ノート:九份

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ノート:九フンから転送)

九フン>九分へ変更の提案[編集]

九フン」の項目について提案があります。中国文字ではニンベンに分の「九份」ですが日本語にこの漢字が無いため片仮名が使用されています。より一般的な表記を用いてタイトルを「九分」に変更を提案いたします。 日本のガイドブックや旅行社などでは一般的に「九分」の表記もしばしば使用されています。

  • (反対)九フンに関わらず、様々なケースで日本語表記が難しい場合、その該当漢字をカタカナ表記にして項目が作られています。例えば中国に関する事柄で挙げるとすれば、ピン音ミン南語キン斗雲中レキ市内レキ駅キョ光号カイ通郭虔カン元キョウテイなどなど数えれば限りがありません。それにガイドブックの発行社も旅行者もわざわざ分を使っているわけではないと思います。旅行会社でも筆記のものに関しては「九份」と書いてありますし、日本の特にWindows環境下においては表記が難しいため仕方なく「九イ分」、「九イ分」、「九分」、「ジョウフン」などとわざわざ書いています。ですので別に変える必要性がないと思います。Hadge 2006年9月17日 (日) 22:10 (UTC)[返信]
  • (反対)Wikipedia:記事名の付け方には「正式な名称を使うこと」とありますが、代字の「九分」は「正式でない名称」に該当すると思います。また、「九分」→「九フン」へのリダイレクトが2006年9月16日 (土) 04:01に作成されたようです。井戸端では検索性の低下を心配しておられたようですが、経験則として、リダイレクトでも少なくともgoole、Yahoo!、MSNサーチには引っかかるようなので、リダイレクトで問題ないのではないでしょうか。Canadie 2006年9月18日 (月) 12:17 (UTC)[返信]
本件の提案をした者です。署名を付け忘れており失礼しました。私が心配していたのも「九分」でヒットしなかった為、便利性が損なわれていると感じたからです。私の提案直後に管理人様がリダイレクトしてくださったようで、提案を撤回いたします。--Takoradee 2006年9月18日 (月) 15:23 (UTC)[返信]
  • (質問) 日本統治時代「九分」と呼ばれていたのでしょうか? その当時でも「九份」と呼ばれていたならば、日本語としての「九份」(九フン)も変な表記ではないと思います。--124.147.126.30 2006年9月20日 (水) 01:53 (UTC)[返信]
日本統治時代も九份と書きました。--Koika 2006年9月23日 (土) 01:45 (UTC)すみません、当時には九分と表記し、同名の大字がありました。--Koika 2009年9月20日 (日) 14:39 (UTC)[返信]

「宮崎駿が九份を訪れた」という情報について[編集]

「宮崎駿が九份を訪れた/千と千尋の神隠しのモデルにした」という情報の根拠はこのサイトのようですが(http://www.taipeinavi.com/food/276/) 一個人の一方的な発言は信頼できる情報源とは言いがたいです。これだけ重要な情報であるにもかかわらず、スタジオジブリ、宮崎駿がこの件に触れている資料を知りません。この発言の裏付けとなるスタジオジブリ側からの根拠を提示してください。加えて、個人的にスタジオジブリに確認しましたが、「宮崎駿は九份を訪れていない」という回答を頂きました。(同じ質問が多数寄せられているそうです)この話も信頼できる客観的な根拠を提示できませんので、是非ご自分でスタジオジブリに確認してみてください。--Brainfaker会話2013年4月1日 (月) 11:42 (UTC)[返信]

まず、ルールを守って編集に参加してください。他の編集者が書いた文章を合意形成せず、大幅に削除を行うのはWikipediaでは好ましいとされていません。Brainfakerさんの編集を差し戻しますので、この掲示板で合意形成を行なってください。Brainfakerさんが削除する以前の文章を確認すると、ここで紹介されているのは、台湾のガイドブックや旅行代理店の紹介する「九份が千と千尋の神隠しと言われている」という逸話があるという事実(Fact)のみです。この逸話は地球の歩き方台湾版など複数の書籍に長年紹介されています。出典になっていた旅行ウェブサイトは、あくまでこの逸話が存在する出典としてであり、「宮崎駿が訪問した」、「九份がアニメの街のモデル」である事実を証明する目的の出典ではありません。この紹介により九份を訪れる日本人が多いため、この逸話は九份の項目には欠くことは出来ないでしょう。「個人的にスタジオジブリに問い合わせてみた」というのは、「Wikipediaの個人的研究は載せない」ルールに抵触する行為であり、ここで語るのはナンセンスです。--Pro se会話2013年4月2日 (火) 17:28 (UTC)[返信]

大幅な削除の件、了解しました。ただし、ここに書いてあるのは【台湾のガイドブックや旅行代理店の紹介する「九份が千と千尋の神隠しと言われている」という逸話】ではなく【以前、スタジオジブリの宮崎駿が九份を訪れ、街並みをスケッチしている】という、あたかも「事実」かのような文章です。よって「逸話」であるという事を明文化する必要があると考えますので、そのように編集させて頂きます。(「Wikipediaの個人的研究は載せない」という点、了解しておりますので、ここに書かせて頂いたという次第です。)--Brainfaker会話2013年4月2日 (火) 20:22 (UTC)[返信]

「【スタジオジブリの宮崎駿が九份を訪れ、街並みをスケッチしている】ことから、日本では、2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介され」

という文章ですが、出典にある女性の証言は字義通り「証言」または「逸話」であり、第三者が「事実」であることを確認できるものではありません。この文章に立ち返りたいのであれば、「宮崎駿が九份を訪れ、街並みをスケッチしている」という証言が「事実」である事と、これが『「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介された理由』であるという根拠・出典を提示してください。また、「千と千尋の神隠しのモデル」について書かれている事なので、表現の是非はともかく、スタジオジブリ側からの発言を併記するのは中立的な観点から妥当と考えます。--Brainfaker会話2013年4月4日 (木) 09:38 (UTC)[返信]

ジブリの公式情報が「九份をモデルとして認めた」、「宮崎駿が訪問した」という誤解を読者に与える表現が現状文章に存在するならば、修正を行う意見には賛成です。公式でない情報をウィキペディアがあたかも公式であるかのように流布してしまった事例は、ウィキペディアままある問題です。読んだ者が「巷にある興味深い逸話のひとつ」として理解できる表現に留めるべきです。編集合戦に成りかかっているので、修正が必要な箇所を上げて、修正後の文章の合意を形成してみてはいかがでしょう。--Pro se会話2013年4月5日 (金) 06:56 (UTC)[返信]

巷にある興味深い逸話のひとつ」として理解できる表現に留めるべき、という点に賛同します。 前述のとおり、【スタジオジブリの宮崎駿が九份を訪れ、街並みをスケッチしている】は、明らかに「宮崎駿が訪問した」という「事実がある」と認めている表現です。現在、「スタジオジブリ宮崎駿が九份を訪れ、街並みをスケッチしたとされる」と変えてくださいましたが、いまだ「事実である」とも受け取れる表現ですので、より「巷にある興味深い逸話のひとつ」であることを分かりやすく表現するために、「そう主張している女性が存在する」と明確に書くのが適切と考えますが、いかがでしょうか?また、現在の文章・脚注の付け方では、あたかも台北ナビにある女性の証言を発端として「日本では、2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町として紹介された」と受け取れる表現ですが、この因果関係に根拠はあるのでしょうか?無いのであれば、この2つの文章はつなげるべきではないと考えます。--Brainfaker会話2013年4月5日 (金) 10:42 (UTC)[返信]

もう一点、再度提案しますが、これは「千と千尋の神隠しのモデルとなった場所」について書かれている文章なので、スタジオジブリが提示している「千と千尋の神隠しのモデルとなった場所」を併記するのは中立的な観点から妥当と考えますが、この点はいかがでしょうか?--Brainfaker会話2013年4月5日 (金) 11:34 (UTC)[返信]
Brainfaker氏の編集方針を原則支持します。観光サイトは、宣伝のための文章を書くところで、盛る傾向が出やすいので、出典として使うには注意して控えめに用いた方が良いです。--Los688会話2013年4月13日 (土) 08:08 (UTC)[返信]
あと、これは明確に「あらし」ではありません。--Los688会話2013年4月13日 (土) 08:09 (UTC)[返信]
基本的なことですが、出典に依った文章でないもの、“そもそも信頼できる情報源で無い上に内容が伝聞”であるものが編集されるのは当然のことです。また、「異論はノートで」と再三呼びかけているのにもかかわらず、それに応じないのであれば「合意形成」に至らないのも当然です。仮に「街並みをスケッチした」の出典を提示したとしても、それを持って「公式でない」という文章を削除する理由にはなりません。観光サイトを出典にする点に関しましては、管理者であるLos688さんの仰るとおりです。--Brainfaker会話2013年4月15日 (月) 16:06 (UTC)[返信]
  • まず管理者の方がこの編集方針を原則支持している点をご確認ください。また「控えめ」と書いてあるのですから、「出典にするな」ではありません。信頼性の薄い根拠を絶対視してはいけないということです。「出典にしてはいけない」のであれば、「千と千尋の神隠し」に関する該当部分はすべて削除しなければなりません。ですから中立的な観点から言えば、両論併記か両論削除しかありません。それで宜しいですか?もう一点、「王様のブランチ」2011年9月24日(土)放送で「街並みをスケッチした」と紹介したのが確認できる出典はどこでしょうか?今のままでは明確に「信頼性に乏しい情報源」です。出典にはなりませんので、この文章では併記できません。Wikipediaの「検証可能性」をよくお読みになってください。--Brainfaker会話2013年4月17日 (水) 14:24 (UTC)[返信]


まずウィキペディアのルールです。ノートの段落は*ではなく:で付けて下さい。私は現状の公式と誤解させる箇所の修正には賛成なんですが、Brainfakerさんの修正をする文言に疑問を感じます。おそらく差し戻しをしている複数の編集者の方もそこに引っかかっているとおもいます。
「紹介した旅行ガイドブックやサイトがあったことなどから」、「ジブリ公式ではないとされる。」、「宮崎駿が店を訪れ、景色を見る方向ではなく、店内が見える方向に向いて座り、スケッチをした」と主張する女性がおり」
この文章では百科事典のとしての体裁を保っていません。「などから」「ないとされる」「主張する女性がおり」。百科事典というのはこのような文体では、通常書かれないものです。これではBrainfakerさん個人のブログに書かれたネガティブな意見といった文体で、とても中立的な立場から書かれているようには見えません。現状はBrainfakerさんとそれを修正しようとする複数の編集者さんの間で、不毛な編集合戦に成りかかってます。解決策としてBrainfakerさんは、修正後の文章をノートに提示し、それを他の編集者の方と合意を取ってから、本文に反映させる。Brainfakerさんの差し戻しをされている編集者の方は、ノートにご意見アドバイスを載せてBrainfakerさんの文章を百科事典にそぐう文体に導いてあげてはいかがでしょう?このまま争っていると保護されてしまい、誰も幸せにならない結果が待っていますよ。--Pro se会話2013年4月17日 (水) 14:44 (UTC)[返信]
申し訳ありません。それは同じ話題を改めて詳細に、という意味で付けたのですが、使い方を間違えたようです。文章の書き方に関しては仰るとおり、アドバイスを頂いたほうが良いと思います。ただ私自身、例えば、「主張する女性がおり」ではないが、あくまでひとつの「逸話」であると分かる文言とは、どういった文章なのかが不明です。よろしければ、まずPro seさんの考える「百科事典としてふさわしい文体」を教えて頂けないでしょうか?また、ご覧になって頂けている通り、他の方の「編集内容の要約」に書かれている理由には、明らかにPro seさんの仰る事とは異なる点で異論を持ち、私の文章を「編集せずに差し戻す」方がいらっしゃいます。まずは私がひとつ前に述べている点(両論併記か両論削除、信頼に乏しい情報源)を解消してから文章を提示したほうが良いと考えますが、いかがでしょうか?--Brainfaker会話2013年4月17日 (水) 17:29 (UTC)[返信]
前述の点がまだ解消されておりませんが、指摘された部分に関しまして、まず自主的に出来る部分は改めました。「中立的な、百科事典としてふさわしい文体」でないと思われるは、ご指摘をお願いします。--Brainfaker会話2013年4月18日 (木) 12:00 (UTC)[返信]
【日本では、2001年に公開された映画「千と千尋の神隠し」のモデルになった町と紹介されたことから、一般の観光客への知名度が一躍高まった。ジブリ公認のモデル地ではないが、一方で「スタジオジブリの宮崎駿が店を訪れ、景色を見る方向ではなく、店内が見える方向に向いて座り、スケッチをした」と話す女性がいる。】

改名提案[編集]

先日Wikipedia:記事名の付け方が改定されJIS X 0213に収録されている「份」も記事名に使用できるようになりました。「九份」への改名を提案いたします。--こんせ会話2020年8月9日 (日) 04:20 (UTC)[返信]