ノート:ヘレム

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同じ記事を幾つも作らないで下さい[編集]

ヘーレムがあるのにヘレムを何故わざわざ立てたのですか? あんなに大変な想いをして、イザヤさんのために私も大変な時間を浪費して聖絶ヘーレムに改名したというのに、この行為は一体何なのですか? きっとヘーレムの記事内容が福音派のあなたにとってお気に召さないのでしょうが、両論併記で内容を加筆してゆけばよいことです。編集合戦を避ける意味もあって、聖絶をあなた好みの記事として編集できるように独立できるように配慮したのではないですか。ちょっと翻訳上のちょっとした違いで、どこからもリンクされてもいないような記事を立項しないで下さい。

長々と書いてもしょうがないので、結論を言いますが、削除すべき項目です。訳語の違いによる「ヘーレム」「アナテマ」「聖絶」があるのに、これ以上この関連の記事を増やす必要は何もありません。しかも「ヘーレム」と「ヘレム」の違いにすぎない記事(前者が一般的)を立項した行為はWikipedia上きわめて問題です。いい加減にして下さい。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 05:34 (UTC)[返信]

コメント イザヤさんの言い分を聞かないと最終的には何とも言えませんが、現時点では「これは頂けない、理解不能」が正直なところですね。最大限好意的に解釈しても、少なくともあまりに軽率であることは確かです。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 06:09 (UTC)[返信]

言い分なんか聞く必要ないでしょう。甘すぎますよ。ま、削除するまでもなくリダイレクト項目にすればよいので、ヘーレムとの統合提案に変えました。提案済みです。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 06:25 (UTC)[返信]
賛成 統合に賛成します。
で、「甘過ぎる」というお話についてですが、当方の会話ページでも申しましたが、イザヤさんと多数(本当に数え切れないほどの数)の記事で、穏やかな話し合いから激論に至るまで、大小様々な議論をしている私だからこそ、慎重にならざるを得ないのです(でないと容易にjawpでは「報復合戦」などと要らぬ方向の誤解を呼びます)。その辺の事情は汲んで下さい。また、どんなに理不尽な相手であっても、「言い分を聞く」というのは手続き上不可欠です。例が極端(というより極限)になってしまいますが、殺人犯だって裁判では言い分を述べる機会が与えられます。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 06:28 (UTC)[返信]
コメント いや、一般論としてはKinno Angelさんのおっしゃる通りです。ただ、そういった私たちの態度が、何をしてもよいのだというような錯覚を彼に懐かせているのではないかと懸念しての「甘しぎ」発言だということをご理解下さい。理解力に問題があるのかも知れませんが、話の通じる相手ではありませんし、ここで色々配慮しても、彼のためにならないと思いますよ。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 06:38 (UTC)[返信]
コメントここまでひどいとは思いませんでした。常軌を逸しています。対処に入らざるを得ません。--Sillago 2011年2月25日 (金) 08:46 (UTC)[返信]
コメント 今回については、それほどひどくないと思います。有体に申せば、「もっとひどい」と感じる諸例があるのですが、それよりは今回のケースはマシだと思っているということです。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 08:54 (UTC)[返信]
賛成 統合に賛成します。--メルビル 2011年2月25日 (金) 11:11 (UTC)[返信]
つべこべ言っていないで、とっとと聖絶の記事を充実させなさい。それと、この項目がそれほど重要であるというのなら、統合の可否以前にこの記事をヘーレム並に充実させて見せなさい。それができるのならば、ヘーレム(ユダヤ教)に改名を条件に統合反対に回ってももよいですよ。だから、2~3日以内に少なくとも本記事だけでもよいから記事を充実させなさい。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 13:47 (UTC)[返信]
コメント Bokemiannさんの口調はまあ如何なものかとは思いますが、「あれほど拘っていたのだから、拘りの記事の充実をまず先にするべきだ」との言い分は、ガイドライン上の拘束力は無いものの、同感ではあります。イザヤさんの普段の行動で困り果てているのは、「書きかけの記事をどんどん増やす」事なんですよ。これ、本当に困っています。後追いで私が観点タグや出典の明記タグを貼り付けて行ったり、記事の改善に手を入れても、スタブ量産の方が当然スピードが圧倒的に速い訳です。今回も「なぜあれだけ拘りに拘りぬいた記事の手入れよりも別項を、しかも反発を買うことは火を見るより明らかな状態で別項を立てられたのか、正直理解に苦しみます。
ヘーレムとヘレムとで、ニクダーが違うというお話は解りました。そうであれば当方、議論の推移にもよりますが一応、統合に反対寄りということになります。
ですがイザヤさんのこれ以上のスタブ量産、観点について聊か無神経な立項が続くようであれば、私としても「幾らガイドライン上問題が無いとは言え、かなり疲弊させられている」旨を以て、何らかの措置に参画せざるを得ません。
今のイザヤさんのお立場なら、統廃合された既存記事の充実をまずすべきではありませんか?--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 13:59 (UTC)[返信]

ユダヤ教で最も重要な儀式[編集]

ヘブライ語he:חרםはあいまい回避になっているほどで、これだけの意味があります。ヘブライ語のあいまい回避をご確認ください。ヘブライ語は死語ではなく、今も使われている言語です。he:חרםの意味は一つではありません。この提案はヘブライ語を確認して出されたものとは考えられず、私はそのような言葉をなるべく使いたくありませんが、軽率という言葉がもし使われるとしたら、いま出された統合提案についてのみ申せば、その語が使われるにふさわしいのは私についてではないのではないかと考えます。私はユダヤ教ヘブライ語を調べてから立てました。さらにイスラームアラビア語も調べることでより正確になるはずです。この記事ヘレムが立てられる妥当性について解説します。英語では、ユダヤ教カトリック教会破門に相当する記事en:Cheremが立てられております。これはユダヤ教のシナゴーグにおいて重要な儀式であり、他の用語とは交換不可能です。音写の根拠はユダヤとロシアの研究家である黒川氏の著書とユダヤ教小辞典です。ヘレムはユダヤ教の破門に相当する儀式をあらわす専門用語として使われております。別概念です。一方、英語では同じヘブライ語を由来とする記事en:Heremがあります。英語版でいえばen:Heremに対応するのがヘーレムであり、ユダヤ教の専門用語であるen:Cheremに対応する記事がヘレムです。アラビア語ではハラームに相当します。セム系の言語ですから似ていますね。ユダヤ教においてもっとも重要な儀式とさえいわれるヘレムの特筆性がなく、別項目を立てる意味がなく統合されるべきだと言われる根拠が不明です。ユダヤ教でもっとも重要な儀式の項目ヘレムが立てられるのはおかしなことでしょうか。それぞれの宗教において最も重要な儀式と言い切れる儀式はそれほどないと思いますが、キリスト教ではサクラメントがあげられます。ユダヤ教においてもっとも重要な儀式が果たして「同じ記事」でしょうか。--イザヤ 2011年2月25日 (金) 07:19 (UTC)[返信]

保留 早々とで申し訳ないですが、賛成票を一旦消去し、票を保留とします。イザヤさんの御指摘に色々考えさせられるところがあります。時間をかけて他の方の意見も伺いながら考えていきたいと思います。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 07:25 (UTC)[返信]
同じ用語の翻訳にすぎない項目が今3つもあり、それでなおかつ4つめの立項を認めるのですか? イエスの奇跡の項目よりももっとひどい状況です。イザヤさんのユダヤ教で重要な項目だから特筆すべきという意見には説得力があるのは確かですが、それをわざわざ新項目でやる必要性は全く認められません。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 07:49 (UTC)[返信]
イザヤさんはWikipediaの基本精神がまだよく分かっていないのだろうと思っていましたが、百科事典がどういうものかの一般通念も分かっていないようですね。ノート:カリスマ的支配でも問題になっていましたが、ここは一般の百科事典を指向するサイトなのですから、利用者に対する利便性も考えなくてはなりません。「ヘーレム」と「ヘレム」ではわざわざ立項しても意味がありませんし、却って混乱を来すだけです。なぜ折角ヘブライ語の「ヘーレム」の項目が出来たのに、その中の項目でやろうとしないのですか? この件では却下しますが、たとえば立項の時に「ヘーレム(ユダヤ教)」という選択もあったはずです。それがなぜ「ヘレム」なのですか? あなたのやり方は理解を絶します。今後もこのような編集態度では議論ばかり起こってコミュニティーを疲弊させるばかりです。既に同様の項目が3つもあるのに、絶対に認められない記事立項です。あなたの思い通りにできる場所ではありません。そんなに一つの記事内での両論併記が嫌ならばよそでやって下さいとしか言いようがありません。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 07:35 (UTC)[返信]
ヘーレムでない理由を説明します。母音が違います。ヘブライ語は子音だけで表記されるので、子音の同じものでも母音が同じとは限りません。音写の根拠は黒川氏の著書とユダヤ教小辞典であると申しました。ユダヤ教でもっとも重要な儀式は同様の項目とは考えられません。ユダヤ教の重要な儀式の資料を調べる予定です。--イザヤ 2011年2月25日 (金) 07:44 (UTC)[返信]
事前の議論をせず、また、議論を無視して「自分中心に事を進めようとする」、そういったあなたの編集行為そのものが問題なのです。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 07:52 (UTC)[返信]
イザヤさんにもうひと言。聖絶の項目をまずは充実させるのが先ではないですか? ヘレムを立てる前に、聖絶であれだけ騒いだのだから、まずはそちらの記事を加筆することが先決でしょう。、また、そこまでユダヤ教においてサクラメントに相当するほど重要な項目だというのならば、まずはヘーレムで簡単にでも言及したりリンクするべきでしょう。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 07:49 (UTC)[返信]
コメント
Bokemiannさん仰る「聖絶の項目をまずは充実させるのが先」「事前の議論をせず、また、議論を無視して「自分中心に事を進めようとする」、そういったあなたの編集行為そのものが問題なのです。」全く御尤もと思います。類例で同じように思う事は多々あります。
ただ(あまりに類例が多くて麻痺しているのかもしれませんが)、イザヤさんの説明を受け、今回のケースはそれほど酷いとも思いません。ただし確認したいことがあります。
>母音が違います。ヘブライ語は子音だけで表記されるので、子音の同じものでも母音が同じとは限りません。
違うニクダーが振られている、ということでしょうか?それならば別項の余地はあります。しかしニクダーが同じなのであれば、単なる表記ゆれという話になってしまいます。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 08:54 (UTC)[返信]
統合に 条件付賛成(条件:ヘブライ語現行記事「ヘーレム」と、ユダヤ教における破門概念の「ヘレム」が、同じニクダーを使用している場合)
同じ単語であれば必ず同じ記事、という意見に必ずしも私は与しませんが、既にヘーレム、アナテマ、聖絶という記事が三本あるところに、もう一本、というのはかなり認められにくい状況だと思います。別のニクダーが使われているのならば再考の余地ありですが、記事全体の分量というものを考慮した場合、同じニクダーが使われているヘブライ語記事は、統合に反対する理由が弱いと思わざるを得ません。--Kinno Angel 2011年2月25日 (金) 09:25 (UTC)[返信]
コメント ヘブライ語に関しては無知なので何とも言えませんが、既にヘーレムアナテマでも)にて、「捕囚後に語義の変化があって「破門」の意味に変わった」とする記述を出典付きで書いてあるのですから(そこから類推しても、「同じニクダーが使われているヘブライ語記事」の可能性が高いと思います)、まずはユダヤ教での破門へーレムで扱うべきでしょう。分割提案はその後です。もっとも、ヘレムないしはヘーレム(ユダヤ教)を新たに起こして、現行のヘーレムと同じくらいの分量の記事が直ぐにでも書けるというのならば分割も認められるとは思いますが、あれだけ分割を言い張った聖絶アナテマですら未だ記事の充実をできない人に説得力はありません。
ちなみに、それほどひどくない事例として「ノート:カリスマ的支配」があります。本件よりもましですが、ここでも同様の議論が起こっています。これはカリスマからキリスト教と直接関係のない社会学的なカリスマ理解を分記したものですが、ウェーバーの「支配の三類型」のうち、「合法的支配」と「伝統的支配」はまだ立項もされていません。スタブでよいからいっしょに立項すべき項目です。それを支配の社会学でなく、カリスマ的支配だけ分記する行為は、カリスマからキリスト教以外の記事を排除したいという意思の表われだろうと判断せざるを得ません。こういうPOVな編集は認められないということです。そうは言っても、聖絶であれほど時間を奪われたのですから、私はこの件で必ずしも統合に固執するつもりはありません(そこまでしているリソースがありません)。他の事例も含めイザヤさんの編集態度が改まらない限り、同じような問題が多発してみんなが疲れるだけなので、もっと根本的な解決を図るべきだと思います。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 12:02 (UTC)[返信]

ニクダーは違います。ユダヤ教でもっとも重要な儀式の記事を、ヘブライ語を調べず、キリスト教系、欧米系の文献だけで統合を提案されるのは不思議です。同じキリスト教の記事であっても教派が違えば、他の教派についての言及に付いて正確でない、あるいは批判的であり、出典としてふさわしくない例はいくらでもあります。その例を示しますノート:義認。ましてや、ユダヤ教とキリスト教は違う宗教です。新改訳聖書ヨシュア記を訳した翻訳者の出典をつけましたが、חרםはもともとのろいחרםのもとにおくという意味です。ヘブライ語: חֵרֶםヘレムはもとものろいという意味を持っていましたが、ヘブライ語: תַּחֲרִים֙ הַחֲרֵ֤ם‎(ハハレーム・タハリーム、申命記7:2)、ヘブライ語: חָרַם‎で全く滅ぼす、殲滅せよ、という意味になります。ジャン・カルヴァンの注解ものろいで説明しています。ヨシュア19:38のחרםはホレムと訳されています。地名です。ハバクク書1:15,16,17のחרםは網と訳されています。新約聖書のルカ21:5のアナテマは奉納物と訳されます。捕囚後に「変化した」というのは特定の神学的立場を反映していると考えられます。「変化した」も特定の神学的立場ということでいいと考えます。--イザヤ 2011年2月25日 (金) 13:49 (UTC)[返信]

文句ばかり言っていないで、先にも書いたように、そんなに言うのなら、まずこの記事を今月中に充実させて見せて下さい。そこまで言うのだから、できるはずですよね。出来ないとは言わせません。聖絶を後回しにしてもよいから、この記事を充実させてみて下さい。できたら、統合提案は取り下げます。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 16:00 (UTC)[返信]
心情的にわからなくはありませんが、そう喧嘩腰になっても仕方ないでしょう。おそらくより本質的な問題として、違うからと記事を細分化していった場合に果たして読者に利用しやすいのか、ということと、細分化によってむしろ個別には POV 化してしまうのではないか、ということがあるでしょう。前者については、「ユダヤ教とキリスト教は違う」という立場で別個に記事を構成する方が読者に読みやすい場合もあれば、「ユダヤ教もキリスト教もアブラハムの宗教」という立場でまとめた記事を構成する方が読者に読みやすい場合もあるでしょう。もちろんこれらは互いに排除するわけではなく、「詳細は○○参照」として両立する事もあるでしょう。しかし、Wikipedia:ページの分割と統合#分割すべきでない場合にある様に、違えば分ける立場で記事を構成してゆくと、スタブ記事を量産することになりかねません。違うからと分けずに、まずは総論記事を作成して、分量が多くなれば分割してゆくのが良いのではないでしょうか。細分化された記事は、読者に常識の範囲をはるかに越えた前提知識を求めるものになりかねません。ある分野の専門用語を説明した辞書ならばそれでも良いでしょうが、それはウィキペディアの目指すものではありません。--Jms 2011年2月25日 (金) 16:26 (UTC)[返信]
コメント 今は別に感情的にはなっていません。けんか腰のつもりもありません。普通に言っても通じない相手だということが今までのやりとりでよく分かったので、仕方がなく強い口調で注意しているだけです。Jmsさんのおっしゃる通りだと思いますが、イザヤさんには常識が通じません。たとえばイザヤさんが「ヨハネが受けたキリストの啓示」とか「ヨハネによる福音書の資料」といった記事を量産することの方が余程問題です。前者は『現代訳聖書』というある個人訳聖書のヨハネの黙示録の題名だそうですが、こんなことを始めたらキリがありません。私は本件に関しては、イザヤさんが今月中に本記事を充実できるのならば統合提案を取り下げてもよいと言っているのですから、イザヤさんに相当甘いと思いますよ。--Bokemiann 2011年2月25日 (金) 17:12 (UTC)[返信]
そうですか、それは失敬。--Jms 2011年2月25日 (金) 17:49 (UTC)[返信]

コメント横から失礼します。イザヤさんの都合を聞かずに勝手に期限を切っても仕方ないのではないでしょうか。2月はもう終わりましたし、イザヤさんの都合を聞こうにも、イザヤさんは、確認や回答待ち中に議論から消えることも良くあります。蒸し返すようで申し訳ありませんが、曖昧回避するほど意味が違うのであれば、「ヘレム」「へーレム」ともに存続して、福音派に特化した「聖絶」をへーレムに統合することも検討してもいいのではないかと思います。「聖絶」は多言語版のどの記事に対応させるのでしたっけ?必ずしも英語版や他言語版に対応させずとも日本語版が嚆矢であってもいいとは思いますが、en:Heremの「en-2」ですか?探し方が悪いのかもしれませんが、英語版に福音派特化記事が見つけられなかったもので、ご教示いただければありがたいです。それとも英語版は無しに、まずは曖昧回避するほどあるというヘブライ語のどれかに「福音派特化としての聖絶」を対応させるのでしょうか?-ジャムリン 2011年3月1日 (火) 20:42 (UTC)[返信]

必ずしもイザヤさんの都合を無視しているわけではありません。それでは無理というのならそう言えばよいのです。全くの無視ですよ。もっとも現在イザヤさんは聖絶の記事を充実させているので、それを待って再提案も考えていました。大体、問い合わせに答えないとか議論から消える、議論中に勝手な行動を取るといった彼の行動が問題をややこしくするのです。当人には全くその気はないのでしょうが、ノート:カリスマ的支配(ここ)でも私の苦言に対して言いがかりに等しい反論をしてくるような御仁です。下記に述べますが、たとえば(E)案として「ヘレム」を「ヘレム(ユダヤ教)」への改名案も考えていますが、たとえこれで折り合っても、イザヤさんの根本的な編集態度が改まらない限り同じことが何回も続くだけで、根本的には何も変わりません。そんな訳で、個別でいくら議論してもキリがないので、もう何らかのの対処に入るべき時期だと思っています。色々と配慮するだけ時間の無駄かも知れません。
ヘレムが曖昧回避するほど意味が違うとは思えません(英語版がよく引き合いに出されますが、英語版だから日本語版のお手本になるとは限らず、英語版の逸脱だってたくさんあるはずです)。これは個人的な見解ですが、ヘーレムアナテマでも出典付きで解説しておいたように、捕囚後に語義の変化が認められます。変化した語義はキリスト教圏では通常アナテマが対応するのですが、ユダヤ教ではそれを違うニクダーを対応させることで区別しているのではないかと考えられます。どちらも「破門」の意味で使われます。ならば区別してもよいという理屈にはなりますが、しかし、「ヘーレム」と「ヘレム」の両方の項目があるのは、やはり百科事典の利便性から言っても問題だと思います。従って、(A)両者の統合以外にも、(B)「ヘーレム」と「聖絶」の再統合、(C)「ヘレム」の「破門」への統合、(D)「ヘレム」の「破門(ユダヤ教)」への改名など幾つか案はあります。ただ、(D)案以外は全てイザヤさんが強硬に反対されるでしょう。全ての案に反対されるかも知れません。何れにせよ、ここまで譲歩して、「聖絶」を福音派に特化した項目として充実させることを容認したのに、それにも拘わらず、結果的にスタブになることが予想される4個目の新項目を事前の議論もなしに立てたことはどう考えても非常識な行為だということで、そのことも問題にしています。いや、それがメインだと言ってもよいかも知れません。
なお、細かい編集は除いて、私は「聖絶」の編集はイザヤさんにお任せしたつもりでいます。恥ずかしながら多国語版との対応などの技術的な問題はよく存じませんし、イザヤさんが適切な方法をご存知でしょう。また、聖絶は日本独自の翻訳の試みなので、そのため、特殊用語を使わないでこの項目を解説しているであろう外国語版に福音派など保守神学に特化した項目がない可能性も高いと思います。それがあるというのはイザヤさんです。私は神学知識には疎いので、そちらはイザヤさんに直接聞かないと分からない事柄です。--Bokemiann 2011年3月2日 (水) 05:51 (UTC)[返信]

ヘブライ語についての助言[編集]

IPアドレスで申し訳ありませんが、僭越ながら皆様よりもヘブライ語にやや詳しいと自負しているゆえ、少々の助言、および確認をさせていただきたいと存じます。なお、ノートへの記述は今回が初めてなので、書式に間違いがあればどなたか訂正、加筆をお願いします。

最初に、ヘブライ文字のカタカナ転写について述べます。ご存知のようにヘブライ文字には母音文字がないゆえ、母音記号(ニクダー)と準母音と呼ばれる四つの子音を用いて各単語の発音を表します。件の「ヘレム」はヘブライ語では「חרם」と表記され、母音記号を付ければ「חֵרֶם」となります。最初の文字に付された母音は「ツェーレー」と呼ばれる「e」の音価を持つ長母音です。ヘブライ語の母音には長母音と短母音があるのですが、日本語の母音には長短の区別がないので、カタカナ転写にさいしては長母音に長音符を付けることで短母音との区別を図る場合が一般的です。ただし、統一したルールが策定されているわけではないので、同じ単語でも翻訳者によって転写が異なることも珍しくはありません。特に音写の観点からは長音符を付けないほうが原音に近くなることがあるため、あえて母音の長短を無視するケースもあります。つまり、前者のいわば論理的な転写ならば「חֵרֶם」は「ヘーレム」となり、後者のいわば実践的な転写ならば「ヘレム」となるわけです。どちらの表記でも間違いではありません。そこでイザヤさんに確認したいのですが、当ノートにて「ヘーレムでない理由を説明します。母音が違います」「ニクダーは違います」と申しておりますが、「ヘーレム」ではなく「ヘレム」と転写される必要があり、なおかつ「חֵרֶם」とは違う母音記号が打たれた「חרם」という単語があるのでしょうか? わたしはそのような単語を存じませんので説明をお願いします。

つぎに、ヘブライ文字のラテン文字転写について述べます。ヘブライ語の単語「חרם」には対応するラテン文字のない喉音「ח」(ヘット)が含まれております。「ח」の音価を表すには「ħ」や「x」あるいは「kh」をあてるのが適当とされているのですが(カタカナ転写でも問題が生じるのですがここでは割愛します)、英語圏ではもっぱら「ch」か「h」があてられています。つまり、「cherem」も「herem」も同じ「חרם」からの転写であり、もちろん全く同じ「חרם」という概念をさしているのです。英単語のカタカナ転写を例に上げれば、「violin」に「ヴァイオリン」と「バイオリン」のふたつの表記があるのと事情は同じです。にもかかわらず、ウィキペディアの英語版に「Cherem」とは別に「Herem」の記事があるのを不審に思い読んでみたところ、残念ながら個別の記事を立てるだけの要件を満たしているとは思えないような内容でした。要するに、「Cherem」の記事中の「War of annihilation in the Tanakh」の項目を取り出して個別の記事にしているだけのことで、本来なら「Cherem (devote or destroy)」か「Cherem (in the Tanakh)」という記事名にして表記を統一しなければならないものなのです。上記の「ヴァイオリン」で例えるなら、日本語版ウィキペディアには「ヴァイオリン」の記事がありますが、同記事の「歴史」の項目を独立した別記事として立てるさい、「ヴァイオリンの歴史」ではなく「バイオリン」という記事名にするようなもので、これによって利便性が増すのならともかく、混乱を招くだけの全く無益な行為であり、妨害工作と思われても仕方がありません。Bokemiannさんのいわれる「英語版だから日本語版のお手本になるとは限らず、英語版の逸脱だってたくさんあるはずです」というのはまさにこの「Herem」という記事に他ならず、こんな記事が存在することを根拠に「ヘレム」と「ヘーレム」というふたつの記事の両立を正当化されても通用しないでしょう。重ねていっておきますが、「Cherem」と「Herem」は同じ概念なのです。「Cherem」の記事の冒頭には「Cherem or ḥērem」と書かれており、一方の「Herem」には「Herem or cherem」と書かれていますが、これがすべてを物語っています。つまり、単なる翻字の問題に過ぎないのです。ここでまた先の疑問を繰り返すのですが、イザヤさんのおっしゃる「ヘーレムでない理由を説明します。母音が違います」「ニクダーは違います」というのは、もしかして「ḥērem」と「Herem」の表記の違いから、勝手にニクダーの違う2種類の「חרם」があると想像しているだけではないのですか?

さて、これが最も肝心なことなのですが、本記事「ヘレム」の内容についてです(以下「ヘレム」の表記で統一します)。ヘブライ語の「חרם」の根本的な意味は、「Strong's Concordance with Hebrew and Greek Lexicon」によれば「引き離す、隔離する」となるそうです[1][2]。本記事のリンク先となっているヘブライ語版ウィキペディアの「חרם (הלכה)」(ヘレム(ハラハー))では、ラムバムの著書を出典とする「あるものをある状態から別の状態に移すこと」という抽象的な説明がなされています(ただし、わたし自身はこの出典をまだ確認しておりません)。一方、市販の辞書などで調べると上記のリンクの通りいくつもの訳語が見出されるのですが、聖書の時代に用いられた「חרם」の場合、おおよそ3つの意味に分類されるそうです[3]
(a)神のために人や家畜や財産を聖別すること。
(b)戦争時における虐殺、破壊行為。
(c)ある人物を共同体から排斥し、公共社会と接触しないよう遠ざけること。
一方では神聖なものに対して用いられながら他方では不浄なものに対しても用いられるという両義性は、「חרם」という概念の抽象性ゆえかと思われます。本記事の主題である「破門」は上記の(c)に該当することになります。

ところで、イザヤさんは本ノートにてことさらヘレムがユダヤ教の「最も重要な儀式」であると強調しておられますが、ヘレムとは「懲罰」であり儀式ではありません。破門を宣告するさいに儀式が付随するだけのことで、その儀式に本質があるわけではないのです。まして「最も重要な儀式」というのはでたらめです。ユダヤ教徒にとって三大祭よりもヘレムのほうが重要だというのでしょうか? そもそも共同体から異端者を排除するということは、身内から異端者を生み出してしまったという不名誉を意味しているわけで、ヘレムとは矯正の見込めない異端者に対する最終的な手段であり苦肉の策なのです。そのような行為がなされるというのは間違いなく「重大な事件」ではありますが、果たして「最も重要な儀式」と呼べるでしょうか? 「最も重要な儀式」とする出典があるのならぜひ提示してください。ちなみにイザヤさんは『ユダヤ教小辞典』(吉見 崇一著)を参照されたそうですが、あるいは同辞典の補遺のp.30にある「Schofar [Abraham]:ヘブライ語。雄の羊の角。新年と贖罪の日、またはCherem(破門宣告)の儀式の際に吹かれる」という記述を読んで、ヘレムを儀式と思われたのでしょうか? もしそうなら、括弧の位置をもう一度確認したうえで読み直してみてください。

また、「חרם」は宗教用語といった独占的な専門用語ではなく単なる普通名詞です。ヘブライ語版ウィキペディアに「חרם」の曖昧さ回避のページがあるのは、普通名詞である「חרם」を用いた熟語が複数存在していることを意味しているに過ぎません。そしてリンク先の「חרם (הלכה)」の記事では、「חרם」という普通名詞がユダヤ教の文脈ではどのような意味で用いられてきたのかが記述されているのです。すなわち、「חרם」を上記の(c)と定義した上で、同じく破門を意味する「נידוי」(ニドゥイ)という懲罰よりもヘレムのほうが厳罰であることが記されております。また、(a)と(b)をも含めた同単語の語義の歴史的な変遷が順を追って説明されており、(c)にまつわる項目では、ヘレムを宣告された著名なラビが時代ごとに取り上げられています。ついでなので曖昧さ回避のページにある他の記事についても上から順番にそれぞれ概略します。「חרם חברתי」(社会的なヘレム)ではユダヤ教以外の社会や組織をも含めた一般的な(c)について書かれています。「חרם כלכלי」(経済的なヘレム)は下位にふたつの記事があり、「אמברגו」は外来語でその意味はembargo(通商禁止)、もうひとつの「חרם צרכנים」(消費者のヘレム)は不買運動のことです。「חרם מדיני」(国家のヘレム)は未作成の記事なのですが、国交断絶を意味します。「חרם (מתנות כהונה)」(ヘレム(聖職者の奉納品))は(a)についての説明ですハザルが規定した24種類の祭司への奉納品のひとつのことで、(a)の拡大解釈のようなものです。「חרם דרבנו גרשום」(ラベヌー・ゲルショムのヘレム)はゲルショム・メオール・ハゴラーという11世紀のロレーヌ地方の著名なラビがヘレム破門にされた顛末が書かれています。「חראם」はイスラム教の「ハラーム」のことです。最後の「חוק רכישת מקרקעין」(不動産取得法)は、同熟語の頭文字を略せば「חרם」と類似したつづりの「חר"ם」になるというだけのことで直接関係はありません。以上で「חרם」が宗教上の専門用語でないことをご理解いただけたと思います。

ヘブライ語に関する助言は以上です。もっとも、わたし自身皆様よりもヘブライ語にやや詳しいという程度の者ですので、無知ゆえの間違いが含まれている可能性があることも留意しておいてください。間違いに気付いたさいはすぐに訂正いたします。また、くれぐれもわたしの文章を元に記事を書かないでください。

そこで結論なのですが、本記事「ヘレム」は削除すべきでしょう。「ヘーレム」への統合ではなく削除です。これまでの説明からもお分かりのように、現状では本記事には何も書かれていないも同然なのです。仮に上記(c)を中心とした内容で本記事が充実したとしても、記事名として相応しいのは「破門(ユダヤ教)」でしょう。それから「ヘーレム」の記事の冒頭にある「活字体」という定義などは全くもって意味が不明ですので直ちに書き直すべきす。とはいえ、これらの記事が今後どのような運命を辿るかについてはたいして興味はございません。ただ、皆様にとって馴染みのないヘブライ語に関する疑問を解消したかっただけのことです。

最後に、IPアドレスごときがはばかりながらではありますがイザヤさんに一言。単刀直入に申しますが、何を目的にウィキペディアに参加しておられるのでしょうか? 今回この「ヘレム」や「ヘーレム」の記事における混沌とした議論に気付いたのは、ウィキポータル・ユダヤ教の新着記事の欄に「חרם」のリダイレクトページが掲載されていたからなのですが、同欄には同じくリダイレクトページである「י」があるのはご存知ですよね? イザヤさんが立てられた記事なのですから当然でしょう。リダイレクト先にある「ヨッド (ヘブライ文字)」ももちろんイザヤさんによるものなのですが、ここで質問です。なぜ「ヨッドは「y」の音価を持つ子音である」という最も基本的なことが書けないのでしょうか? ヘブライ文字の記事を立てた以上、表音文字としてのヨッドの説明は必須でしょう。しかもユッドというもうひとつの呼び名があることすら書いていないばかりか、対応するアラビア文字「ي」への内部リンクや、他言語版ウィキペディアの当該記事、とりわけヘブライ語版の「י」へのリンクなど、やるべきことを何もやってないのです。ただ、「一点一画」の説明を除いては…。つまり、ウィキペディアを利用してご自身、あるいは所属されている組織の信条なり思想を表明したいという目的があからさまに露呈しているわけです。そのような輩が共同執筆作業を理想とするウィキペディアというコミュニティ内で歓迎されないというのは当然の道理なのです。それが分からないのでしょうか? もっとも、イザヤさんからの回答を期待しているわけではありません。自省を促しているだけです。コミュニティが参加者に要求する最低限の執筆能力、および社会性をイザヤさんが備えているとは到底思えません。ここはひとつウィキブレイク等で一度身を引いてから出直したほうが、ご自身のためにも賢明な判断となるのではないでしょうか?

駄文長文失礼いたしました。この助言が議論の鎮静化につながることを願います。なお、今後投票などを行われる場合があっても不参加とさせていただくことを前もってお詫びしておきます。本当は2年ほど前にウィキペディアからは完全に足を洗ったつもりでいたのですが、今回ばかりはいたたまれないと思った次第です。--以上の署名のないコメントは、61.203.120.218会話)さんが 2011年3月5日 (土) 18:39 (UTC) に投稿したものです(Kinno Angelによる付記)。[返信]

詳しい説明をありがとうございます。大変勉強になりました。私も大分前に半分ウィキブレイクしていたのですが、聖絶の編集だけには張り付いていました。そこでイザヤさんの逸脱編集を目の当たりにして活動を再開した次第です。ほんの数ヶ月イザヤさんの活動を見ただけですが、この記事ですら逸脱はそれほどひどくないそうです。そのため、この記事で折り合いがついても、他の記事で同じことを繰り返すだけです。ご指摘のような「一点一画」の記事だけのために不用意に他のスタブを量産することなど、彼にとっては日常茶飯事です。
大体ニクダー云々はともかく、「ヴァイオリン」と「バイオリン」の両記事が存在するようなもので、「ヘーレム」と「ヘレム」では日本語上も区別がつきません。事実、破門の意味でないヘーレムをヘレムと書く人も少ないながら存在します。それはともかく、折角のご指摘ではありますが、反論も多いと思い、削除の意見を統合に変えました。ただ、ガイドライン上は統合すべき項目ではないでしょうから、本記事の内容を手動で「ヘーレム」に移して、本項目を削除依頼に出すのが適切かも知れません。イザヤさんのことだから、それには猛反対するでしょうが、その場合は「破門(ユダヤ教)」があるということですね。それはともかく、イザヤさんとのやりとりはうんざりするので、みんながこうやって譲歩してしまうのですが、本来は「破門(ユダヤ教)」も今の段階では認めるべきではないでしょう。もっとも、これだけの議論があるのですから、ノートの転記を含め、ページの統合ないしは統合と同じ程度の作業はしておいた方がよいと思います。ちなみに、イザヤさんが議論中にいつものように勝手に起こした「へーレム」(へが平仮名)の項目もガイドライン上統合すべきでないと判断して、私が内容を手動で「旧・聖絶」改名後の「ヘーレム」に活かしました。なお、この記事そのものを立項したのはイザヤさんではありませんが(そのキッカケを作ったのは彼です)、イザヤさんが作った記事なので彼が責任をもって削除依頼に出すべきです。それを期待して待っているのですが、案の定、彼からは何の動きもありません。彼の逸脱行為で出来た項目の責任すら自分で取ろうとしない、そういう人に共同作業は土台無理な作業なのでしょう。結果的にいつも他の編集者が尻ぬぐいをすることになります。なお、ユダヤ教の除名に30日程度のものと永久追放の両方があることは私も知っていましたが、出典が手許にないため執筆を見合わせています。ただ、私と違ってイザヤさんは出典を直に見ずに出典付きの記事を書かれることもよくあるので、その点でも困った人なのです。--Bokemiann 2011年3月6日 (日) 15:09 (UTC)[返信]
コメント 「ニクダーが違う」(つまりニクダーの違いで以て概念の差が表されている)という旨を伺ったので、統合に反対寄りだったのですが、現状、IPさんの御指摘が正しいとしますと、これは統合どころか削除に傾かざるを得ません。イザヤさんからのお返事を待ちたいと思いますが、もしイザヤさんの勘違いもしくは記憶違いだったのならば、速やかに自らの誤りを認め、削除に動かれることを希望します。--Kinno Angel 2011年3月7日 (月) 06:10 (UTC)[返信]

聖書で使い分けがなされています。ニクダーが名詞と動詞で違います。文脈上はともかく、この語単体で「異教徒の虐殺」という意味があったが、後に「変化した」というのは、復活理解について異端の嫌疑をかけられたローマ・カトリックの神学者のものしかありません。新改訳はそんなことは言っていません。ヨシュア記の出来事については、ラビの解釈がキリスト教側とは別に存在するのであり、ラビ解釈の発展の余地もあります。ラビ解釈は私の知る限り英語しかなく、また、手元にないのでラビによるヨシュア記解釈については、いま書くのは不可能です。ヘブライ語のחרםの字句についてだけであれば、IPさんの言っておられることはもっともだと思いますが、現在のヘーレムの内容記事はヨシュア記また、「聖書の虐殺」が変化したということが強調された内容になっています。Bokemiannさんは、いろいろな所で「変化した」ことを強調されていますが、このフランス人神学者の解釈は、ラビの解釈ともまた異なるはずです。ヘブライ語聖書の出来事についておもに書かれ「聖書の虐殺」の意味が変化したという項目内容と、シナゴーグにおける儀式の概念ははたして同じでしょうか。ユダヤ教において重要な儀式というのは、出典としてあげたロシアにおけるポグロムについての研究書に「シナゴーグにおける最も重要な儀式」とする記述があります。著者はロシアとユダヤについての研究者です。ユダヤ教全体にとって最も重要な儀式と言ってはおりませんが、神殿がなくなったので、シナゴーグにおけるもっとも重要な儀式であれば、ユダヤ教にとって重要な儀式として特筆性が十分にあります。また、音写についてはユダヤ小辞典と上記の研究書によるのであり、私が独自に考案したわけではありません。ロシアとユダヤについての研究書には括弧付破門の表記は採用されておりません。--イザヤ 2011年3月7日 (月) 16:13 (UTC)[返信]

ふたたびIPアドレスごときの者です。はじめに、前回のコメントにおいて貼った『ユダヤ教小辞典・補遺』へのリンクですが、イザヤさんが本記事にて出典とされた『ユダヤ教小辞典』とは関係のない全く別の著者による書物であるとわかりました。よって関係する文章をすべて取り消したことを報告しつつ、その文章にて悪意ある表現があったことをイザヤさんにお詫び申し上げます。その他2ケ所についても訂正してあります。
さて本題に参ります。イザヤさんへ。「ニクダーが名詞と動詞で違います」というのを見て悪い予感が的中した感があるのですが、とりあえず同じことをあらためて質問いたします。どのヘブライ語の単語を「ヘレム」と転写したのですか? 何度でも同じことをお聞きします。今イザヤさんにとって重要なのはこの質問に答えることなのです。「聖書で使い分けがなされています」というのなら具体的にどの書物の何章何節なのかを示してください。Bokemiannさんとの間では語義の解釈で争っておられるみたいですが、単語の意味などは二の次でいいのです。その単語がそもそも本当に存在しているのかという根本的なことを確認しているのです。「ヘーレム」の記事だけならばこのような質問をしておりません。しかし、「ヘーレム」とは別に「ヘレム」の記事を立ててしまった以上、質問せざるを得ないのです。「ヘレム」というのはいったいどのヘブライ語の単語をさしているのですか? 「חֵרֶם」なのですか? それとも別の単語なのですか? 「音写についてはユダヤ小辞典と上記の研究書によるのであり」とありますが、お手数ですが当該箇所を文章に起こしてみてください。「חֵרֶם」の他にないのなら、現行の「ヘーレム」と「ヘレム」というふたつの記事の両立は認められません。まさかBokemiannさんと解釈が違うから「ヘーレム」とは別に「ヘレム」を立てたとおっしゃるのですか? あるいは、わたしの質問の意味がわからないのですか?
わたしが今なにを懸念しているのかといえば、ヘブライ語に関するイザヤさんの無知がわたしの想定をはるかに超えているのではないかということです。本当に勉強されたのでしょうか? 少なくとも現在までのコメントを見た感じでは、ヘブライ文字の読み方すら知らないのではないかと疑わざるを得ないのです。ヘブライ文字は表意文字ではなく表音文字なのです。「ヘレム」とカタカナ表記するからには「ヘレム」と発音される単語に限定されるのです。それを理解していないからこそ「ニクダーが名詞と動詞で違います」という頓珍漢なことをいえるのではないのですか? イザヤさんは英語の論文を読まれるぐらいですから英語能力には秀でていらっしゃるのでしょう。ならば、英語圏にて用いられている「cherem」や「herem」について存分に語ればいいのです。わたしが憤りを感じているのは、おそらくご自身でさえも理解できていない「תַּחֲרִים֙ הַחֲרֵ֤ם」といったヘブライ語を持ち出して他ユーザーをたぶらかしていることなのです。他の記事の議論においても専門外のことをさも専門家のごとき口ぶりで語っているのではないのですか? ちなみに「תַּחֲרִים֙ הַחֲרֵ֤ם」はわたしのPCでは語順が逆になっており、「תַּחֲרִים֙」が先で「הַחֲרֵ֤ם」が後になっているのですが、これはPC環境の問題によるものなのですか? それともイザヤさんの無知によるものなのですか? また、母音記号だけでなく朗誦記号までもが混じっているのはわかってのことですか? ふたつの単語それぞれの品詞を答えられますか?
さて、前回も指摘しましたようにウィキペディアとは共同執筆作業によって成り立っており、それを可能にするのは参加者間における信頼関係なのです。ところが、少なくとも当記事「ヘレム」に関わるコミュニティにおいては、残念ながらイザヤさんは誰からも信用されておりません。それは、なぜ「ヘーレム」と内容の重複する「ヘレム」の記事を書いたのか? というコミュニティ内の疑問に答えていないからです。その行為が正当化される唯一の方法は、イザヤさん自身の手で「ヘーレム」の出典と「ヘレム」の出典を個別に提示することなのです。決して重複ではないことを証明すればいいのです。もっとも、今となってはその答えは明白です。つまり「無知ゆえに」ということになるのでしょう。それでもなお「聖書で使い分けがなされています」という回答には興味があるので、どの書物の何章何節という具合にふたつの単語を具体的に示してください。ふたつですよ。具体的にですよ。それから「最も重要な儀式」に関して質問しましたが、「記述があります」では答えになってないのです。誰が書いた何というタイトルの書物の第何版のどのページに記載されているのかを明示しなければならないのです。できれば文章を起こすぐらいの配慮も必要です。とにかくとんでもない答えが返ってこないことを祈っております。願わくは、今回のコメントにおける悪意ある発言を謝罪できるよう取り計らってもらいたいものです。
それからBokemiannさんには「ヘーレム」の記事に関する意見と確認事項がありますので、そちらのノートをご覧になってください。--以上の署名の無いコメントは、61.203.120.154会話投稿記録)さんによるものです。
コメント 不充分ながら「ノート:ヘーレム」にてお答えしておきました。「ヘーレム」(旧・聖絶)では、(b)を中心に説明されていますが、若干ながら(a)にも触れています。また、従来は「アナテマ」で解説されていた「語義の変化」を今回の加筆で強調し、捕囚後は共同体からの逸脱者の「破門」の意味で使われるようになったことをウェーバーその他の出典を示すことで記しています。イザヤさんはヘーレムに(b)殺戮等の意味があったとすることも嫌がっていますが、特に語義が変化したという表現を嫌って色々な改変を試みています。それが今回の「ヘレム」立項の本音だと推察しています。すなわち、IPさんの「まさかBokemiannさんと解釈が違うから「ヘーレム」とは別に「ヘレム」を立てたとおっしゃるのですか?」という質問はまさにその通りだと私は思っています。これはイザヤさんの常套手段です。
なお、今回彼と争っているのは、語義の解釈でないし、語義が変化したかどうかでもありません。イザヤさんはそう思っているようですが、私が非難しているのは、「アナテマ」において私が出典付きで復活させた記述に対して、『聖書思想事典』を典拠とした「語義の変化があった」とする記述を、イザヤさんが「レオン・デュフ-ルによれば」と如何にも個人の見解であるかのように改編した行為([4])に対してです。これがPOV以外の何物でもないということが何故かイザヤさんには理解できないようで、今度はレオン・デュフ-ルは異端の嫌疑がかけられたことがあるなどと言い出して抵抗しているのです。しかも、レオン・デュフ-ルはアナテマの項目の執筆者ではなく、辞典の編纂者です。ちなみに、ご存知とは思いますが、この部分の執筆者はP.Sandevoir氏であり、語義が変化したと書いているのは訳者の訳注部分です。ヘーレムやアナテマの注釈では訳注も参照している旨きちんと書いてあるのですが。イザヤさんは『聖書思想事典』を出典とする記述が気に入らないからといって、実物を確認しようともせず、事典の編纂者がこの項目を書いたと思い込んでいるのか、レオン・デュフ-ルの個人攻撃を始める始末です。なお、今回はウェーバーの『古代ユダヤ教』を出典とした記述をヘーレムからアナテマに転記しましたが、アナテマのノートページで社会学者マックス・ウェーバーが、教会の指揮系統、鍵の権能においてどのような位置づけなのかお考えください。」などと意味不明のことを書いてきました。要するに、「キリスト教に関する項目にリベラルな観点を入れるな」ということなのでしょう。--Bokemiann 2011年3月10日 (木) 12:17 (UTC)[返信]
〔追記:〕 「イザヤさんが本記事にて出典とされた『ユダヤ教小辞典』とは関係のない全く別の著者による書物であるとわかりました」とありますが、イザヤさんは本記事の参考文献で『ユダヤ教小辞典』の出版元をリトンと書いているので、著者は吉見崇一氏で他の人の手になる同名の書籍ではないと思います。彼はこの本を見て誤読ないし誤解したか、或は実際には確認していないに拘らず恰も見ているかのように主張しているのでしょう。前者の可能性もありますが、後者の可能性も高いです。イザヤさんだったらやりそうなことですから。いや、数は分かりませんが、実際にあちこちでやっている証拠が幾つか挙がっています。-Bokemiann 2011年3月10日 (木) 14:56 (UTC)[返信]
イザヤさんが参考にされた『ユダヤ教小辞典』(リトン)の著者を調べたく検索したところ、Amazonにて吉見崇一氏であることが分かりました。この本の中身が見られないかとさらに検索した結果、全く同じ書名のリンク先を発見したのです[5]。これ幸いとばかりヘーレムについての出典を確認すべくいろいろなキーワードで検索していたのですが、確信できる記述には至りませんでした。そこでさらにネット上で検索した結果、例のリンク先を発見した次第です[6]。ところが、そうこうしているうちに吉見崇一という名前がすっかり頭から消えてしまい、このPDF文書の冒頭にある著者の名前を見てもなんら不思議に思わなくなってしまったのです。もうお分かりでしょうが、『ユダヤ教小辞典・補遺』の著者は福岡大学の上田和夫氏に他なりません。これは本当にわたしの早とちりであって弁解のしようがございません。それから、他ユーザーさんのコメントを引用するさいは斜体文字を使うのがルールであるのにようやく気付いたのでそれも訂正しておきました。
さて、記事や編集に関する主だったことは「ヘーレム」のノートにおいて述べておりますのでそちらに譲ります。イザヤさんにまつわる昨今の騒動につきましては、我ながら厄介な問題に首を突っ込んでしまったと反省しきりなのですが、事ここに至っては微力ながらも可能な範囲で支援したと思っております。とりあえず今はイザヤさんからの回答待ちです。--以上の署名の無いコメントは、61.203.120.154会話投稿記録)さんによるものです。
コメント 地震によるこんな状況の中ということもあり、イザヤさんから期待できる返答があるかどうか分かりませんので、とりあえず私からもコメントしておきます。「「聖絶」 - 牧師の書斎」によると、動詞も名詞もどちらもcharamですが、日本語音写とヘブライ語(ニクダー?)は区別していて、動詞はヘーレムではなくハーレムですが、名詞はヘレムとしています。この牧師は福音派の教会の牧師です。また、イザヤさんが出典としている黒川知文氏は博士号も持つ学者ではありますが、イザヤさんがよく出典とされる尾山令仁牧師の教会の牧師先生でもあります。なので、福音派に特有の区別なのかと最初は思ったのですが、必ずしもそうでもないのかも知れません。たとえば聖絶の語は今は岩波書店訳の旧約聖書においても採用されていて、その補注(旧約聖書1律法の巻の補注)において、名詞を「聖絶(物)」、動詞を「聖絶する」とし、前者はherm(hに傍点、eに長音記号)、後者はhehrim(2番目のhに傍点と小さいe、iの上に∧)として区別していますが、両者をひとつの注記として区別せずに解説しています。多分イザヤさんはこのことをニクダーが違う、聖書で区別されていますと、おっしゃっているのではないかと(素人考えながら)思います。もっとも、イザヤさんの主張が正しいかどうか私には分かりませんが、だからといってわざわざ(名詞と動詞を)区別すべきではないという考えに変わりはありません。なお、岩波書店訳の旧約聖書では、聖絶をあくまで「聖戦」の法として扱っていて(但し、儀礼的な奉納とする立場ですが)、(c)破門の意味には触れていません。その証拠に岩波書店訳の旧約聖書ではエズラ10:8に聖絶の語はなく、不手際だと思いますが、ヘーレムが原語であるとする旨の注記すらありません。--Bokemiann 2011年3月12日 (土) 07:58 (UTC)[返信]
銘形秀則牧師による「牧師の書斎」を拝見いたしました。「動詞ハーレムחָרַם(charam)」という記述が2回もあるのにいささか戸惑いを覚えるのですが、イージーミスとして好意的に受け止めておきます。ただし、「ハーレム」を「ハーラム」と訂正したところで依然として誤解を招きかねない文章であるため、僭越ながら補足させていただきたいと思います。なお、今回の文章ではヘレムではなくヘーレムで表記を統一します。
ヘブライ文字は表音文字なのですが、複数の文字を並べることで、その文字列自体が表意文字のごとく固有の意味をもつようになります。これを語根といい、ヘブライ語ではおおむね3文字一組で語根が形成されます。件の「חרם」(ヘーレム)という名詞の場合、「ח」(ヘット)「ר」(レーシュ)「ם」(メム)の3文字の並びのみで、発音を伴わなくとも「引き離す、隔離する」[7]という根本的な意味が表されるのです。母音記号の入力がわずらわしいネット環境などで語根を表すさいは「ח-ר-ם」や「ח.ר.ם」などと表記されるのが一般的です。これはいうまでもなく名詞の「חרם」との混乱を避けるためです。ヘブライ語の名詞や動詞や形容詞は外来語を除けばすべて語根から派生したものです。「ח-ר-ם」という語根からは「חֵרֶם」(ヘーレム)という名詞や、「הֶחֱרִים」(ヘヘリーム)という使役の動詞(「הֶחְרִים」(ヘフリーム)と発音される場合もある)や、形容詞の「מָחֳרָם」(モホラーム)などが派生します。それぞれの単語の意味は「引き離す、隔離する」という語根の意味に準ずれば、「ヘーレム:引き離し、隔離」「ヘヘリーム:引き離させる、隔離させる」「モホラーム:引き離させられた、隔離させられた」と訳されましょう。
つぎに、ヘブライ語の動詞には7つのがあるのですが(実際には他にもあるのですがここでは無視します)、銘形氏の上げられた「חָרַם」(ハーラム)というのはパアル態と呼ばれる能動態です。「引き離す、隔離する」という語根の意味に準ずれば「引き離す、隔離する」というそのままの意味になります。パアル態は「- â - a -」( - は子音)という発音になり、その他の態と比べて種類が多く、使用頻度も高いことから動詞の基本形とみなされています。それゆえ、とくに聖書関連の辞書においてはパアル態の動詞が見出し語に用いられており、それは同時に語根を意味していることにもなるのです。わたしが「חֵרֶם」(cherem)という単語や「ח-ר-ם」という語根の説明において「חָרַם」(charam)[8]をリンク先に指定しているのはそういう理由からです。しかし、ヘブライ語聖書を通じて我々の知る聖書ヘブライ語というのは、聖書時代に使われていた言語のほんの一部でしかありません。語根から7つの態の動詞が派生するとは申しましたが、そのすべてが聖書において確認できるわけではなく、むしろ7つの態の動詞すべてが収録されている語根のほうが珍しいぐらいなのです。もちろん、聖書から漏れてしまったパアル態の動詞もあります。つまり、辞書の見出し語としてパアル態で表記されている動詞の中には、聖書の中では確認できないものもたくさんあるのです。そして、「חָרַם」(ハーラム)という動詞もそのひとつに他なりません。それゆえ、銘形氏のいわれる「旧約で51回使われています」というのは能動態の「חָרַם」(ハーラム)のことではなく、使役である「הֶחֱרִים」(ヘヘリーム)と使役の受身である「הָחֳרַם」(ホホラム:引き離させられる、隔離させられる)のはずなのですが、さすがに51ヶ所すべてを確認するのは面倒くさいので勘弁してください。ただ、『ヨシュア記』において動詞が14回、名詞が13回というのは数えてみたところ合っていました。ということで、不審な点はありますが「(1) 「聖絶する」という語彙」という項目に関してはおおむね正しいことが書かれているといえましょう。ただし、それ以降の項目についてはノーコメントです。
さて、なぜ今回ことさら語根にこだわっているのかといえば、すでにお分かりかと思いますが、語根を同じくする単語は、名詞であろうが形容詞であろうがどのような態の動詞であろうが同じ意味を共有しているからに他なりません。わたしはしばしば「「חרם」という概念」という言い方をしますが、それはすなわち「חרם」という名詞の背後にある語根「ח-ר-ם」を通じてそこから派生する動詞や形容詞などをも含めた総合的な意味でとらえる必要があるからです。いくらイザヤさんが名詞や動詞のニクダーの違いを主張したところで、それは名詞か動詞かという品詞の違いでしかなく、能動態と受動態のニクダーの違いを主張したところで、それは能動態か受動態かという態の違いでしかないのであって、決して意味の違いと解釈してはならないのです。「ハバクク書1:15,16,17のחרםは網と訳されています」というイザヤさんのコメントにもあるように、ヘーレムには一見すると「破門」とは関係なさそうな「網」という意味も含まれています。しかし、これとて「引き離す、隔離する」という意味の語根を念頭に置けば理解できるのです。すなわち、網というのは魚群の一部を隔離して引き上げるための道具であることが語根によって表されているのです。以上を鑑みれば、本記事「ヘレム」が立ったのはイザヤさんの無知ゆえにという結論でほぼ間違いないかと思われます。ちなみに網を意味する「חרם」は、破門を意味する「חרם」と全く同じニクダーが打たれており、よって全く同じ発音をする単語なのであります。つまり、もうひとつのヘーレムというのは実のところ存在していたのですが、イザヤさんはちゃんと理解していたのでしょうか? もちろん網を意味するヘーレムがあったところで本記事を正当化する理由にはなりませんが。
ここで岩波の旧約聖書についても言及しておきます。わたしは本文を未確認なのですが、「herm(hに傍点、eに長音記号)」は、rとmの間のeが抜けてはおりますが「חֵרֶם」(ヘーレム)で間違いなく、「hehrim(2番目のhに傍点と小さいe、iの上に∧)」のほうも「הֶחֱרִים」(ヘヘリーム)で間違いないと思われます。また、『エズラ記』の10章8節には「הָחֳרַם」(ホホラム)の未完了形(未来形)があるので、他には注記があるにもかかわらずこの箇所にだけないのなら編集者の不手際ということでしょう。ただし、名詞が「聖絶(物)」、動詞が「聖絶する」と訳出されていることに関しては、これはもう「岩波さんの思想信条ゆえ」としか答えようがありません。わたしにできることは、「引き離す、隔離する」というのが語根「ח-ר-ם」の根本的な意味であり、古代から今日に至るまでその意味は全くぶれることなく一貫して使われてきた、ということを繰り返し指摘するのみです。それでもあえていうのなら、語根の「ח-ר-ם」には「聖」という意味は全く含まれておりません。かといって「呪い」という意味があるのかといえばそれもありません。「聖」だとか「呪い」だとかいうのは何を客体にするかによって決定されるものなのです。それはもう言語学ではなく神学の問題として考えなければならないわけで、専門外のわたしにとってはもうお手上げなのです。
さて、今回いただいたコメントから察するに、Bokemiannさんとイザヤさんとの間にあるヘーレムの解釈にまつわる争いは、やはりその背景に福音派と自由主義神学との間の神学的な対立があるからなのでしょうか? わたしは世俗の人間で教会とは無縁ゆえその方面の話題にはさっぱりでして、イザヤさんや銘形秀則牧師といった福音派の方々のメンタリティというのはよく存じておりません。ですが、こと言語学上の解釈が可能な部分に関しては、いかに熱心な信者の方とて教義のための捏造などはしないと思うので、過度の警戒心は無用かと思われます。もちろん無知に対する警戒は怠ってはならないのですが、とにかくイザヤさんが主張されているのは神学的な解釈の部分ですので、わたしの役目はもう終わったと思われます。今回わたしが議論に飛び込んだのは、神学的な解釈についての議論の中、自分でさえも理解できていない言語学的な解釈を持ち込んで相手をかどわかし、自分に有利な方向へ議論を運ぼうとした行為が許せなかったからです。とはいえ、イザヤさんが本記事「ヘレム」を立てた動機は決してわからないわけではないのです。現行の「ヘーレム」の記事内容が全く相応しくないと考えたからでしょう。それは、わたしが「ヘーレム」の記事を時期尚早と判断したのと通底しています。しかし、相応しくない内容を正確なものに改めるのではなく、放置したまま無用な記事を立てた行為はいただけませんね。もっとも、わたしとて現行の「ヘーレム」の記事の行く末に関して特段案じているわけでもありません。ウィキペディアが誤謬とともにあることを選ぶのならそれでも構わないのです。
ところで、イザヤさんはご本人のノートを見る限りではどうやら震災に遭われたみたいですね。程度は定かではありませんがお見舞い申し上げます。この様子ではわたしへの回答が引き伸ばされるのはやむを得ませんね。とはいえ、当てのない回答を待つのも億劫ですし、「חרם」の語義の説明をおおかた済ませた今、本案件においてはこれ以上協力できることもなさそうなので、これを機に活動を停止したいと思っております。
最後にBokemiannさんへ。これはあくまでも公平な立場から申しますが、前回のコメントの追記においての「彼はこの本を見て誤読ないし誤解したか、或は実際には確認していないに拘らず恰も見ているかのように主張しているのでしょう」というイザヤさんに対する発言については、わたしのほうの手違いであることが明らかになった以上、訂正してひとこと謝罪しておくべきでしょう。Bokemiannさん自身もリンク先を全然確認していなかったことがばれてしまったのです。もちろんわたしと同様、単なる早とちりなのでしょうが、やはりひとことコメントしておくのがエチケットでしょう。ご自身の過失を棚に上げるような方がコメント依頼/イザヤにおけるあの長文を書いたことが分かれば、読み手が抱く印象はひどく悪いものとなりましょう。要は、同じ穴のムジナと思われても仕方がないということです。イザヤさんの件で長期にわたってストレスを溜めておられるのは十分察せられますが、ここは一歩引いて他ユーザーさんに判断を委ねるのが最善なのではないでしょうか? くれぐれもご自愛ください。--以上の署名の無いコメントは、61.203.120.154会話投稿記録)さんによるものです。
ご指摘ありがとうございます。この件に関しては確かに私のフライングでした。ただ、彼は他でも出典を見ないで記事を起こされていることが確認を取れる事例だけでも数件あるので、うっかりこのように書いてしまった次第です。黒川知文氏の本は見ていると思いますが、誤読した可能性もあるかと思います(できれば図書館にて確認する予定ですが、ただ、私はヘブライ語は全く知らないので、著者に誤解があるのかどうかまでは分かりません)。また、hermはheremの誤記でした。岩波の翻訳に関しては、何れ時間を取って、他の聖書も含め、Jばいぶるにてヒットする聖絶の箇所58箇所に全て当たって確認するつもりです。なお、私も直接の地震の被害こそ幸い受けませんでしたが、本が散らばって部屋がめちゃくちゃで大変ですし、仕事もありますので、イザヤさんの件は暫しクールダウンせざるを得ないと思っています。
さて、福音派の信者のメンタリティは経験上から大体分かります。捏造はしないまでも、事柄を小さく扱ったりなどの操作は行なうことは予想されます(でも、これは今までキリスト教会の全てが行なってきたことでもあるので、福音派だけを特に批判する気はありません)。私が問題視しているのも、彼の信じる福音派の思想信条では全くありません。それが幾ら表明されても、百科事典の記事としての条件を満たしていれば何も問題もないのです。問題は、(1)イザヤさんが自分の立場と違う見解をイタズラに排除して記事の分割を主張すること、(2)スタブの量産、そして、(3)議論の無視と対話の不可能性です。今になって分かることですが、私ももっと早くコメント依頼をすべきだったと反省しています。コメント依頼は必要に応じて何度も行なうことができるわけですし、いっぺんにやろうとしたのは失敗だったかも知れません。ただ、今後も彼を放置すれば、キリスト教項目がスタブの山になってしまうのは火を見るよりも明らかでしょう。そんな訳で、長文になるのを厭わず「Wikipedia:コメント依頼/イザヤ」を書いたのです。といって、私もヘーレムの(b)に固執している人間であり、イザヤさんの逸脱編集さえ見なければ、極論すれば、あなたと同じく「ウィキペディアが誤謬とともにあることを選ぶのならそれでも構わないのです」。最後はキリスト教項目に関わる編集者の判断に委ねるだけです。ただ、それでは無責任すぎるので、納得のゆく形で決着を見るまでこの件には関わり続ける所存です。そんな訳でこの件はかなり長丁場になりそうです。
何れにせよ、「聖絶」に固執する私にとって、あなたのご指摘は大変勉強になりました。感謝いたします。--Bokemiann 2011年3月13日 (日) 15:09 (UTC)[返信]

ヘブライ語版ウィキペディアの「he:חרם」の曖昧さ回避についての説明にて、「חרם דרבנו גרשום」(ラベヌー・ゲルショムのヘレム)を「破門にされた顛末」と述べてしまったのですが、ラベヌー・ゲルショムは破門する側の人間であることが分かりましたので、ここで記述の取り消しとお詫びを申し上げておきます。--ימח שמו וזכרו 2011年4月9日 (土) 16:21 (UTC)[返信]

ヘーレムへの統合提案[編集]

今さら議論の余地はないと思うのですが、「ヘーレム」が本日ようやくユダヤ教の破門を扱った項目に変わりましたので、同じ内容を扱った「ヘレム」を表記揺れと見なして「ヘーレム」へと統合いたします。もちろん手続きは踏みますので、反論があれば承ります。--ימח שמו וזכרו 2011年4月17日 (日) 04:36 (UTC)[返信]