ノート:中川八洋

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

『(学位未取得?)』と、クエスチョン・マークを付けるような、不正確な情報は、ウィキペディアに書かれるべきではないと思って、削除致しました。学位の取得・未取得の確認ができたら、加筆して下さい。

学位未取得だとしたら、"Japan, the Welfare Super-Power," をスタンフォード大学に提出しなかったのでしょうか?--以上の署名のないコメントは、124.210.82.221会話/Whois)さんが 2006-07-24T21:29:04 (UTC) に投稿したものです。

修士号も博士号もないのに教授になれるんですか? 筑波も落ちたものだと言わざるを得ない。--以上の署名のないコメントは、220.157.207.140会話/Whois)さんが 2007-05-08T14:41:40 (UTC) に投稿したものです。

もうっ、修正したかったのにぃ~(ぷぅ~っ)[編集]

 ありゃりゃ、「半保護」になってる。せめて、スタンフォード大学政治学科大学院修了→スタンフォード大学大学院比較政治学専攻修士課程修了と改めたかったのにぃ~。(参考文献:日外アソシエーツ『新訂 現代日本人名録2002 3.そ~ひ(れ)』2002年)--218.126.232.36 2007年6月15日 (金) 06:32 (UTC)[返信]

中立的な観点[編集]

現状、ファンの方(?)が書かれているのか、個人崇拝に近いような書き方になっているように見えます。百科事典として如何なものか、強い疑問を感じます。削除・修正を提案します。取敢えず「中立的な観点」のテンプレを貼らせて貰いました。ご異論がなければ削除・修正を実行したいと考えています。--俊平太郎 2007年7月22日 (日) 13:52 (UTC)[返信]

失礼。ここを見る前に削除しました。 「人物」の多くを削除しました。 検証可能性を満たさずに行われたWikipedia:独自研究は載せないに反するものであったためです。他に問題があれば編集お願いします。クリーンサラダ 2007年7月23日 (月) 08:46 (UTC)[返信]

グリーンサラダさんの編集に異論ありません。2007年7月24日(火)14:38の編集で追加的に編集しました。なお、当該編集の「編集内容の要約」は、書き途中で間違って送信したため、「検証不能あ、噂等を削除の」と意味不明になっています。すみません。正しくは「検証不能な事柄や噂話などを削除のうえ、中立的観点テンプレを除去」です。この場をお借りして訂正します。--俊平太郎 2007年7月24日 (火) 14:47 (UTC)[返信]

氏の主張を削除されたので復帰させました。--220.219.178.132 2007年12月10日 (月) 03:24 (UTC)[返信]

疑問多々[編集]

疑問多々。

> 1999年に、イギリスのベコンズフィールドで、秘匿されてきたバークの墓を確認(産経新聞1999年11月8日)。

とあるけれど、その「墓」が間違いなくバークのそれだと学会で認められたの? そうでないなら勝手に勝手なことを言っているだけじゃない?

> 日本に英米系の保守主義の哲学を普及させようとする中川の努力は、日本でもバークやハミルトンの名前が広く知られるようになり、多少の実を結んでいる。

日本での英米系保守主義の普及が中川の功績だって言いたいらしいけど、その根拠は? 中川が自分の本で書いているってのはなしだろ。夜郎自大っていう言葉も世の中にはあることだし。

> 哲学界における貢献は、バーク等の英米系政治哲学思想の日本における普及に努めたことに止まらず、歴史・伝統・慣習の破壊/家族解体/全体主義体制などの唱導を初めてなしたルソーに対する非難は、日本では実質的に嚆矢であった(『正統の哲学 異端の思想』)

そもそも中川って哲学の学界でまともに相手をされているの? 相手にされてるなら業績は何? バーク等の普及云々は前に同じ。ルソー批判の嚆矢ってのも自称じゃない根拠ってあるの?

怪しいなあ。誰か言ってるけど、一応。信者がマイ神様を宣伝するじゃないぜ、ここは。--116.0.141.96 2008年12月16日 (火) 14:58 (UTC)[返信]

全国紙+公刊された著作物で発表が行われてこれだけ時間が経っているわけですし、間違いであるならば誰かしら反論する研究者がいる筈ではないですか? そもそも現地の教会で確認して写真まで撮ってきているのに、それでも根拠不十分とされるのですか? --以上の署名のないコメントは、D-tny会話投稿記録)さんが 2009年1月7日 (水) 15:04 に投稿したものです。(署名の追加と移動、差分。--116.0.141.96 2009年1月7日 (水) 15:35 (UTC)[返信]

疑問3点目に同じ。学会でまともに相手にされてない人が何を唱えても、研究者は無視する(相手しない)のが普通。反論が無いってのは無視されている証拠だって可能性もある。写真撮ってきたっていったってそれが脳内で「バークの墓」なだけかも知んないし。中川が政治思想とか政治哲学系の学会でまともに相手にされてるって出典はあるの? 学会の会員だってのじゃダメだよ、会員の推薦さえあれば学部生だって会員になれるんだから。--116.0.141.96 2009年1月7日 (水) 15:35 (UTC)[返信]

中川氏が学会でどのような扱いを受けているのかということを示す資料は持ち合わせておりませんが、ベコンズフィールドの教会で確認したというバークの墓の真贋については、Elizabeth R. Lambertの“Edmund Burke of Beaconsfield”(Univ of Delaware Pr, 2003) が参考になるかと思います。少々長いですが、その172頁の一節を以下に引用しておきますので、御一読下さい。

“The facts, as recorded in various sources and as reported by several local historians, including an architect who has done much work on the church, are these: in 1869 the church was reconstructed and enlarged with a new chancel and extended nave. At that time Burke’s wooden coffin was discovered, with those of his brother, son, and wife. The coffin had fallen apart and the skeletal bones with it. The remains were placed in a lead coffin, and the church warden, Henry Lane, provided a bronze plaque to be placed in the church floor above Burke’s lead coffin. That plaque simply reads “Edmund Burke,” and is under the seventh pew, right-hand side of the church.”

--D-tny 2009年1月10日 (土) 06:26 (UTC)[返信]

バークの棺桶(Coffin)がベコンズフィールドの教会にあったといっているのは分かるけど、棺桶と墓は別じゃん。墓っていっているのは墓碑だろうけど、その「真贋」はこの引用見たって分からん。
ところで、ほかの{{要出典範囲}}には異論無いわけね?--116.0.141.96 2009年1月10日 (土) 06:39 (UTC)[返信]

私の誤読でなければ、バークの遺骸は鉛の棺桶に移し替えられ、この教会の床下に改葬されたという趣旨のことが記されていると思うのですが・・・。亡骸を納めた棺桶を埋葬して墓碑が付されているだけでは墓とは言えないと仰るつもりはないのでしょうけれど、私には貴方の主張の意図がよく分かりません。

--D-tny 2009年1月11日 (日) 08:04 (UTC)[返信]


「なお、中川の英米系政治哲学概論は(以下略)」という一文の根拠について[編集]

『保守主義の哲学』の前書きには「保守主義の哲学のいわゆる概論である本書」と明記されています。 そして同書の後書きでは、これ以前に刊行された『正統の哲学 異端の思想』もまた、その手引書として紹介されています。 なお、「保守主義の政治哲学は……あくまでも英米のそれであり……」と記されているように、中川氏の言う「保守主義の哲学」とは「英米系保守主義の哲学」のことです。 私は以上のことを根拠にしてこの見出しの一文を挿入いたしました。

--Keita92 2009年8月15日 (土) 10:34 (UTC)[返信]

なんかの学問の'概論'なんてのは大変な学識者でなけりゃ書けないし、概論と認められ、評価されるには当然その学問の専門分野で評価されてなきゃ話になんない。「保守主義の哲学」云々というからには政治思想や政治哲学、政治史、政治学…そういう分野での評価が問題なわけなんだけど、あるわけ? 無いなら個人サイトの「まとめ」、学生の「まとめ」レポート、まとめサイトと変わらんと思うけどね。--116.0.141.96 2009年8月15日 (土) 13:17 (UTC)[返信]

中川氏が自身の研究を概論書という形で出版していることと、それがどのように評価されているかということは、関連する事柄ではありますが、それぞれ別の事実です。 そして私が追加した一文は後者については触れておりません。 したがって貴方の仰っていることは削除理由になり得ないと思われます。

--Keita92 2009年8月17日 (月) 12:28 (UTC)[返信]

西尾氏との対立の内容を具体的に[編集]

>>著書『脱原発のウソと犯罪』で西尾幹二を中傷したとして西尾から名誉毀損で提訴されている。一方の中川は西尾を「歴史の偽造屋」「妄言屋」と貶し、小堀桂一郎・小田村四郎・櫻井よしこ・高橋史朗・江藤淳・渡部昇一と並べ「自称民族主義者の朝日チルドレン」と蔑んでいる[1]。>>
とありますが、中川氏と西尾氏の間で感情的な対立が存在しているということは読めますが、それがどのようなものであるのか(なぜ対立した?そして経過は?)など具体的に記述をお願いします。--お怒りヘンリー8世会話2016年10月4日 (火) 10:15 (UTC)[返信]

とりあえず、最低限のものだけで公開しては?[編集]

最近、中川八洋という人の本を読み気になって調べてたら、このページに辿り着きました。「実績」とか「論争」みたいなややこしいのはばっさり削って、確実な経歴と著作目録くらいだけのシンプルなもので一度公開してはいかがです?--一病息災会話2023年3月4日 (土) 09:03 (UTC)[返信]