ノート:バロック建築

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「絶対王政を背景に採用された建築様式」という説明は適当ではありません。「採用」という言葉は、様式を選択する状況を前提にしていると思われます。17世紀から18世紀前半では、他に利用できる「様式」はありません。また、絶対王政と「様式」の関係は明らかではありません。「背景」という言葉を使うと、いかにも建築が政治の表現媒体であるかのようですが、この時代ではそれほどの緊密な関係はありませんし、政治権力の移り変わりと「様式」の変化は一致しません。「17世紀から18世紀前期の曲面を多用する建築を指すが、オーダーを中心とした意匠をルネサンスから受け継ぐ。カトリック教会の改革運動や絶対王政による覇権争いや植民地開発を背景に、イタリアからヨーロッパ全域、さらには中南米に広まった。」ぐらいで、穏当にならないものでしょうか。

こういう様式がカトリックや絶対王政を荘厳するにふさわしいと思ったからこそ、正に選択(建築家が?教皇や王が?)されたのだと思いますが..いかがでしょうか。「建築が政治の表現媒体」という単純な関係にはないでしょうが、バロックの背景にあるというのは定説化しているのでは? --忠太 2005年5月9日 (月) 12:37 (UTC)
当時は「様式」の選択肢が無かったと思います。つまり、どの建築家も「ルネサンス様式」を選ぶこともできなければ、「ネオクラシシズム様式」を採用することもできなかった。定説であるとのことですが、時代によって定説は移り変わると思います。現在の学界では、積極的に「様式」と「時代精神」をセットにして考えないので、そうした学説の変化を反映させてほしいと願うのです。 -- これの発議者 2005年5月10日 (火) 12:28 (手入力)
個々人の選択というよりは、時代や社会が選択したのかもしれませんが...(それはともかく) 定説に従っていては歴史学が進展しないというのは確かですが、百科事典は新説よりも定説を書く場所だろうと思います。それから訂正が必要と思えば加筆いただいて結構と思います。ただし、「覇権争いや植民地開発を背景に」と書くのは「穏当」ではない感じがします。 --忠太 2005年5月10日 (火) 12:44 (UTC)
単刀直入に云って、建築史を学ぶことがすなわち様式を知ることとなっている現在の在り方に疑問を持っています。背景や理由の説明を控えて、どんな現象が見られるのか具体例を中心に歴史を語るのがいいだろうと思っています。しかし、こんな考えは一般的ではないので、本文から外れたところで、これまで活躍されてきた方との距離を測りたかったのです。様式論の中では様式の完成が高く評価されます。この評価基準は、定型を持たないバロックの建築には不向きです。勢い、「歪んだ真珠」という予断を与えることとなり、建築の政治体制による説明で納得することになります。これではバロックの建築は構造的に低い序列に甘んじ、アヴァンギャルドとして再評価を求めることになります。この枠組みは広く浸透していて、「定説」を支えています。私見ではバロックの造形は精確で均整がれていると思いますし、知り合いが「格好いい」とか「よくできている」という言葉で語ったこともありました。予断がバロックに対する正当な評価の邪魔をしているのではないしょうか。こんな考えをどう思うか問うてみたかったのです。これまで日本語版ウィキペディア建築分野の活動をよく知らないままなので、本文の是ではなく、基本的な考え方の確認なのです。 -- これの発議者 2005年5月12日 (木) 12:55 (手入力日本時間)
「予断がバロックに対する正当な評価の邪魔をしている」というのは多分そうでしょう。別の例ですが、桂離宮が本来の日本の美で、日光東照宮が悪趣味だ、といった予断なども、おそらく両者の正当な評価を妨げていることでしょうね。 --忠太 2005年5月14日 (土) 04:03 (UTC)
議論の論点が整理されていないと思いますので、ここで整理してみたいと思いますが、ようするに以下の点が焦点なのかなと思います。
(1) 建築史が様式論に終止してよいのか
(2) それはおいといてバロック建築の定義がこれでいいのかどうか
まず(2)からですが、何かの体制によって「採用された」というのは、たしかに当時は様式の概念が(少なくとも建築については)なかったわけですから、表現としては疑問かもしれません。むしろ「によって形成された」とするのが妥当ではないでしょうか。絶対王制がバロック建築に影響を与えたのは、パトロンの問題からも表象的な論点からも明らかになっています。これを否定する人はまずいないのではないでしょうか(対抗改革との関連については議論がありますが)。そもそも建築物は絵画や彫刻とはちがって、コストと時間が莫大にかかるものなので、社会構造にいやがうえでも影響されます。それはルネサンスも新古典主義も同じです。
で、(1)ですが、建築史では様式論が大きなウエイトをしめているのは事実ですが、そればっかりということではありません。ただ、17世紀から18世紀までのアカデミーの論文を見れば一目瞭然ですが、基本的にはどのような建築が理想的なのかという様式論(今でいう様式論ですが)が多く、「定型がない」などとは言えません。実際できる建築というのは、設計する建築家自身のこれが理想だと思っているものができるのでバラバラな訳ですが、とはいえ、土俵は同じ。それこそ土俵もバラバラでいいじゃないか、という話になるのは19世紀からで、じゃあそれぞれの土俵はなんなのかということで建築様式が定義されるわけです。
もちろん、いろいろなものをまとめる際には、ある種の偏見や断定、少数切り捨ての割り切り、みたいなものがつきまとうわけですが、じゃあ、個別の事象について歴史を記述する方法がいいのかどうか、というと、これはとりとめのないものになるのではないでしょうか。もちろん、記述のありかたとしては様式と個別事象を並列記述するのが理想的だと思いますが、後者は労力の割にはほとんどが「で、なに?」という事象だと思います。Hiro-o 2005年5月22日 (日) 04:42 (UTC)
対抗改革との関連ですが、バロックは元々一部の下品な教会建築を馬鹿にして呼んでいたのでは?宮殿などをバロックに含めるのはかなり後(最近の話)だと思いますが。当時、色々な建築を建てられるだけの財力を持っていたのが絶対君主とカトリック教会だった、ということでしょうか?プロテスタントは教会にお金をかけないはずですし(話が逆だったかもしれません) --忠太 2005年5月23日 (月) 16:00 (UTC)
「採用」という言葉が評判が悪いようなので、手直ししてみました。バロック時代の建築家はルネサンスとの違いは意識していなかったんでしょうね(多分)。 --忠太 2005年5月26日 (木) 15:05 (UTC)

バロック時代の建築家がルネサンスの建築との違いを意識していなかったことはないと思います。この当時にも「手法(マニエラ)」とか、「性格」とか、建築にある明確なトーンがあることは認識されていました。「ミケランジェロのマニエラ」とか。ただ、今日、我々が考えているような「様式の選択」という概念は、当時なかったということです。そもそも、各時代にそれぞれ様式があるという概念そのものが18世紀から19世紀に生まれたもので、「〜様式を選択した」とすると、あたかも我々が使っているような様式の概念がすでにこの当時存在しており、その時代の流行で何かの様式が採用されたようなイメージを抱いてしまうことになります(まさにこの状況が19世紀におきたことですが)。それはまずいのではないかというのが、最初の指摘の要点ではなかったかと思います。

対抗改革とバロックの関係ですが、その前に断っておかなければならないことがあります。「バロック」という言葉が蔑称であったとしても、それと様式としてのバロックとはつながらないということです。誤解を承知であえて言ってしまえば、17世紀に使われていた「バロック」という言葉と、現在我々が使っている「バロック様式」の「バロック」とは、意味のうえでは何のかかわりもありません。で、対抗改革との関連性ですが、対抗改革の時代は、一般的に1520年(よりも、もっと前だといわれますが)から1620年までの間を指しています。少なくとも、この時代がもっとも活発な時代でした。明らかにこれはマニエリスムに符合する時代区分であって、バロック様式の時代は、最初のほんの一部の時代(しかも終息にむかっている時)です。美学的な見地からも、ペヴスナー以降、対抗改革との関連はマニエリスムにおいてなされるのが主流だと思います。

前の発言において、”これの発議者”氏の提言にうまいこと応えられていないような気がしました。今ひとつ発言の内容の要点がわからないので(すみません、アタマわるくて)、要点を教えていただきたいのですが。Hiro-o 2005年5月29日 (日) 05:00 (UTC)

17世紀のバロック(?)と現在のバロックでは意味がずれてきているのは確かです。対抗改革はトリエント公会議の後の方だと思いますが、元々バロックはイエズス会様式とも言われていた程で、カトリック教会と切り離しては論じられないのでは? マニエリスムの絵画はトスカナ大公国からフランスの宮廷に影響を及ぼしていると思いますが、建築では余り明確でないように思います。 --忠太 2005年5月30日 (月) 16:04 (UTC)
カトリックとバロックは確かに切り離せないですが、そういうことではなくて、カトリックが行った対抗改革という運動にバロック(建築)が何らかの影響をうけたか(全くうけなかったなどというつもりはないですが)という点が疑問ではないかということです。直接的な影響はやはりマニエリスムのほうではないでしょうか?率直な感想としても、ベルニーニやボッロミーニ、グァリーニの作品が、はたして対抗改革の渦中で生まれるなどということがあっただろうか、と思います。Hiro-o 2005年6月5日 (日) 09:54 (UTC)
政治・思想の動きが建築に反映するには時間差があると思います。対抗改革運動自体がバロックを生んだというよりは、対抗改革後のカトリック教会がバロックを好んだ、といった方がよいかもしれませんが。マニエリスムはローマ略奪とかネオプラトニズムの影響の方が多いのでは? --忠太 2005年6月5日 (日) 13:02 (UTC)
ローマ略奪なども、もちろん影響は大きいとは思いますが…。しかし、なんにせよ本文が構成されていないので、まずそちらをどうにかしなければいけないかも。 Hiro-o 2005年6月13日 (月) 14:16 (UTC)

「幾何学的秩序と音楽的調和に基づいたルネサンス建築の絶対的宇宙観に対し、バロック建築は多様な位相ごとに個別の秩序体を形成する多元的な世界観を基調とする。 」というのは一つの解釈(誰の?)だと思いますが、冒頭の定義部分に書くのはいかがなものでしょうか。 --忠太 2006年12月3日 (日) 13:34 (UTC)

確かに。という訳で、訂正しました。ちなみに、前述については、参考文献に示したクリスチャン・ノルベルグ・ジュルツ氏によるものをかなり短くまとめてしまったものです。Hiro-o 2006年12月17日 (日) 04:47 (UTC)