ノート:ベトナム戦争

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アメリカ軍の敗北[編集]

> アメリカが、唯一負けた戦争
ソマリアは?
Flores 10:37 2003年7月26日 (UTC)

確かにソマリアで米軍は痛い目に会ってます。
これは局地戦での敗北で、その後米国は報道の映像による 影響などもあり、撤退という形でソマリアから手を引いて しまいました。で、これをもって米国の敗北とも言えるの ですが、、、。
これをベトナムでの敗北と同列とみなしてよいものかどう か?。規模や経緯をみるとちょっと違うのではないかとも 思ってしまいます。より詳しい方がいれば意見を伺いたい です。219.108.12.89 13:46 2003年7月27日 (UTC)

「現時点では、アメリカが大敗した唯一の戦争」に変えてみました。るがこむ 21:44 2003年8月1日 (UTC)

画像がうまく表示されてないようですが。どなかたアシストを。Mishika 2004年7月9日 (金) 07:56 (UTC)[返信]

Vietcong.jpgは出典がNational Archives and Records Administration(www.archives.gov)とのことでしたので(但し、自分の眼で確認したわけではありませんが)、英語版から転載してきました。残りの2枚については、Fair useで利用されている(著作権者の権利下にある)画像らしいので、日本語版での利用は諦めざるをえないでしょう。 --Lupinoid 2004年7月9日 (金) 09:11 (UTC)[返信]

日本への影響[編集]

利用者:イエス・キリステ氏が「日本への影響」を「世界への影響 - 日本」のように改変した。日本中心の百科事典ではないのであるから理解する。しかし、ウィキペディア日本語版の利用者はやはり日本人が多いのであるから、この戦争が自分たちと繋がっていることを把握する為に「日本への影響」という見出しがあっても良いのではないかと思う。また、「世界への影響」とするのであれば(イエス・キリステ氏はこような修正がお好きなようであるが)、あなた自ら「ドイツへの影響」や「イギリスへの影響」を(さわりだけでも)書かれるべきだったと思う。あなたの行動には信念があるようだが、「看板のかけかえ」は物事の本質を見失うのではないか?--202.248.88.189 2006年4月13日 (木) 05:25 (UTC)[返信]


麻薬をばら撒いたのは?[編集]

  • アメリカの損失の項で「北ベトナムが南ベトナム解放民族戦線の協力者を通じ、アメリカ兵に対して大量の麻薬をバーや売春宿などでばら撒いた」という記述がありますが、北ベトナム→南ベトナム解放民族戦線→バーや売春宿→アメリカ兵と、その長い経路にそれぞれ根拠はあるのですか? ベトナム帰還兵が米国内に麻薬を拡散させたことだけは確かなようですが。Shinobar 2006年4月21日 (金) 00:08 (UTC)[返信]
根拠が示せないのであれば、私は削除するべきだと思います。7月いっぱい様子を見て、それについて回答がないのであれば、その部分を不適切として削除するべきでしょう。--Tamachan21 2006年6月24日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
「北ベトナムが南ベトナム解放民族戦線の協力者を通じ、アメリカ兵に対して大量の麻薬をバーや売春宿などでばら撒いた」

の文章の根拠について記述者が根拠を示さないのであれば、削除をしたいと思います。7月までご意見を求め、お返事がない場合、8月より削除とさせていただきたいのですが、ご意見お待ちします。

結局回答がなかったので、本文中の文章については根拠がないものとみなし、削除することにしました。--Tamachan21 2006年8月12日 (土) 03:38 (UTC)[返信]

3.7ベトコンによるテロの増加 3.13フエ事件 について[編集]

 この記述についてですが、根拠となる文献はどこにあるのでしょうか。Engish版Wikipediaを参照したのですが、それに該当すると思われる文章が存在せず、また文献が示せないことに疑問を禁じえません。--Tamachan21 2006年6月24日 (土) 14:01 (UTC)[返信]

残念ながらフエ事件の虐殺は否定しようのない事実です。 フエの虐殺についての根拠ですが、NLFがテト攻勢中に引き起こしたフエ事件の存在は現在のベトナム政府ですら事実として認めている虐殺事件ですので、政治的意図による歴史事実の歪曲や抹殺を避ける意味から記載したものです。当該事件ではNLFが粛清リストを作成し、フエ市職員や消防士、警察官、教師、牧師、外国人医師等とその家族全員を虐殺しました。

ベトナム戦争-アメリカの戦争へ-1968年

NLFの名目上は「解放運動」とはいえ、南ベトナムや米軍との激しい闘争や食料や兵員が慢性的に不足する状況下では、ゆるやかな民主主義を実行するだけの余裕はNLFにはありませんでした。ましてや北ベトナムの命運を賭けた政治闘争です。それだけにNLFにとっては服従しない民衆や村落は南ベトナム軍人や警察官や資本家と同じ殲滅すべき「反動分子」とみなして粛清せざるを得ない政治的な実情があったのです。他の虐殺事件についても同様で、アメリカ軍事顧問団がベトナム民衆を強制移住させたいわゆる「戦略村」に於いても、NLFは戦略村民に対して退去を命じ、応じない村人は見せしめに殺害か最悪の場合は村落ごと無差別攻撃しています。 実際の戦争に於いては腹立たしい事実ですが、「解放軍」を自称する交戦団体が戦略上若しくは戦術上必要とあらばイデオロギー如何に関わらず、非常に残虐な戦争犯罪に及ぶ事は決して珍しい事ではありません。旧ソ連軍によるカティンの森事件や対日参戦による居留民虐殺しかり。 したがって「NLFは虐殺しない」という前提条件で事実を論じるのは、事実認識に誤りを生じる危険があります。

紹介されたサイトには「後に共産側はこの事実を認めている」とあり、匿名のあなたは「現在のベトナム政府ですら事実として認めている」とあります。しかし、その元の資料に辿れないと判断のしようがありません。googleで「フエ事件」で検索を掛けてもあまり出てきません。 中に、「 現在、ベトナムではこの事件は「タブー」となっているが、…事実である。」というものもありました。全体として評価が定まっていないという印象を持ちました。そういう場合はソースを明示することが必要です。ご紹介のサイトは(参考文献:サンデ−ア−ト社)とありましたが、その文献が分かれば、資料として挙げることはできるかと思います。Shinobar 2006年7月4日 (火) 00:49 (UTC)[返信]

フエ事件については参考文献として 原書房『ベトコン・メモワール―解放された祖国を追われて(原書名:A VIETCONG MEMOIR)』チュオン・ニュー・タン著、ISBN: 4562018011 で紹介されています。当該文献中では「現在のベトナム政府ですら事実として認めている」の記述はなく、南ベトナム共和国臨時革命政府発足当時のチュオン・ニュー・タン法務大臣(当時)、即ち著者自身が認めたものです。NLFによる民衆虐殺についての参考文献としては 『The Making of a Quagmire: America and Vietnam during the Kennedy Era』デイヴィッド・ハルバースタム著、ISBN: 007555092X に詳しく、日本語訳本としてみすず書房から『ベトナムの泥沼から』(泉鴻之・林雄一郎訳)が出版されています。 利用者:220.214.17.200 2006年7月4日 (火) 12:15 (UTC)[返信]

ハルバースタムの文献は未見ですが、参考文献として記事に挙げておくのが良いかと思います。チュオン・ニュー・タンのものは読みましたが、詳しいことは書かれていません。北側関係者でタンと同じくフランスへ亡命した、タイン・ティン『ベトナム革命の素顔』中川明子訳、めこん、 ISBN: 4839601526 が、より詳しいかと思います。解放戦線のフエ占領時に多数を逮捕、南政府軍と米軍の奪回作戦の中で退却中に、不正規に処刑されたのではないかとティンは書いています。タンは、フイン・タン・ファト臨時革命政府首相(当時)がフエで虐殺があったことを認めたうえで、解放戦線の政策でも、指令でもないと述べたと書いています。ティンは、「一人の人間ないし特定の指導レベルが、捕虜の殺害を命令したというわけではなかった」としながらも、その後も責任の処理があいまいになっていることに不満を述べています。Shinobar 2006年7月6日 (木) 09:14 (UTC)[返信]

直接軍事介入と反ディエムクーデターについて[編集]

  • アメリカの直接軍事介入を決定したのはケネディとするのは間違っていると思います。確かに1961年から彼は軍事顧問団を送り続けましたが、1963年にはそれを再検討しています。たとえば1963年9月3日に「サイゴン政府が国民の支持を得るためにより大きな努力をしなければこの戦争には勝てない。最終的にはこれは彼らの戦争だ。勝つか負けるかは彼らにかかっている。我々は軍事顧問団を送り、武器を援助することはできる。しかしこの戦争―ベトナム人対共産主義者の戦い―で実際に戦い勝たねばならないのは彼ら自身なのだ。我々は彼らを支援し続ける用意はある。しかしベトナム国民がこの努力を支持しなければこの戦争には勝てない。私の見るところ過去二ヶ月の間にサイゴン政府は民衆から遊離してしまっている。」にテレビを通して言明しており、さらに10月31日には「今年の末までに軍事顧問団を1000人引き上げる予定である」ことを発表しています。そして11月の反ディエムクーデターの後にはマクナマラ国防長官が年内の1000人の顧問団の引き上げを再確認し、1965年までの完全撤退を発表しています。

また、1971年に63年11月の反ディエムクーデターがケネディの指示によるものだったとの情報がマスコミに流れましたが1975年に上院ウォーターゲート調査委員会はこれを否定しています。これについては同委員会でウォーターゲート事件の主犯ハワード・ハントが証言しています。  青木祐太 2006年5月29日 (月) 15:48 (UTC)[返信]

べトコンをべトミンと表記されたことについて[編集]

確かに〝べトコン〟はアメリカ側が用いた別称であり差別用語です。べトミンは、ベトナム人が用いた言葉ですが〝べトコン〟と〝べトミン〟は違います。〝べトミン〟とは、〝ベトナム独立同盟〟のことで、〝南ベトナム解放民族戦線〟のことではありません(元べトミンの兵士もいましたが)。ですから、南ベトナム解放民族戦線の正しい略称である〝NLF〟(National Liberation Front)と表記されてはどうですか? NK 2006年9月27日(水) 22:06 (UTC)

ソンミ村虐殺事件に関する修正について[編集]

ソンミ村虐殺事件の記述がノートでの議論も無いまま二転三転しています。(2006年11月25日の修正による) 私は過去に、ノートでソンミ村虐殺の首謀者が項目によって米国とも韓国とも読み取れることについて質問しましたが、それも削除されているようです(2006年11月11日の修正による)。 もし、米国もしくは韓国軍によるソンミ村虐殺が事実ではないと主張なされるのなら姑息な手段を使わずにノートにて正々堂々と主張していただければよいと思います。 何も主張せず削除しても、削除の記録は残りますのでむしろ自己の主張の正当性を失いかねません。--以上の署名のないコメントは、222.150.37.243会話投稿記録)さんが 2007年1月2日 (火) 15:07 に投稿したものです。

 ソンミ村虐殺が「韓国軍による」という主張は初めて聞いたのですが、その根拠は何でしょうか?  ここに根拠なく「韓国軍」という名称を出すのは、印象操作であるように感じられます。--以上の署名のないコメントは、Curtz会話投稿記録)さんが 2007年1月4日 (木) 09:12 に投稿したものです。

中立性向上のための提案[編集]

大学時代の専攻が東南アジアであったのとWikipedia:秀逸な記事の選考/第二次世界大戦-2の経験を生かして、この記事の中立性向上のための提案です。

Wikipedia:脚注より、脚注の導入と参考文献の提示を提案いたします。

戦争関連の記事というのは、歴史の一こまという側面もあり、また、近代の戦争であればあるほど、当事者も戦争を経験していることが多々あります。第二次世界大戦においても、日本、ドイツ、イタリア、アメリカ、ソ連・・・それぞれの国が加害者になると同時に被害者の側面も持っているため、えてして、主観的な叙述に陥りやすいかと思います。

ヴェトナムに関しては、古田元夫や坪井善明など著名な研究者がそろっている分野です。まずは、彼らの文章を担保に客観性を持たせることが必要ではないでしょうか。--Tantal 2007年3月31日 (土) 02:02 (UTC)[返信]

直接軍事介入と反ディエムクーデターについてにおいて指摘された問題点はジョン・F・ケネディの項からコピーペーストすることで解消しようと致しました。ジョン・F・ケネディの項では同一人物が、問題行動をしていました(ノート:ジョン・F・ケネディ#百科事典に適切でない内容の記述についてを参照)。中立性向上のために、具体的にどの項をさらに改良すべきか?を示唆し、参考文献を積極的にいれ、中立タグ除去をなるべく早くすることを提案します。--5W1 2008年1月4日 (金) 01:35 (UTC)
中立性向上というより逆にケネディ擁護に振りすぎでしょう。部下の注進を受けた結果とはいえ、ベトナムへの顧問団の増員を自分で決めたことや、顧問団の撤退後の方針についてさしたる代案を提案できなかったことは事実なのですから、一方的にジョン・F・ケネディが平和の使者の様な記述をすることには違和感があります。しかも5W1さんの過去の投稿記録を見るとケネディ擁護の投稿ばかりですね。ここはベトナム戦争という項なので、ジョン・F・ケネディの項とは違って戦争に至る流れを前後に起きた事件を含めて冷静に判断する必要があると思います。よってそのままコピーペーストすることにはあまりにも違和感があります。--Antonov USSR 2008年1月4日 (金) 02:35 (UTC)[返信]
Antonov USSRさんは新しいユーザーネームで利用者Ajtnkさんと論調が似ていますが、、、ちょっと様子を見てみましょう。USSRなんて凝っていますね。こういうことでも、例の名前の公開、そして編集権の停止の理由に十分なりますので、ご注意を。まあ、たぶん別人なんですから、関係ないでしょうけど。「顧問団の撤退後の方針についてさしたる代案を提案できなかったことは事実」に関してはそもそも暗殺されたために撤退計画が止まったのであり、撤退後の方針の代案というのは言葉のトリックを含んだ不適切な表現です。そもそも何に対する代案なのか?不明です。あの時点で、どれだけ撤退後の方針について公表する必要があったのか?基本的には方針を公表する義務はまったくないかもしれません。そもそも撤退がほとんど始まっていないのだから。--5W1 2008年1月4日 (金) 11:59 (UTC)--再編集 2009年7月12日 (日) 10:05 (UTC)再編集--5W1 2010年11月25日 (木) 12:15 (UTC)
Antonov USSRさんの反応がない場合、3日後に当該部分はRevertします。ノート:ジョン・F・ケネディ#百科事典に適切でない内容の記述についてでの名前公開は、ここでも同じことが起こっていることから、ある程度積極的に考えることにします。これはAntonov USSRさんの編集とは関係ないことを明記します。ご意見がある第三者からのコメントを歓迎します。--5W1 2008年1月5日 (土) 07:33 (UTC)
予告どおりUndo revision of Antonov USSR いたしました。これは私の「言葉のトリックを含んだ不適切な表現である」との指摘に応答がなかったためです。この編集は上記のように中立タグの警告に関連しています。ご意見がある第三者からのコメントを歓迎します。--5W1 2008年1月8日 (火) 00:06 (UTC)

日本への影響[編集]

当時の政府の対応が沖縄返還へ繋がったと肯定的に淡々と評価する一方、一部の左翼陣営について否定的な情報を 提示し、「大きな非難があった」として誰の非難かも示さぬまま、対比させています。 当時ベトナム戦争の是非は一般市民レベルで広く議論されたにも関わらず、意図的に一部団体の事例を抽出して 全体を総括するやり方は明確な意図を感じます。--豪烈 2008年8月25日 (月) 17:40 (UTC)[返信]

政治的主張とは?[編集]

前版に政治的主張が含まれているとLos688氏は主張されていますが、具体的にどの部分が該当するのか、明確に示すべきだと思われますが?--220.150.128.210 2008年12月19日 (金) 17:08 (UTC)[返信]

有意かもしれない部分はあるが、複数箇所で問題投稿がある。日本外交についての個人感想に基づく批判や同様に現代アメリカへの批判はwikipediaの方針上も受け入れられない。ブッシュが失政であったとか、日本の外交が盲従でああったとかの記載はベトナム戦争とは関連が薄く、WP:NPOVおよびWP:VWP:WINの点に反する。--Los688 2008年12月19日 (金) 17:12 (UTC)[返信]

Los688様、御指摘ありがとうございます。下記に指摘点についての考えを記しますので参照して下さい。

1.『日本外交への批判』とは『米国の反ベトナム外交に盲従していた日本は~』という部分だと思われます。

日本が反ベトナム姿勢を堅持していた時期の米国と協調して、中越戦争で戦火を交えた一方の中国に巨額の援助を行い、その結果として非民主的国家である中国が世界の一翼を担うまで成長してしまったのは歴史的事実ですので、個人感想には当たらないと思いますが、如何でしょうか?

2.『現代アメリカへの批判』との事ですが、現在の米国でベトナムへの介入(およびその手法)が正しかったと考えている米国人はほとんどいませんし、旧北ベトナムにのみ利益をもたらした状態で固定化されているインドシナ3国の現状を見れば、ベトナムへの介入が米国の国益に適った政策だった、と考える事は非常に難しい事です。

いまだに、米国のベトナム介入(およびその手法)が正しかったと主張している米国人もいますが、単に無知であるか、相当偏った視点の人物と考えられ、そうした極端な考えを殊更に特記するのは、中立性を考える上で非常に問題だと思われます。

また、私も途中で思い出したのですが、米国におけるベトナム戦争が拡がった背景には“誤った政策”によって米国の若者が死傷する事を許さない、という主張が広く支持された点がありました。見直してみると“アメリカ国内における反戦運動”の内容も、健全な民主主義=市民による政府批判の自由の存在、という観点が抜けており、もっぱら反戦運動への批判的スタンスに立った、かなり偏った視点になっているのが分かります。

中立性の視点からすれば、この部分こそ是正される必要があると思われますが、如何でしょうか?

3.『ブッシュ政権8年の失政』についてですが、つい先月に行われた米国大統領選挙を見ても、民主・共和両党の候補ともに、同政権の継承を前提に政策論争を行っています。これはなにより現時点の米国の民意が現政権を否定している事を示す証左でしょう。

勿論、近未来において『ブッシュ政権8年の功績』なる論評が出現する可能性は否定しませんが、そうした視点は出現してから考慮すれば良い事で、出現しなければ“失政だった”との評価が固定されて歴史的事実となるだけの事でしょう。

Wikipediaは未来予言書ではありませんので、現時点での事実のみを記して行くだけで良いと思いますが、如何でしょうか?--119.150.18.176 2008年12月21日 (日) 06:35 (UTC)[返信]

個人として書かれる文章としては、そのような論証は十分ありえると思います。しかし、ここはwikipediaであり、wikipediaでは中立性と検証可能性を大きく重視しています。すばらしい論証であっても、wikipedia基準に合致しなければ掲載できません。Wikipediaへ寄稿するということは非常に窮屈なことなのです。これについては、Wikipedia:なぜウィキペディアは素晴らしくないのかもお読みください。
政治に関する評価・批評については、政治宣伝の除去・中立性の獲得に特に気を使っております。『失政』などとの評価は、「あなた」が判断したことであって、あなたの判断に基づいた評価はWikipedia:独自研究は載せないに反しており掲載することができません。どうしても評価を掲載すべき必要が生じた場合は、Wikipedia:検証可能性に則り、信頼できる著作・情報源からの紹介という形をとる必要があります。あなたの考えがおかしいということとではございません。wikipedia掲載のための基準に合致していないという点の方が問題となっております。ですので、「歴史学者のA氏は○○紙上で『日本の外交姿勢はおかしい』と批判していた」と記載する方法はありえます。--Los688 2008年12月21日 (日) 06:58 (UTC)[返信]

Los688様、御指摘ならびにアドバイスありがとうございます。

Wikipediaへ寄稿するということは非常に窮屈なこと、との点につき了解しました。 ご指摘いただいた各点につき、内容を下記のように変更してみましたので、御査収下さい。

1. 『米国の反ベトナム外交に盲従していた日本は~』という部分について

『また、ベトナム戦争終結に向けたニクソン政権の外交工作により、米ソ冷戦後期になって米国に与した中華人民共和国が、米国の反ベトナム政策の強い影響下にあった日本を利用して、その資金・技術を“四つの現代化”に投入させる事に成功した。』

『日本による支援は、共産圏内で孤立し、文化大革命によって国家としての機能が麻痺していた中国の蘇生に、きわめて大きな役割を果たしたが、同時に“四つの現代化”の最重要項目であった軍事の現代化を実現させた。これが現在も続く中国軍の大軍拡への途を開き、周辺地域および軍事技術を輸出した先で軍事バランスを変化させる結果をもたらしたため、日本政府は2003年にODA大綱を改訂する事を余儀なくされた。この変化もベトナム戦争のもたらした影響として理解されるべき側面である。 』

2. 『ブッシュ政権8年の失政』という部分について

『こうした操縦され易い米国人の存在は、全世界から驚きを以って見られたが、その後こうした人々の特質を悪用したカルト的宗教団体が米国で多数誕生し多くの信者を獲得するようになった。また、そうした宗教団体のうちキリスト教原理主義系団体の多くが共和党への支援活動を通じて政治的圧力を行使するようになった事で、リアル・ポリティクスを担う共和党が、宗教的道徳に過剰な配慮を必要とするようになり、正常な政策決定に齟齬をきたす傾向を見せるようになった。

その結果が、ブッシュ政権の誕生と、誤った情報に基づくイラク戦争の開始であり、かつてのベトナム戦争をなぞるかのような軌跡を辿る事になり、2008年の米国大統領選挙では民主・共和両党の候補者が同政権の政策否定を前提とした政策論争を行った。』--119.150.17.11 2008年12月21日 (日) 07:52 (UTC)[返信]

大規模なリバート・差し戻しについて[編集]

フリービットIP氏がしきりに復活させたがっている版は、投稿者による主観や感情移入、政治的主張、特定の立場のみへの擁護や批判、冗長な文章(関連性が薄い内容、本項の主旨を逸脱した記事の羅列など)など問題点が多すぎて、すぐには手をつけられない状態になっています。よって、一旦差し戻しをおこない、有意な部分があれば必要に応じて徐々に反映させるほうが良いと考えます。--花蝶風月雪月花警部 2008年12月27日 (土) 16:42 (UTC)[返信]

文体について[編集]

皆さんの議論している「内容」に関することに比べれば、至極つまらないことなのかもしれませんが、 「概要」が日本語として崩壊しているのはどうにかなりませんか。 主語・述語の関係すら崩れていて、何がなんだか分かりません。

内容の公平性も大事ですが、百科事典としての「ものを調べる」という機能において「概要」の持つ意味は大きく、ここまで意味不明な文章ではこの記事自体の価値をおおきく損なうことになると思うのですが。--121.115.134.80 2009年7月8日 (水) 19:29 (UTC)[返信]

ベトナム紛争という別称について[編集]

概要の中の「宣戦布告なき戦争であるためベトナム紛争とも呼ばれる。」が要出典とされていますが、

「データベース「世界と日本」より、佐藤榮作内閣総理大臣の所信表明演説

は出典として適当でしょうか。同データベースには、「ベトナム紛争」というキーワードで11文書ヒットするものがありました。 --Adapon 2009年9月6日 (日) 05:03 (UTC)[返信]

1週間ほど待ちましたが反応ありませんでしたので、記事に追加しました。 --Adapon 2009年9月12日 (土) 12:27 (UTC)[返信]

中立的観点について[編集]

中立的観点についての表示が長期間放置されていますが、表示されたいきさつは、ケネディ大統領について、戦争や軍事介入や軍拡や覇権主義・帝国主義外交政策に反対し、平和や軍縮を追求し、他国の立場や利益を尊重し国際協調外交を遂行した、崇高な理想を掲げて追求した、崇高な人格を持った聖人政治家であり、ゆえに、軍産複合体やCIAにより暗殺された悲劇の政治家である、と神格化している(特に日本では一般的にそのように報道されて、神格化されたケネディ像を信じて、尊敬する政治家と述べる人も多数いるが、少なくとも外交については、実際に行った政策を見れば、神格化されているケネディ像と正反対で、冷戦最盛期のアメリカの大統領として、共産主義政権の拡大を抑止するために介入政策を行い、大規模な軍拡もしているのが真実。)人たちが、ケネディ大統領がアメリカの傀儡国家・傀儡政権を守るために南ベトナムに介入して、南ベトナム開放民族戦線に対する掃討作戦を遂行し、多数のベトナム人を殺害したことを認めたくないという理由で、ケネディ大統領は戦争や軍事介入に反対していた、ケネディ大統領の在任中はベトナム戦争は起こっていなかった、ケネディ大統領はベトナム人の自己決定を尊重していた、だから、アメリカがベトナム戦争に介入したことについて、ケネディ大統領にはいかなる責任も無い、責任は全てジョンソン副大統領やマクナマラ国防長官にあると主張したくて、ケネディ大統領が実際に行った政策を記載されることに納得しない人たちが、中立的観点に反するとの主張をして、中立的観点の表示をしたものである。

そのように主張したいなら、ケネディ大統領を上記のように神格化している人たちは上記のように主張しているが、ペンタゴンペーパーズを報道したNew York Timesも、New York Timesの記者でベストアンドブライテストの著者であるデビッド・ハルバースタムも、New York Timesの記者でCIA秘録の著者のティム・ワイナーも、ケネディ大統領やジョンソン大統領の対ベトナム政策を批判しているので、責任論について記載したいなら、ケネディ大統領を神格化する人々の主観によるケネディ大統領には責任は無いという観点からの評価だけが唯一正しい評価で、ケネディ大統領に責任があるという評価は記載させないという姿勢は、Wikipediaの編集方針には反する。ケネディ大統領に責任は無いと記載したいなら、観点による認識や評価の差異を並列表記すればいいでしょう。

>ケネディ政権とジョンソン政権下でベトナム戦争への軍事介入政策を推し進めた直接的な責任者で、後にベトナム戦争における「失敗」の最大の責任者と言われることになるマクナマラ国防長官の自己弁護、そして政権末期に対立を深めたジョンソン大統領への責任転嫁の要素が強い

国防長官は大統領が任命して上院が承認して就任するが、罷免は大統領の権限である。大統領は国家元首+行政の最高責任者+アメリカ合衆国軍の最高司令官であるから、国防長官の責任が大統領の責任より大とはありえないので修正しました。

>1960年代前半よりベトナム人自らの意思を無視した形で始められ ベトナム人同士が始めたのが史実

>ベトナム戦争当時、日本などの報道機関は、「ベトナム戦争では、南ベトナム在地勢力である南ベトナム解放民族戦線が中心となって、南ベトナム政府やアメリカ合衆国などと戦っている」かのように報じたが、以下に記述するように、南ベトナム政府やアメリカ合衆国と戦った共産主義勢力の主体は北ベトナムとソビエト連邦、中華人民共和国であり、南ベトナム解放民族戦線はその下部組織ともいえる存在であった。

ソ連や中国は武器や資金を支援し、軍事顧問(ソ連軍人や中国軍人の場合は本当の顧問で戦闘部隊ではない)を派遣していたが、歴代ソ連政府はアメリカとの直接戦闘は避けていた、中国政府も朝鮮戦争終結以後はアメリカとの直接戦闘は避けていたので、北ベトナム軍や南ベトナム開放民族戦線がソ連や中国の下部組織という認識は史実と合致しない。 --122.26.162.164 2010年4月3日 (土) 08:18 (UTC)[返信]

出典の明記のタグについて[編集]

>パリ協定に基づきアメリカ軍は南北ベトナム全土から一斉に撤退を開始し

南北ベトナムという表現から「北」を削除しました。アメリカ軍は南ベトナム開放民族戦線の補給や移動のルートの遮断や根拠地を破壊するために北爆はしたが常駐基地とともに派遣されしていた地域は南ベトナムだけ、と認識しているのですが、北ベトナムにも展開していたのですか。

>膨大な戦費負担は、同時期に巻き起こったオイルショックなどと併せてアメリカ経済を直撃した

そのような説は広く流布されていますが事実でしょうか。1973年の第四次中東戦争から派生した石油価格の高騰により、世界の経済にマイナス成長や不況など影響(国により影響度は異なる)を与えたたのは事実ですが、ベトナム戦争の戦費負担がアメリカ経済や財政に、マイナス成長や不況や財政の悪化などの影響を与えた、金とドルの交換停止・金兌換制度の廃止、為替の変動相場制への以降の原因であると、広く流布されていますが、新聞でも雑誌でも書籍でもWebサイトでも検証可能性を示さないでそう表現しています。戦費負担がアメリカの経済や財政を悪化させたという検証可能性を示せますか。

>この戦争によりボーイングやロッキード、マクドネル・ダグラスやノースロップ・グラマンやリング・テムコ・ボート、ヒューズエアクラフトなどの多くの軍需関連企業は「特需」で大きな利益を手にし、ヒューズエアクラフトなどのいくつかの破産寸前だった企業は息を吹き返した。

企業の業績は通常は最近5年間か10年間程度の公開であり、1970年代・1960年代・1950年代は公開されていない。当該企業が社史の資料を調べれば参照可能かもしれないが、通常は公開されていない。それから、マクドネル・ダグラスはべトナム戦争が始まった時は独立企業だったマクドネル・エアクラフトとダグラス・エアクラフトが1967年に合併した企業であり、1997年にボーイングに吸収合併されて現在は存在せず、ノースロップ・グラマンは1994年の合併後の社名でベトナム戦争当時はノースロップとグラマンは独立企業である。記載されている企業の、ベトナム戦争開戦前と開戦後・アメリカの介入後の業績を検証可能性を示して比較して、「ベトナム戦争により大きな利益を得た」と証明できますか。

>戦争をめぐっての国内世論の分裂や、事実上の敗北による挫折感は既成の価値観を崩壊させ、

抽象的で意味が不明です。具体的にどのようなことですか。価値観の変化があったとしても戦争が原因であると、因果関係を証明する検証可能性を示せますか。例えば、1964年の公民権法や、1965年の社会保障法や、1970年の環境保護庁法や、1970年の大気浄化法や、1973年の絶滅の恐れがある野生動植物の国際取引を規制する条約への署名と批准や、アファーマティブアクションなどは戦争とは関係なく実現された政策である。

>アメリカ国内では犯罪の増加や麻薬の増加、教育の崩壊・貧困の増加などがおきた

犯罪の増加は司法省の犯罪統計で確認できますが(殺人や強盗や強姦や傷害の発生率が増加している)、教育の崩壊は抽象的で具体性が無く検証可能性も示されていない、貧困の増加も抽象的で具体性が無く検証可能性も示されていないが、具体的な事例と検証可能性を示せますか。 司法省の犯罪統計1960~2008をまとめた二次資料 → http://www.disastercenter.com/crime/uscrime.htm

>「勝利」を獲得できなかったベトナム帰還兵への非難や中傷が社会問題化した

軍隊や戦場に行った徴兵に対しても志願兵に対しても職業軍人に対しても、家族も友人も地域社会の人々も国民も、国や民族や宗教に関わりなく、戦死や事故死や病死するより、生きて帰ることを望み願っている、死んで帰ったら悲しみ、生きて帰ったら喜ぶのは、人としての自然な感情である。

戦争は政府や議会の判断で遂行するもので(第二次世界大戦当時の日本は軍に対する文民統制ができていなかったので軍の幹部も戦争の決断に関与しているが)、職業軍人も志願兵も徴兵も、政府や議会の戦争の決断により、軍の命令で戦地に送られるのであり、個人の意思や判断で戦場に行くのではないのだから、戦争の決定や実行や結果について、帰還兵を非難することは的はずれなことである。

第二次世界大戦が終わった時、日本国民は戦地から帰還した徴兵にも志願兵にも職業軍人(戦争指導者の幹部を除いて)に対しても、家族も友人も地域社会の人々も、戦死や事故死や病死せず生きて帰ったことを喜び、戦争や敗北について帰還兵を非難することは無く、「お疲れ様でした」、「ご苦労様でした」と戦地や軍隊での苦労をねぎらい、温かく受け入れています。

アメリカ合衆国の軍人が戦死または軍の公務中に死亡した場合は棺を星条旗で包まれてアーリントン墓地に葬られるのですが、戦場から生きて帰ったら非難や中傷されるという戦時や戦後に共通の傾向としての事実があるのですか。それともベトナム戦争の時だけ帰還兵が非難されたという事実があるのですか。

オリバー・ストーン監督の映画「7月4日に生まれて」ではそのように描いていますが、事実でしょうか。オリバー・ストーン監督は自分が好きな政治家に対しては全面的に賞賛し、嫌いな政治家に対しては全面的に糾弾する姿勢が顕著な人です。

というわけで、ごく一部の極端な考え方を持つ人の極論では無く、アメリカ国民の過半数以上の多数派の主張として、多数意見ではなくても国民の20%や30や40%程度の人々の主張として、帰還兵に対する非難や中傷が本当にあったのか、映画ではなくて現実としての検証可能性を示せるのかという質問です。 --Moegino 2010年4月8日 (木) 22:05 (UTC)[返信]


>南北ベトナムという表現から「北」を削除しました。アメリカ軍は南ベトナム開放民族戦線の補給や移動のルートの遮断や根拠地を破壊するために北爆はしたが常駐基地とともに派遣されしていた地域は南ベトナムだけ、と認識しているのですが、北ベトナムにも展開していたのですか。
戦時は特殊部隊を敵の支配地域に配備して"偵察、敵の指導者の暗殺、破壊工作、プロパガンダ、反政府組織の支援"をするのが普通です。いわゆる不正規戦というやつで、米国は当時CIAの担当でした。第二次インドシナ戦争ではCIAと米国防省が立案した陸海空の混成特殊部隊SOGが有名です。米特殊部隊出身でSOGに参加したJohn L. Plaster 著「Sog: The Secret Wars of America's Commandos in Vietnam」に作戦の詳細が載っています。ちなみにNVAも南ベトナムに約1万ほどの非正規部隊を配置し、各所に武器弾薬を隠していたことが明かになっています。
以下本文の補足
>戦争をめぐっての国内世論の分裂や、事実上の敗北による挫折感は既成の価値観を崩壊させ、
ベトナム戦争により米国内に反戦運動が広がると反戦活動家と左翼勢力が結合して、米国内に「反政府勢力」のようなものができてしまいました。これは本文にもあるように、ベトナムに派兵されたのが主にブルーカラー層や貧困な移民層が多かったためコミュニストと結託しやすかったのです。国家体制の危険と感じたニクソン大統領はFBIを使って反戦活動の首謀者を摘発する粛正を始めます。これがまたニクソン大統領への非難となり米国内の世論は大混乱になりました。
>アメリカ国内では犯罪の増加や麻薬の増加、教育の崩壊・貧困の増加などがおきた
上記と関係あるのですが、一部の若者の間で社会不審や学校教育不審が生まれました。高校とかに進学しない、または学校を中退して企業社会で働かないヒッピーと言われる人が増えたのです。本文にもありますが、進学できない人達の徴兵逃れもありました。
>「勝利」を獲得できなかったベトナム帰還兵への非難や中傷が社会問題化した
>オリバー・ストーン監督の映画「7月4日に生まれて」ではそのように描いていますが、事実でしょうか。
当時米国に(日本にも)ヴェトナムで残虐行為が行われているという報道が大々的に行われて、米国民の反戦運動を加速しました。実際にはNVAもかなり残虐な行為をしていたのですが。そのため、米国民の一部には帰還兵に対して「残虐行為を行った者」という白眼視する事があったのです。米国民の20%とか40%とかの数の問題ではなく、国家の為に戦ったのに自分の周囲に一人でもこういう人がいれば傷つきます。この類の本は莫大な数が出版されていますが、日本ではベトナム帰還兵の「アレン・ネルソン」の著書が高く評価されています。
上記の話は60年代に中学生以上だった人ならTVや新聞で連日報道されていたので覚えている人も多いと思います。図書館とかで40年前の新聞記事を見ればだいたい確認できると思います。D.Naka 2010年5月5日 (水) 02:10 (UTC)[返信]

中立的観点[編集]

この記事ダメだね。甘く見ても50点ぐらいかな。(--ロシス 2011年7月18日 (月) 13:10 (UTC)[返信]

Moegino氏の追記について[編集]

2011年2月4日 (金) 05:05時点における版にて、「事実に反する論説」と称する節が追記されました。この節では検証可能性という単語を使用しておられるようですが、検証可能性を満たされておられないのはMoegino氏ではないでしょうか。

9項目ほど上がっていますが私が問題にしているのは出典を明記する独自研究への抵触可能性だけですので一番目だけで例示しますと

>軍事歳出の増大と、貿易収支の赤字の増大と、財政収支の赤字の増大が原因で、経済が不況になった、成長率が低下した、マイナス成長になった。
  • まず、この見解が提示されているのはどの文献ですか?ベトナム戦争と関連して解説したものから選択して提示ください。
  • また、上記の説を批判しているのは誰で、出典は何ですか?

以降、残りの8つの点についても同じ質問をしたいと思います。もしMoegino氏御自身で挙げられた論点の場合、出典は無いということで決着すると思います。また、次のような疑問点もあります。

>上記の事象についての論説に共通することは、アメリカ合衆国政府が公開している経済や財政や雇用や教育や犯罪に関するデータや統計などの一次資料の出典を示さず

山のようにあるベトナム戦争論評からどうやって上記の結論を導き出されたのですか?Moegino氏御自身の結論ですか?

さらに問題なのは下記の表現です。

>いずれも事実ではなく、事実と正反対の虚偽である

虚偽であるとはだれが指摘したことですか?Moegino氏自身の見解の場合、名誉棄損に抵触する可能性があるのですが。

Moegino氏御自身が上の節で検証可能性を盾にされているようですが、御自身で批判のための節を設けられた経緯がある以上、批判されている説の出典、および批判の出典を提示する義務があるのはMoegino氏ではないかと思われます。氏におかれましては御一考をお願いいたします。なお、念のために申し上げておきますが、検証可能性とは出典の史料批判をすることではありませんので、誤解の無いように編集をお願いいたします。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月14日 (月) 14:33 (UTC)[返信]

恣意的な節名にはじまるORの記述が大量に書き込まれているようでしたので削除しておきました。ご意見ありましたらよろしくです。--Chichiii 2011年11月14日 (月) 15:11 (UTC)[返信]
コメント 削除部分を確認しましたが、ぜんぜん問題ないと思います(ガッコのレポートじゃあるまいし…)。くだんの利用者:Moegino会話 / 投稿記録氏は、"WP:NOT"をまず読むべきです。--Ashtray 2011年11月15日 (火) 12:30 (UTC)[返信]
本記事と同じ趣旨の編集を戦争でも確認しました。記事の性格が異なるので一律に同じ削除をしようとまでは言いませんが…出典を明記する習慣だけはつけていただきたいものです。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年11月15日 (火) 14:16 (UTC)[返信]

ベトナム語名について[編集]

記事冒頭文で「ベトナム語: Chiến tranh Việt Nam、漢字:戰爭越南」とありますが、これの出典を求めます。というのも、ベトナム語では一般的にこの戦争のことを「ベトナム戦争」とは呼びません。少し考えればあたりまえのことですが、ベトナム語では「米国戦争」「対米抗戦」「対米救国戦争」すなわち Chiến tranh Mỹ quốc だとか、Kháng chiến chống Mỹ だとか、Kháng chiến chống Mỹ cứu nước と呼ばれています。「ベトナム語版Wikipediaの記事名が Chiến tranh Việt Namだったのでそう記述した」ということであれば、除去すべき説明です。詳しくはベトナム語版Wikipediaの vi:Chiến tranh Việt Nam#Tên gọiを参照してください。 --Tonbi_ko会話2014年11月9日 (日) 13:25 (UTC)[返信]

出典がつかないため除去しました。 --Tonbi_ko会話2014年12月15日 (月) 14:55 (UTC)[返信]

ベトナム戦争における韓国の関与関係について[編集]

記事中に、韓国に関連した経済復興や虐殺事件に関して、独立した項目が立っていますが、記事のバランスに欠けていると思われます。

例えばベトナム特需に関して言えば日本の関与についても併記したほうが良いのではないでしょうか(すみません小生には記述する力量がありません)。 また、虐殺事件については、バランス的にも韓国に限らず戦争全体の中で言及したほうが良いのではないでしょうか?--Poema15会話2015年10月4日 (日) 12:49 (UTC)[返信]

韓国軍によって殺害された被害者が9000人、30万人という俗説について[編集]

9000人説。これは韓国の大学院生の女性の「聞き取り調査」に過ぎません。出典にもそう書いており、そう記述すべきと考えます。それを隠して記述することはPOV、独自研究。

30万人説。「親日派のための弁明」が出典とされています。しかしページ数が書かれていなく検証不可能。ページ数を記入してから記述してください。

--番組の途中ですが名無しです会話2015年10月16日 (金) 12:11 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

ベトナム戦争」上の2個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2017年9月18日 (月) 18:34 (UTC)[返信]