ノート:五木の子守唄

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誰か確認していただきたいのですが・・・ ネット版朝鮮日報の8月16日版にこんな記事がありました。 http://www.chosunonline.com/article/20070816000050 五木の子守唄が『昔、五木村に強制連行された朝鮮人によって祖国をしのんで作られた民謡(アリラン)』だというものです。--以上の署名の無いコメントは、Duke-Sillywalker会話投稿記録)さんによるものです。

なんだか韓国起源説の一種のような気がします…。五木の子守唄は、現地でも起源が定まっていないようで、天草下島の福連木の子守唄が源流だとする説([1])や、五木の地に落ち延びたが、源氏の家臣に支配された平家の落人の子孫が小さな抵抗を唄ったものという説([2])などもあるという話です。ですから、やけに断定的に書いたこの記事の信憑性には疑問があると思います。記事内で、自己矛盾を起こしたりもしていますし(「日帝がアリランを弾圧した」なら、何故「1920年代以降に日本のレコード会社から発売されたアリランのレコード」があるのか、という点)。--松茸 2007年8月18日 (土) 16:07 (UTC)[返信]

韓国起源説(←独自研究じゃないの?)とは別物です。 マジレスすると、五木の子守唄の原曲は元々3拍子(採譜されたときに4拍子に変わった)で、日本の明治以前の曲には3拍子の曲はほぼ皆無。一方朝鮮の当時の曲は大半が3拍子。五木地方は加藤清正が朝鮮から連行してきた陶工を住まわせた地で、その子孫が歌い継いだアリランの変形説がある。実際、メロディの構造は似てる。

歌詞に関しては、「おどま勧進」(勧進=乞食)の部分に論争があって、前述の朝鮮人陶工の子孫が没落するなどして「韓人」としてさげすまれたりで、昭和初期の熊本では「勧進(くわんじん)とバカの二つがののしり言葉の極地」(高群逸枝の『女性の歴史』から)と言われていて、この「くわんじん」は「かんじん」じゃないのか? 当時ちゃんと書き/聴き分けられたのか? ダブルミーニングじゃないのか?等の「韓人説」が根強く残ってる。歌詞の内容が「俺は乞食(勧進)だ あいつらいい人 いい服着てる」という下から目線というのがこの説の後押し。松永伍一が反対論を書いてるらしいけど読んだことなし。

80年代初期に三橋一夫が比較的詳しく論じてる。いまのところ記事を直す気はなし。めんどくさいし、なによりこういうのって熊本の人が嫌がるでしょ(笑)

ちなみに、朝鮮におけるアリランの弾圧(1910年?~、多分3・1運動以降)と日本でのアリランレコード多発(1931年以降)は全く別次元の話。少し頭使えば分かるだろうけど、自己矛盾でもなんでもない。

弾圧っていうほど厳しいものじゃないけど、アリランの様々なバージョンのうちいくつかが朝鮮総督府の検閲にひっかかって規制されたのと、これは憶測だけど、公共の場所で歌うのを禁じられたくらいだと思う。--Blueroses5327 2007年8月25日 (土) 12:43 (UTC)[返信]