ノート:交響曲第1番 (佐村河内守)

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記事名について[編集]

佐村河内氏の作曲ではないことは明らかになり、新垣氏が「私が作曲した」と記者会見で明らかにしました。その記者会見を受けた佐村河内氏側のコメントはありません。新垣氏以外の作曲の可能性も否定できず、現時点での記事名変更は避けるべきです。「暫定記事名」が貼られていますが、今すぐ改名ということはせず、楽曲の著作権の帰属と、今後の取り扱いが明らかになった時点で検討すべきかと思います。--121.102.95.111 2014年2月8日 (土) 13:38 (UTC)[返信]

出典と語釈に関連して[編集]

記事本文の中で、コメントアウトを用いて論争が繰り広げられておりましたので、一旦全て除去いたしました。 出典が有効であるか無効であるかや、各用語の定義と解釈、著名人のコメントの解釈などについては、記事本文内で論争をせず、各自、この場での話し合いをお願いいたします。--Rienzi会話2014年2月9日 (日) 15:19 (UTC)[返信]

具体的に、何が問題なのかリストアップしていただけたら、論点も明らかになるでしょう。--220.210.136.178 2014年2月9日 (日) 22:58 (UTC)[返信]

特筆性の基準を満たさない作曲家、音楽評論家、ライターによるブログ、Twitterなどを出典とされていますが、検証可能性を満たしていません(WP:BLOGS WP:TWITTER)ので、削除すべきです。--113.197.193.28 2014年2月12日 (水) 09:29 (UTC)[返信]

WP:BLOGSには、「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。」とあります。要するにその分野の専門家の意見を紹介する、という目的では自主公表された情報源でも良いというこです。Wikipedia:特筆性 (音楽)には「音楽家本人から独立している複数の信頼できる情報源において、些細ではない形で取り扱われた。」とあり、音楽家として大友直人[1][2][3]大谷康子[4][5]新垣隆のページにおける渋谷慶一郎[6][7][8]は特筆性を満たしています。岡野博行もプロデューサーとしての実績から考えて特筆性を満たした専門家です。--Gruppetto会話) 2014年2月12日 (水) 14:16 (UTC)一部追記--Gruppetto会話2014年2月12日 (水) 14:30 (UTC)[返信]
横から失礼いたします。Gruppettoさんがおっしゃられている事には概ね賛成なのですが、現時点で、Wikipedia:特筆性 (音楽)の基準を満たす音楽家(例えば川島素晴氏、新実徳英氏など・・・)による、この作品に関する発言(ブログ、Twitter、Facebookへの投稿)はかなりの数に上っており、この記事、および、「佐村河内守」、「新垣隆」の記事のいずれも、「著名人の自主公表した情報」に基づいた大幅な加筆と除去が頻繁に起きているという事を見る限り、こういった「著名人が自主公表したもの」をどう扱うかについては、今後は慎重であるべきかと思います・・・。記事本文への記載については(ローカルルール的な)一定の線引きが必要ではないでしょうか。私自身は、WP:BLOGSには「しかし、注意してください。もしその専門研究者のブログに掲載された情報が本当に書く価値のあるものならば、他の誰かが既に執筆していたはずです」とあることにも十分留意しなけれなならないな、と思ってます。現在記述されている内容に関しても、吉松隆氏の「騒動発覚後のブログへの投稿」について「評価を変えていない」と言い切ってしまっていたり、問題が多いと思います。(また、五木寛之氏のコメントのうち、要出典タグがついたままになっているものは一旦除去すべきかとも思います)--Rienzi会話2014年2月12日 (水) 14:54 (UTC)[返信]
吉松隆氏の「騒動発覚後のブログへの投稿」について「評価を変えていない」としているのは確かに問題だと思います。一連のブログを読むと発覚前の手放し礼賛から条件付き評価にトーンダウンしているのが感じられます。五木寛之氏のコメントについてですが、私は要出典タグをつけてからカットするまで一ヶ月程度は待つべきだと思うので、現時点では今すぐ除去すべきとは思いません。
吉松隆氏の「騒動発覚後のブログへの投稿」のように「評価を変えていない」という解釈が紛れ込んだ記述は問題ありかと思いますが、「○○(特筆性を満たした音楽家、音楽評論家などの音楽関係者)は『○○』と述べている」のような引用のみの客観的記述であれば、今後の書き込みを抑制すべき程に現在の記述が過剰であるとは感じません。もちろん、何でもかんでも記載すれば良いという訳ではありませんから、加筆について「一定の慎重さ」が必要であることは否定しません。--Gruppetto会話2014年2月12日 (水) 18:17 (UTC)[返信]
佐村河内氏の謝罪文で「売名行為」とありました[9]。この騒動に便乗して、自称評論家、自称フリーライターなど(≒Wikipedia:特筆性 (音楽)Wikipedia:特筆性 (人物))が、Wikipediaも含むインターネットで売名行為をしている可能性も否定できません。佐村河内守交響曲第1番 (佐村河内守)新垣隆 に関しては、マスコミの報道に流されることなく、「一定の慎重さ」を持ち、検証可能性のある出典の基準を厳しくすべきでしょう。
あと、全く別の理由ですが、大友直人さん、大谷康子さんに関しては出典がリンク切れで、検証可能性がありません。--58.138.36.60 2014年2月13日 (木) 08:59 (UTC)[返信]

2014年2月14日 09:00の編集(Gruppettoさん)において、既に名の知られた評論家であり、騒動に乗じた売名行為には当らない。と書かれております。何を根拠に、「名の知られた評論家」と判断されたのか、説明いただきたいと思います(Wikipedia:説明責任) 。特に、Wikipedia:特筆性 (人物)#創造的な専門家Wikipedia:特筆性 (人物)#学者・教授Wikipedia:特筆性 (音楽)#人物 の基準を満たしているかを説明してください。--121.102.42.41 2014年2月17日 (月) 12:19 (UTC)[返信]

許光俊鈴木淳史も大手レコード販売店のHMVのウェブページでコラムを連載しており[10][11]、佐村河内のゴーストライター問題発覚以前からクラシック音楽愛好家には名の知れた存在です。「自称評論家」にはまったく該当しません。そういう鈴木淳史が佐村河内のゴーストライター問題に言及したからといって、なんでそれが「売名行為」になるのでしょうか?理解できません。Wikipedia:特筆性 (人物)#創造的な専門家では「その分野の関係者や後継者から重要人物と目されているか、広くそう言われている人物」、Wikipedia:特筆性 (人物)#学者・教授では「独立した情報源からその専門分野の重要な専門家であると目されていること」とありますが、世界的な大手レコード販売店のHMVがクラシック音楽評論家として重要でない人物にコラムを連載させるとも思えません。--Gruppetto会話2014年2月17日 (月) 14:23 (UTC)[返信]
Wikipedia:信頼できる情報源を参照してください。個人のブログ、ツイッターは1次情報源に該当します。鈴木氏のツイッターは認証済みアカウントではないため、本人によるものとは確認できません。許光俊鈴木淳史も、ウィキペディアにおいては出典が無い状態であり、そのような人物による1次情報源を出典とするのは、いかがなものでしょうか?--113.197.192.17 2014年2月20日 (木) 13:42 (UTC)[返信]
その点は上でも説明しましたが、WP:BLOGSには、「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。」とあります。許光俊は講談社、鈴木淳史は中央公論新社という、「信頼できる第三者」と看做しうる出版社から著書が出版されています。「○○である。」というような断定的な表現を1次情報源を出典に書くのは問題ですが、「○○(特筆性を満たした音楽家、音楽評論家などの音楽関係者)は『○○』と述べている」のような単なる発言・意見の紹介であれば、問題ありません。
また、そもそも鈴木淳史のツイートは、2014年2月5日に佐村河内氏が公表する以前にゴーストライターが書いていたことを知っていた関係者が存在したことを示しているという意味で大変重要です。--Gruppetto会話2014年2月20日 (木) 14:32 (UTC)[返信]
「HMVでコラムを書いた」だけで、名の知れた評論家となってしまうのでしょうか? 本当に名の知れた評論家であるなば、その著書が何らかの有名な賞を受けたり、その功績が評価されて、大学などの研究機関で勤務していたりするものでは?--133.218.145.176 2014年2月21日 (金) 11:59 (UTC)[返信]
信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけません。(WP:RSより) 2014年2月5日に佐村河内氏が公表する以前にゴーストライターが書いていたことを知っていた関係者が存在したことを示している自称していることについて、どれだけ信憑性があるのでしょうか? --133.218.145.176 2014年2月21日 (金) 11:59 (UTC)[返信]
「その著書が何らかの有名な賞を受けたり、その功績が評価されて、大学などの研究機関で勤務していたりする」評論家も名の知れた評論家でしょうが、そうでなくても名の知れた評論家もいるのでは?
また、確かに「知っていた」と自称してるだけという可能性もゼロではありませんが、「鈴木淳史はある時期から知っていた」と書いているのではなく、「鈴木淳史は『ある時期から知ってました』と述べた」と書いている分には事実を述べているだけです。WP:RSの中の#自己公表された情報源にも「自身の専門分野内について記述している著名な専門研究者や、自己公表物を制作している著名な職業ジャーナリストの場合は、この例外になるかもしれません。いくつかの事例では、こうした人々の作品が以前に信用できる第三者的立場の出版社から公表されていて、偽名や仮名ではなく自身の名前で公表しているかぎり、情報源として受け入れられるかもしれません。」とあります。もっとも、鈴木淳史氏のツイッターを情報源として使うべきでない、という意見が他のログインユーザーの間でも多数派となった場合にはそれには従うつもりですが。--Gruppetto会話) 2014年2月21日 (金) 13:33 (UTC)追記--Gruppetto会話) 2014年2月21日 (金) 13:59 (UTC)追記--Gruppetto会話2014年2月21日 (金) 14:02 (UTC)[返信]
とりあえずPortal:クラシック音楽での意見募集とWikipedia:コメント依頼#合意形成のためのコメント依頼を行いました。意見が寄せられるかどうかはわかりませんが、複数の意見が寄せられた場合はログインユーザーの多数意見に従いたいと思います。--Gruppetto会話2014年2月21日 (金) 16:36 (UTC)[返信]

鈴木淳史さんのツイッター証言はなくてもあっても、どっちでもいいかなと思います。本音をいえば、そんな「知ってましたよ」なんて後だし証言は誰でもできるわけで、ツイッターでつぶやくよりは何らかのコラムぐらいを書いて欲しいと思いますが。--Megevand (会話) 2014年2月21日 (金) 16:56 (UTC)[返信]

私は重要な情報なので掲載すべきだと思います。なぜならこの問題は佐村河内さんだけではなく、業界の隠蔽体質にも責があると考えるからです。また、鈴木さんが「著名な評論家」であるかどうかは定義の問題ですが、商業出版の単著が13冊あることから「著名」と言ってもいいと思います。信憑性についても、新垣さんがある時期までただの仕事と考えて受けていたことを思えば、家族などの親しい少数の人間に話していた可能性も高いでしょう。鈴木さんには上記ツイートに関連して以下のツイートもあります「新垣さんが言っていたことがある。『佐村河内氏と会った人は10人中10人が怪しいと思うから、そんなにオオゴトにはならないはず』」。--Bauder会話2014年2月21日 (金) 17:43 (UTC)[返信]

(Bauderさんのコメントに対して)ま、どの世界、業界にも隠蔽体質はあると思いますが、、、。でも、ウィキペディアはそういう体質を暴いてみせるようなところではなくて、ただ事実として公表したものを掲載するだけなので、あまり「大義名分」めいたものを背負ってあれこれ記載する必要もないと思います。ですので、佐村河内守本人の記事の「関係者の証言」でも、日刊サイゾーの「俺は知っていた」とかという情報なんかは要らないと思いますし、記事の終わりに取り調べが行われると書いてあるんだから、その取り調べが終わってからでも何らかの報道はあるでしょうからその後でも遅くないと考えます。現在は色々な疑惑がまだ闇の中にあって、これからもちょこまかとした情報が出てくると思いますが、それをいちいち掲載するのかどうかという議論はした方が良いかなと思いました。--Megevand (会話) 2014年2月21日 (金) 18:33 (UTC)[返信]
話を広げると収拾がつかなくなるので。ここでは鈴木さんのツイートに関してのみご返答しますが、たしかにツイートが掲載すべき情報かどうかの議論は必要ですよね。同じ情報が他にもあるのであればわざわざツイートを情報源とする必要はありませんが、現状では、大義名分は関係ないとしても、単に事実の提示という意味でも掲載が妥当だと考えています。--Bauder会話2014年2月21日 (金) 19:12 (UTC)[返信]

この件が特筆すべきことであれば、既に新聞や大手のニュースサイトで記事になっているでしょう。ツイートで検証可能であってもそこまで書く必要はないと考えます。今後具体的な時期などがコラムとして出てくれば話は別ですが。--Wjp28y会話2014年2月21日 (金) 18:27 (UTC)[返信]

鈴木淳史氏のツイートに関して。基本的にはWjp28yさんと同意見です。鈴木氏の暴露がそれほど重要な話題なら、とっくにマスコミが取り上げているはずです。鈴木淳史氏の一連のツイートに、マスコミ側が食いついていない様子を見ると、今回の騒動に関連して次々と出てきた「実は僕ちゃん、前々からその件について知ってました」的な発言のひとつ、として、さほど重要視されていないのではないか・・・とも思います。また、このノートの議論でもちらちら見える「鈴木氏に音楽評論家として特筆性があるか否か」という論点については、今後もし話し合われるとしたらノート:鈴木淳史の方が妥当ではないかと思います。--Rienzi会話2014年3月7日 (金) 15:43 (UTC)[返信]

2月22日(UTCでは21日)に鈴木淳史氏のツイートを掲載すべきかどうかについて意見を募集させて頂きましたが、現在までのところ「掲載が妥当」が私とBauderさんの2名、「なくてもあっても、どっちでもいい」がMegevandさん、「書く必要はない」がWjp28yさんとRienziさんの2名と、意見が拮抗しています。ログインユーザーの間での多数意見がはっきりしてくるまでもう少し様子を見させて頂きたいと思います。(ちなみに、意見の集計からIPユーザーを除外させて頂いているのは、ゴーストライター問題発覚以降に佐村河内守関係の記事やノートを編集されているIPユーザーの中に可変IPの方がいて正確な集計が不可能なためです。)--Gruppetto会話2014年3月16日 (日) 17:54 (UTC)[返信]
Gruppettoさんへ。ウィキペディアは多数決主義ではありません。--133.236.114.207 2014年3月18日 (火) 15:01 (UTC)[返信]
鈴木淳史氏のツイートについては「掲載が妥当」という私の意見は今も変わっていません。ただし、反対意見の方々を説得してまでも絶対に残すべき、という程ではありませんから「ログインユーザーの多数意見に従いたいと思います」と表明したまでです。133.236.114.207さんは鈴木淳史氏のツイートを除去したくて仕方が無いのでしょうが、ログインユーザーの意見がほぼ拮抗している現状では自分から除去することはしません。--Gruppetto会話2014年3月18日 (火) 15:40 (UTC)[返信]
つまり、Gruppettoさんは「ツイートを掲載したくて仕方が無い」と解釈してよろしいですか? 特定人物のツイートを削除したいという個人的欲求ではなく、ウィキペディアのガイドラインに従って、不適切な部分は除去すべきという考えです。佐村河内守にも、ある作曲家のツイートがありますが、これもガイドラインに従うべきでしょうね。そもそも、掲載されたTwitter、本人によって書かれたと証明できますか? ご参考 Twitterからは「著名な個人」と認められていませんよね。こちらのTwitterも出典にできますか?--133.218.145.248 2014年3月19日 (水) 10:42 (UTC)[返信]
平行線です。他のログインユーザーさんから意見が出るかもしれませんし、メディアへの掲載があるかもしれませんから、いったん問題を棚上げして、4月末あたりまでこのまま様子を見るのはいかがですか。--Bauder会話2014年3月19日 (水) 21:41 (UTC)[返信]
Gruppettoさんからのコメントを望んでいましたが、Bauderさんによる、しばらく様子を見る提案には賛成します。先日、神山典士氏がテレビ出演しているのを(録画で)見ました。この騒動の顛末をノンフィクション作家として本にするようです。佐村河内守氏が新垣隆氏を訴えると発言しており、サモンプロモーションが損害賠償を請求するかと思われます。未だに現在進行中の事象あり、記事に問題が残されているというテンプレートは必要です。--58.138.17.44 2014年3月26日 (水) 13:18 (UTC)[返信]

Bauderさんは、BuzzNewsJapanを出典として提示されましたが、まとめサイトと同等の内容であることは明白であり、このようなサイトを信頼できる情報源としていいのでしょうか? 出典についてはノート:佐村河内守#J-CASTソースの記述除去ほかについてでも議論されています。--220.100.18.35 2014年3月10日 (月) 04:07 (UTC)[返信]

出典を一次情報であるツイートに変更しました。ツイートが出典として適当であるか否かは上の議論をご参照ください。ログインして発言していただけると助かります。参考までに、最近の鈴木淳史のツイートによれば、この件について「いずれ書くことになるでしょう」とのことです[12]--Bauder会話2014年3月11日 (火) 00:21 (UTC)[返信]
Twitter にも著作権があります。引用は可能ですが、転載にはご注意ください。--121.102.96.199 2014年3月11日 (火) 09:48 (UTC)[返信]
ありがとうございます。引用とリンクに変更しました。--Bauder会話2014年3月11日 (火) 21:15 (UTC)[返信]

書籍なのか 楽曲なのか[編集]

この項目名は『交響曲第1番 (佐村河内守)』ですが、作曲依頼が2003年頃、書籍の出版は2007年、楽曲の初演は2008年です。主に楽曲についての内容が書かれていますが、同名の書籍はどのように扱うべきでしょうか?--58.138.17.44 2014年3月26日 (水) 13:18 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

交響曲第1番 (佐村河内守)」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月25日 (月) 04:39 (UTC)[返信]

出典不明の記述について[編集]

『交響曲第1番』の「再評価が試みられ」た旨の記述、ネーメ・ヤルヴィさんの評の「文章は削除されている」旨の記述に出典が不明です。除去を 提案 します。--2019jul07会話2022年1月31日 (月) 02:26 (UTC)[返信]

出典とされているサイトを見れば分かりますが、曲目変更によりネーメ・ヤルヴィのこの曲についてのコメントはもうありません。「出典がない」という理由ならネーメ・ヤルヴィのこの曲についてのコメント自体を除去すべきです。--Gruppetto会話2022年1月31日 (月) 05:16 (UTC)[返信]
コメント自体の除去にも反対しません。--2019jul07会話2022年1月31日 (月) 05:43 (UTC)[返信]
ネーメ・ヤルヴィのこの曲についてのコメントをカットしました。--Gruppetto会話2022年1月31日 (月) 05:59 (UTC)[返信]
web.archive.orgに過去の版が保存されており[13]、ネーメ・ヤルヴィのコメントが確認できるので記述を復帰させました。--Gruppetto会話2022年1月31日 (月) 15:00 (UTC)[返信]
挙げられたウェブアーカイブは除去を提案した記述の出典ではないので、引き続き「再評価が試みられ」た旨の記述と「文章は削除されている」旨の記述の除去を希望します。--2019jul07会話2022年1月31日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
ウェブアーカイブと現在の版を比較すれば「文章は削除されている」のは明らかであり、現在の版がその出典になります。--Gruppetto会話2022年1月31日 (月) 15:29 (UTC)[返信]
出典とされる資料にはそのような情報は載っていないので、出典になりません。--2019jul07会話2022年1月31日 (月) 15:46 (UTC)[返信]
削除されているのは明らかなので、出典となります。--Gruppetto会話2022年1月31日 (月) 15:56 (UTC)[返信]
明らかではありません。「削除されている」という情報をウィキペディアに載せるには、「削除されている」という意味の記述(や音声など)が情報源になければなりません。--2019jul07会話2022年2月1日 (火) 14:49 (UTC)[返信]
明らかです。比較すれば誰にでも分かります。--Gruppetto会話2022年2月1日 (火) 14:58 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性で定められているのは「参照」です。「比較」は出典になるかどうかと無関係です。--2019jul07会話2022年2月3日 (木) 09:35 (UTC)[返信]
ウェブアーカイブと現在の版を「参照」すれば、「文章は削除されている」のが確認でき、検証可能性を満たします。--Gruppetto会話2022年2月3日 (木) 14:37 (UTC)[返信]
確認できません。それ以前に現在のこのページは「交響曲第1番 (佐村河内守)」に関する情報を何も提供していません。--2019jul07会話2022年2月4日 (金) 03:32 (UTC)[返信]
確認できます。--Gruppetto会話2022年2月4日 (金) 04:54 (UTC)[返信]
その内容のコメントには既に返答しました。議論活性化のためのコメント依頼を行ったことを報告します。--2019jul07会話2022年2月4日 (金) 13:21 (UTC)[返信]
  • コメント コメント依頼を拝見してまいりました。結論から申し上げますと、論点がずれていると思われます。
まずWikipedia:検証可能性に照らすと、アーカイブサイトで閲覧できる過去の記述内容と現在の記述内容を見比べることで、過去にはネーメ・ヤルヴィのコメントが掲載されていて、現在は掲載されていないという事実が確認できます。この点については2019jul07さんも認めないと話が進みません。
しかし、そうだとして現状の記述には一つ明白な問題があります。それは「曲目と指揮者の変更により」という記述があることです。これは明らかに編集者の私見ではないでしょうか。少なくとも現在提示されている出典だけではそのようなことは読み取れないように思われます。もし他のページにそういったことが書いてあるのであれば、それを出典を提示する必要があります。今の記事本文にはこの部分が含まれているにもかかわらず、見比べれば現在の記述は検証可能であるとするGruppettoさんの主張には重大な問題があります。
Gruppettoさんが主張されているウェブサイトの過去の記述と現在の記述を比較してWikipediaに執筆するというのは記述の比較はWP:PSTSで示されているような一次資料を基にした記述になります。こうした出典を使うには編集者独自の分析や解釈が入り込まないよう、十分注意する必要があります。今回問題になっている記述にしても、たとえ曲目や指揮者を変更したとしても楽団は前指揮者のコメントをそのまま残してもよいわけです(まぁ普通は残したりしないですけどね)。つまり、曲目と指揮者が変更されたからヤルヴィのコメントが削除されている、という現在の記述はあくまでも書き手の解釈でしかありません。仮に書くのだとすれば、「(前略)と評したが、2022年現在はこの文章は削除されている。」という書き方でなければなりません。
こういったことを避けるためにWikipedia:独自研究は載せないは二次資料を使って記述することを推奨しており、その点で2019jul07さんの「「削除されている」という意味の記述(や音声など)が情報源になければなりません。」([特別:差分/87825365]])という指摘は妥当なものを含んでいます。一次資料を使うこと自体禁じられてはいませんが、可能な限り二次資料が使えるなら二次資料を使うべきなのです。例えば何らかの二次資料に「指揮者の交代に伴いコメントが差し替えられた」などと書いてあれば、現在の記述内容でも問題なかったでしょう。
また、そもそも論として、Wikipedia:検証可能性は載せてもよいものを定義している方針であって、載せるべきものを定義する方針ではありません(Wikipedia:検証可能性#他の原則との兼ね合い)。検証可能だからといって載せるべきかどうかは、別途考える必要があります。特に今回は、既にウェブサイトから除去されていることをわざわざ掘り出して書こうというのですから、それなりに書くべきことなのかどうかをよく考えるべきでしょう。Wikipedia:検証可能性を満たしているからOKというのは不適切です(WP:NOTEVERYTHING)。本当にこのヤルヴィのコメントが掲載されていたことが重要であるなら、わざわざアーカイブサイトと見比べたりしなくたって他の資料で検証できるはずなのですが……。
また、2019jul07さんにしても、この場での主張が全く理に適っていないとは思わないのですが、主張に対して適切な方針やガイドラインを示さないと議論が成立しないと思われます。私が示したWikipedia:独自研究は載せないなどをもっと早く提示していれば、ここまで議論はこじれなかったのではないでしょうか。
最後に私自身の意見を述べておきます。私は除去したほうが良いと思います。現状ではアーカイブサイトでしか、ヤルヴィのコメントを検証できないようです。アーカイブサイトは方針・ガイドライン上、リンク切れだったりURL変更に備える目的で使用することが主です(WP:DEADREF)。今回のように、HPを運営側が意図的に削除したであろう内容を記載するために用いるのは、趣旨に合わないように思います。 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月10日 (木) 07:36 (UTC) 下線部・打消し線部の表現を修正 --紅い目の女の子(会話/履歴) 2022年2月10日 (木) 07:39 (UTC)[返信]
返信 (紅い目の女の子さん宛) 「見比べる」という行為が必要な時点でWikipedia:検証可能性に照らすものとは思いません。掲載されていることが確認できないことは認めますが、掲載されていないことが確認できることは認めません。「(前略)と評したが、2022年現在はこの文章は削除されている。」という書き方をすることも「比較」が前提になっていますが、WP:PSTSで「あなた自身が分析・合成・解釈・評価などをしてはいけません」と定められていることに反するため 反対 します。--2019jul07会話2022年2月10日 (木) 13:03 (UTC)[返信]
返信 (紅い目の女の子さん宛) 「曲目と指揮者の変更により」のみをカットするなら反対はしません。--Gruppetto会話2022年2月10日 (木) 14:45 (UTC)[返信]
コメント依頼の内容は引き続き「記述が検証可能かどうかについて」ですが、記述が独自研究であることを 提案 の理由に追加します。現在のこのページは「記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料」(Wikipedia:独自研究は載せない)ではありません。また、ネーメ・ヤルヴィさんの評の文章があったことを裏づけておらず、それが「削除されている」というのは「情報源によって直接的かつ明示的に支持されない観点」です。--2019jul07会話2022年2月16日 (水) 06:39 (UTC)[返信]
ウェブアーカイブと現在の版を比較すれば「文章は削除されている」のは明らかです。比較は人間精神の自然な反応であり、検証可能性から排除されていないと考えるのが妥当です。--Gruppetto会話2022年2月16日 (水) 16:20 (UTC)[返信]
比較が「人間精神の自然な反応」かどうかと、検証可能性から排除されていないかどうかに何の関係があるのか全く分かりません。Wikipedia:検証可能性では「人間」「精神」「自然」「反応」のいずれも使われておらず、主張の根拠が不明です。--2019jul07会話2022年2月23日 (水) 10:06 (UTC)[返信]
分からないのなら、これ以上絡むのはおやめ下さい。--Gruppetto会話2022年2月23日 (水) 10:14 (UTC)[返信]
Gruppettoさんの主張が私には「分からない」ものだと認めるのであれば、議論を続ける理由はありません。記述を残す根拠はないものとみなします。--2019jul07会話2022年3月2日 (水) 14:06 (UTC)[返信]
それはあなたの個人的思い込みに過ぎません。--Gruppetto会話2022年3月2日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
その根拠をお願いします。--2019jul07会話2022年3月2日 (水) 16:53 (UTC)[返信]
あなたが根拠だと思っているものがあなたの個人的思い込みです。--Gruppetto会話2022年3月2日 (水) 17:44 (UTC)[返信]
「個人的思い込み」かそうでないかを判断する根拠をお願いします。--2019jul07会話2022年3月13日 (日) 12:54 (UTC)[返信]
ウェブアーカイブの過去の版と現在の版を比較すれば「文章は削除されている」のは明らかです。--Gruppetto会話2022年3月13日 (日) 13:40 (UTC)[返信]
論点が違います。「比較は人間精神の自然な反応であり、検証可能性から排除されていない」という考えが「個人的思い込み」かそうでないかを判断する根拠をお願いします。--2019jul07会話2022年3月13日 (日) 14:31 (UTC)[返信]

あなたの言葉遊びに興味はありません。ウェブアーカイブの過去の版と現在の版を比較すれば「文章は削除されている」のは明らかです。--Gruppetto会話2022年3月13日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

「興味はありません」ということなので、比較が「検証可能性から排除されていない」という主張の根拠は示されないものとして、「比較すれば(略)明らか」だということは検証可能性を満たさないものとみなします。--2019jul07会話2022年3月23日 (水) 05:57 (UTC)[返信]
上で説明している理由により、検証可能性を満たしています。—-Gruppetto会話2022年3月23日 (水) 07:45 (UTC)[返信]
その説明には根拠が示されていないため、検証可能性を満たしているとは認めません。--2019jul07会話2022年3月23日 (水) 09:45 (UTC)[返信]
上で説明しているように、検証可能性は満たしています。--Gruppetto会話2022年3月23日 (水) 12:08 (UTC)[返信]
その説明は編集者の私論であって、私論は方針を無効にできません(Wikipedia:合意形成)。よって、検証可能性を満たしているとは認めません。--2019jul07会話2022年4月4日 (月) 13:01 (UTC)[返信]
ウェブアーカイブの過去の版と現在の版を比較すれば「文章は削除されている」のは明らかであり、検証可能性は満たされています。--Gruppetto会話2022年4月4日 (月) 13:55 (UTC)[返信]
その主張に根拠が示されていないというのは単純な事実です。認めてください。--2019jul07会話2022年4月5日 (火) 06:18 (UTC)[返信]
ウェブアーカイブの過去の版と現在の版を比較すれば「文章は削除されている」のは明らかであり、検証可能性は満たされています。--Gruppetto会話2022年4月5日 (火) 06:29 (UTC)[返信]
その内容のコメントには既に返答しました。認識統一のためWikipedia‐ノート:検証可能性#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果は、読者に検証可能か?を提起したことを報告します。--2019jul07会話2022年4月5日 (火) 10:19 (UTC)[返信]
上記の提起に代わり、Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較したとき、その結果は独自研究か?で検討を始めたことを報告します。--2019jul07会話2022年9月13日 (火) 05:12 (UTC)[返信]
検証可能性は満たしているし、独自研究とも思いませんが、2019jul07さんがこの記述があることが不快で我慢ならないというご様子なのと、絶対に残すべきほど重要なことでもないのでカットしておきました。Gruppetto会話2022年9月13日 (火) 06:25 (UTC)[返信]

Aという出典とBという出典の記載内容がことなる、という事実を観察して発見したのがwikipedia編集者であるばあい、その「事実」をwikipedia上で公表するのは独自研究の公表となりますので原則として避けるべきでしょう。もっとも一般的な学術記事では互いに矛盾する学説を両論併記する場合には読者の便宜上、これらの矛盾について簡単に言及することは好意的に許容されるとおもいますが、本記事のように誹謗中傷の対象とされた過去のある作家に関連する、しかもその作家の名誉を誹謗する目的での記事の執筆では「Aという出典とBという出典の内容がことなる」という事実を①検証可能な②信頼できる情報源で公表された場合にようやくその事実を紹介するのが適切で(Wikipedia:存命人物の伝記とりわけWikipedia:BLPGOSSIP)、それ以前の段階でwikipedianが「その事実に気が付いた」という喜びから勇んで執筆してしまうのは控えるべきだと思います。--大和屋敷会話) 2022年9月15日 (木) 02:51 (UTC)そもそも、「ウェブページ」や「アーカイブページ」が本当に真正なものであって、あるいは第三者により改竄されていないと、立証できていますか?ウェブ上で見つけたので真正なものだと判断するのはたんなる先走りというものです。--大和屋敷会話2022年9月15日 (木) 03:00 (UTC)[返信]

根本的に勘違いしていらっしゃるようですが、私はむしろこの曲がネーメ・ヤルヴィというある程度世界的な指揮者にも一定の評価をされたこと、しかし現在のWebページにはその文章はありません、ということを記事上に示すことが目的です。履歴を見たらわかりますが、ウェブアーカイブが加えられたのは後になってからです。「名誉を誹謗する目的での記事の執筆」「「その事実に気が付いた」という喜び」はあなたの勝手な主観的勘違いに過ぎません。--Gruppetto会話2022年9月15日 (木) 06:35 (UTC)[返信]

そもそも、「ウェブページ」や「アーカイブページ」が本当に真正なものであって、あるいは第三者により改竄されていないと、立証できていますか?ウェブ上で見つけたので真正なものだと判断するのはたんなる先走りというものです。--大和屋敷会話2022年9月15日 (木) 08:02 (UTC)[返信]

エストニア国立交響楽団の公式ページと、そのウェブアーカイブです。また、ネーメ・ヤルヴィのコメントが残っていた頃にリアルタイムでそれを見ています。後から「発見」したものではありません。Gruppetto会話2022年9月15日 (木) 11:57 (UTC)[返信]
ところで、Wikipedia‐ノート:検証可能性#編集者がウェブページとそのウェブアーカイブを比較した結果は、読者に検証可能か?において「原爆投下を2045年としているから信憑性が低い」といった意見が出ていましたので、ちゃんと1945年に修正された後のウェブアーカイブにリンク先を変えておきました。また、曲目と指揮者の変更後のページについても将来的に閲覧できなくなる可能性があるのでこれもウェブアーカイブに変えておきました。つまり両者ともウェブアーカイブとなります。--Gruppetto会話2022年9月15日 (木) 15:01 (UTC)[返信]