国主義国家は、日露戦争のあたりから、これまで欧米の万国博で見たのと同様の植民地主義的な展示方式を、積極的に国内の博覧会に導入していくようになる。 (中略) 内国博の会場には、すでに日本の植民地となって九年を経ていた台湾の「風俗文化産業の真相を内外人に示し、大に管内諸般の発達を図らむ」と、極彩色の楼門と翼廊をもつ台湾館が建設され、農業及び園芸から土俗、蕃俗に至る一五部門の展示が行われていく。しかもこの博覧会では、学術人類館と呼ばれる展示館が登場するが、これは、「(中略)」という、パリ万博やアメリカの博覧会における原住民集落と同様の差別主義的なまなざしの装置であった。 (中略) 海外の博覧会に目を転じるなら、前述のように、一九一〇年の日英博では、会場の「二箇所は、『アイヌ』村落(約九〇〇坪)及台湾村落(約一三〇〇坪)にして、一は『アイヌ』部落より齎し来りたる数個の茅屋を以て部落を構え、『アイヌ』人之に分居して其の日常の生活を営むが如く設備し、一は蕃社に模して生蕃の住家を造り、蕃社の状況に模し生蕃此の処に生活し、時に相集まりて舞踏したり」という記録が公式報告書に見られ、日本国内や植民地の少数民族の展示が公然と海外に向けて行われていたことが察せられる。

つまり吉見はジャルダン・ダクリマシオンの方式の展示を人間動物園と呼び、その博覧会版が日本に導入された(事例として内国博覧会・日英博覧会)と主張していることは明白です。--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 09:56 (UTC)

うーん、原典に当たってないので何ともですが、引用していただけた文のままならば、やはり「人間動物園」とは言っていませんね。確かに吉見はジャルダン・ダクリマシオン方式が「人間動物園」と称しています。そしてその方式が日本に導入されたと主張しているようですが、その「日本の民族紹介」を「人間動物園」とは誰も呼んでいませんし、そう呼ばれていたとする内容も書かれていませんよね。呼び・呼ばれていないことを記事にしてしまうのはいかがなものでしょうか?(確か日英博覧会では日本人力士も紹介に行っていると聞いた事がありますが、なぜそれが入ってないのかも疑問ですし。)まあ、少なくとも、これは一研究者の「主張」なだけであり、書くにしても主張は主張として記載すべきであり、現在の状況では、まるで日本がおこなった民俗紹介が「人間動物園」と呼び・呼ばれていたかのような勘違いを読者に与えます。そんな事実は今のところ見当たらない。ですから、なんとか書くとしても「人間動物園と称されていたジャルダンの展示スタイルを日本が導入したと吉見は主張している。その理由として~」という書き方以外は無理でしょう。「日本の民族紹介」が「人間動物園」と呼ばれていた事実がない中で、「日本の民俗紹介」を「人間動物園」の記事内で、「日本の民俗紹介」について色々な研究者の見解を書き連ねる現在の状態はWikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成に触れるものであり、訂正を求めます。--PSIA 2009年5月20日 (水) 10:37 (UTC)

現状の記載は「主に英仏のカルチュラル・スタディーズの中で利用されるようになったものであり、日本では吉見(1992)が『博物館の政治学』において初めて使用した」とあり、国内ではなく海外で主に使われている用語であることと、当時の政府によるラベリングではないことを明示しています。吉見もまた、あくまで人間動物園のバリエーションとして記載しています。そして再度強調しますが、節のタイトルを人間の展示としていることを注意してください。要約による引用の要件を満たしていると考えています。
確認したいのですが、人間動物園・民族学的展示・村落展示・人間の展示というのはひとつにまとめられない現象であり、まとめるというのなら独自研究に相当するので、分割すべきという主張なのでしょうか?--Kulukulu 2009年5月20日 (水) 11:59 (UTC)
Kulukulu氏の仰っていることは理解しました。まあ、とりあえず応急処置というか、「日本による人間の展示」にまとめて、呼ばれてもいない「人間動物園」とは少しでも離す手法を取りました。また、「人類館事件」関係の部は重複してましたんで、一つにまとめました。以上、よろしくお願いします。--PSIA 2009年5月20日 (水) 12:04 (UTC)
「日本の博覧会」として対象部分は分割してまとめられると思いますけどね。いくらでも方法があると思いますが、なにも呼ばれてもいない「人間動物園」に日本の博覧会の出来事を入れる必要もないのでは、と。しかし、Kulukulu氏の仰っていることも理解はでき、現在の状況(日本の件は分けて記載)であれば、現状で譲歩するつもりはあります。--PSIA 2009年5月20日 (水) 12:32 (UTC)

「日本は人間動物園を行っていたのか?」ということですが、ロンドンに取材した長谷川如是閑は、『台湾村』のことを次のように評しています。「之を多くの西洋人が動物園か何かに行ったやうに小屋を覗いて居る所は聊か人道問題にして、西洋人はイザ知らず日本人には決して好んでかかる興行物を企てまじき事と存じ候。」 http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40005730&VOL_NUM=00000&KOMA=349&ITYPE=0 長谷川は『日本余興』を請け負った博覧会『会社』のセンスの無さや不手際をなじっていますが、その『会社』に丸投げしたのは日本政府側の事務局です。当記事の前のほうに、客が多く集まったものに「角力」と「台湾村」を挙げていますから、「集客と採算のために」という当初からの日本政府の目論見どおりと思われます。長谷川がこれだけ言っても中止にはならなかったのでしょう。長谷川の筆致は「日本は人間動物園と思われてもしかたがないものを行っている」かと存じます。編集者の方にはぜひ前後をお読みの上御推敲下さるようお願いします。--onogawa_u 2009年5月25日 (月) 08:22 (UTC) なお上記資料は国立国会図書館のウェブサイト「近代デジタルライブラリー」にある『欧米遊覧記』です。同ライブラリーには『日英博覧会事務局事務報告』もあります。またロンドン留学中の内ケ崎作三郎が「アイヌ村」アイヌ青年との交流を記した『英国より祖国へ』もあります。アイヌ村はすこぶる評判だが台湾生蕃は野蛮だと評されているとも書かれていたと思います。併せてお確かめ下さい。--onogawa_u 2009年5月25日 (月) 08:37 (UTC)

資料ありがとうございます。しかし日本がおこなった民族の紹介が「人間動物園」と呼ばれていた証拠ではありませんよね。博覧会『会社』がおこなった展示スタイルが「動物園のような小屋のようなスタイル」と長谷川が言っているのみで、その評論をそのまま記載するのは反対しませんが、日本がおこなった民族紹介が「人間動物園」とは、やはり当時から誰にも呼ばれていませんよね。--PSIA 2009年5月26日 (火) 03:55 (UTC)--PSIA 2009年5月26日 (火) 03:57 (UTC)

>その評論をそのまま記載するのは反対しませんが

PSIAさん。ご同意ありがとうございます。

>博覧会『会社』がおこなった展示スタイルが「動物園のような小屋のようなスタイル」と長谷川が言っている

まさしく、「人間動物園」というカテゴリーそのものではないですか! 当時の傑出したジャーナリストの言葉として無視できないと思います。--onogawa_u 2009年5月26日 (火) 10:39 (UTC)

ここは記事の話の場であり、カテゴリーの話の場ではないので、何が「そのまま」なのか意味がわかりませんが、「人間動物園」と呼ばれていませんので、当該記事に日本が行った民俗紹介を載せるべきなのか、百科事典としてそれが正確なのか、激しく疑問ですねえ。まあ、日本の紹介はしっかりと「人間の展示」の部に分けて書くならば、とりあえず疑義を呈して他の反対者が出ないならばそのままにしておくという立場を取らせてもらいます。Onogawa u氏の資料は価値あると思いますし、出典のままの正確な記載ならば記載に同意しますよ。--PSIA 2009年5月26日 (火) 10:48 (UTC)

書き直していただいたようですが、「博覧会会社」が勝手に実施したという印象は誤解を与えます。日本政府との委託契約関係を付記しました。なお、PSIAさんが「ルポタージュ」とした理由は不明ですが、元に戻しておきました。goo国語辞典を参照してください。--onogawa_u 2009年5月28日 (木) 00:08 (UTC)

「ルポタージュ」はOnogawa u氏が最初に書いたんですよね?[1] そのままにしといただけなんですが・・。変えましょうか?で、より出典に沿うスタイルで微修正しておきました。--PSIA 2009年5月28日 (木) 02:48 (UTC)

おやおや困りましたね。?[2] では、わたしは「ルポルタージュ」としています。PSIAさんがわざわざ「ル」を削除したことは、[3]こちらの履歴に記録されています。あなたが健忘症なのか言い逃れなのか、判断に困っております。

「ルポタージュ」はOnogawa u氏が最初に書いたんですよね?

この不用意な発言は直ぐにお取り消しください。

なお、「より出典に沿うスタイル」とのお申し越しについて。あなたの御意図とは違うのでしょうが、主体者としての日本政府の存在がぼやけていますので、それをハッキリさせました。「シンジケート」も「博覧会会社」も日本政府の委託を受けて行ったことです。あなたの文章の限りでは、「シンジケート」や「博覧会会社」が英国政府と契約したかの誤解を消せませんので、なおしておきました。--onogawa_u 2009年5月29日 (金) 01:42 (UTC)

「ル」が抜けてたわけですね。これは失礼しました。発言を取り消します。さて、Onogawa u氏が編集した部分ですが、

  • 長谷川如是閑が見た「台湾生蕃村」は、日本政府の承諾のもとに実施されたと解される。その後の改善等に関しては公式報告に記事はなく今のところ不明である

これは出典を読んだOnogawa u氏の感想文でしかありませんので出典どおりの事実のみを残して除去させてもらいました。「~と解される」かどうか不明です。他の人は違う「解し方」をするかもしれませんよね。長谷川の批判内容は、実は日本が行ったものなのだと主張したいOnogawa u氏の気持ちは理解できますが、編集者は主張はせずオリジナルな解説は必要なく、出典のままの記載でお願いします。--PSIA 2009年5月29日 (金) 02:23 (UTC)

とりあえず、現状の状態[4](日本の民俗紹介は「人間の展示」に分ける等)ならば、私は異論がありませんので1週間たってもOnogawa u氏等から現状に反論が出なければ、私が貼った「正確性テンプレ」をはがしたいと思います。--PSIA 2009年6月4日 (木) 11:32 (UTC)

:*長谷川如是閑が見た「台湾生蕃村」は、日本政府の承諾のもとに実施された。その後の改善等に関しては公式報告に記事はない。 私の感想であるかのように誤解を与えたようですが、再確認をして事実だけを書きました。--onogawa_u 2009年6月10日 (水) 03:55 (UTC)

より出典に沿う記載にし、簡潔にまとめました。他の部分は記載者のKamura tohru氏と話し合うなり、疑問をこちらで呈してから除去したほうがよろしいのでは?--PSIA 2009年6月10日 (水) 13:17 (UTC)

:>より出典に沿う記載にし、簡潔にまとめました そうはなっておりません。勝手にあなたの恣意的表現に戻すのは承服できません。「博覧会会社の要望も酌量して」は、PSIAさんの想像でしかありませんし、「興行方法については「日本の品位を損ねるものは認めない」は開会数年前の方針提示であって、長谷川の記事を見て申し入れたものではありません。誤解を誘導する記述です。よって正確なものに復しておきます。--onogawa_u 2009年6月10日 (水) 13:28 (UTC)

長谷川の記事を見て申し入れたものではありません??そんなことどこにも書いてませんよね。日本の方針と日本と博覧会会社との経緯を出典どおりに説明しているだけなんですから。「日本の品位を損ねるものは認めない」は開会数年前の方針提示であろうが、それが方針だったわけで、そのまま書けば良いでしょう。どこが私の恣意的表現なのでしょう?また出典先に「英国の博覧会事業者の希望を考慮して次に挙げる展示を容認した」とも書かれてますよね?--PSIA 2009年6月10日 (水) 13:36 (UTC)--PSIA 2009年6月10日 (水) 13:43 (UTC)

:>長谷川の記事を見て申し入れたものではありません??そんなことどこにも書いてませんよね。< PSIA氏の意図がそうであろうとなかろうと、文章の順から時系列をよみとる読者には誤解を生みますことを申しあげただけです。ハッキリしていることは、当初の委託方針が如是閑の目を通せば実現できていなかったことです。 なお、PSIA氏記述「余興方法については委託した博覧会事業者の希望を考慮した上で」の『余興方法については』は、資料の当該部分にはない語彙で、あなたの書き加えですので削除しました。原文には「左に挙ぐるもの選択容認す」とあり、希望を容れて認めたのは余興方法ではなく8項目のことです。なお私の文章「如是閑の批判の矛先は『博覧会会社』であるが、それは日本政府が全面委託した『シンジケート』を引き継いだ会社である。」には何の誤りもありません。PSIA氏が何の理由指摘もなく勝手に書き換えたものゆえ元に戻しました。PSIA氏には、何の理由表示もせず勝手に文章を書き換える非礼不遜を慎んでくださるよう、重ねてお願いいたします。--onogawa_u 2009年6月10日 (水) 16:57 (UTC)

まあ、現状で異論はないですよ[5]。但し、「品位には疑問が呈された」というのは、Onogawa u氏の感想ですので取りました。「日本人には好まない余興という批判が出た」とも書けるわけでね。日本人がやったんだ!と主張したい気持ちも理解できますが、そろそろやめましょうよ。--PSIA 2009年6月10日 (水) 17:44 (UTC)

>しかし実施された「日本余興」の品位には疑問が呈された。< 疑問が呈されたことは私の感想ではなく事実です。大事なことは、「当初の委託方針」と2年後に記されたことが、現場の如是閑の目を通せば実現できていなかったという事実です。繰り返してノートしておきます。如是閑記事の背景として外国紙の報道内容などが明らかになることを期待します。--onogawa_u 2009年6月11日 (木) 03:24 (UTC)

長谷川は人道のことについて語っていますが、品位のひの字もないのですが、なにが事実なのか意味が不明です。強引に「日本の方針と違うことが起こっている」と主張したくて個人的表現を記載したものだと判断しております。--PSIA 2009年6月11日 (木) 11:09 (UTC)

これもブログ[6]からの引用になりますが、台湾の日刊紙「台湾日日新報」(一九一〇年[明治四十三年]九月三十日)に掲載のルポ、「日英博生蕃館(下)」の記事として、アイヌやパイワン族だけでなく日本人も博覧会代表者であるユダヤ人によって見せ物になっていると批判的に書かれています。

―――此の日英博には「小日本」と云う日本の各種職業を網羅した一部落がある。又「宇治村」と云う農業者から成り立った一部落があって、共に六片(※ペンス)の入場料で見世物に成って居る。生蕃館もアイヌ館も同様、一つの見世物に過ぎない。キエラルヒーなる博覧会代表者の欲深い猶太人(※ユダヤ人)が此等のものを呼物として博覧会を繁昌させる手段に供せられたので、我々はこの仕打ちに甚だ不感服であるが、今更ら後悔しても取返しの付く話ではないから、泣寝入の外はない。 ―――堂々たる官吏が監督者となって英国まで見世物にされて居るのは 余り善い心持はしない。此も日英博覧会の性質を誤解した結果と思う。

このことから、日英博覧会の企画においては日本側よりも博覧会主催者側の意向が強く反映させられていたことがうかがえるのではないでしょうか?--125.194.184.71 2009年6月19日 (金) 11:25 (UTC)

ブログ( http://innerpanther.iza.ne.jp/blog/entry/1079839/ )の引用になりますが、当時の日本がどのような意図をもって台湾のパイワン族の方達を日英博覧会に参加させたのかを知る重要な資料であるので、載せるべきであると思うのですが、どうでしょうか?

1935年に発行された『蕃人教育概説』において、「観光」という小題のもと、以下のとおり記されている。

「(前略)蕃人の指導教化には先進文化を観光せしむることが最も効果的であることは言う迄もない。これを以て当局においては早くも蕃人観光に力を効し、明治30年、北部蕃人各族頭目13名の内地観光を初めとし、明治43年には南蕃頭目勢力者24名を英京ロンドンに送り、1箇年余滞在の後、帰台せしめた。その後、引き続き各地蕃人をして内地を観光せしめ、昭和4年に至る間、島外観光総計10回、人員336人に上った。これら観光者の帰社後、蕃地開発上貢献したところの効果は実に偉大なるものがあった。就中大正3年、南蕃騒擾の際、偉功を樹てたスボン社頭目カロワン・ワジュイの如き、実に明治43年における英京ロンドン観光団員中の一員であり、また、霧社事件において仁侠頭目として名を挙げたパーラン社頭目ワリスブニもかつて内地観光をした一人であった。以上のうち、第8回までは官費であったが、以後はすべて蕃人の自費である。昭和3、4年、花蓮港庁および新竹州先覚者が内地観光以来、島外観光の企は一時中断したが、昭和9年に至り、高雄州および台東庁の先覚蕃人20名は、自費内地観光をなし、さらに翌10年、花蓮港庁の蕃人33名、同じく自費内地観光をなし非常な好評を博した。一行は悉く国語を解するを以て、彼らの啓発され裨益したことは極めて大であり、今後の蕃社開発上大に期待されている」(台湾総督府警務局、『蕃人教育概説』、1935年、pp.17-18)

*この台湾総督府警務局が、当時、先住民族の方々に対する教育に努めていた

番組で言うところの「人間動物園」は、1897年から行われていた観光の一環だったのである。台湾の内外の文化を見学する観光である。 1897年(明治30)には、台湾北部の先住民族(蕃人)の人々が、内地日本を観光している。 これが初めての島外観光である。

その後、1910年(明治43)に、パイワン民族の族長(南蕃頭目)や勢力者24名がロンドンに渡り、1年余り滞在する。これが日英博覧会に関する記述である。

つまり台湾の原住民に対する文明化教育の一環として、日本はパイワン族の方達を派遣したという見方です。--125.194.184.71 2009年6月18日 (木) 03:04 (UTC)

もしブログ主の考えを反映させるのだとしたら、独自研究に該当します。博覧会展示と観光事業は独立に企画されており、理蕃政策の項目として書くのならともかく、この項目では単純に不適当です。山路勝彦の”拓殖博覧会と「帝国版図内の諸人種」 ”、”近代日本の植民地博覧会”に目を通してください。なお、教育を施したり文明化しようとする政府の意図をもって、欧米と日本を差異化することはできません。ハーゲンベックの私設動物園はともかく、博覧会における展示は原則的に、教化の程度を示す目的であったこと、一般訪問客にとっては完全に余興扱いであったのは双方変わりません。--Kulukulu 2009年6月18日 (木) 13:14 (UTC)
ブログ主の考えを反映させるというよりも、台湾総督府がパイワン族の方達を観光として日英博覧会に派遣したと認識していた事実があるということを追加すべきではないかということです。当時の台湾総督府がパイワン族の日英博覧会への派遣をどのように考えていたかを示す貴重な資料でしょう。独自研究ではないのでは? 欧米のそれが教化の結果を展示するものであったのに対し、日本のそれは観光(つまり教化そのもの)でもあったということは大きな差があると思いますが。しかも、この観光の事例は『蕃人教育概説』にもあるように日英博覧会のパイワン族だけでなく、他にも多数あります。また、[7]の子孫の方の証言によると、日英博覧会に参加したパイワン族の方達は、その日英博覧会への旅程のなかで上海や香港、フィリピンにも立ち寄っており、その後日本にも訪れています。つまり、このことから教化の程度を諸外国に示す目的よりも、観光によって蕃人を教化することのほうが主目的であったと言えるのではないか?ということなのです(この見解については独自研究にあたるかもしれませんが)。さらに、帰国後のパイワン族の村ではその日英博覧会への参加が肯定的にとらえられていたとのことです。当時の日本側およびパイワン族側がどのように認識していたかという視点はあってしかるべきだとおもいます。--125.194.184.71 2009年6月19日 (金) 04:50 (UTC)
まず、『蕃人教育概説』が1935年の出版物であり、1910年の日英博覧会当時の記録ではないことを注意して下さい。総督府のまとめとはいえ、あくまで事後的な総括であり、二次資料の一つです。同時に、台湾人の第一回の内地観光は1897年であり、日英博覧会の台湾村落は英国人の企画であったということから、日英博覧会と観光事業一般における企画意図の連続性が不明で、一次資料からの証明が必要なことです。同じ企図であるというのはブログ先の見解です。さらに第五回内国博覧会(1909年)・拓殖博覧会(1912年)の台湾生蕃・土人展示が触れられていないことから、博覧会での展示は、1935年当時観光事業に含まれていないことがわかります。ですから、まずはそれぞれの資料に直接あたり、理蕃政策を充実させてください。私には『蕃人教育概説』がどこに行けば読めるのかすらわかりかねますので。--Kulukulu 2009年6月19日 (金) 06:53 (UTC)
二次資料であると、日本側が日英博覧会のパイワン族の参加をどのよう認識していたかの証明にはならないということなのでしょうか?事後の総括であっても「明治43年には南蕃頭目勢力者24名を英京ロンドンに送り、1箇年余滞在の後、帰台せしめた」と日英博覧会のことに触れ、それを「英京ロンドン観光団員」と呼称しているわけです。他の日本国内の博覧会は別にして、少なくとも日英博覧会の参加については、英京ロンドン観光と同時に行われていたと、事後(1935年)であっても当事者の日本側(台湾総督府)が認識していたことは確かでしょう。なお、1928,29年(昭和3、4年)までは島外観光が続いていたとあり、第五回内国博覧会(1909年)・拓殖博覧会(1912年)への参加にも観光による教化の目的も含まれていた可能性が否定されるわけではありません(第1回の内地観光が1897年であるため、1903年の大阪内国勧業博覧会への参加も内地観光の中で行われた可能性もあります)。--125.194.184.71 2009年6月19日 (金) 11:06 (UTC)
日英博覧会が英国人の企画とは言え、日本の認識の一つとして台湾総督府警務局、『蕃人教育概説』の出典部分の記載は賛成します。そういう資料があり、そういう認識だったことが書かれている「事実」もしっかり記載することで、より多角的な記事になると思われます。--PSIA 2009年6月19日 (金) 08:15 (UTC)
帰国後パイワン族の村においてこの英京ロンドン観光が肯定的にとらえられていたとの子孫の証言[8]も追加するべきだと思うのですがいかかでしょうか?--125.194.184.71 2009年6月19日 (金) 11:06 (UTC)
ところで確認をしたいのですが『蕃人教育概説』はどこに収められている資料なのでしょうか?専門家ではないので分からないのですが、手持ちの台湾統治時代を研究した論文に引用されておらず、niiや国会図書館にもヒットしないので実在を確認できません。125.194.184.71氏の個人所有なのでしょうか?もしブログ記事からの孫引きということになると、無名の一般人のブログからの引用ということになり、wikipediaの引用のルールに抵触しますが。--Kulukulu 2009年6月21日 (日) 07:02 (UTC)
すみませんタイトルが間違っていました。正しいタイトルが『蕃人教育概況』だったようです。こちら[9]に所蔵されています。いくつかの論文にも引用されています。--125.194.184.71 2009年6月22日 (月) 08:32 (UTC)


さて『蕃人教育概況』の引用箇所を読む限り、警務局の主張は次の二点です。

  • 私費の旅行・公費による事業問わず、日本の都市や軍事施設を訪問する体験(観光)は、生蕃を服従たらしめる
  • 1935年当時の見解では、観光に1910年の訪英も含める

しかしながら、人間動物園に記述すべきかどうかは、

  • 博覧会などで展示されることも観光と考えていたのか?

が明らかにされるべきでしょう。先にも書きましたが、1910年の前後に行われた数々の博覧会展示を含めていない以上、『蕃人教育概況』を根拠に、日英博覧会の台湾土人村落を観光事業であったというのは誤読に過ぎません。 日日新報についてですが、長谷川の文も合わせて、日本人の展示を控えるきっかけになったということなのでしょう。人類学館事件の沖縄の新聞記事を思い起こされます。なお、チャンネル桜の台湾取材についてですが、見せ物にされた人々が見物客のゲテモノを見るような好奇の眼差しに気づかないのはかなり一般的な話なので、個別事例の記述として必要だとは思えません。概要に一文を設けたらいいのではないかと思います。--Kulukulu 2009年6月23日 (火) 07:31 (UTC)

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