ノート:ジャパニーズ・ウイスキー

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歴史について[編集]

日本における本格的なウイスキー製造の歴史は壽屋が山崎蒸溜所を開いてからという事になるのでしょうが、それ以前から模造ウイスキーを製造する業者は多数あり(壽屋もその一つ)、壽屋が本格的なウイスキーの製造を始めてからもそれは続いていました。また、国税当局も長らくそれを追認し(税金が取れさえすればよいという姿勢)、原酒が一滴も入っていないものや、全く熟成させていないものもウイスキーとして認めていたという事実もあります。そのために日本のウイスキーは、長い歴史がありながらなかなか世界に認められませんでした。ウィキペディアの公平性、客観性重視という姿勢を鑑みれば、この負の面もきちんと記述する必要があると考えますが如何でしょうか?--120.137.191.128 2010年10月2日 (土) 00:02 (UTC)[返信]

ご自身で調べて記述して頂いても一向に構わないと思われますが、約5年間放置されていることと最新版のジャパニーズ・ウイスキー#ウイスキーの到来にて、ある程度前史も記述されておりますので一旦解決済みとさせて頂きます。--LINKMAN会話2015年7月22日 (水) 22:57 (UTC)[返信]

日本初の国産ウイスキー[編集]

流行りのドラマで興味を持って記事を読んでいたのですが、記載内容に大きな疑問が一点ありました。本頁からもリンクしている江井ヶ嶋酒造では、1919年にウイスキー製造免許をとり蒸留工場を作ったとあります。同社のウイスキー事業は続いているようで、同社サイト[1]にもそのような記述があります。上の壽屋のような例もあります。山崎蒸留所が最初の国産ウイスキーと断定した内容になっていますが、どう解釈すればいいのでしょうか?--背番号9会話2015年2月20日 (金) 07:33 (UTC)[返信]

相当なwikipediaベテランとお見受けしますので、ご自身で調べて記述して頂いても一向に構わないと思われますが、同社のホームページ及び権威ある専門誌のインタビューを総合しますと江井ヶ嶋酒造は
① 1919年にウイスキー製造免許を取得している。[1][2][3]
② 1919年に蒸留工場を竣工し、白玉焼酎、白玉みりん、ホワイトオークウイスキー、シャルマンブランデーを発売している。[4]
③ ただし1919年の時点でウイスキー用の蒸留器ポットスチルは所有していなかった。[2][3](焼酎用の蒸留器で代用?)
④ その後ポットスチルを導入(時期は不明)。[3]
⑤ 1984年にスコットランド地方の様式を取り入れた新ウイスキー蒸留所が竣工。[1][2]
⑥ 同社社長自身「うちが売っていたのは、いわゆる『イミテーションウイスキー』だったと思います」と話している。[2]
以上の理由から1923年にスコットランド様式の製造法を導入したサントリー社が1929年の発売時に「断じて舶来を要せず」[5]1933年に「本邦唯一 ポットスチルに拠る 純正 國産スコッチウヰスキー」[6]1936年に至っても「日本唯一の本格ウヰスキー」[7]などと宣伝したことを覆すだけの理由はないと思われます。敢えて記述するとしたら模造ウイスキー製造から本格ウイスキー製造に移行して生き残った数少ないメーカーのひとつであることでしょうか。--LINKMAN会話2015年7月22日 (水) 22:57 (UTC)[返信]
遅くなりましたが、ご回答ありがとうございます。気になっていたことが、一つ解消しました。--背番号9会話2015年10月30日 (金) 12:24 (UTC)[返信]
どういたしまして。それでは解決済みとさせていただきます。--LINKMAN会話2015年10月31日 (土) 06:25 (UTC)[返信]

蒸溜所節の削減提案[編集]

ジャパニーズ・ウイスキー#蒸溜所節の蒸留所個別の解説は文章量が多く、ウイスキー蒸留所が激増している昨今において何をもって「主なもの」とするか基準を策定するのは困難だと考えます。つきましては蒸留所個別の解説を一律で除去し、出典付きの記述をジャパニーズ・ウイスキーの蒸留所一覧へ転記することを提案します。--Keeezawa会話2024年4月22日 (月) 02:23 (UTC)[返信]