ノート:スターリン批判

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「スターリン批判」と「非スターリン化」の書き分け提案[編集]

「スターリン批判」が1956年のフルシチョフの党大会演説によって本格化したのは間違いないところですが、他方、スターリンの政策への軌道修正―西側との平和共存ユーゴスラビアも含む東欧関係の見直し、重工業偏重政策の見直し、等―はそれ以前から着手され、また多くは本格化しなかったもののベリヤマレンコフも含めた、フルシチョフ以外の指導者によっても構想され試みられています。ただこの項目にそれらを加筆すると内容が散漫になりがちなので、この項目では、1956年の第20回党大会、1961年の第22回党大会(いわゆる「第2次スターリン批判」)を軸にフルシチョフの政策を中心に書き、より幅広い動向については「非スターリン化」で詳述する、というやり方はどうでしょうか。ご意見お待ちしています。--Bearbook 2007年7月16日 (月) 05:28 (UTC)[返信]