ノート:ドーリットル空襲

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帝都空襲はすでにスタブでありましたが、こちらに統合しましょうか。0null0 13:11 2004年3月21日 (UTC)

東京だけを空襲したわけではないので、記事名は「ドーリットル空襲」の方がよくないですか?。Lzz 2005年4月24日 (日) 02:50 (UTC)[返信]

おおむね賛成します。問題は「ドーリットル」の読みですね。--Los688 2005年4月24日 (日) 03:09 (UTC)[返信]
ジミー・ドーリットルと表記を合わせるために、ドゥリットル空襲ではなく、ドーリットル空襲がいいと思います。Lzz 2005年4月25日 (月) 13:49 (UTC)[返信]
反対意見がないようであれば明日には移動させようと思います。Lzz 2005年5月3日 (火) 08:06 (UTC)[返信]

ここに、こんなこと書いていいでしょうか?  朝から「警戒警報」は出てました。土曜日で都立大学駅近くにあった高校が半ドンで、渋谷で山手線を待つときに「空襲警報」に変わりました。大崎の家で昼飯をすませ、物干し台に上がりました。暫く待ったら、航空雑誌で見覚えあるB-25が低空を飛び、すぐ爆弾の音がしました。大井町の鉄道工場に落ち、怪我人が出たと聞きました。2分もして九七式戦闘機が現れ、「あれじゃ追いつかないな」と、思いました。それだけでしたが、夕刊はあわてていて、翌朝刊がやっと、B-25だったと決めました。割とのんびりした空襲だったことは、永井荷風の日記を見ても分かります。Hinonbey 2006年9月9日 (土) 10:04 (UTC)[返信]

「さらに当時アメリカ海軍は、航空機を搭載した大型潜水艦を所有していなかった。」とありますが「大型航空母艦」の間違いではありませんか?単純に気になったので。--Encoded 9 2011年5月13日 (金) 01:31 (UTC)[返信]

爆撃後のB-25[編集]

「爆撃機隊は日本列島を横断し、中華民国東部にて乗員はパラシュート脱出した。この結果、15機のB-25が全損となった。」とありますが、池上彰氏の番組で、16機中1機はウラジオストクに不時着し、15機については中国の空港に着陸したような内容がありました。はたして中国へ向かった15機は放棄され全損となったのか、着陸ができたのか、ソースがありましたら、出典付加お願いします。飛行場破壊作戦は、「1942年5月中旬から6月にかけて実施され」とあるように、最初の作戦のあとと思われます。-218.221.138.171 2011年12月14日 (水) 20:28 (UTC)[返信]