ノート:マニ (預言者)

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「諸預言者の封印」と「イスラームの成立」について[編集]

英語版ウィキペディアのMani (prophet)(固定リンク)には次の記述があります。

英語版ウィキペディアでの記述[編集]

According to Al-Biruni, a 10th-century Iranian scholar, Mani claimed to be the Paraclete promised in the New Testament, and the Last Prophet.[1] However according to Lodewijk J. R. Ort, the term last prophet may "in all probability derived from the Quran by Al-Buruni in order to formulate Mani's pretensions and religious claims".[2] Therefore Lodewijk J. R. Ort concludes that a definitive pronouncement about the final character of Mani's appearance is not mentioned in Manichaeistic scriptures.[3]

日本語訳(私訳)[編集]

10世紀イラン人学者であるアル=ビルニによれば、マニは新約聖書で約束されていたパラクレートスであり、最後の預言者であると主張した[1]。しかしながら、Lodewijk J. R. Ort によれば、最後の預言者という用語は「すべての可能性において、アル=ビルニが、マニの企図と主張を公式化するために、クルアーンから持ち込んだものである」[2]。したがって、マニ教の教典においては、マニの性質の最終的な見かけについての、決定的な宣言は言及されていないのである、と、Lodewijk J. R. Ort は結論づけている[3]

出典[編集]

  1. ^ a b al-Biruni, Muhammad ibn Ahmad; Eduard Sachau ed.; The Chronology of Ancient Nations; p. 190; W. H. Allen & Co.; London: 1879
  2. ^ a b Mani: a religio-historical description of his personality. By L. J. R. Ort. Leiden, E. J. Brill, 1967. pp. 123–124 
  3. ^ a b L. J. R. Ort (1967). Ibid Mani: A Religio-historical Description of His Personality. pp. 124. "Unfortunately the text breaks off after the comig of Mani is mentioned [...] we cannot say if this contained a pronouncement about the final character of Mani's appearance" 

私の言いたいこと[編集]

「マニこそが人類史上初めて「最後の預言者」(ととれる名称=「諸預言者の封印」)を自称し、またそれに関わることがイスラームを成立させた」というお話は、イスラームの聖典であるクルアーンがこの世に出て来てから3世紀後[注釈 1]の10世紀に現れた「アル=ビルニ」という人物が、イスラームとその聖典たるクルアーンにこそ影響されてマニ教の定式化を図ったことによるアル=ビルニの言説そのものである可能性があり/高く、歴史上のマニが本当にそのように自称していたかのような記述はするべきではないのではないかという疑問が、少なくとも私にはあります。

注釈[編集]

  1. ^ クルアーンは7世紀に登場した。

疑問点は以上です。--Meauk会話) 2021年9月16日 (木) 01:49 (UTC) リンク訂正。--Meauk会話2021年9月16日 (木) 02:18 (UTC)[返信]