ノート:中村哲治

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中村哲治本人より[編集]

中村哲治本人です。奈良新聞と奈良日日新聞の報道内容については、現在、奈良地方裁判所に名誉毀損の訴えを起こしており、係争中です。ウィキペディアの記述(2012年10月8日時点)は両紙の一方的な報道内容をそのまま記載しているため、当事者としては問題だと考えますが、本人が直接編集することも後日問題になりかねないため、差し控え、ノートに記載させていただきます。

両紙の報道についての私の対応については、ウィキペディアの記述(2012年10月8日時点)では、2010年5月17日のブログの内容が若干引用されています。しかし、リンクが消されています。これでは、読者は検証しづらいです。 http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20100517

また、その翌月、2010年6月21日には、私は両紙を名誉毀損で訴えています。しかし、ウィキペディアの記述(2012年10月8日時点)では、その記述もありません。ただ、「翌6月22日に」という記述は残っているため、6月21日の記述はどなたかが消されたものであると推測されます。

ちなみに、6月21日のブログでは、以下のような記載をしています。 http://d.hatena.ne.jp/NakamuraTetsuji/20100621

「本日(2010/06/21)、奈良新聞と奈良日日新聞に対して訴えを提起しました。名誉毀損記事に対する損害賠償(慰謝料)請求です。検討していた「法的な措置」は、まず民事訴訟という形を取りました。今後は、刑事告訴の検討に進みます。

訴えの提起後、16時から奈良県庁で記者会見を行いました。そこでは、以下のようなことをお話しし、質問を受け付けました。正式な記者会見の後も、五大紙や通信社等の各新聞社の記者からは、さまざまな質問を受け一つ一つ答えました。

私の妻は、少し重い精神疾患を患っていました。でも、心は純粋で、頭も良い女性でした。また、ある事件に巻き込まれて逮捕され、マスコミにも心ない報道をされ、深い心の傷を負っていました。私は、彼女の病気も承知で、二人で乗り切っていこうと結婚しました。

2005年の郵政選挙の頃、妻の病状が悪化しました。選挙期間前の8月17日から亡くなる翌2006年4月8日までの間、妻は療養のため大阪にある妻の実家に帰っていました。

妻の自死が、私のDV・ドメスティックバイオレンス・家庭内暴力にあったのではないかという報道は、すでに3年前の参議院選挙の前に、週刊朝日によってなされています。(2007.07.06号)しかし、離れて住んでいて、私が彼女に対してDVに値するような行為ができるはずもありません。

ただ、週刊朝日を訴えたところで、妻が帰ってくるわけではない。むしろ、精神疾患や精神障害に対する偏見が強い中で、これ以上、できれば妻の死のことはそっとしておいてもらいたい。そう思い、週刊朝日に対しては訴えを起こすというようなことはしませんでした。

今回、その報道から3年も経って、今初めて分かったかのような報道を奈良新聞や奈良日日新聞が行っています。なぜこの時期に新事実も示さずに報道するのか、私にはその意図が理解できません。何か別の意図があるのかも知れません。ただ、いずれにせよ、なされている報道だけでは、私のどのような行為がDVに当り、彼女を死に追い込んだのか、分かりません。

両社には、きっちりと真実性の証明をして頂きたい、これ以上、妻の死を汚さないで頂きたい、その思いで訴えを提起することと致しました。」

以上が、2010年6月21日に訴えを提起した際に私が書いたブログの内容です。

この訴訟は、審理が進み、まもなく結論が出ようかというところまで来ていることも併せてお伝えしておきます。 --中村てつじ会話2012年10月8日 (月) 13:10 (UTC)[返信]

大阪地裁認定事実により一連の書き込みを削除[編集]

平成23年1月31日、原告坪井一宇氏、原告坪井瑞穂氏は、被告中村哲治(私)に対して計約1億4650万円の請求を行う訴えを提起されました。平成24年11月14日大阪地裁の判決により、「原告らの請求をいずれも棄却する」「訴訟費用は原告らの負担とする」との判断が下されました。 その判決理由の中で「亡瑞惠が自殺に至った原因が被告の言動にあったとは認められないから、原告ら主張に係る不法行為は成立しない」(正本30頁)と認められたゆえ、事実無根の一連の書き込みについては削除させていただきます。 なお、私が奈良新聞と奈良日日新聞を被告として起こした名誉毀損訴訟、奈良地裁の判決は、平成25年1月17日になされる予定です。--中村てつじ会話2012年11月23日 (金) 13:49 (UTC)[返信]

コメントご本人、ということでお話をさせていただきますが、まずWikipedia:ウィキペディアは何ではないか等の各種方針にを目を通して編集していただきたく思います。今回の場合であればその判決が結果中村てつじ氏の全面勝訴となったのであればそれを現状の記述に付け加える形で出典をを付けて記述するのがあるべき形であり、本件自体がまるで存在しなかったかのように削除することは不適当です(今回はご自身も名誉毀損で訴えて全面対決し、その報道が第3者媒体である読売や産経にも報道された特筆性のある事案だからです)。
Wikipediaはあくまで当該記事の宣伝プロフィールを羅列するファンサイトではなく、(特筆性があるのであれば)毀誉褒貶も含めたその執筆対象の情報を百科事典として纏めるサイトです。繰り返しになりますが今回の場合であればまだインターネットも含めてその判決結果の報道がなされていないようですから、ご自身の公式サイトなどで上で示されたその顛末を日記などに示していただければ、Wikipedia:検証可能性を満たす出典として使うことができます。またこれも繰り返しとなりますが貴方が中村哲治氏ご本人であるということですが、それは公式ガイドラインとなっているWikipedia:自分自身の記事をつくらないに抵触する編集行為でありWikipedia上で認めらていない行いです。ご自身の記事において「これは事実と違う」「確かに〇〇ということはあったが後に△△となった事が書かれていない。不十分な記述ではないか?」と想われることがあるのでしたら、今回のようにノートページにおいて問題提起/情報提供を行なって頂くか(ですから今回の件に関しては中村氏が前述のように日記などに情報を追記した事をこの場にご報告して頂ければ、私の方で出典として付け加えて更新します)、Wikipedia:コメント依頼といった場がありますのでここで議論参加者を募って問題の解決を図る、といった方法があります。また、「それ以前にそういった編集方法やWikipediaにおける編集ルールが良くわからない」ということであればWikipedia:井戸端というWikipediaにおける広範な相談が行える場所も用意されていますのでご活用ください。--タールマン会話2012年11月23日 (金) 14:52 (UTC)[返信]
タールマンさんも、WP:BLPをご確認ください。また、このような場面で対応される場合は、同文書も合わせて案内していただけるようお願いします。--Ks aka 98会話2012年11月23日 (金) 18:00 (UTC)[返信]
コメント情報提供ありがとうございます。いったん、中村てつじ様の編集の版に戻しました。裁判の動向や奈良地裁の判決により、また、大阪地裁のほうは、今ネットでちょっと検索した限りでは、報道などが見当たらないこともあり、扱いにくい面もありますが、判決の結果がわかるようにしたかたちで報道があったことを、記事の中に書き戻すような編集があるかもしれません。Wikipedia:存命人物の伝記という文書は、ウィキペディアでの対応を求められる際には有益かと存じます。--Ks aka 98会話2012年11月23日 (金) 18:00 (UTC)[返信]

コメントをいただき、ありがとうございます。中村てつじ本人です。ウィキペディアのガイドラインWikipedia:連絡先/記事の問題/本人より「私自身、もしくは私が代理人を務める人物についての項目(ページ)または記述に問題があります」の「解決方法」「ご自身による修正」には、「「編集」ボタンをクリックし、あなたの望むように変更をしてください。」とあります。また、同ページには、「ノートにおける指摘」に、「本文が修正しにくい場合は、「ノート」ボタンをクリックし、項目のノートで変更すべき点を指摘してください。」とあります。10月の時点では、公的な判決等が出ていなかったため、10月8日「ノート」の記述と致しました。

11月14日に判決が下り、一定の公的な判断が出たため、出典として裁判正本の該当箇所を明記して、本文記事を削除をさせていただきました。ウィキペディアのガイドラインWikipedia:存命人物の伝記の「存命人物の伝記は責任を持って、保守的・中立的・百科事典的に書くべきです。他の分野の記事ではできの悪い記事でも、よくなるのを気長に待っていればいいでしょうが、存命中の人物の記事の場合はばっさり削るか、消してしまうべきです。」によりました。

もし、詳細な判決文の原本を画像を引用するような形でつけるべきだというウィキペディアのルールがあるのであれば、それに従います。ただ、懸念されるのは、判決文を詳細に紹介するという行為が新たな紛争を招く可能性があるという論点です。

2010年6月21日の記者会見において、私は亡き妻の病状について触れました。このことによって、2011年1月31日に亡き妻の両親から、名誉毀損、プライバシー侵害の訴訟を提起されました。同訴訟は11月14日の地裁判決では本件の本文に書いた通り、私が全面勝訴をしました。しかし、その内容を詳細にこのウィキペディアで紹介することが新たな名誉毀損、プライバシー侵害だと争われる可能性があります。

その点で、ウィキペディアに詳細な記述をすることが、訴訟で免責されるという前例があればいいのですが、調べた限りそのような前例があるとは見つかりませんでした。


本人による削除等が許されないのであれば、本人はウィキペディア本体との訴訟を起こさなければならなくなります。しかし、それ以前の弁護士照会や削除依頼をする窓口などが明示的には設けられていません。

2010年になされた奈良新聞や奈良日日新聞の記事は、2007年当時の取材に私が誠実に答えているにも関わらず、その内容と全く異なる記述をしている点で、ウィキペディア本体が求める「出典」の客観性を備えていません。

もし、来年の1月17日の判決まで待つべきであるというのであれば、その間の名誉毀損について甘受しろと言われるのと同じことになります。その場合には、その間、ウィキペディアで書かれた名誉毀損記事に対して法的に対処する方法についてどういう方法があるのか、示していただく必要があります。

いずれにせよ、私としては、ウィキペディア「ページ」に詳細に妻の行状が書かれることは辛いです。私自身のプライバシー侵害に当たると判断される余地もあるので、争う選択肢もあるかもしれません。ただ、私が公人であるために、何らかの形で裁判所による判断が出るまでは「ページ」の記事を放置しておりました。

今後、私が自分自身の記事に対して、どのように対処するのがいいのか、御教示をいただければ幸いです。 --中村てつじ会話2012年11月24日 (土) 21:36 (UTC)[返信]

コメントまず、中村氏が仰る「2011年1月31日に亡き妻の両親から~プライバシー侵害だと争われる可能性があります。」についてなんですが、「こういった懸念があるから出来ることなら自身としてはこの裁判記述自体をWikipedia上から無かった事にして取り除いて欲しい」ということでしょうか?私としては何も中村氏「ご自身」にその裁判の記述を詳細に書いて下さいとは申しません。むしろこの記事の主題は中村氏貴方自身なので上でも述べたように記事の中立性を考えれば直接編集すべきではありません。私が中村氏に現在お願いしているのは「先行して結論が出た坪井側から起こされた裁判の判決結果」をここにご報告頂いたが、それが現状信頼出来る第3社媒体である新聞やニュースサイトなどで取り上げらていない。ですからこの場合ご自身のブログや公式サイトで最低限どういった裁判を起こされ(約1億4650万円の請求を行う訴え~とありますがこれは損害賠償裁判を民事で起こされたということで宜しいんですよね?)かつどういった判決が下ったのか(相手方の全面棄却なのか?控訴はあったのか?それも棄却されたのか?といった主文程度で十分です)を記して頂ければそれはご自身の主張として出典とともに反映できますがそれすら不可能な状況なのでしょうか?-タールマン会話2012年11月24日 (土) 22:47 (UTC)[返信]
コメント今日はちょっと時間が取れないので、今晩~明日をめどに、返信します。少々お待ちいただけますか。--Ks aka 98会話2012年11月25日 (日) 03:14 (UTC)[返信]
コメント中村さんに聞きますが、最終的にどういった記事内容に修正したいのかの提示をお願いしたいと思います。全面的な削除について希望ということであれば、個人的には同意しかねます。--TENDERAS会話2012年11月25日 (日) 11:07 (UTC)[返信]
コメント次の選挙で落選して私人になった後で改めてここにおいでになった方が「プライバシー侵害」の主張は通りやすいのでは。--223.135.98.159 2012年11月25日 (日) 13:12 (UTC)[返信]
  • コメント タールマンさんが提出されたコメント依頼から参りましたが、本件については Ks aka 98 さんがウィキペディアの管理サイドとして対応されるものと考えてよろしいでしょうか。
中村氏は、ご自身のブログにて来月告示・投票の衆議院選への立候補を表明されており[1]、本項にもTemplate:Future_electionテンプレートが貼付されています。選挙にあたっては有権者が本項を参照する可能性も十分に考えられ、掲載内容によっては中村氏が大きな不利益を被る可能性もあります。選挙の公示日である12月4日以降は本項の編集が難しくなる可能性もありますので、それまでに結論が得られないようなら、選挙期間中とその前後は一次資料(奈良新聞、奈良日日新聞社による問題の報道)と当事者の主張(両新聞社による報道及び中村氏のブログ記事)等に依る記述全てを一時的にコメントアウト又は除去し、その間に対応を検討(二社の記事(主張)と中村氏の主張を併記する、問題のテキスト全文を削除など)すべきかと思います。
念のためお知らせしますが、タールマンさんのコメントについて、一昨日付(25日付)でご本人のブログに本件(本ノート及び裁判の経緯)に関する中村氏の主張が掲載されています(記事公式サイト上ヘッドラインからもリンク有)。--Y717会話2012年11月27日 (火) 00:34 (UTC)[返信]
コメント この裁判に関する記述については、2010年頃から編集合戦が繰返されております。選挙期間中の編集は差し控えるべきなのは当然ですが、さりとてコメントアウトするのもどうかと思われます。--TENDERAS会話2012年11月27日 (火) 02:00 (UTC)[返信]
コメントすみません。時間が取れないまま事態が進んでしまいました。「管理サイド」というのは存在しないので、もろもろ考慮のうえで合意を探り、編集していただければ、それでよいです。方向によっては、意見を述べることもあると思いますが。--Ks aka 98会話2012年11月27日 (火) 05:51 (UTC)[返信]

ありがとうございました。現時点の本文の記述ならば本人としても許容できます。コメントを求めるのはこの時点で終了させて頂きます。--中村てつじ会話2012年11月28日 (水) 20:30 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

中村哲治」上の3個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月24日 (日) 11:56 (UTC)[返信]