ノート:丹羽文雄

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報告[編集]

「剽窃問題」の節についてです。出典としてリンク先の文章がありますが、

丹羽氏は、学術書の引用は慣習化されていると述べたり、小説が終わった時に参考書を列記すればいいと考えていた、と弁明しているが、後に文芸家協会の役職を辞任したり、問題となった連載作品「蓮如」各号ごとに謝意表明の文章を入れるなどにより解決をみている。

これがリンク先の出典の文章です。対して、このウィキペディア本文に反映された文章は

丹羽は、学術書の引用は慣習化されていると述べ、小説が終わった時に参考書を列記すればいいと考えていた、と弁明したが、後に文芸家協会の役職を辞任し、問題となった連載作品『蓮如』各号ごとに謝意表明の文章を入れるなどにより解決をみた。

これです。ただの事実に見えますが、言葉の配列にかなり顕著な一致性が見られます。こういうのはWikipedia:著作権と照らし合わせて大丈夫なのでしょうか。以下、私の考える文章を述べます。

丹羽は、「学術書の引用は慣習化されている、小説を書き終えた時、最後に参考書を列記すればいいと考えていた」と弁明した。しかし、その後文芸家協会の役職を辞任し、また、問題提起された連載作品『蓮如』の各号において、文章による謝罪を表明した。

この方が良いと思います。そもそも著作権侵害だった場合特定版削除をしなければなりません。詳しい方による報告を希望します。--ShellSquid/履歴 2014年7月23日 (水) 07:52 (UTC)--ShellSquid/履歴 2014年7月23日 (水) 08:14 (UTC)[返信]

量的にも質的にもそれほど深刻な侵害ではないですし、もとはリサーチナビ/国会図書館の著作物なら訴えられる可能性はほとんどないと思います。削除については気にしなくていいと思う。内容については、改めたほうがよいと思いますが、鍵括弧で括らないほうがよい(他の情報源で、これが丹羽による表現だと受け取られて良いことが確認できているなら、このままでも/のほうがいいかも)と思います。考えていた旨弁明したとかなんとか。「問題提起された」は、「問題とされた」「指摘を受けた」だと思います。誰かが蓮如という連載で丹羽の著作権の問題を提起した、と受け取られにくいように。--Ks aka 98会話2014年7月24日 (木) 10:14 (UTC)[返信]