ノート:ディートリヒ・ブクステフーデ

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2006年11月21日付編集について[編集]

2006年11月21日付編集における主な修正点とその理由は次のとおりです。

  • ブクステフーデの父親の名を「ハンス・イェンセン」から「ヨハネス」に修正しました。ブクステフーデは、1674年1月29日の亡き父の葬儀のために作曲した「悲歌(Klagelied)」BuxWV 76-2のタイトルページに、父の名を「Johannes Buxtehude」と記しています。一方、デンマークの資料に残る「Hans Jensen Buxtehude」と「Johannes Buxtehude」の関係については諸説があり、確定していないのが現状であると思います。
  • リューベックの聖マリア教会における役職を「音楽監督兼オルガニスト」から「オルガニスト兼ヴェルクマイスター」に修正しました。ブクステフーデは、実際に音楽監督と呼ばれるに相応しい活躍をしましたが、正式に音楽監督という役職に就任したことはなく、今日台本が残されているアーベントムジーク(BuxWV 128, 134, 135)でも、オルガニストと記されているからです。
  • BuxWV 1-114として分類される作品群を対する呼称を「教会カンタータ」から「宗教声楽曲」に修正しました。バッハにおける現代の用例にしたがって、「教会カンタータ」を独立した複数の楽章からなる宗教曲と定義したとして、このような定義に当てはまる楽曲(BuxWV 4, 19, 24, 29, 30, 33, 34, 35, 39, 46, 47, 48, 50, 51, 54, 55, 75, 77, 86, 112, 122)は数少ないからです。

--Gombert 2006年11月21日 (火) 14:31 (UTC)[返信]

2007年11月19日付コメント(ブクステフーデの肖像について)[編集]

フォールハウトの『家庭音楽のひとこま』のなかに描かれたブクステフーデの肖像について、近時、ラインケンとチェンバロをはさんで中央に位置する耳に手をあてた男性ではなく、ラインケンの左側にいるヴィオラ・ダ・ガンバ奏者をブクステフーデとする説が有力になりつつあります。

従来の説は、ラインケンが1623年生まれであることを前提に、ラインケンより若い画中の主要人物として、耳に手をあてた男性をブクステフーデとしていましたが、ラインケンの生年が1643年とされるようになったことに伴い、図像学的に見てラインケンと対をなすヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のほうがブクステフーデに相応しいと考えられるようになってきています(Kerala Johnson Snyder, Dieterich Buxtehude: Organist in Lübeck, 2nd Revised Edition, New York: University of Rochester Press, 2007: pp.109-111, Heinrich Schwab, "Johannes Voorhouts Gemälde 'Häusliche Musikszene'(1674): Zum Problem der Identifikation Dietrich Buxtehudes", Festskrift til Niels Krabbe, Copenhagen: Museum Tusculanums Forlag, 2006: pp.55-74)。

Wikipediaの他言語版では、ドイツ語版が両論を併記していますが、その他の版は概ね従来の説を踏襲しているようです。いずれにせよ、ブクステフーデの肖像は他に残されていないため、確証を得ることはできないのですが、修正を検討すべき項目であり、修正する場合は外見上大きな変化を伴うため、あらかじめコメントしておきます。--Gombert 2007年11月19日 (月) 21:09 (UTC) 一部誤字を修正--Gombert 2007年11月19日 (月) 21:51 (UTC)[返信]