ノート:サラエボ事件

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ページ肥大化につき、/サラエヴォ事件への改名提案をサブページ化しました。議論参加者の方はお手数ですがウォッチリストへの追加をお願いいたします。

最後通牒の内容[編集]

オーストリアがセルビアに対して突き付けた最後通牒の内容は、

  1. セルビアにおけ る反オーストリア宣伝の禁止
  2. セルビア民族主義の結社「ナロードナ・オドブラナ(ブラック・ハンドの上位 組織)」の解散
  3. 反オーストリア宣伝に責任のある将校と官僚の公職追放、大公夫妻暗殺の幇助者ないしそれ を支持した特定将校の逮捕、国境付近の監視の強化
  4. 暗殺事件の原因究明のためのセルビア側の調査と反オーストリア的な破壊活動の鎮圧にオーストリアの代表者が参加すること

と承知していますが。この要求のほとんどをセルビア政府は受け入れたが、大公暗殺の調査にオーストリア官憲の参加 は拒否すると回答したと聞いています。 「セルビア政府は唯二点を除いてこの要求を受諾した」と記事にある2点とは、何と何でしょうか? Shinobar 2006年6月11日 (日) 13:29 (UTC)[返信]

暗殺 について[編集]

川から引きずり出されたのは、1人目の犯人メフメトバシッチなのでしょうか? 文意的に2人目の犯人チャブリノビッチのような気がしますが。 やや文章が繋がらなくなるので不思議なのですが、確証が持てないので編集はせずに置いておきます。あんも騎士 2007年6月28日 (木) 03:51 (UTC)[返信]


改名提案[編集]

都市名の記事がサラエヴォに改名されたので、この記事もそれにあわせて「サラエヴォ事件」とすることを提案いたします。--Peccafly 2008年10月16日 (木) 07:16 (UTC)[返信]

(反対)記事名の大原則である「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」の要件を全く満たしていません。またサラエボへの再改名が提案されているなかでの変更はさらなる混乱を招きます。サラエボ冬季オリンピック・サラエボ事件等の呼称で長年に渡り社会に浸透して定着している慣習を無視するのはいかがなものでしょうか。「慣例なども考慮し、最終的には日本語圏においてその表記が一般的であるかを重視して記事名を決めます。なお、採用しなかった表記からは、必要に応じてリダイレクトを張りましょう。」では不十分ですか?--Higenon 2008年10月21日 (火) 03:00 (UTC)[返信]
サラエヴォの改名提案が一定の結果を得るまで改名を待つことはやぶさかではありませんが、この改名提案そのものはサラエヴォの再改名提案よりも前に出されたものであるので、「またサラエボへの再改名が提案されているなかでの変更はさらなる混乱を招きます。」というのはいささかミスリードのきらいがあるように思います。「一般的な表記」について言及されましたが、昨今の高等学校の教科書等では「サライェヴォ事件」と書いてあるようですね。この事件は歴史に関する用語ですので、いっそのことサライェヴォ事件に改名いたしましょうか。かつてのイラクの大統領を「フセイン大統領」と呼び続けたように、マスコミは自分たちの決めた表記を変えることには保守的ですが、彼らの呼称のみが「一般的」なわけではありません。--Peccafly 2008年10月21日 (火) 05:39 (UTC)[返信]
昨今の高校の教科書に記されていることがどのような意味を成すのでしょうか。91年の外来語の表記告示に対応した教科書で学んだ比較的低い年齢層には馴染みある表現かもしれませんが、それ以前に学んだ多勢の人々には「サラエヴォ事件」の文字列に違和感を持つことでしょう。加えて留意事項その1(原則的な事項)において「語形やその書き表し方については,慣用が定まっているものはそれによる。分野によって異なる慣用が定まっている場合には,それぞれの慣用によって差し支えない。」とある通り、最近の教科書の発行の遥か以前より「サラエボ事件」として認識されている言葉は、十分に「慣用が定まっている」と言えます。学術系にこだわりたいのであれば、学術コンテンツ・ポータルなどでどちらが多く利用されているのかを確認されるといいでしょう。より一般性を持たせるのであれば、観光ガイドブック等に掲載されているサラエボ事件の表記も確認してください。いずれにせよ、「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」「日本語圏においてその表記が一般的であるか」「歴史的事件 出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」といった記事名の付け方に定められているガイドラインを今一度確認してください。--Higenon 2008年10月21日 (火) 13:37 (UTC)[返信]

(反対)教科書の表記に無理に合わせる必要なし。--uaa 2008年10月21日 (火) 21:06 (UTC)[返信]

(コメント追加)Peccaflyさんもサラエヴォ改名の議論で「固有名詞はともかく」仰っています。「サラエボ事件」も固有名詞化しているので、サラエヴォの再改名議論とは関係なく、「サラエボ事件」のままにするべきと考えます。--uaa 2008年10月22日 (水) 08:27 (UTC)[返信]

(反対)Wikipedia:記事名の付け方Wikipedia:ページの改名に照らし合わせても、改名の必要性は全く感じられません。「サラエヴォ事件」とするべきだという出典もしくは根拠を出してください。また、「サラエボ」が「サラエヴォ」になったためという理由は改名提案の理由としては不適切ではないかと思います。--かげろん 2008年10月22日 (水) 12:37 (UTC)[返信]

私のコメントについてはスルーされたようですが、最初のサラエヴォ改名提案に於ては、固有名詞化したものまでは改名しない旨の発言をされていましたが、一旦改名を強行した後はなし崩し的に固有名詞まで改名しようというのですか?「反対理由の明確でないものは無視します。」などと言って強引に議論を進め、改名を強行しようとするのか理解できませんね。サラエヴォ改名の議論でも強引な印象を受けます。--uaa 2008年10月23日 (木) 11:42 (UTC)[返信]
  • (コメント)
    • uaaさん: 歴史教科書で「サライェヴォ事件」と書かれているという事実は、この事件が「サラエボ事件」という名前で固有名詞化しているとはいえないことを示す証拠としては十分でしょう。固有名詞とは「サラエボの花」のようなものを想定しています。
    • ケンタウルスさん: どこで一般的なのか、何をもって一般的とするのか、その根拠が必要です。--Peccafly 2008年10月23日 (木) 12:43 (UTC)[返信]
  • (コメント)色々なサイトを見て回っておりますが、「サラエボ」の方が圧倒的に使われ、認知されています。ニュースや新聞などマスコミ等でも殆ど「サラエボ」と表記されており、書物などでも「サラエボ」の方の表記がよく使われています。ネット上の検索エンジンでもyahooでは圧倒的に「サラエボ」の方が多く、google検索でも「サラエヴォ」の検索数の殆どは「サラエボ」にあてられています。そしてPeccaflyさん自身がノート:サラエヴォの冒頭で

>サラエボオリンピック等の固有名詞はともかく

とおっしゃっているように固有名詞までわざわざ変えるのはどうかなと思います。この事件やサラエボオリンピックなどがあって、「サラエボ」の方が一般的で認知度が高いと思います。なので私は反対票を投じさせていただきました。--ケンタウルス 2008年10月23日 (木) 13:15 (UTC)--すいません、上の発言で固有名詞でない事を主張してましたね。重複、すいませんでした。--ケンタウルス 2008年10月23日 (木) 13:21 (UTC)[返信]

(改めてコメント)これまでの議論を見ていなくて、すいませんでした。しかし、「サラエボ事件」と「サラエヴォ事件」では圧倒的に前者の方が使われていますし、「サラエボの花」を例にとっても「サラエヴォの花」と表記している事もありますが、やはり極稀です。Higenonさんのおっしゃっている「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」という大前提に反していると思ったからです。--ケンタウルス 2008年10月23日 (木) 13:30 (UTC)[返信]
誤解させてしまったのならば申しわけありませんが、固有名詞なので「サラエボの花」を改名提案する意思はない、という趣旨で発言いたしました。「サラエボの花」と「サラエボ事件」は、固有名詞であるか否かの違いがあるということです。そして、「「サラエボ事件」と「サラエヴォ事件」では圧倒的に前者の方が使われていますし」に関しては、ノート:サラエヴォを見ていただければ必ずしもそうではないといえるでしょう。また、google等の検索結果において「サラエボ事件」が優勢であった場合でも改名できる理由についても、そちらのノートを参照いただければと思います。--Peccafly 2008年10月23日 (木) 15:27 (UTC)[返信]

(コメント)参考情報としてCiNiiとGoogleScholar検索の結果を以下に示しておきます。

    • CiNii簡易検索(条件は「全件」)
    1. サラエボ事件………2件
    2. サラエヴォ事件……0件
    3. サライェヴォ事件…1件
    • GoogleScholar簡易検索
    1. サラエボ事件………7件
    2. サラエヴォ事件……3件
    3. サライェヴォ事件…0件
という結果でした。件数が少ないので、あまりあてにならない気もしますが、一応ご参考までに。--かげろん 2008年10月23日 (木) 13:37 (UTC)余分な語句の取り忘れを修正。--かげろん 2008年10月24日 (金) 11:02 (UTC)[返信]

コメント 議論の流れを読んだ感じでは、過去の慣用は「サラエボ」だったが、今は「サラエヴォ」に変えられつつある、しかしそれは慣用としては定着には至っていない、という状況下でどちらを採用するか、という議論に思えました。私の意見としては、将来的には後者が定着しそうなので後者かなという意見ですが、現状では両者に優劣はあまりありそうにもないですし、論点はおおよそ出揃ったようにも思えますので、議論参加者の皆さんによる投票で決めてはどうかと思いました。Kurz 2008年11月17日 (月) 05:50 (UTC)[返信]

改名提案(仕切りなおし)[編集]

まず、ご意見に際しては以下の点を念頭にお願いいたします。

  1. いかなる場合においても、個人攻撃は有害無益であることを認識する。
  2. この改名提案は、「原音主義」とは関係がない。
  3. 「サラエボ事件」「サラエヴォ事件」「サライェヴォ事件」の表記は、いずれも正しい。

「サラエボ事件」という呼称が十分に定着したものである一方、高等学校の歴史教科書では「サライェヴォ事件」あるいは「サラエヴォ事件」と表記され、また広辞苑による表記も「サラエヴォ事件」となっています。こうした事情から、「サラエボ」の表記のみが唯一定着したものであるということはなく、「サラエヴォ」や「サライェヴォ」も一般に定着した表現の一つであると考えます。

また、この事件に言及した書籍による表記では、以下のように表記されています。

サライェヴォ
  • ドイツ近現代史 / ディーター・ラフ (著)、松本 彰 芝野 由和 清水 正義 (訳)、シュプリンガー・フェアラーク東京 / 1990年
  • ドイツの歴史 (ケンブリッジ版世界各国史) / メアリー フルブロック (著)、 高田 有現 (翻訳), 高野 淳 (翻訳) / 2005年第一版
  • ハプスブルク家 / 下津 清太郎 (著) / 1984年 初版
  • ハプスブルク帝国 1809-1918 / A.J.P. テイラー (著), 倉田 稔 (翻訳) / 1987年初版第一刷
  • ドナウ・ヨーロッパ史 / 南塚 信吾 (編集) / 1999年第一版第一刷
  • ハプスブルク帝国史入門 / ハンス・コーン (著), 稲野 強、小沢弘明、柴宜弘、南塚信吾 (翻訳) / 1982年第一版第一刷 1983年第二刷
  • 近代ドイツ史 / ゴーロ・マン (著), 上原 和夫 (翻訳) / 1977年
  • ハプスブルク家 ― ヨ-ロッパの一王朝の歴史 / アダム・ヴァンドルツカ (著), 江村洋 / 1981年初版
  • ユーゴスラビア史 ケンブリッジ版 / スティーヴン・クリソルド 編、田中一生, 柴宣弘, 高田敏明 共訳 / 第1版第1刷
  • 東欧近代史 / R・オーキー (著), 越村勲, 田中一生, 南塚信吾 編訳 / 1987年 第1版第1刷
サラエヴォ
  • オーストリア=ハンガリーとバルカン戦争―第一次世界大戦への道 / 馬場 優 (著) / 2006年初版第一刷
  • 新版 概説ドイツ史―現代ドイツの歴史的理解 / 望田 幸男 (編集), 三宅 正樹 (編集) / 1982年初版第一刷 1992年新版第一刷 1996年新版第三刷
  • ハンガリー史 / パムレーニ エルヴィン (編集), 田代 文雄 (翻訳), 鹿島 正裕 (翻訳) / 1980年初版第一刷 / 1990年第二版第一刷
  • ボスニア・ヘルツェゴヴィナ史―多民族国家の試練 / ロバート・J. ドーニャ (著), ジョン・V.A. ファイン (著), 佐原 徹哉 (翻訳), 山崎 信一 (翻訳), 柳田 美映子 (翻訳) / 1995年第1版第1刷 1996年第1版第2刷
  • バルカン半島 / エドガー・ヘッシュ、佐久間穆 / 1995年
  • バルカン史 / C&B・ジェラヴィチ (著)、木戸繁, 野原美代子 (訳)
  • 東欧現代史 / 木戸繁, 伊東孝之 / 昭和62年初版第1刷
  • バルカン史 / 柴 宜弘 / 1998年
サライエヴォ
  • オーストリア史 / エーリヒ ツェルナー (著), リンツビヒラ 裕美 (翻訳) / 2000年

以上より、都市名記事サラエヴォとあえて異なる表記を使わなければならない理由はなく、「サラエヴォ事件」への改名が妥当と考えます。--以上の署名の無いコメントは、Peccafly会話投稿記録)さんによるものです。2008年11月7日 (金) 05:20

改名を実施いたしました。ご意見をお寄せいただいた皆様に感謝申し上げます。--Peccafly 2008年11月16日 (日) 13:13 (UTC)[返信]

終了提案[編集]

「サラエボ事件」も間違いではなく、定着しているのでそのままでもいいでしょう。提案者以外に賛成意見が無いまま他の意見もないようなので、「改名せず」ということで議論の終了を提案します。--uaa 2008年11月7日 (金) 07:05 (UTC)[返信]

(反対)議論は尽くされたとはいえないと思います。--Peccafly 2008年11月7日 (金) 07:16 (UTC)[返信]
(コメント)ノート:サラエヴォの議論も見て思いましたが、コメント依頼を活用して外部からの議論参加を呼びかけてはいかがでしょうか?(来るかどうかは分かりませんが) なお、サラエヴォへの改名については私は妥当に思えますので、本記事も呼称を統一する方がいいように思えますが、何せキャリアが浅い参加者なので、賛否ではなくコメントに留めておきます。--AKATSUKI6ROW 2008年11月7日 (金) 07:59 (UTC)[返信]
(反対)この件は気になってはいたのですがコメントしそびれていて申し訳ありませんでした。都市についての項目と表記が統一されているのが望ましいので「サラエヴォ事件」でもいいと思いますが、世界史上の出来事なので世界史研究の場で「サライェヴォ事件」の表記が一般的ならそちらの方がいいかも知れません。いずれにしても議論が尽くされたとは言い難い状況なので終了には明確に反対させていただきます。--sergei 2008年11月7日 (金) 09:22 (UTC)[返信]

終了提案[編集]

前回の仕切りなおしの改名提案から9日間が経過し、事実上同意する意見がいただけた一方、反対意見がなかったので改名を行いましたが、uaaさんは改名を差し戻されました。改めて改名の終了を提案いたします。--Peccafly 2008年11月16日 (日) 15:14 (UTC)[返信]

(改名に反対)私は「仕切りなおしの改名提案」後、「改名せずで」終了提案を出したのに、「反対意見がなかったので」は無いでしょう。それに、どなたが賛成したのですか?AKATSUKI6ROWさんは「賛否表明せず」であり、sergei さんは「議論終了反対」です。念のため、改めて改名に反対する意思を表明します。--uaa 2008年11月16日 (日) 15:34 (UTC)[返信]

コメント 十分な使用例があるので、改名に差し支えないのではないかと思います。--Peccafly 2008年11月17日 (月) 08:02 (UTC)[返信]
コメント教科書などでの地名表記のガイドラインとされる『新地名表記の手引』(教科書研究センター編著、1994年4月ぎょうせい発行、ISBN 4-324-04058-3)では「サラエボ」は現地発音と著しく異なる慣用による例外(25ページの○印の説明による)とされている一方で「サラエヴォ」や「サライェヴォ」などほかの表記はありません(44ページ)。ただし、同書では原音に近く書き表す場合には「ヴォ」などと「書くことができる」とされています(6ページ)ので、Sarajevoの日本語での正しい表記は「サラエボ」であり、原音を重視する場合には「ヴォ」表記が許容されるということになります。「ヴォ」表記の書籍がそれなりにあるというのは事実ですが、それは原音を重視した著者が担当した書籍が発行されているという事実にすぎませんので、慣用があるとするのは事実のすり替えになってしまいますよね。
国連の日本語サイト("サラエボ"の検索結果21件"サラエヴォ"の検索結果0件)や航空会社各社のサイトでは「サラエボ」のみが用いられています(全日空日航ユナイテッド航空のサイト内では「サラエヴォ」は用いられていません)。ボスニア・ヘルツェゴビナの政府はウェブでは日本語での表記はしていないようなので『グローバルフェスタJAPAN2008』の駐日ボスニア・ヘルツェゴビナ大使館の部分(B-47)で紹介されている『イピル・イピルの会』で使用されている表記を検索してみても、"サラエボ"は16件ありますが、"サラエヴォ""サライェヴォ"も使われておりません。ボスニアヘルツェゴビナとそれなりの関わりがあるはずのこれらの企業・団体が一方的に「サラエボ」表記を採用しているのですから、これだけでもサラエヴォの現在の表記として「サラエボ」を優先すべきだと私は判断します(「サラエボ」であれば『新地名表記の手引』に単純に従うことになるので他の根拠は必要ないのですが)。--N yotarou 2008年11月17日 (月) 10:21 (UTC)[返信]
(コメント)コメント依頼を拝見し、やってまいりましたM.Mと申します。さて、上記のPeccaflyさんと改名反対派の皆さんのやり取りを拝見した印象を申しますと、どちらも強引に主張を押し通そうとしていて、議論により合意を目指すという本来の趣旨から外れていると思います。Peccaflyさんの場合、手続き上、合意に至っているとはいえない状況で改名を強行してしまったのは、正直言ってよろしくありません。改名反対派の方々の反感をあおることとなり、結局は合意から程遠い結果がもたらされることになってしまいます。一方で反対派の方々の場合、「サラエボ」のほうが一般的に認識されている呼称であるから改名に反対という主張が多いようですが、それは反対する理由としては根拠が薄弱です。ウェブ上の検索結果はあくまでウェブで情報を公開している方の認識であって、日本人一般の認識ではありません。つまり、反対派の方々の多くは「サラエボ」という表記が過去に多く見られたので、日本人一般の認識として「サラエボ」という表記が一般化しているという「印象」を述べているに過ぎません(ちなみに、外国の地名に関してはN yotarouさんがおっしゃる「日本語での正しい表記」というものは存在しません)。
ここでの議論に必要なのは、何を基準として表記するかを考えることです。「Sarajevo」をカタカナで表記する場合、地名なのだから外国地名事典の表記を基準にするとか、歴史的事件なのだから歴史事典の表記を基準にするとか、そのようなことを話し合って決めた方が、こういう場合は良いのではないでしょうか?(もちろん、整合性という観点からPeccaflyさんが主張するように、Wikipedia内の地名表記にあわせるというのもひとつの選択肢です) まずは合意を目指すための方法を考えていただいた方がよろしいと思います。--M.M 2008年11月17日 (月) 17:42 (UTC)[返信]

(インテンド戻し)Wikipedia内の他の表記に合わせるのなら、サラエヴォを再改名するのも一つの選択肢だと思います。外部の評判も悪いようですし。Wikipediaが記事名としてどの言葉を採用しているかについては社会的な影響も少なくないので、性急な改名は想像以上の混乱を招きます。--uaa 2008年11月17日 (月) 20:04 (UTC)[返信]

(追加コメント)外部の評判とおっしゃりますが、教えてgooなんて所詮掲示板の一種ですから、Wikipediaで参考にすべき要素なんてまったくないと思うのですが。そもそもWikipediaの表現がおかしいなんて外部で意見するくらいなら、方針に従った上でここでの議論に参加すればいいだけです。--AKATSUKI6ROW 2008年11月18日 (火) 04:27 (UTC)誤字修正--AKATSUKI6ROW 2008年11月18日 (火) 04:35 (UTC)[返信]
uaaさんご指摘の外部の評判は、はっきり言って参考になりません。なぜなら、これは単なる個人の見解として「サラエヴォ」よりも「サラエボ」の方がよいと主張しているだけであって、これだけを根拠にして反対するというのは、いかがなものかと思いますが・・・(しかも、この質問者は「サラエヴォに改名」とか、「原音主義(カタカナで無理矢理外国語を表現しようと無駄な努力を重ねること)の弊害」とか、妙な思い込みで発言をしているところが見受けられます)。
逆に「サラエボ」よりも「サラエヴォ」の方が良いと思っている人もいるわけです(先にPeccaflyさんが示している歴史書の筆者は、少なくとも文中で「サラエヴォ」と表記しているということは、そのほうが良いと思っているということになりますよね)。そのような自分とは逆の立場の人たちの認識を置いといて、ご自分の見解を通すための「根拠?」だけを示して反対しても、今までと同じく進展しないまま議論は膠着状態となってしまいます。
先に申し上げたとおり、まずは何を基準にして記事名を決めるかを考えるべきです。客観的な基準に従って記事名を審議すれば、おのずと妥当な表現に落ち着くものと思いますが。--M.M 2008年11月18日 (火) 11:56 (UTC)[返信]
大変申し上げにくいのですが、一度図書館で前出『新地名表記の手引』(教科書研究センター編著、1994年4月ぎょうせい発行、ISBN 4-324-04058-3)の内容をご確認頂いた上で百科事典での「サラエヴォ」の表記を探していただけませんか(私には百科事典でSarajevoに関する「ヴォ」表記は見つけられませんでしたし、地名辞典などの「ヴォ」表記の場合、原音主義の立場がとられているものしか見つけられませんでした)?Wikipediaは記事名の決定に関しても個人の主観(独自の研究含む)を極力排除し、中立的観点と検証可能性を満たすことが基本だと思うのですが、いかがですか。それと、ここで「サラエボが正しい表記だ」と強調(適切とか妥当とか悩んだ結果使った言葉ですが、「日本語の百科事典の慣習に従えば」と補足しておく方がよかったかも知れませんね)している私「N yotarou」の名前がノート:サラエヴォ/過去ログ1でどのようになっているのかもご確認いただきたくお願い申し上げます。--N yotarou 2008年11月18日 (火) 12:24 (UTC)[返信]

ここは「サラエボ事件」の改名を審議する場であって、サラエヴォの項目名について論じる場ではありません。サラエヴォの再改名は十分な期間をかけた審議の末に否決されました。これを今さらここで蒸し返そうとするのは極めて不誠実な態度と言わざるを得ません。この件はサラエヴォと表記を統一するためという理由で提案されています。ですから改名に反対するのであれば、都市についての項目と敢えて異なる表記を採用する根拠を示すべきです。--sergei 2008年11月18日 (火) 14:37 (UTC)[返信]

M.Mさん、仲裁ありがとうございます。私としては、歴史分野に属する用語であることを第一に考え、歴史分野での専門的慣用のある表現を採用すべきと存じます。歴史分野の専門書で多く使われているならば、それは慣用がある、ということにならないでしょうか。また、広辞苑での表記も「サラエヴォ事件」となっていること、都市名記事の記事名が「サラエヴォ」となっていることなども踏まえ、総合的に判断して改名できるものと考えています。外国語のかな転写に関して、どれかひとつのみが「正しい」ということは無いはずと存じます。--Peccafly 2008年11月18日 (火) 15:18 (UTC)[返信]

Peccaflyさんに質問します。
  1. 「サラエボ事件」と表記された書籍が多数あるのもご存知ですよね?私にはいくつもみつけられました。
  2. 日本語で販売されている百科事典の中でSarajevoが「ヴォ」表記のものがありましたら教えて下さい。私にはみつけられませんでした。
  3. 「ヴォ」表記を用いた書籍の地名表記の原則として「慣用に従った」とするものがありましたら教えて下さい。これも私にはみつけられませんでした。「v」音を「ヴ」と表記したもので原則がわかったものは、すべて現地の発音を重視する方針でした。
  4. サラエヴォ支持を表明したことのない私を「サラエヴォ」支持者に水増しした理由も教えて下さい。
--N yotarou 2008年11月18日 (火) 15:31 (UTC)[返信]
N yotarouさんへ)「私『N yotarou』の名前がノート:サラエヴォ/過去ログ1でどのようになっているのかもご確認いただきたく」とおっしゃっていますが、N yotarouさんの名前を確認することと、今回の改名提案とはどのような関連性があるのでしょうか? 発言の趣旨をご説明願えますか?--M.M 2008年11月18日 (火) 18:22 (UTC)[返信]
N yotarouさんのご質問に回答いたします。
  1. もちろん、存じております。(別の項で詳しく述べます)
  2. 百科事典は調べておりませんが、歴史辞典の類では多く見られました。(別の項で詳しく述べます)
  3. 地名表記の原則を掲げていない書籍のほうが多いのではないでしょうか。掲げているもののみを取り上げ、「慣用に従った」と書いていなければ慣用がない、ということにはならないと思います。
  4. そのようにご理解されたのであれば、私の配慮が足らなかったということでしょう。私の不徳のいたすところであり、謝罪申し上げます。しかしながら、当該ノートをごらん頂ければ分かるかと思いますが、私は「賛成派」「反対派」という分類はいたしておりません。ノート:コソボ地位問題でも述べましたが、さまざまな論点がある中で「賛成派」「反対派」という分類はあまりに単純化され、議論の本質を表すことができないと考えるからです。代わって、私はサラエヴォ改名議論においては、論点ごとの分類をいたしました。そして、その中にN yotarouさんのお名前は入れていないはずです。調査した方の名前をだしはしましたが、N yotarouさんがどのような論点にたっておられるか等には一切言及しておりません。そして、あの書き込みの時点において、N yotarouさんがどのような論点に立っておられるか、私には判断する材料もございませんでした。N yotarouさんの日記の書き込みを拝見したのはもっとずっと後になっての話であったはずです。そちらの日記にも、以前も、また今日も書かせていただきましたが、「水増し」などという語を使って、私の言動をいちいち悪意をもって解釈されるのは、無用な感情の高ぶりを招くのみであり、なんら建設的ではない、と私は思わざるを得ないのです。
以上、まずN yotarouさんのご質問に回答いたしました。--Peccafly 2008年11月19日 (水) 09:25 (UTC)[返信]

サラエボ・サラエヴォ表記に関する統合審議[編集]

私はサラエヴォの再改名審議は投稿ブロック者を出した挙げ句に強引に終了されたものと認識しております。また、その議論に於いても、「どちらも正しいがわざわざ改名する必要なし」という理由での賛成意見もかなり見られました。また、この場に於いても反対意見が多く見られます。にも関わらず、「サラエヴォの件は終わったんだからこっちもそれに合わせるか異なる表記でよしとする根拠を示せ」というsergeiさんの意見には同意しかねます。「都市名記事の記事名が”サラエヴォ”となっている」ことを大義名分とせずに、客観的な基準に従って記事名を審議し、妥当な表現を導き出すためにもサラエヴォの表記の妥当性も合わせて審議することを提案します。

選択肢としては以下のものが考えられます。

  1. 「サラエボ」・「サラエボ事件」というように”サラエボ”で統一。
  2. 「サラエヴォ」・「サラエヴォ事件」というように”サラエヴォ”で統一。
  3. 「サラエヴォ」・「サラエヴォサラエボ事件」のままにする。

--以上の署名の無いコメントは、Uaa会話投稿記録)さんによるものです。2008年11月19日 (水) 02:0317:03  時刻訂正--uaa 2008年11月18日 (火) 18:47 (UTC)[返信]

コメント 「サラエヴォ」表記については、上方に信頼できる情報源が多数挙げられていますので、妥当な表記なのでしょう。「サラエボ」表記についても、信頼できる情報源こそ挙げられていませんが、いくつか参考例が挙げられていますし、私の知る限りでは過去には(ひょっとすれば現在も)慣用として使用されていますので、妥当な表記かと思います(情報源が挙げられるに越したことはありませんが)。議論を読んだ限りではどちらの表記が優位というものでもなさそうですので、(1)優劣が決められないので単に現状維持とする (2)論点をまとめた上で投票にかけてどちらの記事名にするか決める、のどちらかを提案します。そして表記が決まれば、一方を表記ゆれのリダイレクトとし、表記ゆれについて記事本文で触れれば、実際上の問題はほとんどないでしょう。Kurz 2008年11月19日 (水) 00:50 (UTC)[返信]
◆まずそもそも都市についての項目の名称をそこで起きた一事件についての項目の改名に付随した形で議論するというのは全く筋が通らないことです。それにサラエヴォの再改名提案はみっちさんによる終了提案ののち有意な反対意見がなかったために終了となったもので、適正な手続きを経て決定したことです。投稿ブロック者が出たことは関係ありませんし、「強引に終了された」などというのは全く根拠のない言いがかりであり、議論参加者へのいわれなき中傷にほかなりません。それからまだ半月も経たず、新たな論点が生じているわけでもない現在の状況にあってみたび改名提案をするというのは過去の議論のためにコミュニティーが費した労力を無に帰そうとするもので、到底容認できるものではありません。最近参加したばかりの利用者が数年前に行われた議論の結果に不満を持つというのならともかく、サラエヴォの再改名の議論はuaaさんも参加した上で先月から今月にかけて行われたものではないですか。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないをよくお読み下さい(まだ草案段階の文書ですがすでに内容の大枠については合意が得られていてガイドライン化に向けた準備がなされているものです)。過去の提案では議論されていなかった新たな論点を直ちに提示するか(「教えてgoo」での評判など論点ではあり得ません)、それができないのならサラエヴォについての提案は撤回して下さい。--sergei 2008年11月19日 (水) 09:26 (UTC)[返信]
ノート:サラエヴォ/過去ログ1の議論を見ましたが、論点が出尽くしたであろうことはわかりましたが、これでWikipedia:合意形成、全員一致のコンセンサスないし多数決による決定がなされたとみなすのはちょっと無理があるかと思います。特に採決が取られたような節もありませんし。Kurz 2008年11月19日 (水) 10:18 (UTC)[返信]
「サラエボ」→「サラエヴォ」の改名提案は殆ど参加者が無く行なわれ、再改名提案では「わざわざ改名する必要なし」という消極的意見を含めての”改名せず”でした。だから、参加者も増えたところで改めて客観的な基準に従って審議することを提案しているんです。腕ずくで解決しようとしているのはsergeiさんでしょう。撤回はしません。--uaa 2008年11月19日 (水) 10:27 (UTC)[返信]
◆「サラエヴォ」が間違いなく妥当なのであれば再検討を行なっても「サラエヴォが妥当」の結果になり、その結果に納得しない人がいれば「サラエボが妥当」とする側が「いつまでも納得しない」という結論が得られsergeiさんにとって望ましい結果になると思うのですが、いかがですか?--N yotarou 2008年11月19日 (水) 11:18 (UTC)[返信]
すでに述べたことの繰り返しになりますが、ノート:サラエヴォ/過去ログ1でみっちさんが終了提案してからPeccaflyさんが最終的に終了を宣言するまで一週間ありましたが、その間に有意な反対意見は提出されませんでした。これはWikipediaの慣習に照らし合わせて十分に適正といえるものです。「改めて客観的な基準に従って」という趣旨との説明ですが、前回の提案でも多数の検証可能な資料が提示された上で議論されています。今回のみたびの提案にあたってuaaさんは特に新たな客観的な根拠を提示しているわけでもありませんので、この説明は全く意味をなしていません。従って私としては今回の提案には何ら意義を見出すことができませんし、単にコミュニティーを無駄に疲弊させようとするものとしか考えることができません。まあせっかくM.Mさんが丁寧な議事進行をして下さっているのでしばらくは様子を見ようとは思いますが、こんな筋の通らない提案がWikipediaで蔓延することにならないよう切に祈るばかりです。--sergei 2008年11月19日 (水) 13:15 (UTC)[返信]

(インデント戻し)まず、最初に質問です。uaa さんが上記で提案されている選択肢の2と3の違いは何でしょうか? 若干言い回しが違うだけで結局は同じことだと思うのですが・・・。

さて、とりあえず「サラエヴォ」再改名提案問題は置いておいて、「サラエヴォ事件」改名問題に話を戻していただきたいのですが、よろしいですか? 別記事の過去の論議に拘泥されて話が先に進まないのでは、何のために「ノート:サラエヴォ事件」で議論を行っているかわからなくなってしまいます。uaaさんもsergeiさんも相手に対する非難合戦は控えていただいて、落ち着いて話し合っていただきたいと思います。

現在のところ、「サラエヴォ」の表記に反対する立場を代表しているのがuaaさんのようですので、uaaさんの論点を整理すると、以下の通り、おそらく2点に集約できるのではないかと思います。

  • 「サラエヴォ」よりも「サラエボ」の方が一般的な名称として定着しており、表記を変えることにより混乱をもたらす可能性がある。
  • 記事:サラエヴォならびに記事:サラエヴォ事件での改名手続きは、多くの反対者がいるのにもかかわらず強引に行われたことは問題であり、これを理由として反対している。

最初の「サラエボ」が一般的な名称として定着しているからというのは、すでに指摘したとおり合理的根拠があるわけではなく、単なる「印象」でしかありませんから理由としては不完全です。反対するには、それなりの合理的根拠が必要です。そして、「サラエヴォ」と表記を変えることにより見る者が混乱する可能性ですが、これは杞憂だと思います。Kurzさんが指摘されているリダイレクトという方法もありますし、本文冒頭の定義において「『サラエボ事件』とも呼ばれる」と明記すれば問題は解決します。となると、残る問題は「サラエボ」と「サラエヴォ」のどちらが優先されるかだと思いますが、私はこれを決めるために「客観的な基準」ということを持ち出したわけです。今必要なのは、まず何を基準として記事名を決定するかを議論すべきです。uaaさんもPeccaflyさん同様に、「サラエボ」の表記を支持する基準とその合理的根拠を示すことが肝要です。

次の2点目の改名手続きに関してですが、このことについてはPeccaflyさんは、謝罪をされるべきと思います。私以外にKurzさんもコンセンサスが取れていない状況で改名を行ったことについて疑問を提起していらっしゃいます。まずは、議論を本来のあるべき方向へ軌道修正するうえでも、サラエヴォ事件への改名についてはやりすぎだったことはお認めになった方が良いと思います。

それから、uaaさんへ。まだ議論が決着していない状況で記事名を「サラエボ事件」へ差し戻していますが、そういうことはお止めいただきたい。もし、ここでの議論の結果、サラエヴォ事件への改名に決定した場合、また記事名を変更することになり、その分リソースを無駄に費やすことになります。あなたが行ったことは、あなたが非難しているPeccaflyさんが行ったことと変わりありません。十分反省をしていただきたいと思います。--M.M 2008年11月19日 (水) 12:28 (UTC)[返信]

  • (コメント)横からで済みませんが、Wikipedia‐ノート:腕ずくで解決しようとしない#『いつまでも「納得」しない』の節の「自説」の意味についてで本案件に関連して議題が挙がった関係でまいりました。基本的に「日本語版Wikipedia」では、その記事名には日本語としての正式な表記が最重要視されます。それはおそらく上で既に議題に出ていることかとは思いますが、Wikipedia:記事名の付け方において示されている通りで、この場合において本案件のように「どちらが記事名として相応しいか」の観点から言えば、公式表記のほうがいいわけです。で、こういった判断において、言葉やその表記の正式な表現を求めるなら、まず辞書を、ついでその辞書に則って表記の一貫性が保たれている政府文章において「どちらの表記が使われているか」に注目すべきと考えます。その意味で…残念ならがサラエヴォは原音主義的には「より良い表記」ではあるのですが、日本語の語彙としては正式な表現ではありません(外務省国別データ:ボスニア・ヘルツェゴビナ)。何故政府機関の文章での表記を重視するかなんですが、これは政府の共通見解として表記の一貫性が徹底されているからです。このため、政府機関が所定の表記を使うことで報道各社もその表記に倣い、また教科書レベルでも表記の一貫性が保持されます。確かに原音主義は翻訳分野において人気のある方針なのですが、Wikipediaは百科事典であり(これはWP:5以下主要ガイドラインに示されています)、数多ある読者がその各々の言語において正式な表記に則ってその意味を解するものである以上は、公式表記こそが最重要視されるものであり、そこでは原音主義的な「元の言語で表現する音声を耳にするとこのように聞こえる」ことは重要ではありません。そのことを踏まえて、今一度「百科事典として示すなら何が重要なのか」というラジカルな視点に立ち返ってご一考いただければ幸いです。
    余禄とは成りますが、ボスニア・ヘルツェゴビナ政府の日本出先機関である在ボスニア・ヘルツェゴビナ日本国大使館のウェブサイト内ページでも表記は「サラエボ」であることを言い添えておきます。--夜飛/ 2008年11月19日 (水) 13:02 (UTC)[返信]

(インデント戻し・コメント)まずは、uaaさんの提案されている選択肢に関してですが、私もM.Mさんと同様に、2と3は同じだと思います。

「サラエヴォ」・「サラエボ」の統合論議とありますが、これは実質「サラエボへの改名提案」ですね。それから私は、sergeiさんは決して腕ずくで解決しようとしているわけではないと思います。sergeiさんのおっしゃる通り、サラエヴォの一件は、みっちさんによる終了提案ののち有意な反対意見がなかったために終了となったもので、適正な手続きを経て終了されたということです。投稿ブロック者が出たことは関係ありませんし、「強引に終了された」などというの言いがかりに近いものがあるのではないでしょうか。前回の議論(「サラエヴォ」での改名議論)終結から、まだおおよそ1週間です。確かにuaaさんがしばらく議論に参加されていらっしゃらないうちに、議論が終結していたので、「投稿ブロックを絡めて、ご自分のご意見と違う方向に強引に誘導された」と感じるのも解らないではありません。しかし、あの改名議論から1週間余りで再改名提案をするというのは、まさしくsergeiさんのおっしゃるように、過去の議論のためにコミュニティが費した労力を無に帰そうとするものです。感情論になってしまいますが、正直なところ、あの議論は酷いものでした。お互いがお互いを非難し合い、合意形成の兆しが見えず、Union of the SnakemanさんやKliment.A.K.さんが仲裁も兼ねて参加なさるまでは、非難合戦に近い形になっており、あのコミュニティ全体に疲労感・疲弊感があり、皆さん辟易なさっていたように私は思います。

本題ですが、サラエヴォの項目でも現状維持意見が出され、さらに「呼称と表記」に関する記述がPeccaflyさんによって新設され、他の名称(「サラエボ」や「サライェヴォ」も含めて)があることが言及され、他の名称に対する配慮がなされました。さらに加えて、他の名称の中でも主要な2つ「サラエボ」と「サライェヴォ」に関しては、ページ冒頭で取り上げられるなど、細心の配慮が成されたことで、議論が終息したものです。

従って、M.Mさんがおっしゃっていらっしゃるように、 本項目並びに今後議論になる可能性をはらんでいるであろう他の項目(サラエヴォ国際空港やサラエボオリンピック等)に関しても、表記に揺れがあることを明確に表記し、そのうえで「サラエヴォ」内の「呼称と表記」の項目に誘導することが最も望ましいと考えます。また、リダイレクトに対する解決策も必要でしょう。最も大事なことは、、閲覧者に「表記の揺れがあり、複数の記述形式がありますよ。」ということを知ってもらい、無用な疑問を抱かせることなく、知識を深めてもらうということが最も重要です。ゆえに、リダイレクトや表記の揺れに関する記述がしっかり成されれば、記事名を現状維持することに全く問題はないと思います。

一番この手の件で困るのは、編集に携わらない一般閲覧者です。昨日見た時は「サラエヴォ」だったのに今日見たら「サラエボ」である、一体どっちが正しいのか?という疑問を覚える方が出かねません。従って、表記がよほど間違いでもない限り、むやみやたらにページ名を変更することは好ましくないような気がいたします。「サラエヴォ」の改名議論でも申し上げましたが、「サラエボ」も「サライェヴォ」も「サラエヴォ」も間違っていないのであって、呼称と表記に関して揺れがあることが明確な形で示されさえすれば、この種の問題はおおむね解決するものです。

この項目に関しては、Peccaflyさんが半ば強引とも取れる形で改名を実行したことが、uaaさんの懸念を広げたと思います。従いまして、この点に関しましては、Peccaflyさんも落ち着いて、少しお詫びを入れて下さい。Peccaflyさんからすれば、何の言われもないことに見えるかもしれませんが、他の方、特にPeccaflyさんと意見の面で対極にある方が懸念を持たれたことが大きな問題です。従ってお詫びを少し入れることで、対極にある方の懸念を払拭できれば、M.Mさんもおっしゃるように、議論が本来あるべき方向へ前進すると思います。「サラエヴォ」での議論を無にしないためにも、大きな視点で考えて、対応して下さい。謹んでお願いいたします。

それから皆さん、落ち着いて、非難合戦にならないよう、議論をお進め頂きますようお願いいたします。若干、サラエヴォの改名議論で発生したような非難合戦になるようなキナ臭さ・不穏さを感じます。この点については懸念を表明するものであります。こちらの議論に参加される方で、「サラエヴォ」の改名議論に関わっておられなかった方は、恐れ入りますがノート:サラエヴォ/過去ログ1を一度ご覧になってから、議論にご参加頂ければと思います。その方がスムースに議論が進むと思います。--Awakko 2008年11月19日 (水) 13:52 (UTC)[返信]

コメント M.Mさん、Awakkoさん。仲裁に感謝申し上げます。ここまでの結果を見れば、私の前回の移動が拙速であったことは疑いなく、この判断は誤りであったと理解せざるを得ません。この件につき、皆様に深く謝罪申し上げます。

ここで、私の意見の骨子をもう一度説明させていただきます。

  1. サラエボ、サラエヴォ、サライェヴォの3表記は、いずれも幅広く使用されており、表記として正しいものである。
  2. サラエボとサラエヴォ、あるいはサライェヴォとサラエヴォの表記の差異は十分に小さい
  3. ウィキペディアは紙製ではなく、検索とリダイレクトがある

上記(1)および(2)より、サラエヴォは中庸的な表記であると考えます。特に「サラエボ」はマスコミなどで使用され、一般に広く使われる表記である一方、ボとヴォの表記の差異は小さく、このような表記ぶれがあることもまた広く一般に知られるところとなっています。この一方で、専門的慣習においては、「サライェヴォ」の表記が好んで用いられています。私の本音としては「サライェヴォ」を支持いたしておりますが、「サラエヴォ」はこれら3者の中間にあり、どちらにも配慮した表記であると考えます。また(3)より、記事本文とリダイレクトにて表記ぶれへの配慮がなされていれば、実際に使う人の立場から見て困ることもないと考えます。

これらの理由から、それならばある程度は専門的な側に寄った記事名としても許されるのではないかというのが私の思うところです。そして、現状のウィキペディアでは確かにそのようになっているかと存じます。繰り返しになりますが、私は過剰な原音主義や、専門的慣用の原理主義には反対の立場です。ひとつの「落としどころ」として、サラエヴォ表記を推しているわけです。

さて、歴史分野に属する用語ですので、歴史辞典の類でどのように表記されているか、調べてみました。以下はその結果です。

  • サライェヴォ
    • 角川 世界史辞典 2001 初版
    • 世界史資料 東京法令 昭和52年初版 昭和54年3版
    • 新編 西洋史辞典 昭和58年初版 昭和63年5版
    • 図解 世界の歴史 6 現代世界の試練 1979年初版 1984年第7版
  • サラエボ
    • 20世紀 世界紛争事典 2000 第1刷
    • ビジュアル世界史 世界の歴史・地理事典 1997年初版
    • 平凡社 東欧を知る事典 1993年初版 2001年改定増補版
  • サラエヴォ
    • クロニック世界全史 1994年第1刷

また、歴史に関連する以下の2つの書籍、および2つの旅行ガイドブックにおける表記例も併せて掲載いたします。それぞれ、前者はこの暗殺事件に関する言及があり、後者はありません。

  • サライェヴォ
    • 世界史年表・地図 吉川弘文館 1995年第1版 2001年第7版
    • 岩波 イスラーム辞典 2002年第1刷
  • サラエヴォ
    • 地球の歩き方 中欧 1998年初版 2006年改訂第8版
    • クロアチア 世界遺産と島めぐり 2007年初版

--Peccafly 2008年11月19日 (水) 14:00 (UTC)[返信]

選択肢3は書き間違えでした。訂正します。

  1. 「サラエボ」・「サラエボ事件」というように”サラエボ”で統一。
  2. 「サラエヴォ」・「サラエヴォ事件」というように”サラエヴォ”で統一。
  3. 「サラエヴォ」・「サラエボ事件」のままにする。

Awakkoさんsergeiさんへ。ノート:サラエヴォでの議論は個人攻撃に発展し、「サラエボ」を主張していた方がブロックされて意思表示が出来ないという混乱の中でとりあえず終了と理解しています。「投稿ブロック者が出たことは関係ない」とはという一言ですませないでください。それと、夜飛さんの発言に対してノート:サラエヴォ/過去ログ1を理由に頭から否定するのは何故ですか?「外務省が使用する表記」は話題になりましたが、その扱いに関してあの議論の場では合意出来ていないはずです。

M.Mさんへ。私はあなたの「客観的な基準に従って記事名を審議する」という御言葉に共感してこの統合審議を提案したのですが。もし、「サラエボ事件」に限定して「客観的な基準に従って記事名を審議する」のならば、サラエヴォ及びノート:サラエヴォ/過去ログ1は一切無視するべきだと考えます。M.Mさんのお考えもそういうことですか?

まずは議論の方向性から決める必要がありそうですね。--uaa 2008年11月19日 (水) 15:03 (UTC)[返信]

しばらくここでの発言は必要最小限にするつもりでいるのですが、時系列についての明らかな事実誤認があり、また自分の発言についての説明も求められているようなのでやむを得ず…(議論の本筋からは離れたトピックになるのでできればこのコメントにはレスしないでスルーして下さい)。Higenonさんが合意を無視した移動依頼を行って即時ブロックされたのはPeccaflyさんの終了宣言が出された後のことです。それからノート:サラエヴォ/過去ログ1では参考資料として政府機関の文章だけでなく広辞苑や歴史学関係の書籍、高校教科書など様々な資料が提示された上で議論が行われました。夜飛さんが無条件に政府機関の文章の表記に従う必要があると断定されているのはそうした過去の議論の蓄積を無視した主張なので、過去ログに目を通してから発言して欲しいとお願いしました。--sergei 2008年11月19日 (水) 15:51 (UTC)[返信]

コメント えー、まず議論に参加される方はWikipedia:記事名の付け方Wikipedia:外来語表記法ノート:サラエヴォ/過去ログ1をお読みください。これらから判断するに、それぞれの案は一般的慣用・専門的慣用・原音主義・正式名称、それぞれの立場を反映しています。そして記事名の付け方の原則では、どれを採用するかは明快には判断できません。つまりは世間で定着した呼称がなく表記ゆれがある状態なので決定しかねるのです(もちろんそれぞれは自説が定着していると主張していますが)。そして、現在はそれぞれがそれぞれの立場から自説の合理性を主張して議論している状態です。たとえば、Peccaflyさんは歴史性や専門的慣用を採用する根拠を述べています。これは相応の根拠のある話で説得的だとは思うのですが、これは別にWikipediaの基本方針に根拠があるというわけではありませんので、別説の人がそれでは納得できないとした場合には全会一致主義では話が進まなくなってしまいます。こういった場合には、Wikipedia:論争の解決にしたがって解決を目指すという話になります。現在は「ステップ3」でしょうか。これで決着しない場合は、「ステップ4」に移行するということになります。なお、今までも合意なき編集・改名などが行われて議論が紛糾した過去があるようですので、できれば関係記事をいったんページ保護したほうが望ましいかと思います。--Kurz 2008年11月20日 (木) 02:15 (UTC)[返信]

議論の方向性について[編集]

長くなりましたので、小見出しをたてました。

uaaさんへ)おっしゃる通り、議論の方向性を決めることは不可欠です。ただ、これは承知しておいていただきたいのですが、表記の統合を審議することと「客観的な基準に従って記事名を審議する」ことは、実は微妙に異なることです。つまり、こういうことです。

  • 表記の統合は、「サラエボ」「サラエヴォ」「サライェヴォ」等、複数の表記がバラバラに混在するのは、読者が混乱するうえ、体裁上もよろしくないので、いずれかひとつの表記に統一するために議論をすること。
  • 客観的な基準に従って記事名を審議するということは、当該記事の名称を文献資料等を参考に、どのような名称が妥当かを検討すること。

複数の記事にまたがる表記を検討するのであれば、別なところで議論をすべきだと思います。基本的にここでの合意・決定は、記事:サラエボ事件に限定したものであって、別の記事における編集を拘束するものではありません。つまり、ここではローカル・ルールについて審議しているということです。もちろん、他の記事での合意・決定を参考に表記を統合するということはありますけどね(地名を含む記事名の表記を統合したいと言う場合、どこで審議するのか私はわかりませんので、井戸端あたりで聞いてみてはいかがでしょう)。

それに、これまでの経緯を拝見したところ、記事:サラエヴォでのやり取りを持ち出してくると議論が混乱し、収拾がつかなくなりそうな気配でしたので、「別記事の過去の論議に拘泥されて話が先に進まないのでは~」と発言したしだいです。個人的には、読者の混乱を避けるために表記を統一した方がいいとは思うのですけどね。そういった事情も勘案して、議論を進めてください。--M.M 2008年11月19日 (水) 16:29 (UTC)[返信]

一部終了の提案[編集]

提案からすでに半月を経過しましたが結局新たな進展はありませんでしたね。これ以上時間をかける意義は認め難いので、サラエヴォについては現状維持のまま終了して、この項目における表記をサラエヴォと統一するかどうかどのようにするかに論点を絞りませんか? --sergei 2008年12月6日 (土) 10:02 (UTC)一部修正--sergei 2008年12月6日 (土) 14:59 (UTC)[返信]

いや、その認識はどうでしょうかね。新規の議論参加者にたいして「ノート:サラエヴォの過去ログ読め」的な発言があった一方で、公式(外務省筋など)には過去にサラエヴォ表記からサラエボ表記に切り替わったという話も出ており、過去がただ過去というだけで最新の情報によって上書きされることを鑑みれば、「サラエヴォに統一する」というというのではないかと。Wikipedia:外来語表記法#地名は現在草案中なので「考慮する」という水準を出ないながらも、Wikipedia:記事名の付け方#歴史的事件にある「出来る限り一般的に知られており通用しやすい名称を使用する。」もありますし、「サラエヴォ事件」と検索([1])しても「サラエボ事件」として検索結果が出る([2])ほどなので、変更の必要性も無いんじゃないですかね。少なくとも本項名称に関しては記事「サラエヴォ」の改名議論は関係ないのですから。--夜飛/ 2008年12月6日 (土) 12:39 (UTC)[返信]
えーと、仰ることの意味がわかりにくいので確認させて下さい。私が提案しているのはサラエヴォについては議論を終了することと、この項目における表記をサラエヴォと統一するかどうかどのようにするかに論点を絞るということです。で、統一すべきかどうかについての自身の意見はまだ何とも表明していません。夜飛さんの上記の意見はこの提案自体には賛成した上で「サラエヴォと表記を統一する必要はない」という意見を表明されたものと受け止めてよろしいのでしょうか? もしそうならまず提案に対しての賛成を表明していただきたく存じます。表記を統一するかどうかの議論はサラエヴォに貼られた{{改名提案}}のタグを外すなどの作業を終えてからゆっくり行えばいいのですから。もしサラエヴォの終了に反対なのでしたら今後どのような論点を中心に議論を行っていけばいいのか道筋を早急に示していただけないでしょうか。この議論にはほとほとうんざりしているので無駄に時間を引き延ばすだけの牛歩戦術のようなことは正直ご勘弁願いたいです。--sergei 2008年12月6日 (土) 13:54 (UTC)一部修正--sergei 2008年12月6日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
sergeiさんの仰られていることなのですが、小生としては「上に連なる『サラエヴォおよびサラエボ事件を一まとめに、どちらの表記に統一するか』の議論を『議論が膠着したまま話が進んでいない』ために一旦終了とした上で、『記事サラエボ事件の記事名をサラエヴォ事件と改題するかどうか』の議論を始めましょう」という理解なのですが、違いますか?小生としては地名のサラエヴォないしサラエボがどうかは兎も角として、サラエボ事件(過去に発生した第一次大戦の引き金となった暗殺事件)の記事名称は、上に示した「どちらが事件名として一般的に使われている名称か」という観点に立ち、地名におけるサラエヴォ/サラエボ表記の議論とは完全に切り離した上で、サラエヴォ事件とすべきではないのではないかと申し上げている次第です。それを地名のサラエヴォと混ぜ返すというのであれば、自ら切り離して扱うべきだと述べながらも切り離して考えないsergeiさんの行為に首を傾げざるを得ません。--夜飛/ 2008年12月6日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
サラエヴォと統一するかどうか」という言い方をしたので混乱の元となっているようですね。私の言いたかったのは要するに「サラエヴォを終了してこの項目をどうするかに議論を絞りたい」ということです。--sergei 2008年12月6日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
(反対)サラエヴォだけを終了する意味があるのでしょうか?「提案からすでに半月を経過したけど結局新たな進展は無い」「これ以上時間をかける意義は認め難い」には同感ですが、解決の選択肢が減ることになる「サラエヴォだけを現状維持のまま終了」には反対です。「合意が得られないまま進展が無いので、こちらも現状維持のまま終了」するのなら賛成します。--uaa 2008年12月8日 (月) 05:27 (UTC)[返信]
この項目の改名については提案者のPeccaflyさんが提示された資料をどう評価するか、都市の項目と表記を統一した方がいいのかどうか、など議論するべき点が多々ありますが、これまでほとんど実質的な議論がなされていません。この半月ほどの間この項目の改名に絞った議論ができなかったのはあなたが無闇に議論を拡散させてしまったせいです。私はあなたがサラエヴォの項目名について新たな資料や判断材料を提示するのを待っていましたが、半月が過ぎても何も提示されなかったのでサラエヴォ改名の議論を継続する意志はないものと判断し、この項目の改名に絞った議論を行うことを提起しています。サラエヴォ改名の提案者として当然なすべきことを怠っておきながらこの項目の改名議論まで抱き合わせで終了させようとするのは議論妨害以外の何物でもありません。このような不誠実な態度は断じて容認できません。--sergei 2008年12月8日 (月) 08:53 (UTC)[返信]

(提案) 相手方が十分な証拠を提示されていますし、一定期間を経過したにもかかわらず議論に進展はありませんでした。議論は尽くされ、かつ合意は難しいと考えられますので、Wikipedia:論争の解決にしたがって、Wikipedia:投票に移ることを提案いたします。--Kurz 2008年12月8日 (月) 06:23 (UTC)[返信]

(投票には賛成) 選択肢は以下の四つで。

  1. 「サラエボ」・「サラエボ事件」というように”サラエボ”で統一。
  2. 「サラエヴォ」・「サラエヴォ事件」というように”サラエヴォ”で統一。
  3. 「サラエヴォ」・「サラエボ事件」のままにする。
  4. 「サラエヴォ事件」・「サラエボ」にする。

ノート:サラエヴォ/過去ログ1では投票が行なわれていないので、ここでサラエヴォについても投票にかけるべきだと思います。--uaa 2008年12月8日 (月) 06:42 (UTC)[返信]

候補は単に「サラエボ事件」「サラエヴォ事件」とするのが望ましいかと考えます。そのほうが単純でわかりやすいので。--Kurz
◆上にも述べましたように、この項目の改名についてはまだ議論すべき点が残っています。それができずにいたのはサラエヴォの改名にまで議論が拡散してしまったためです。ですからまずはサラエヴォ改名の議論を終了させて、この項目の改名に絞った議論を継続させるべきです。それでも合意が得られなかった場合に投票へ移行すればいいのではないでしょうか。--sergei 2008年12月8日 (月) 08:53 (UTC)[返信]
「統一」をちらつかせながら片方だけ議論の終了を提案されても同意できません。同時終了なら投票でもそのまま終了でもかまいませんが。--uaa 2008年12月8日 (月) 12:11 (UTC)[返信]
この項目の改名を提案されたPeccaflyさんは様々な資料を提示されましたがそれに基づく議論は十分なされていません。一方あなたはサラエヴォの改名提案に際し何も資料を提示せず、その後も議論を二週間以上にわたって放置していました。この2件を同列に扱うことはできません。表記を統一するべきだという主張に異義があるのでしたら統一する必要はないということを示す根拠を提示して反対すればいいだけのことです。--sergei 2008年12月8日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
(コメント)このタイミングでこんなことを言うのもあれですが、「地名はサラエボ、こちら(歴史)はサラエヴォorサライェヴォを使えばいい」と思っている私みたいなひねくれた人はどうすればいいんでしょうか。できれば選択肢を増やして頂けるとありがたいのですが。--かげろん 2008年12月8日 (月) 12:26 (UTC)[返信]
  • もとより「本項を改名するか否か」に関しての投票は#改名提案で一度行なわれたのではないですか。小生には否定意見が複数(+6)付いたように見えるのですが。まあPeccafly氏が#改名提案(仕切りなおし)として「無かったこと」にされ、さらには氏の意向で投票も行なわれずに一度改名されてuaa氏に差し戻されたりもしていますが。その意味では改めて投票するにしても、後から物言いが付かないよう厳格かつ公正に、秩序だって行なわれることを望みます。
    なおuaaさんの選択肢4案には反対です。単に「『サラエヴォ事件』に改名するか、否(現行の『サラエボ事件』のままとする)か」の二択が現状では余計な論点を挿まないで即決できる議題だと思います。記事「サラエヴォ」をどうするかは、虻蜂取らずにならないよう、その後(こちらを片付けてから)の話でしょう。
    なお混乱を避けるため、可否の表明に際して論拠なりを述べることは妨げないにしても、その論拠に一々所定の価値観視点から意見やコメントを挿入して、投票者を泥沼の(言い過ぎのため自主規制)議論に巻き込むことは、可否どちらの側にしても投票妨害とみなしていいと考えます。また、投票期間は「早めに切り上げで内輪でテキトーに決まっちゃった」な事態を回避するため最低1ヶ月ないし20名以上とか規定数の有効票が出揃うまでとし、Wikipedia:投票にもきちんと提出し、Wikipedia:投票の指針に沿って、また投票資格は最低50編集(通常の記事に対して)で本案件発生(2008年10月16日7:16-UTC)以前より活動中のログインユーザー限定…とか、少なくとも「ちゃんと活動している利用者」である身の証が立てられる人たちによる投票があれば、後に響かないと思います。
    ただし時代は常に推移し呼称も変化する可能性があるのですから、投票終了後最低1年程度は投票結果に準じるとしても、その後は新しい改名すべき理由(これもその都度「新しい理由」かどうかは判断されるところですが)が発生した場合には再改名を妨げないといった明言も必要ですかね。で、再提出された場合には蒸し返しだの何だのと文句言わないようにしたいところです。--夜飛/ 2008年12月8日 (月) 12:51 (UTC)[返信]
前にも申しましたがちゃんと経緯を把握してから発言して下さい。この項目の改名について投票が行われたことはありません。それからすでに述べましたように、この項目自体の改名についての議論はuaaさんによるサラエヴォの改名提案がなされたことにより中途で閉ざされてしまっています。議論が不十分な状態での投票には賛成できません。--sergei 2008年12月8日 (月) 13:06 (UTC)[返信]
コメント議論すべき点は残ってますか、だったら投票は無理ですので、提案は撤回します。--Kurz 2008年12月8日 (月) 13:08 (UTC)[返信]
議論と称した双方の言い分の列挙によって相手側を説得できるだけの証拠が出揃わなかったから結論が出ず投票で決めましょうという話だと思いましたが?議論が不十分なので投票できないというのであれば、もう何を持っても結論は出ないでしょう。小生が上で長々と書き綴った事柄(投票の仕方の提案)は、どういう結果が出ようと改名/現状維持の意見を持つ双方が「これなら公平な一定以上の利用者による判断の結果」だとして、納得できないまでも溜飲を下げるようにと考えてのものです。
#改名提案で行なわれたことは確かに投票と明示されていた訳ではありませんが、Wikipedia:ページの改名の考えに従えば、改名提案が記事にテンプレートとして付与された時点で可否を論じる状態になり、利用者はその可否を表明できますので、件の節においては移動を提案したPeccafly氏に対して反対という意見を表明した利用者が6名おり、その各々にPeccafly氏は自身の考えを述べられておりますが、その各々の利用者は反対意見を覆してはおらず、これら反対意見を表明した側の意向は、依然生きていると考えます。--夜飛/ 2008年12月8日 (月) 13:28 (UTC)[返信]
Wikipediaの慣習では多数決による投票と、それに至るまでの議論とは明確に区別されるものと認識しておりましたが。Wikipedia:ページの改名を見ても多数決で決めるとはどこにも書いてありません。Wikipediaでの一般的な議論において重視されるのは意見を表明した人の数ではなく意見の内容であるはずです。ご覧いただければわかりますように、改名に反対している方はどなたも根拠となる資料を提示していません。
この改名提案はサラエヴォの最初の改名提案が決着したことを受けて提出されましたが、その後サラエヴォの再改名提案が提出され、そちらの方が明らかに優先度が高いためにこの項目については実質的な議論ができない状態になりました。で、サラエヴォの再改名がようやく決着し、それを受けてこちらをどうするかを議論することが可能な状態になったところをuaaさんによって拙速な終了提案が出されました。これは結局見送られましたがその後Peccaflyさんによるこれまた拙速な改名が行われ、それに伴う混乱を経て今度はuaaさんによるサラエヴォのみたびの改名提案が提出されました。
こうした次第でこの項目の改名に関する議論はこれまで実質的にほとんど行われていないのです。今振り返ってみれば私が11月7日にコメントしてから早い段階で次の議論を進行させていればこうした無駄な議論の拡散は防げたかも知れず、その点は申し訳なく思います。しかし上記のようにやっとこの項目の改名について議論ができる状態になったところで終了を提案し、その後再び議論が始まりかけたところでサラエヴォ改名を提案し、結局進展がなかったのでサラエヴォを終了してこの項目について集中して議論しようと提案したところで今度はこの項目ごと抱き合わせて終了させようとする行為は議論妨害というよりほかなく、この状態で議論が尽くされたとはとてもいえないと思います。--sergei 2008年12月8日 (月) 15:23 (UTC)[返信]


記事名の表記基準[編集]

とりあえず話を元に戻します。結局、双方の主張が平行線をたどり決着がつかないのは、表記ルールについての明確な基準が定まっていないからです。先にuaaさんは「まずは議論の方向性から決める必要がありそうですね」とおっしゃっていますが、その肝心な「議論の方向性」を決めるには、何に表記の基準を定めるかが大前提になると思います。それを決めずに議論を進めようとしても、漸近線どころかいつまでたっても平行線のままです。そこで、以下のうちいずれかひとつを基準とすることを提案します。

  • 歴史的事件なので、代表的な歴史事典・用語集等の表記のうち、最も多いものを選ぶ。→ 一般の人が歴史的事件を調べる際には、まず事典類に目を通すであろうということを考慮したものです。この場合、とりあえず専門書は除外しておいた方がいいでしょう(膨大な数になりますし、表記もかなりバラつきがあるでしょうから)。
  • 事件名に地名が含まれているので、地理関連の事典・用語集等の表記のうち、最も多いものを選ぶ。→ 以前バーベルスベルクという記事名を確定するのに参考にした『外国地名レファレンス事典』(日外アソシエーツ)ISBN 4816919929 の表記に倣うといいでしょう。これは、日本国内で発刊されている主要な地理事典のなかで最もよく使われている表記を集成した地名事典です。
  • 代表的な百科事典の表記のうち、最も多いものを選ぶ。→ 私としては、これが最も合理的選択だと思います。原則として同じ百科事典の中では、表記が統一されているはずですので、この基準に従えば、記事:サラエボ事件だけではなく、記事:サラエヴォに関しても問題は一挙に解決へ向かうのではないかと思います。
  • 外務省等の政府機関で最も多く使われている表記を選ぶ。→ これまでの経緯を見た限りでは、かなり議論の余地がありそうなので、早急に解決したいのであれば避けた方がよろしいと思います。

--M.M 2008年12月8日 (月) 16:49 (UTC)[返信]

度重なるご仲介ありがとうございます。何度もお手を煩わせてしまい申し訳ありません。
この項目の名称だけに限っていえば一番目の案に基本的に賛成ですが、専門書を除外する必要を感じません。この項目は世界史上の出来事を扱ったものなので、歴史学関係の文献で「サラエボ事件」「サラエヴォ事件」「サライェヴォ事件」のうちどれか一つが突出して使用頻度が高い状況ならばそれを用いるのが望ましいと思います。その際は必ずしも都市の項目と表記が統一されていなくても差し支えないと思います。もしこれらの表記の使用頻度に大きな差がみられない場合には都市の項目と表記を統一した方がいいと思います。(本来こうした議論は都市の項目の表記が定まっていないと踏み込んだ議論をするのが難しいのでサラエヴォの方を先に閉じておきたかったのですが、取り敢えずM.Mさんの議論に乗っかっておきます。)
一方都市の項目の方に関しては私はこうした「数の論理」に従って決定することには抵抗があります。理由は後で詳しく述べます。--sergei 2008年12月9日 (火) 08:45 (UTC)[返信]

提案に際し何の根拠の提示もなくその後も半月にわたって放置されていた案件など閉じられて当然(というか本来なら自分で責任を持って終了させるべき)なのですが、仕方ないのでサラエヴォの名称について自分の考えを書いておきます。
すでに十分な根拠によって示されているように、「サラエボ」「サラエヴォ」「サライェヴォ」のどれもが日本語として正しい表記であることにはまずご同意いただけると思います。この項目は都市そのものについての解説なので、慣用を重視する観点からいえば特定の学術分野での使用状況によるのではなく、日本語話者にとって最も通じやすいものが選ばれるのが望ましいと思います。で、その日本語話者にとって通じやすい表記ですが、日本では従来サラエボの表記が多く用いられていたのでこれに慣れ親しんだ日本語話者が最も多いと思われますが、一方ですでに十年ほども前から日本の高校の教科書でサライェヴォの表記が採用されているためにこれに慣れ親しんだ日本語話者も(一人二人といった例外的少数ではなく)ある程度まとまった階層として存在することが確実な状況にあります。実際にそういう方がJAWPの管理者にもいらっしゃいます(今ここで勝手にお名前を出すことはご迷惑になる可能性があるので控えておきます。Peccaflyさんとは別の方です)。
最初の改名提案でサラエヴォに改名されたのは(私はロムしていただけですが)、こうした分裂状況にあってこの表記がどちらの人たちにも違和感なく受け容れられやすい、いい意味で中庸的な表記であるという理由からでした。私が一貫してサラエヴォを支持しているのはこの議論が十分に説得的だと考えているからです。この項目の名称を考える上で重要な論点はすでにこの時に出尽くしています。二度目の改名提案ではかなりの言葉数を費して白熱した議論が行われましたが、私の見る限り本質的に新しい論点は現れませんでした。この度の提案に至っては全く何の材料も提示されなかったのは皆様ご存知の通りです。
逆にいうと、私がサラエボを主張する意見に全く同意できないのは、そのほとんどが「俺様のなじんだ表記を変えてもらっては困る」というような自己中心的なもので、自分とは異なる立場の人にも配慮するという、百科事典の編集にあたって当然尊重しなければならない中立的な観点を全く無視したものであるためです。(念のため断っておくと私自身はサラエボオリンピックの頃には物心ついていたのでサラエボ表記を最も多く目にしてきた世代です。)
こういった次第なので、私としては、サラエボを主張する方が現在のところ少数派であるサライェヴォ表記に慣れ親しんだ日本語話者の存在を認めた上で、それでもなおサラエボにするのが妥当であるということを示す根拠を提示しない限り改名する必要は(というよりそもそも議論をする必要自体が)ないと考えています。--sergei 2008年12月9日 (火) 15:31 (UTC)上の説明には一部誤認があり、「中庸」という論点が強調されるようになったのは二度目の改名提案以降のことでした。--sergei 2008年12月20日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

M.Mさんの述べられているのは、徹底的に抽象化すると「表記を一つに限定する上で、その基準となるサンプルを採集する観測点を何処に設けるか」だと思いますが、その意味では観測点は出来るだけ曖昧性を廃し、より少なく揺らぎを含まない対象に限定しないと、いつまでたっても決着が付かない問題なんだと思います。例えば「代表的な百科事典」というのも一つの考えなのですが、そもそも何を持って「代表的な」(「主要な」と言い換えても同じ)と定義するかによっても揺らぎを含み、更にはそれを過去の版に遡って論じると、途轍もなく議論を撹乱することが出来る虞を含んでいるようにも思います。こと「過去に遡って」で発生しうる問題は外務省表記にもあてはまることですが、判断の合理性という観点からすると、本案件(記事「サラエボ事件」を「サラエヴォ事件」と改題するか、更にはサラエボ/サラエヴォ/サライェヴォ表記の問題)は「今現在の日本語における最も適切な一つの表現」を選択するという意味において、過去に遡って言及することに合理性は無く、百科事典なら最新版のみを観測点に指定するなど、議論時点での最新の状態のみをもって判断すべきかと考えます。なお「数の理論」に関しては、sergeiさんは否定的ではあるようなのですが、小生としては言葉は他者に通じることにこそ価値があると考えるため、「正しい」かどうかではなく「より多くの人が使っているかどうか」が重要視され、「何を基準点としてその表記の共通化が図られているか」を最重要視したいところです。その意味では「数の理論」でしか語りえない問題なんじゃないかと。表記揺らぎに関しては、「そのいずれを用いても一定範囲で通じる」という意味においては等価なんですが、辞書事典であるからにはそのどれかに準じて記事表題としなければならない点で今回揉めている問題があるわけで、そこで中道ないし中庸を論じるのはなんか微妙かも。例えば全斗煥氏の呼び名を旧表記と新表記の折衷という意味で「ゼン・ドファン」とか「チョン・トカン」とか「ゼョン・ドカァン」(悪気は無いです)とは読まないのですから(著しく漏電中)。
まあネタは兎も角としても、観測点が調査側の認識で増減したり移動していては意見はまとまらないでしょうし、また「この表記こそが正しい」という価値観を議論に持ち込むために自身の推進する表記が成されている観測点(書籍や過去に遡る所定版など)を議論に放り込むのもアルティメット闇鍋(具材制限なし)風味なので結論が出ないと思います。--夜飛/ 2008年12月9日 (火) 17:19 (UTC)[返信]
せっかくの長文コメントですが結局何を仰りたいのか私にはさっぱりわかりません。観測点がどうとかいうメタな議論はどこかよそでやってもらえませんか? 過去版に遡って調べようなんてことは誰も主張していないはずです。
私の議論はサラエボ、サラエヴォ、サライェヴォのいずれも日本語として正しい(若しくは妥当な)表記であるということが前提です。ゼン・ドファンやチョン・トカンやゼョン・ドカァンはいかなる意味においても正しくも妥当でもありません。私たちが議題としているのは表記揺れの問題であって、ゼン・トカンとチョン・ドゥファンの違いは表記(もしくは発音)を確定させる基準の違いに基づく問題です。こういう全く不適切な比喩を平然と用いるというのはあなたが問題の本質を全く理解していないことを示しており、あるいはもしわかっていてやっているのだとすれば悪意により私の発言を茶化しているとしか受け取りようはありません。
M.Mさんにしても私にしても紛糾した議論を何とか収束させようと真剣に努力しているのに、「結論が出ないと思います」という言葉で発言を締め括るというのは誠実な参加態度といえるのでしょうか。まじめに議論をする気がないのであれば発言を控えていただきたく存じます。--sergei 2008年12月10日 (水) 10:02 (UTC)[返信]
ああ、すみません。ちょっと読み返して注釈が必要かなとか思っていましたが「なんか夜中に目が醒めてよく無い方向に漏電」したっぽいです。過去版はWikipediaの記事履歴の話ではなく、書籍媒体としての百科事典や辞書類における「過去に発刊された版」の意味です。性質としてそんなもんまで言及されると収拾が付かないので「今現在」にの状態でのみ判じてほしいという考えです。
抽象化に関しては、問題点をより明確化させる上で、結局のところ誰も他の意見を持つ側を説得できておらず、上に連なる議論も各々の主張において複雑化していて、折角のコメント依頼が提出されている状態において、後発の議論参加者が判りにくい部分もあるので、あえて行ないました。
結論が出ないというのも、議論で決着で付かない、もとよりいずれも所定の視点からすれば正しい問題において、議論が尽くされて無いから議論を継続すべきだとしてしまったら、もう結果が出ないようにしているとしか思えません。正しいかどうかではなく、百科事典として合理的かどうかで論じるしかない問題だと考えています。
全斗煥氏の混合表記はいずれも正式なものではない(最後のに限って言えば完全にギャグでしかない)のですが、現状を(現実レベルの正しいかどうかは別にして)抽象化すると、斯様に無茶な状況にあるということを比喩的に表現したに過ぎません。論点は中庸という観点は表記揺らぎにおいて意味を成さないとしていることをご理解ください。
小生としては、芳しく無い状況ほど茶化しつつ状況判断するという悪癖があり、その意味において表現が「不真面目だ」とみなせる部分を含んでいることは否定しませんし、またそれを「まじめに議論しているのに不愉快だ」というのであれば、不快にさせたことに関してはお詫びします。しかし、これは問題の性質を茶化しながらもより明確にしたいという観点に立つものであり、小生としても現状の打開を希望する側として見解を示すものであります。それを自分への攻撃のように受け取られて不快感を露にすることは、小生の会話ページで行なってください。--夜飛/ 2008年12月10日 (水) 10:55 (UTC)[返信]
この状態であなたの会話ページに話を持って行ったら議論場所の分散を招くだけでしょう。私が言いたいのは不快感とかいうことではなくて、発言をするならメタな方向に話を拡散させるのではなく議論の収束に向けて進めて欲しいということです。M.Mさんの示された選択肢や私の意見では不満なら具体的な代案を提示して下さい。コメント依頼が提出されてからはもうかなり時間が経過しているのですから、この件に関心のある方ならすでにおおよその経緯は把握されているでしょう。(なお「過去版」の意味については誤読しておりません。)
で、収束の見通しですが、この件では多くの言葉が費されてきているものの、何らかの根拠に基づいて意見を述べているのは実質的にPeccaflyさんとAwakkoさんとM.Mさんと不肖私くらいで、あとの人は根拠も示さずにただごねているだけです。そしてこの「有意な」議論参加者の間で意見の大きな隔たりはないのですから、議論の収束は十分に可能だと思っています。もちろんメタな話を持ち出して議論の進行を遮断しておいて「結論が出ないと思います」などと決めつける議論妨害を行う人さえいなければの話ですが。--sergei 2008年12月10日 (水) 14:39 (UTC)[返信]
日本語の百科事典で「サラエヴォ事件」の表記は私には見つけられなかったので多数に倣い「サラエボ事件」が妥当だろうと考えるのですがこれに対してご意見は頂いていないように記憶していますが、有意じゃないわけでしょうか?--N yotarou 2008年12月10日 (水) 14:56 (UTC)[返信]
そのご意見はM.Mさんの選択肢の3番目に該当すると思われますが、M.Mさんのご発言の後反応がなかったのでもうよろしいのかと思っておりました。では収束に向けた議論参加の程よろしくお願いします。--sergei 2008年12月10日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
(コメント)高校教科書(世界史)のサライェヴォの事例が出ていましたが、地理はまだ「サラエボ」のままのはずなんですが。『新詳高等地図初訂版』帝国書院編集部編、2008年10月発行 では、普通に「サラエボ」のままなんですよ。高校教科書のネタを扱うなら、地理の方も平等に扱われるべきではないでしょうかね。--かげろん 2008年12月10日 (水) 15:11 (UTC)[返信]
地理教科書の話は今初めて出てきましたね。ではN yotarouさんともども収束に向けた議論参加の程よろしくお願いします。--sergei 2008年12月10日 (水) 15:20 (UTC)[返信]
(追記)なお上のお二方に苦言ですが、そうしたご意見はuaaさんが三度目の改名提案を提出してから早い時期に述べていただくべきではなかったでしょうか? 私が半月以上も待って終了を提案した後になって述べるというのはいささかフェアではないように思います。--sergei 2008年12月10日 (水) 15:27 (UTC)[返信]
んー、やはりもう少し言葉を補っておくべきでしょうか。「あとの人は根拠も示さずにただごねているだけ」とか「『有意な』議論参加者の間で意見の大きな隔たりはない」というのは主に三度目の改名提案以降の状況についての私の認識です。誤解を招いたとしたらその点はお詫びします。いずれにしても三度目の改名提案に何の進展もなく、この度のM.Mさんのご発言後も具体的に意見を述べたのが私だけであったという事情に鑑みて、参加者が合意に向けて努力すれば議論を収束させることは不可能ではないという考えに変わりはありません。--sergei 2008年12月10日 (水) 16:01 (UTC)[返信]

(インデント戻)

  • N yotarouさん並びにかげろんさんへ:日本語の百科事典の表記や地理の教科書の表記で「サラエボ」となっているからという以前に、まずは何を基準に表記を定めるかという観点からご意見を出していただいた方がよいですね。上記から、N yotarouさんは日本語の百科事典の表記に倣うということでよろしいですね。一方のかげろんさんは、教科書の表記に倣うということですか? だとすると当該記事は歴史的事件に関するものなので、地理の教科書ではなく歴史の教科書の表記にあわせるというのが妥当です(記事:サラエヴォでの表記に関する主張は、別記事でのテーマとなりますのでお控えください)。
  • sergeiさんへ:お疲れ様です。sergeiさんは、歴史書籍の表記に倣うということですが、この場合ひとつご注意いただきたいと思います。第1次世界大戦に関して言及されている書籍は非常に膨大であり、それを逐一ピックアップして表記を決めるというのはかなり無理があります(しかもこれらは著作者、翻訳者によって表記はまちまちですし・・・)。代表的な歴史書にあたるといっても、どれを代表的な歴史書とするかということで、またモメると思いますので、上記の最初の選択肢で歴史事典や用語集に限定したわけです(事典中では、表記について複数の執筆者・翻訳者の間でコンセンサスが取れているはずですし、専門書の表記を参照よりは良いと思います)。
  • 夜飛さんへ:「表記を一つに限定する上で、その基準となるサンプルを採集する観測点を何処に設けるか」というご指摘は、おっしゃるとおりです。眺める場所が違えば見えてくるものが違ってくるのは当然で、みんなで同じ場所(観点)から眺めましょうというのが、私の提案の趣旨です。ただ、なにをもって「代表的な百科事典」とするかという点に疑問をお持ちのようですので、「代表的な百科事典」を持ち出した意図を述べておきたいと思います。先ず第1に、百科事典は種類が少ないので参照しやすいということ。第2に、本当の意味での総合的な知識の集成である百科事典は、自ずと絞られてくるということ(ウルトラマン大百科などのように、特定分野に限定した名目上の「百科事典」は自ずと除外されるので、ブリタニカ国際大百科事典、マイペディア、エンカルタ等の百科事典に的が絞れてくるはずです)。

--M.M 2008年12月10日 (水) 17:36 (UTC)[返信]

(コメント)M.Mさんの仲介で議論の方向が見えてきたようなので私も意見を表明しようと思いますが、そのまえに、私が悪者扱いされているようなので言わせていただきます。私は「どちらの表記が最も適切であるか」「統一すべきか否か」を話し合うに当たって、サラエヴォを既成事実とするのは公正さを欠くと主張してきたのですが、それに対してsergeiさんは”議論妨害”とか”議論の攪乱”とか”無闇に議論を拡散させてしまった”と非難していますが、そもそも、そのことによって議論の方向性が決まらなかったのではないですか?私にはsergeiさんが自論を押し通すために腕ずくで解決しようとしているように思えます。このことは他の方の発言を頭から否定したり攻撃するような言動(「個人の見解に過ぎないでしょう」とか「発言を控えていただきたく存じます」とか)からも感じられます。

さて、私はノート:サラエヴォ/過去ログ1でもM.Mさんが示された方向と同様の観点から意見を述べたつもりですので、重複すると思いますが、私の意見を述べさせていただきます。

「サラエボ」表記が主流

  • 政府
  • マスコミ
  • 旅行会社のパンフレット等
  • 地理教科書
  • 昔の歴史教科書
  • 国語辞典

「サラエヴォ」表記が主流

  • 現在の歴史教科書
  • 歴史専門書
  • 広辞苑

という事実認識はノート:サラエヴォ/過去ログ1でも双方異論が無かったですよね。その上で、どの分野の表記に合わせるかと言うことが論点なのです。従って、#改名提案(仕切りなおし)に於てPeccaflyさんは専門書を延々と挙げられていますが、いくら専門書の例を並べても「サラエヴォ」に反対の人を説得する根拠としては意味ありません。「サラエヴォ」が学会(しかも歴史学会だけ)でしか普及してないのが問題なのです。百科事典の定義は「幅広い分野の知識やトピックを、項目ごとに整理・記述して、簡潔にまとめたものである。」となっているように、学術的な内容を一般的な表現で記述するのが百科事典ではないでしょうか?故に、百科事典の項目名は日本語としての正式な表記、或は世間一般に普及している表現を用いるべきであり、その基準としては政府が公式に使っている表記が最優先され、それに次ぐものとしてマスコミ等で一般に普及している表現があると私は考えます。そして政府は「慣用として相当程度定着した表記に改める」と言う方針の下「サラエヴォ」を「サラエボ」に改めていますよね。乱暴な言い方をすれば「サラエヴォ」は歴史学会の方言でしょう。

あと、sergeiさんの「サラエボを主張する方が現在のところ少数派であるサライェヴォ表記に慣れ親しんだ日本語話者の存在を認めた上で、それでもなおサラエボにするのが妥当であるということを示す根拠を提示しろ」というのはどう考えても的外れです。逆に少数派に合わせなければならない根拠を示すのが筋でしょう。

ちなみに、「サラエボ事件」の Google 検索の結果は「もしかして: サラエボ事件」でした。(笑)--uaa 2008年12月10日 (水) 19:47 (UTC)[返信]

M.Mさん、お返事ありがとうございます。確かに百科事典は(専門書的な『○○百科』みたいなものは除外するとして)は辞書や歴史書に比べると、「主要な」の定義で揺らぎを含むものの、それらの調査は有限かつ現実的な数しかない(地方都市の公立図書館でやっても2時間とかからないでしょうし)ので観測点として扱うことに異論はありません(参考:百科事典#主な百科事典)。ただ懸念として示した「過去の版を参照することで観測点を増やしてしまえる(そして過去の版では現行版で修正された記述が掲載されている可能性がある)」問題がありますので、調査の際には第何版を参照したか明記しておく必要もあると考える次第です。
(sergeiさんへ)議論の拡散ではなく他に影響しない小生への意見であれば小生の会話ページへでしょう。ところでsergeiさん…なんか「誰かが何か意見を言うたびに自分の考えを書き綴る(自分の意見に近しいか利用できそうなら持ち上げ、自分の意見と異なる場合には反論以前の否定までする)」のはどうにかならないものかと思います。まあ思うだけなんですけどね(敢えて何も期待しません)。
(uaaさんへ)ちょっとついでですが、Google検索の「もしかして(以下略)」に関しては小生も指摘したのですが、「サラエヴォ事件」と検索しても「サラエボ事件」の検索結果と同様のページがヒットしますね。…「サライェヴォ事件」で検索するとWikipediaと個人サイトばっかりが真っ先に引っかかるのが何とも(漏電中)。
--夜飛/ 2008年12月11日 (木) 10:24 (UTC)[返信]
uaaさんもsergeiさんも共に議論の相手に対する非難の応酬が目立ってきていますので、議論を本筋に戻すためにもそのような主張は控えてください。議論が白熱してくると自分の主張を客観視することが難しくなります。ご自身の主張も他者の主張同様に客観的に見直してみてください。相手の主張を誤解して非難している箇所があることに気づくはずです。--M.M 2008年12月11日 (木) 12:38 (UTC)[返信]
(M.Mさんへコメント)コメントが遅くなりました。私自身は、日本語による分厚い地名辞典があればそれがベストだとは思います。ただし、ほぼ毎年更新されていて信頼できるメーカーの世界地図帳も無視できないと考えます。--かげろん 2008年12月11日 (木) 12:51 (UTC)[返信]
かげろんさんへ)歴史的事件を調べる場合、一般の人は地名辞典や地図帳を参照することはないと思いますが、それでもこれらを表記の基準にすえたほうがよいとお考えですか?(地図帳を参照するということに特に違和感を持っています)--M.M 2008年12月11日 (木) 13:44 (UTC)[返信]
肝心な点を書き忘れていたました。申し訳ありません。サラエボ事件に関しては歴史事典に依拠し、地名としてのサラエボに関しては地名辞典・地図帳に依拠すればよいということです。--かげろん 2008年12月11日 (木) 13:52 (UTC)[返信]
>「サラエヴォ」が学会(しかも歴史学会だけ)でしか普及してない
>乱暴な言い方をすれば「サラエヴォ」は歴史学会の方言でしょう。
uaaさんは仰いますが、多くの人間が目を通して居る教科書に記載されている表記が「方言」というのはまさしく暴論でしょう。歴史教科書「サライェヴォ」と地理教科書「サラエボ」とが対立する表記として存在しているのであれば、尚更両者の中間点として小生はサラエヴォに賛成します。
それに、学校出使用される教科書以上に発行部数の多い辞典ってあるのでしょうか?売れている国語辞典や広辞苑などであればかなり流通していると言えるでしょうけれど。教科書表記の通用性を相対的に否定的に仰る方が、発行部数も少ないレアな特殊な辞典を出典として使おうとなさったり、怪しげな旅行ガイドを通用性の根拠としたりなさったりする言説を拝見しておりますと、正直言って奇異に映ります。--Kliment A.K. 2008年12月11日 (木) 13:33 (UTC)[返信]
Kliment A.K.さんへ)どうもお久しぶりです。さて、ご指摘の点はごもっともで、私も同様に感じていたことではありますが、そのことはとりあえずは置いておいて、議論を本来の筋道にもどすためにも、上記のとおり記事名を決める際の基準についてのご意見をお願いいたします。uaaさんへの批判は、また泥沼の非難合戦への布石となってしまいます。--M.M 2008年12月11日 (木) 13:51 (UTC)[返信]

M.Mさん: いつも丁寧な司会役ありがとうございます。
私が提起しているのは歴史学関連の資料を網羅的に調べて最も多かった表記を採用するということではなく、どれか一つが圧倒的に使用頻度が高いという状況にあるかどうかによって決定するというものです。例えば同じ英単語のstrikeでも野球やボーリングなどのスポーツ分野と労働争議とでは異なる表記が定着しています。このように分野によって使用される表記が固まっているという状況ならサンプルの採り方によって結果が異なるということはないはずなので、全部を調べなくとも大まかな傾向は把握することができます。ですから決して実現不可能な調査方法を提起しているわけではないことをご理解下さい。
逆に例えば、10点のサンプルを調査して一つの表記が4点あり、残りの表記が3点ずつといったような拮抗した状況の場合には単純に数によって決定するべきではないと思います。こうした場合サンプルの採り方によって結果が異なることが考えられますし、そもそも私たちは百科事典の編纂という知的作業に携わっているのであって、人気投票をやっているのではないからです。こうしたケースでは都市の項目と表記を統一しておくのが望ましいでしょう(ですから私はサラエヴォの方を先に閉じておきたかったのです)。

uaaさんへはいろいろと言いたいことがあるのですがM.Mさんのご指導に従い一言だけ。ほとんどの方はお気づきと思いますが私は多数派と少数派の双方に配慮するという趣旨でサラエヴォを支持しています。「少数派に合わせ」るとしたらサライェヴォです。

それからかげろんさんが提示された帝国書院の地図帳ですが、サラエヴォの改名審議に関しては確かに一つの参考資料になるとは思います。ただこれって日本語における表記の普及度を測る指標としての質はどうなんでしょうね。今私の手許にかなり昔の版があるのですが、ソルトレークシチーとかカンザスシチーみたいな、当時の基準で考えても相当に非常識な表記が採用されていて、こういうのを見て失笑していた記憶があるんですよね。これを使って地理を学んだ私の世代でもこの表記を違和感なく受け容れる人はほとんどいないと思います。最近の版のことはよく知りませんが、おそらく世界史で「サライェヴォ事件」について学んだ最近の学生たちは地図帳のサラエボ表記を見て「何じゃこりゃ」と失笑しているんじゃないでしょうか。まあこれは推測に過ぎませんが。
なお、N yotarouさんのご意見については有意でないとは決して考えていないことを重ねて表明しておきます。

最後に夜飛さんのご指摘に関して一言。この案件に関わってきてずっと気になっているのですが、どういうわけかこれまでサラエボを主張してきた人たちのマナーが非常に悪かったんですよね。また紛糾させるといけないので具体的には指摘しませんが、このページでも明確な事実誤認に基づくコメントがたびたび出るので黙ってはいられないのです。別に自分と意見が違うというだけの理由で抗議しているのではありません。
すでに述べました通り私自身はサラエボ表記を最も多く目にしてきた世代ですのでこれを主張する意見自体はもっともなことだと思いますし、原音を重視する観点からいってもサラエボは特に間違いではなく十分許容範囲にあります。ですからきちんとした議論のマナーに則ってサライェヴォ世代にも配慮しつつ説得的な議論を展開する人がいればそう無闇に頑強に反対するものではないです。ただしこれまでのような議論の流れではとても妥協する気にはなれず、もう引くに引けない状態になって困ってますので、どなたかスマートなサラエボ論を展開して助けてやって下さい(笑)。--sergei 2008年12月11日 (木) 15:10 (UTC)正直過去ログはもう見るのもいやなので脳内ソースに頼って書いていたら2008年12月9日 (火) 15:31 (UTC) の私の発言にも一部誤認がありました(全体の論旨に特に変更はありません)。また「発言を控えていただきたく」といったような言い方もこのような自由な議論の場では軽々しく使わない方がよかったと今は思っています。--sergei 2008年12月20日 (土) 08:53 (UTC)[返信]

少数派への配慮はリダイレクトの作成と記事本文中で可能なのに、なぜ「サラエボ」では駄目なのか説得力のある根拠を簡潔にご説明いただければ幸いです。
「引くに引けない状態」とおっしゃいますが、都市の表記を国連・外務省・マスコミ各社・航空会社各社・各日本語百科事典・広辞苑以外の国語辞典・Googleの検索結果(先ほどは"サラエボ"約342,000、"サラエヴォ"約21,600、"サライェヴォ"約4,200、"サラエボ事件"約15,200、"サラエヴォ事件"約967、"サライェヴォ事件"約1,570でした)および『新地名表記の手引』にならい「サラエボ」にしましょうで簡単に終わりませんか?Peccaflyさんが列挙して下さった「サラエヴォ」と表記された書籍のうち、外務省の表記に倣った可能性が否定できないものは外務省に倣い今後変更される可能性が否定できませんから除外すると大部分が消えてしまいますよね。--N yotarou 2008年12月11日 (木) 16:34 (UTC)[返信]

Kliment A.K.さんへ)「怪しげな旅行ガイド」というような表現は相手の主張を貶め、自己故の主張を無理矢理通そうとしているように見えます。パンフレットも教科書も普及度を測る尺度としては同等ではないでしょうか。逆に、商業用パンフレットの方が市場での競争にさらされているので、作成者は常に一般に受け入れられやすい表記を用いることに注意を払っているはずです。マーケティングのプロと狭い世界に居る学者が使う表現では、一般性を計る上ではマーケティングのプロの方を私は尊重します。

ところで、歴史系の書籍や教科書は「サラエヴォ」と「サライェヴォ」で表記が揺れているようですね。それならば尚更「サラエヴォ」は相応しくないでしょう。”ボ”が”ヴォ”になったところで「サライェヴォ」世代への配慮になるとも思えません。--uaa 2008年12月11日 (木) 18:13 (UTC)[返信]

どうも皆さんは一言自己弁護をしないと気がすまないようで、また議論が横道にそれています。Kliment A.K.さんへ申し上げたとおり、議論の相手に対する批判がましい主張は控えてください。
sergeiさんへ)「また紛糾させるといけないので具体的には指摘しませんが・・・」と書かれていますが、このようなことを書き込むと相手側から当てこすりと受け取られ、紛糾の元です。このような発言はお控えください。
N yotarouさんへ)sergeiさんは「サラエボ」という表記がだめといっているのではなく、「サラエボ」を支持する側の論拠に問題があるということをいっているのを理解されていません。相手の主張を冷静になって読み返すべきと思います。
uaaさんへ)おっしゃっていることは、主観に基づく印象でしかありません。「作成者は常に一般に受け入れられやすい表記を用いることに注意を払っているはずです。マーケティングのプロと狭い世界に居る学者が使う表現では、一般性を計る上ではマーケティングのプロの方を私は尊重します」と主張されていますが、作成者=マーケティングのプロであると断言できる根拠はおありですか? 「狭い世界に居る学者が使う表現」が一般的ではないという点も納得できません。「サラエヴォ」ないし「サライェヴォ」は学者御用達の表現でもなければ、一部限定で使用されているものでもありません。さらにいえば、マーケティングのプロが一般向けに表記を用いているということはありません(彼らが一般的な表現に配慮しているのであれば、なぜ物流戦略を「ロジスティックス」と情報取得の道筋を「チャネル」と称しているのですか?)。
このまま非難合戦を続けていたら、決まるものも決まりません。本来ここまでこじれるような内容の議論ではないはずです。議論に参加されている皆さんには、合意形成のための建設的な意見を出していただきたいと思います。--M.M 2008年12月11日 (木) 21:06 (UTC)[返信]
この件は「紛争地帯」だと判断して避けていましたが、たまたま見てしまったのでコメントします。記事名をどうすべきかという具体的意見はありません。
語の表記ゆれがある場合について、アンケート的な調査とウィキペディアの記事名との関連を調査したことがあります。この場合は技術的用語の語尾長音表記でしたが、アンケートでの選好度と表記の使用頻度を同一視して大雑把に言うと、使用頻度が 70% を超えていれば記事名として使われ、30% に満たなければ記事名としては採用されない、といったところでした。要はある表記を採用するのにも、不採用とするのにも、 2/3 以上の同意があれば受容される、といったところでしょう。その意味で、数値的には使用頻度の 2/3 というのが外形的判断基準とできるでしょう。
数値的判断基準で合意ができたとしても、母集団をどうとるかという議論はいろいろとあると思います。最終的にはWikipedia:記事名の付け方の「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」が効いてきますから、マスコミなどでの報道にしばしば登場する語については、報道資料などが参考になるでしょう (殆ど報道されない様な語の方が実は難しい)。いわゆる「正式名称」が、ありそうで確定的には存在しなかったため、報道資料について調査した例がノート:F-1 (支援戦闘機)/改名提案/機体名称検証#検証資料一覧に表としてまとめてあります。この場合、新聞での用例では単一の表記で 2/3 を超えるものはなかったのですが、「戦闘機」「支援戦闘機」といった語が含まれるか含まれずに記号数字のみか、「戦闘機」か「支援戦闘機」か、記号数字は他の語に前置されるか後置されるか、といった組合せに分解してそれぞれについて分析するとそれなりの結果が得られました。母集団として何をとるにせよ、こうした、表記を要素に機械的に分解して評価する手法 (具体的には「ボ」か「ヴォ」か、と、「サラエ」か「サライェ」か、という比較に分けておこなう、といったこと) をとると決まりにくいものも決まることがあると思います。なお、こうした統計的手法をとる場合には、母集団が大きいほど信頼性は高くなります。その意味で、専門書の影響は低くならざるを得ないでしょう。専門書も含めた評価を行う場合には、資料について発行部数で重み付けといった技法も検討に値するかもしれません。
以上、うまくまとまらない場合に、表記の使用頻度に基づいた評価手法について御紹介致しました。御参考まで。--Jms 2008年12月11日 (木) 21:50 (UTC)[返信]

少し間が空きましたが整理してみます。M.Mさんによるいくつかの選択肢の提起の後、以下のような意見が提出されました。

  • サラエボ事件については歴史学関係の文献での使用例によって決定し、使用頻度にばらつきがある場合には都市の項目と表記を統一するのが望ましいという。一方サラエヴォについてはサラエボとサライェヴォのそれぞれになじんだ日本語話者に配慮するために現在の項目名を維持するべきである。(sergei)
  • 百科事典の項目名は日本語としての正式な表記、或は世間一般に普及している表現を用いるべきであり、その基準としては政府が公式に使っている表記が最優先され、それに次ぐものとしてマスコミ等で一般に普及している表現がある。(uaaさん)
  • 日本語による分厚い地名辞典があればそれがベスト。ただしほぼ毎年更新されていて信頼できるメーカーの世界地図帳も無視できない。サラエボ事件に関しては歴史事典に依拠する。(かげろんさん)

このほか以下のような意見がありましたがいずれも他者コメントへのレスという形なのでどういった基準を最優先するべきだとお考えなのかは明瞭ではありません。

  • 国連・外務省・マスコミ各社・航空会社各社・各日本語百科事典・広辞苑以外の国語辞典・Googleの検索結果(の最大ヒット数)・『新地名表記の手引』がサラエボとなっている。(N yotarouさん)
  • 歴史教科書「サライェヴォ」と地理教科書「サラエボ」とが対立する表記として存在しているのであれば、両者の中間点としてサラエヴォに賛成する。(Kliment A.K.さん)

また表記を決定する基準について直接意見を述べたものではありませんが、以下のようなコメントが寄せられました。

  • 観測点は出来るだけ曖昧性を廃し、より少なく揺らぎを含まない対象に限定する必要がある。過去に遡って言及することに合理性は無く、百科事典なら最新版のみを観測点に指定するなど、議論時点での最新の状態のみをもって判断すべきである。(夜飛さん)
  • (討議によって合理的に合意に至らない場合の次善の策として)表記の使用頻度に基づいた評価手法についての御紹介。(Jmsさん)

ほぼコピペを用いて要約しましたが正確性を期するためですのでご諒承下さい。また意見の順序は時系列に沿う形にしました。--sergei 2008年12月20日 (土) 08:55 (UTC)ご指摘を受け一部修正--sergei 2008年12月21日 (日) 09:26 (UTC)主眼点本人補足、合意可能なら使用頻度計数不要--Jms 2008年12月21日 (日) 09:55 (UTC)[返信]

sergeiさん、お疲れ様です。上記のまとめのなかで、一部異なるものがありましたので指摘させていただきます。
かげろんさんは、2008年12月11日 (木) 13:52 (UTC) にて「サラエボ事件に関しては歴史事典に依拠」とされています。--M.M 2008年12月20日 (土) 16:00 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございました。その点につきまして修正しておきました。--sergei 2008年12月21日 (日) 09:26 (UTC)[返信]
以上を踏まえ、ここではuaaさんとかげろんさんのご意見に対し私の見解を述べておきたいと思います。まずuaaさんのご意見はすでにノート:サラエヴォ/過去ログ1で既出のものです。特に政府機関の使用する表記についての見解はそれに対する反論も既出ですが、一応重複を厭わずにあらためて述べておきます。「政府が公式に使っている表記」は参考とすべき資料の一つではありますが「日本語としての正式な表記」ではありません。言葉というのはそれを使う人のものなのであり、政府が定めるものではないからです。このご意見はJAWPが日本語版であって日本国版ではないということへの理解の欠如も示しているように思われます。
それからマスメディアは事件・事故の報道内容については最も信頼のおける情報源ですが、外来語の表記の正確さ、適切さについては十分に信頼できる資料ではないと思います。マスメディアが問題のある表記を用いている例というのはいくらでもあると思いますが、私がWikipediaにおける項目改名に関わった例でいうとシネイド・ケアーというのがあります。シネイド・オコナーというアイルランドの歌手がデビュー当初はシニードと表記されていたのがシネイドに変更されたということを知っていればシニード表記はよくないとわかりそうなものですが、日本のマスメディアはほぼ例外なくシニード・ケアー(もしくは・カー)と表記しています。
また特に新聞の場合はヴ表記を用いないという内規があるらしく、機械的にバ行に置き換えているようです。先頃は高名な人類学者をレビストロースと表記しているのを新聞で見てびっくりしました(今検索で調べてみたらレビ=ストロースの表記を使用した文献もないことはないようですが)。もちろん、サラエボに関しては誤りでも不適切でもなく、しかも使用頻度の高いものであることは確かですが、マスメディアにおける使用例はこれを採用することを主張するための根拠としては弱いと思います。
次にかげろんさんのご意見ですが、「日本語による分厚い地名辞典」というのは仮定の話ですのでコメントしません。帝国書院の地図帳については確かに参考とする資料の一つにはなると思いますが、多くの資料が提示されている中でこれ一冊のみによって決定するというのは合理的な判断ではないと思います(上で述べた「推測」については文字通り推測に過ぎないので特に論点として強調は致しません)。--sergei 2008年12月20日 (土) 09:01 (UTC)[返信]
んーっと、一言よろしいですか。マスコミでの表記で「ヴ」を「バ」行の発音に置き換えるというのは、単に「ヴ」が日本人にとって発音しづらいというだけのことではないかと思います。実際にご自分で「ヴォ」と発音してみてください。ほとんど「ボ」と聞こえると思います。それに下手に「ヴォ」と発音すると聞き取りづらくなることもあって、テレビ・ラジオ等ではあいまいな発音はなるべく避けるようになっています。そういう理由からマスコミでは発音が容易な「サラエボ」を使っているということです(Girlのようなあいまいな発音も日本人が不得手とするところで、現在では「ガール」ではなくより発音しやすい「ギャル」などが使われていますね)。まあそれだけのことなので、マスコミの表記を権威付ける必要はないでしょう。それにマスコミで使われる外国語表記なんてものはコロコロかわるので信頼度は低いと思います。過去に、レーガン元大統領が大統領候補として登場したときに、日本のマスコミはこぞって「リーガン」候補などと言っていたのですが、本人から私は「レーガン」だと指摘が入って以後「レーガン」と言うようになったというエピソードがあります。なので、マスコミ表記は判断基準から除外してもいいんじゃないでしょうか。--M.M 2008年12月20日 (土) 16:21 (UTC)[返信]
M.Mさん、憶測のみでのご意見はご遠慮下さい。国語審議会とヴでの検索結果を読めば、発音と読みが一致しない人が多いという意見が出ていますし、すべてのv音がb音に置き換えられているわけではありません(NHKでのヴァの例)。リーガンからレーガンへの変更は、サラエヴォなりサライェヴォなりが妥当であれば変更されていた可能性があるとは考えられますけど、実際はそうではありませんね。「サラエボ」の表記は『新地名表記の手引』は原音とは異なるが定着しているとしていますから、現地での言語とは無関係に日本語化している例と解釈するのが普通でしょう。
それからM.Mさんにお願いです。複数のコメントに対してまとめてコメントしていただきますと話が切れてしまいますし読みにくくなってしまいますので、まとめないで個別にコメントするようにして下さい。--N yotarou 2008年12月20日 (土) 17:30 (UTC)[返信]
N yotarouさん、こんばんは。まずは、「まとめないで個別にコメント」してほしいと言う点についてですが、複数個所に書込みが分散されて、あっちこっちと参照しなければならないのでかえって読みづらいと思うのですが・・・。とりあえずはこれまでどおり時系列でさせていただいて、必要に応じて個別に回答させていただきたいと思います。
で、発音についての指摘ですが、「すべてのv音がb音に置き換えられているわけではありません」というのはおっしゃるとおり。しかし、「テレビ・ラジオ等ではあいまいな発音はなるべく避けるようになっています」という箇所をご覧いただいていますかね。それから、「レーガン」の例については、下のuaaさんあての書き込みにあるように「マスコミ表記は一般的な表記・発音を参考にしているわけではない」ということの例ですので、その点はご理解いただきたいと思います。--M.M 2008年12月20日 (土) 18:28 (UTC)[返信]
ここから「サラエヴォが妥当」という主張に対する疑問の提示と批判を行ないます。
  1. 間をとれば中庸だという主張は独自の研究ですよね。極端な話をしますと、北京と書いて日本語では普通はペキン、中国語の発音に合わせてベイジン(ペは濁音)だから間をとって半濁音でペイジンと読むのが妥当だという話になるわけがありませんし、円周率を約3.14とするか約3とするかという場合に間をとって約3.07にしましょうなんて結論に至るはずがありません。従いまして多数の支持を得られたにしてもサラエヴォが妥当という根拠にはなり得ません。サラエヴォが中庸な表現だと信頼できる情報源に書いてあれば根拠にするのは構いませんが、ありますか?
  2. ウェブサイトの検索結果(これだけでは根拠に弱いのは確かですが、このPDFファイルの23ページではNHKがGoogleを参考にすることがあると書いてありますので傍証としては十分でしょう)では概ね80%程度(直前のコメントでは比率を書かれませんでしたが)がサラエボなのに間を取るというのはどう考えても乱暴(9999:0.1:0.9の間を取り0.1を代表にするのもありですか?)ですし、日本語の慣用表記の代表のサラエボのほかにサライエボという表記があるにもかかわらずサラエヴォだけが支持されたというのも変ですよね。
  3. 原音主義の書籍がいくつかあるからと作為抽出(私がPeccaflyさんに伝えたのは『広辞苑』だけではありませんが、「サラエボ」の表記は無視されましたので明らかに作為抽出でしょう)する行為は多数の同意を得られたにしても無効じゃないですか?みんなで検討しましょうというのであれば無作為抽出でなければならないのではありませんか?それと「サラエヴォ」表記の書籍のうち大部分の発行時期が外務省がサラエヴォ表記を採用していた時期と重なるという指摘も無視ですか?原音主義ではないそうなので、表記の原則として原音主義でないと明記された書籍のみを抽出するなら問題はないと思うのですが、原音を重視すると明記された書籍ばかりを提示するのはアンフェアじゃないですか?
  4. ごく短期間の一方的な主張により改名したのが有効だとし、再検討を拒絶し続けるのもアンフェアじゃないですか?真っ当な結論であったなら再検討を行なっても同じ結果になるはずですよね。以前はお返事をいただけなかったようですが。
  5. Wikipediaが百科事典なら百科事典の見出しを参考にするのは当然でしょうし、2008年現在多くの場合Sarajevoという地名の読みに当てられているサラエボではなく、高校世界史(書店で立ち読みした範囲では高校地理と中学校歴史は「サラエボ」みたいですが都合が悪いから無視なんですか?)などの表記を優先すべきだと主張するのはどうですかね?
  6. マスコミの表記は私が調べた範囲では、最古のものはサラエボ事件直後の「サラエヴォ」と「セラエヴォ」(毎日コミュニケーションズ発行『大正ニュース事典』1巻245ページあたり)で、国語辞典では「サライェヴォ」(平凡社『大辞典』昭和28年再発行縮刷版)でしたが現状サラエボで定着しています。これは『新地名表記の手引』および外務省の表記変更で裏付けられている事実でしょう。
  7. 日本語のリファレンスとして国語辞典を参照するのも『広辞苑』以外は駄目みたいですし、日本語版だから日本国政府とかマスコミとかの表記を考慮する必要はないというご意見もあるようですが、私には理解できないご意見です。
提示された「検証可能な資料」のすべてがアンフェアにしか思えないのですが。見落としたものがございましたらご指摘いただけますか?そもそもまっとうな根拠があればここまでアンフェアにならずに済んだと思うのですが。--N yotarou 2008年12月20日 (土) 17:30 (UTC)[返信]
「JAWPが日本語版であって日本国版ではないということへの理解の欠如している」のは政府の公式表記、或はマスコミ各社や航空会社各社の使用例を否定している人達の方でしょう。日本語としての定着度という観点から見ればこれらの表記を無視できないはずです。また、そのような観点から見れば「原音に近い表現」などというのは論外ですし、日本語としての定着した表現のない「シニード・ケアー」や「レーガン」の例示は的外れです。

以前の議論で、政府機関の使用する表記について”サラエヴォ”に拘る人達に疑問を呈したにもかかわらず無視されたのでもう一度問いますが、「政府の表記は中立性が無くて教科書や歴史書は正しい」とする根拠は何ですか?

もう一点スルーされてますが、歴史系の書籍や教科書は「サラエヴォ」と「サライェヴォ」で表記が揺れているようですが、斯様に定着してない言葉が項目名として相応しいのでしょうか?特に教科書に関しては「サラエボ」も加わって、どれが定着しているとは言えない状況でしょう。それと、私の宣伝用パンフレットについての発言が主観的と批判されていますが、”「サラエヴォ」が「サライェヴォ」と「サラエボ」の中間的表現である”という意見の方が主観的で根拠がないものです。--uaa 2008年12月20日 (土) 16:38 (UTC)[返信]

「『政府の表記は中立性が無くて教科書や歴史書は正しい』とする根拠」などはありませんよ。誰がそのような主張をしているのですか? これまでの指摘は、外務省内であっても表記が統一されていない(表記にゆれがある)ので、参照するのは不適切ということではないのですか?
「レーガン」の例示は的外れとのことですが、何をもって的外れとおっしゃっているんですかね? マスコミ表記は一般的な表記・発音を参考にしているわけではないということを例によって示しているだけですけど?
それから教科書で「どれが定着しているとは言えない状況」とは、何を根拠におっしゃっているのですか? ちゃんと現行の教科書の表記をチェックされたのですか? なお、昔の教科書と現在の教科書で表記に違いがあるというのは無しにしてください。現在の教科書の表記を参考にしてください。
「『サラエヴォ』が『サライェヴォ』と『サラエボ』の中間的表現である」が主観的で根拠がないというのは、私もおっしゃるとおりだとは思いますね。よって、この「中間的表現」だからを理由として反対するということには同意いたします。ただし、uaaさんも反対するばかりではなく、議論が前進するような発言をしていただきたいですね。--M.M 2008年12月20日 (土) 17:24 (UTC)[返信]

>誰がそのような主張をしているのですか?

ノート:サラエヴォ/過去ログ1に於てAwakkoさんらが主張していました。外務省内の表記ゆれは収束に向かっているようですが、それに比べて教科書の表記ゆれはそのままのようですね。

>何をもって的外れとおっしゃっているんですかね?

それらの例はその時まで馴染みの無かった外国の固有名詞を日本語表記する際の混乱であり、”日本語”として定着している「サラエボ」と同列視するべきではありません。異次元の話でマスコミを排除するべきではないでしょう。

>何を根拠におっしゃっているのですか?

ノート:サラエヴォ/過去ログ1やここでAwakkoさんやかげろんさんが例示した歴史と地理の教科書です。そもそも、”昔の教科書”を持ち出すのは駄目と言いながら外務省については以前の表記を論拠に「揺れている」というのはおかしいですね。

政府、マスコミ、民間企業での使用状況から見れば「サラエボ」は日本語として定着した”和製語”です。百科事典の日本語版なら項目名には日本語を用いるべきです。--uaa 2008年12月20日 (土) 18:29 (UTC)[返信]

>ノート:サラエヴォ/過去ログ1に於てAwakkoさんらが主張していました。
それから、uaaさん自身は「歴史と地理の教科書」を確認されたのですか? 原則として歴史的事件についての記事なので、この場合歴史の教科書の表記が優先されることになると思いますけど、その点については考慮されていますか?
>異次元の話でマスコミを排除するべきではないでしょう。
「マスコミ表記は一般的な表記・発音を参考にしているわけではない」という点を見落とされているようですが、ちゃんとお読みいただいていますかね? それから「マスコミで使われる外国語表記なんてものはコロコロかわるので信頼度は低い」という点も考慮していただきたいですね。マスコミ各社で表記について統一した見解が示されているわけではないですし、「レーガン」のように都度指摘を受けて修正されるものでしょうから、そういうものに倣うのはどうかと思いますが・・・(外国語表記ではありませんが、最近では表現が不適切とのことで「汚染米」が「事故米」に変更されたなんてのがありますね)。
>”昔の教科書”を持ち出すのは駄目と言いながら外務省については以前の表記を論拠に「揺れている」というのはおかしい
おっしゃっていることが変ですよ。「現在」を基準にして表記を決めることがそんなに「おかしい」ことですか? 外務省の表記は昔と今の表記が混じっていて「表記にゆれがある」ので、参照するのはよろしくないのでは? と言うことだと思いますけど。それに昔の教科書の教科書まで間口を広げるとそれこそ収拾がつかなくなるではないですか。--M.M 2008年12月20日 (土) 19:09 (UTC)[返信]

>ここは「サラエボ事件」のノートであり、「サラエヴォ」のノートではありません。

私はここを「サラエボ」についての統合審議の場と考えています。

>確認されたのですか?

東京書籍の歴史と帝国書院の地理は確認しました。そもそも、このようなツッコミの方が議論の前進を妨げるものですね。

>歴史の教科書の表記が優先されることになると思いますけど、その点については考慮されていますか?

ならば、都市名についての記事は「サラエボ」にするべきですね。っていうか、ノート:サラエヴォ/過去ログ1でもその主張をしています。

>おっしゃっていることが変ですよ。

どこが変なのですか?過去の教科書を持ち出されると、教科書もコロコロ変わっていることが露呈して都合悪いからですか?

>「マスコミ表記は一般的な表記・発音を参考にしているわけではない」「マスコミで使われる外国語表記なんてものはコロコロかわるので信頼度は低い」「「現在」を基準にして表記を決めることがそんなに「おかしい」ことですか?」

歴史の教科書も「コロコロかわる」点については変わりないですよね。現在でも揺れており、統一もされていない教科書や歴史書の方が参考とするのに不適切でしょう。--uaa 2008年12月20日 (土) 19:41 (UTC)[返信]
>私はここを「サラエボ」についての統合審議の場と考えています。
これについては、以前にも指摘いたしましたが、ここでの決定は記事:サラエボ事件限定であって、この決定をもって記事:サラエヴォも同様に反映できるというものではありません。
>そもそも、このようなツッコミの方が議論の前進を妨げるものですね。
なにをもって前進を妨げるとおっしゃっているのかわかりませんが、uaaさんが断定的に主張しているので、ちゃんと確認したうえでそのようにおっしゃっているのかをたずねただけです。
>どこが変なのですか?過去の教科書を持ち出されると、教科書もコロコロ変わっていることが露呈して都合悪いからですか?
論理的に見て変だと言うことを申し上げているんですけど? 私にとって「教科書もコロコロ変わっていることが露呈して都合の悪い」ことは何もありませんけど。そういう反論が事態を悪化させることを認識されていますか? 今現在のWikipediaに掲載されている記事の名称を、現在の教科書の表記から検討するというだけのことですけど(昔の教科書なんかを引っ張り出してきたら、いつからの教科書を参照するんだなんて議論がおこってくるから、適切ではありませんよね)。それから、下に書かれてある「教科書絶対主義者」という決め付けはよろしくありません。議論に参加している方々で、教科書を絶対だと主張している人はいないはずです。
>歴史の教科書も「コロコロかわる」点については変わりないですよね。
マスコミの場合と同じように即座に修正が反映されるものですか? いちおう表記については教科書改訂時に検討されるばずですが、マスコミは教科書同様に検討されて修正されるわけではありませんよね。したがって、「『コロコロかわる』点については変わりない」ことをもって教科書表記を否定することはできません。教科書の表記のゆれが著しいので不適切だと言うのであれば、他の方々が納得できるように調べてここに公表すべきではありませんか? そうすれば、教科書表記に倣うのは適切ではないという結論も出てくると思いますけどね。だから「確認されたのですか?」と聞いたわけですが、現在のところ、歴史教科書1冊と地理の教科書1冊なのでサンプルとしては不足してますね。たいてい教科書取扱書店であれば、教科書ガイドを一般に販売しているので、そこから抽出するというのも手ですよ。--M.M 2008年12月21日 (日) 00:30 (UTC)[返信]
>この決定をもって記事:サラエヴォも同様に反映できるというものではありません。
私はサラエヴォの件との統合審議を提案し、Wikipedia:改名提案ノート:サラエヴォにも告知してあります。ここでの決定はサラエヴォにも適用できます。断定的口調で議論を誤誘導するのはやめて下さい。
>したがって、「『コロコロかわる』点については変わりない」ことをもって教科書表記を否定することはできません。
何が”したがって”なのですか?私も教科書表記を否定してするつもりはありません。マスコミも否定できないと言っているのです。
>マスコミは教科書同様に検討されて修正されるわけではありませんよね。
教科書の編集に於てマスコミよりしっかりした検討がなされたという根拠はありますか?推測を断定的に述べると発言の信頼性を失いますよ。

現に表記の統一すらなされていないではないですか。教科書表記は参考に出来てマスコミ表記だけをを否定する根拠にはならないですね。--uaa 2008年12月21日 (日) 04:18 (UTC)[返信]

歴史と地理の教科書の件ですが、その観点から考えるとかげろんさんが上で仰った「地名はサラエボ、こちら(歴史)はサラエヴォorサライェヴォを使えばいい」というのも合意に向けた現実的な提案だと思います。これなら教科書絶対主義者の方達も納得するでしょう。統一表記絶対の人からは異論が出るかも知れませんが、その方向での合意が難しいのであればそれも選択肢としてありだと思います。--uaa 2008年12月20日 (土) 19:57 (UTC)[返信]

当初はサラエボからサラエヴォに改名したので都市の名称に合わせて改名する、という話だったはずです。サラエヴォへの改名には問題があった、というのが私とあと数名の方のご意見で、問題はなかったとおっしゃる方がいらっしゃる以上、触れないわけにはいかないはずです。問題がなかったとおっしゃる方々の主張を検証したら私には詭弁としか思えなかったわけですが、私の誤解もあるでしょうからコメントを待つことにします。
ウェブ上で確認した範囲では、外務省の表記が統一されていなかったのは改正された2003年以前の話であって、それ以後は統一されていると2008年11月19日 (水) 13:24に私が指摘しています(過去の表記を修正していないということであっても、揺れているということにはなりませんよね。サライェヴォ4サラエヴォ28と数が少ないですし、大半の文書に日付があるか、なくてもURLから年度を推測できる場合が多いので簡単に確認できると思うのですが、M.Mさんはそれをしないで他人を追求しているということでしょうか)。
それと、教科書は図書館にないことが多いようなので教科書を販売している書店で立読みするか購入するかしないとできませんし、使用する教科書に地域差があったりしますので、代用として参考書・問題集で構わないと思うのですが、その範囲では高校世界史では概ね「サライェヴォ」で統一されているものの、中学校歴史と高校地理では教科書での地名表記のガイドラインの『新地名表記の手引』(教科書等を通じて国際理解を図るための活動をするという公的団体が、広まっている慣用表記では「サラエボ」だとしている事実を繰り返し強調しておきます)に準拠して「サラエボ」ですし、(ウェブ上で確認できる大学センター試験ではサラエボ事件の出題は確認できなかったため)高等学校卒業程度認定試験で確認しますと、平成20年度の政治・経済の問題で「サラエボ」と表記されていたことがこのPDFファイルからわかります(平成20年度の世界史でサライェヴォと表記されたことがPDFファイルで確認できますが、サラエヴォはありませんので、高校世界史教科書を重視するなら候補はサライェヴォであってサラエヴォにはなりえないはずです)ので、政治経済でもガイドラインに遵守してサラエボ表記なのではないでしょうか。理由はよくわかりませんが高校世界史の教科書でガイドラインを守らない表記が目立つ(2か月ほどたっても目立つという結果のみが強調されるばかりでその理由は示されないわけですが、サラエヴォあるいはサライェヴォが妥当とするなら、結果ではなくその理由が重要だと思うんですよね。理由がわかればWikipediaでの参考になりえたと思うのですが、私が調べた範囲では「現地での発音を重視」ばかりで、その理由は原音主義ではない云々といいながら明かされることはありませんでした)のでガイドラインは守らなくてもいいのだ、というご意見なのかも知れませんが、私には同意できないご意見であるのは確かです。その高校世界史の教科書を発行している会社数社でサイト内検索をしても、サラエボ・サライェヴォの表記が複数あったのは帝国書院サラエボ OR サライェヴォ OR サラエヴォ の検索結果26だけ(東京書籍はサラエボ1件のみ山川出版社はなにもなし)で過半数はサラエボでしたから都市名はやはりサラエボが妥当、「サラエボで起きたサライェヴォ事件」という表現では理解の妨げになります(複数の表記を混用した書籍は私には確認できておりませんので、あるならご指摘下さい)から、サラエボ事件のままが妥当でしょう。将来に地理や政治・経済もサライェヴォで統一されればサライェヴォ・サライェヴォ事件に統一するのが望ましいと思うのですが、今はその時期ではないはずです。--N yotarou 2008年12月20日 (土) 20:06 (UTC) - 2008年12月21日 (日) 08:39 (UTC) に外部リンクURLを修正しました。-N yotarou - N yotarou センター試験でサラエボ事件の出題が確認できたので取り消しました。2008年12月22日 (月) 12:17 (UTC)[返信]
2007年度センター試験世界史Aの問8の回答の選択肢に「サライェヴォ事件」とありました。2008年は問題には出ないものの、日本史A第5問の出題に対し、教科書を出版している実教出版が「教科書のp.106の1行目」を指定し「バルカン半島のサラエボで」と解説していますので、高校社会でも地理・政治経済・日本史では「サラエボ」の表記が用いられているように思われます(どなたかにご確認いただければ幸いです)。--N yotarou 2008年12月22日 (月) 12:17 (UTC)[返信]

(インデント戻し)N yotarouに苦言を申し述べたいと思います。

>外務省の表記が統一されていなというかったのは改正された2003年以前の話であって、それ以後は統一されていると2008年11月19日 (水) 13:24に私が指摘しています

これは不適切な引用です。「在外公館の名称及び位置並びに在外公館に勤務する外務公務員の給与に関する法律の一部を改正する法律案」の別表に記載される表記について改めるという内容であって、外務省の表記が統一されたというのは誤解に基づく指摘です。 N yotarouさんが根拠とされている「改正の第五は、同法の別表に記載される在外公館名、国名、地名を慣用として相当程度定着した表記に改めることであります」という答弁の内容は、上記法律の別表の表記を改めるというものであって、外務省における外国地名の表記を改めるというものではありません。これは自分の都合のよいように議論を誘導するものであり、Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成の方針に反するものです。こういうことは厳に慎んでいただきたい。このようなことは、あなたの主張の信頼性を損なうものであり、このようなことを繰り返せば、あなたのいうことを誰も信用しなくなりますよ。--M.M 2008年12月21日 (日) 03:43 (UTC)[返信]

せっかく議論が前進するような意見が出たと思ったら揚げ足取りですか?しかも呼び捨て。
外務省が地名表記の方針を国会で言及したものであり、不適切な引用というのは言い過ぎです。このように相手の言葉尻を捉えて面罵するような態度こそあなたの発言の信用性を失わせるものです。--uaa 2008年12月21日 (日) 04:33 (UTC)[返信]
(コメント)在外公館の地名変更に際してはN yotarouさんとM.Mさんが挙げられたリンクも該当するものですが、外務委員会の会議録の方の方も見て頂きたいものです。この中で、新藤政務官(当時)が「国名・地名をこの名称給与位置法の記述に統一していく」旨を発言していますので、こちらのリンク内容も考慮に入れて頂いてご判断をお願いしたいと思います。--かげろん 2008年12月21日 (日) 08:13 (UTC)[返信]
かげろんさん、ご指摘のリンク先ですが該当箇所を正確に引用していただけますか? かなり長いので「国名・地名をこの名称給与位置法の記述に統一していく」に該当する箇所がなかなか発見できません(ちなみに「名称給与位置法」というのは略称としては少々変だと思いますが、こういう略称を使っていましたっけ?)。当該箇所において、外務省における「国名・地名」の統一について明記されていれば、それは有力な根拠となり、外務省の基準も参照元として使えるということになると思います。だけど、下記のN yotarouさんが調べた結果を見ると、記事名の判断基準としてはどうかと思いますけど(どうしてかは、下記のN yotarouさんへの私の回答をご覧ください)--M.M 2008年12月21日 (日) 12:47 (UTC)[返信]
(引用)以下の「 」の部分がその部分の引用となります。少し長いですがご了承を。「○新藤大臣政務官 国名、地名表記は、それこそ五十年ぶりに思い切って全面改定をしよう、こういうことでございまして、そのキーワードは、わかりやすくするということです。そして、インターネット時代で、例えばジョルダンなんて、ジョルダンと引きますとインターネットでヒットいたしませんので、ですから、こういうことを、辞書ですとか教科書表記だとか、一般的に使われているものに整えようという精神でございます。
 そういった意味で、お尋ねの問題は、まず、他の国内法令、これにつきましても、改正が決まっているものについては即時やっていただく。それから、今後改正の機会があればそのときに手当てしていただきたいということをお願いしております。
 まず、既存の法律です。これは、私が考えているところでは、今七本ございます。それから、政令につきましては大体二十八本が今のところわかっているんですが、今年度内の改正の機会があるものは盛り込んでいただくように調整済みでございます。それから、今後、整備政令というものをつくりまして、一括して作業をさせていただこう、こういうものもございます。
 それから、あとは、既存の国際約束というものがございます。これも国際約束を改定するときに順次直してまいりますが、ただ、これは、相手国においてもその地名を使っている場合がありますので、相手国との協議が成り立たなければいけないので、法律、政令に比べるともう少し段取りが必要になってくる。
 いずれにしても、しかし、適宜、順次、今回のこの名称位置給与法に定めた国名、地名に統一をしていただきたい、こういうことをやっていくことでございます。」という以上の部分が引用箇所です。--かげろん 2008年12月21日 (日) 12:59 (UTC)[返信]
かげろんさん、お手数をおかけして申し訳ありません。ありがとうございました。当該引用部分から判断して、外務省が法律に表記する国名・地名を「辞書ですとか教科書表記だとか、一般的に使われているものに整えよう」という方針をもっていることの証左であり、「名称位置給与法」の表記が法律における国名・地名表記の統一の指標とされていることがわかります(このような資料こそが、必要かつ有効な資料といえるでしょう)。この答弁の内容から、外務省が辞書や教科書などの表記にならうというのであれば、辞書や教科書などを参照するのが合理的な考え方といえますね。ということで、外務省における地名表記の案件は、辞書や教科書の表記に倣うで決着がつくと思います(これ以上、外務省表記について議論を続けても進展はないでしょうし・・・)。--M.M 2008年12月22日 (月) 03:25 (UTC)[返信]
外務省の表記がサラエヴォからサラエボに変更されたという事実から、「外務省の判断ではサラエヴォよりサラエボが妥当だったのだろう」と私は判断したのですが、その理由の「辞書や教科書の表記に倣う」を強調するのはどういうことでしょう?それと「外務省表記について議論を続けても進展はない」というのはどういう意味ですか?「外務省の変更はサラエボが妥当だという根拠になりますね」であれば異議はないのですけれども、私への個人攻撃などを鑑みると一方へ誘導しようとしているように思えてしまいます。--N yotarou 2008年12月22日 (月) 11:46 (UTC)[返信]

(インデント戻し)何を勘違いされているのか分かりませんが、外務省が「サラエボ」という表記を優先しているのであれば、それは「辞書ですとか教科書表記だとか」を参考にした結果だから、ここでも外務省が倣っている「辞書ですとか教科書表記だとか」を参考に表記を決めればよいのであって、これ以上外務省表記について議論する必要はないということですけど? 感情に任せて「私への個人攻撃などを鑑みると」とおっしゃっていますが、私はN yotarouさんの根拠資料の提示の仕方に問題があることを指摘していることを理解されていませんね。よろしいですか、N yotarouさんが示された資料は、そのことから外務省が表記を統一しているという根拠にはなりえず、それをもって自らの主張を補強しようとすれば、議論を自分に都合の良く誘導しているように他者から判断されてしまう、だからやめるべきだということです。叱責しているような書込みだったので感情を害されたのだと思いますが、冷静になって他者の主張を吟味していただきたいと思います。sergeiさんへの反撥も、相手の主張をちゃんと吟味して理解していない結果ではないですか? 繰り返しますがsergeiさんは「サラエボ」が悪いといっているのではなく、「サラエボ」を支持する人たちの論拠に問題があり、Wikipediaの基本方針に従って決着がついた議論を蒸し返している行為に問題があるということをおっしゃっているのですよ。そのように見られるということは、議論が自分に都合の良く進んでいないから駄々をこねていると他者から判断されてしまっているのではないですか? その点をよくお考えいただきたいと思います。 --M.M 2008年12月22日 (月) 15:18 (UTC)[返信]

◆敬称忘れは私も時々やってしまいますので気にしませんし、おそらく単純なミスであろうそれのみで他人を批判するのは許されないとも思うのですが。
「外務省でサラエヴォも使用されている」というような主張があったようなので検証してみると、
  1. 2003年の変更以前から「サラエボの表記が用いられていたことが確認された
  2. 変更以後はサラエボしか確認できなかった
この検証結果では「統一されていない」ではなく、「(確認された範囲では)変更以降は統一されている」と判断するのが妥当ですよね(かげろんさんから2008年12月21日 (日) 08:13 (UTC)でご指摘いただいたURLは読んだ記憶はあったのですが、一連の議論では出ていませんでしたか)。
外務省で首都の表記が複数ある例として、マドリッド(外務省国連)/マドリード外務省国連)、バグダット(外務省国連)/バグダード外務省国連)などがあります。後者は『新地名表記の手引』で現地の標準が定かでないとして複数の表記が示された例ですが、イラクの説明のページで外務省がバグダッドと表記する一方で、国連はバグダードと表記しています(国連のサイト内では唯一のようで、他はバグダッドしか確認できませんでした)。
『新地名表記の手引』でギリシャ外務省国連)/ギリシア(外務省国連)は複数の表記があるというように書かれていたと記憶しています(説明のページでは外務省国連ともに「ギリシャ」)。しかしサラエボに関してはそのような併用は確認できない、これは客観的事実ですよね。そうでないとするなら、実例を示すだけで済む話です。
ところで。外務省が主に「サラエヴォ」表記を使用していた時期に発行された書籍のなかに外務省に倣ったものがある可能性が否定できないに関しては合意成立でかまいませんか?--N yotarou 2008年12月21日 (日) 08:39 (UTC)[返信]
「外務省が主に「サラエヴォ」表記を使用していた時期に発行された書籍のなかに外務省に倣ったものがある可能性」なんていうものこそ単なる憶測に過ぎないでしょう。私としてはわざわざ反論するまでもない論点としか思っていませんでした。そのことも含めて2008年12月20日 (土) 17:30 (UTC) でのご質問には後ほど回答させていただきます。すでに自分の中では準備できているのですが、丁寧に文章を練りたいのと、お互い冷静になるための時間をとった方がいいと思うので敢えて少し間隔を置いて回答したいと思います。その間に私が別の作業をしているのを見かけても決して問いかけを無視しているわけではありませんのでご諒承願います。--sergei 2008年12月21日 (日) 09:26 (UTC)[返信]
この部分「慣用表記を重視あるいは原則」と明記された書籍を提示して下されば十分、大演説は不要ですからご配慮たまわりたく。--N yotarou 2008年12月21日 (日) 09:58 (UTC)[返信]

(インデント戻し)N yotarouさん、上記書き込みにおいて呼び捨てになってしまったこと、大変申し訳ございません。うっかりコピペしたあとに「さん」をつけるのを忘れてしまいました。しかし、uaaさんが「外務省が地名表記の方針を国会で言及したものであり、不適切な引用というのは言い過ぎです」と言う指摘は、的外れであり不適切な引用であることには変わりありません。「同法の別表に記載される」表記と限定して記載されており、外務省が同法改正案をもって以後表記を統一するということは当該引用部分から確認することができません。よってWikipedia:検証可能性の要件を満たしているとは言えず、単に外務省の「地名表記の方針」だろうという想像でしかありません。それに外務省のHPでの記載を逐一調べるよりも、もっと手っ取り早い判断基準を選択した方がよいのではないですかね。調べるのも大変ですし、国名・地名について個別に表記にゆれがあったりなかったりということは、表記を統一する基準が明確ではないことを示していると思いますけど。N yotarouさんが調べた結果は、たまたま「サラエボに関してはそのような併用は確認できない」ということを示しているようにしか見えないんですが・・・。--M.M 2008年12月21日 (日) 12:47 (UTC)[返信]

帰納法はそういうものでしょう。そうでない観測結果を多数示せばたまたまだったと証明できますので、しっかり調べて下さい。--N yotarou 2008年12月21日 (日) 13:40 (UTC)[返信]

疑問などへの返答[編集]

遅くなりましたが2008年12月20日 (土) 17:30 (UTC) のN yotarouさんのご質問に回答します。一つ一つ丁寧にご説明しようと書いていたら自分でもうんざりするくらい長くなってしまいました。しかし下手に要約して言いたいことが正確に伝わらなくなっても困るのでそのまま投稿します。とんだクリスマス・プレゼントで申し訳ありません。

  1. 以前に全斗煥の例に対して述べた通り私の議論はサラエボもサラエヴォもサライェヴォも全て日本語として正しい(もしくは妥当な)表記であるということが前提です。ペイジンはいかなる意味においても正しくも妥当でもありません。円周率に関しては無理数の有限小数による近似をどの精度まで行うかという問題であって、3と3.14の間をとるとしたら3.1になるはずで、これは円周率の近似値として十分妥当な数値です。
    それはさておき、今私たちが直面しているのはどれか一つの解答だけが正解であるというような単純な問題ではないのですから、それぞれに妥当な候補が主に三つほどある中でどれか一つを選ぶとなればその根拠は中庸とかさじ加減とか落としどころといったような曖昧さを含んだものにならざるを得ないのは必然でしょう。そもそもWikipedia:外来語表記法には「一般的慣用」、「専門的慣用」、「原音主義」、「正式名称」という四つの基準が併記されていてどれか一つを優先するようには指示していないのですから、個別のケース毎にこれらの観点のバランスをとって判断するしかありません(今回のケースではボスニア・ヘルツェゴビナの大使館が日本語の公式文書でも公開していてそこで用いられている表記を確認できればそれを正式名称と見なすことができるでしょうが、残念ながらそうしたものはないようなので正式名称については考慮のしようがありませんが)。
    先に私はサラエヴォを支持する最も大きな理由として多数派と少数派の双方に配慮するということを挙げましたが、実際にはそれだけでなく複数の観点を総合的に勘案した結果の判断です(詳しくは5番目のご質問への回答としてご説明します)。もしそうしたバランスを考慮した判断に基づいてサラエヴォと結論を下す行為を独自研究というなら、導き出される結論がサラエボであろうとサライェヴォであろうとやはり同じように独自研究というしかないでしょう。
  2. ウェブでの検索結果というのはそれぞれのページの中身の質についての検討を含まないものです。原音への忠実さや学術分野での使用状況といった要素は検索でのヒット数とは別に考慮しなければなりません。
    原音主義についてはどういうわけか反発が強いようなのでこれまであまり強調してきませんでしたが、ガイドライン文書に一般的慣用などとともに併記されている以上は当然考慮する必要のある観点の一つです。Peccaflyさんが2008年11月7日 (金) 05:20 (UTC) に「原音主義は今回は関係がありません」と発言されていますがこれはもちろんサラエボ事件の名称についてのものです。
    専門的慣用については、確かどなたかが都市そのものの項目の名称についての議論なのに提示された文献が歴史学分野に偏っている、といったようなことを指摘されていたように記憶していますが、これは私も尤もなことだと思います。ただこれは日本語話者のこの都市への学術的関心が主にオーストリア皇太子の暗殺事件や90年代に起こった民族紛争といった歴史的事象を介したものである以上やむを得ないことだと思います。もしどなたかがもっと幅広い学術分野の文献での使用例を探し出して提示して下さればより深い議論になるだろうとは思います。
  3. 無作為抽出、もしくはそれに類する手法によって解決しようというのはM.Mさんのご仲介やJmsさんによる過去の議論のご紹介によって初めて出てきた話であって、サラエヴォもしくはサライェヴォへの改名を提案したPeccaflyさんがこれらの表記がすでに一般的に用いられていることを示す根拠としてそうした文献を提示する行為を作為抽出というのは当たらないでしょう。二度目の改名提案ではサラエボを主張する方がその根拠となる文献を提示した上で議論が行われたのですから、それが無効でなどあるはずはありません。
    N yotarouさんが広辞苑を提示されたのは外部サイトでのことだったようなので、それについては私は関知しません。そのことをここで持ち出すべきではないと思います。その意味ではPeccaflyさんがノート:サラエヴォ/過去ログ12008年10月31日 (金) 10:56 (UTC) のご発言でWikipediaでは発言されていないN yotarouさんのお名前を出したのも適切でなかったかも知れません。しかしこの議論の中では広辞苑は別のIPユーザーの方によって提示され、複数のアカウントユーザーがこれを尊重する意見を表明していたのです。そして広辞苑第四版の表記の確認者がWikipediaで実際に発言した人数より一人多くカウントされたということは議論の行方にはほとんど影響を及ぼさなかったのです。
    N yotarouさんが断りなくご自身のお名前を出されたことを不快に感じたのだとしたらそれは理解できます。しかしそれはPeccaflyさんに訂正を申し入れるなどして解決すれば済んだことであり、あるいは2008年12月20日 (土) 08:55 (UTC) の私のまとめに対してJmsさんがなさったように自ら修正を行ったとしても誰も文句は言わなかったはずです。こうした個人的な不快感を理由に議論そのものが無効だったと主張するのは妥当なことではないと思います。
    「『サラエヴォ』と表記された書籍のうち、外務省の表記に倣った可能性が否定できないものは外務省に倣い今後変更される可能性が否定できません」とのことですが、可能性を持ち出したらきりがなく、それをいうなら外務省がまたサラエヴォ表記に戻す可能性だって否定できないのですから、こういうことは考慮に含めるべきではないでしょう。憶測を交えずに判断すれば、サラエヴォ表記を用いた文献が増えた時期と外務省がこの表記に改めた時期が重なるというのは、この地域に関心を抱く日本語話者の間で当事者の自称により細やかな気配りをしようという機運がこの時期に盛り上がったことを示しているに過ぎないはずです。可能性の問題としてではなく現実に多くの文献がサラエボ表記に変わるということがもし起こったら、それは当然重要な判断材料になると思います。そうした情勢の変化を受けて提案が出されるのなら決して発議そのものに反対したりなどは致しません。
    サラエヴォやサライェヴォが多く用いられていることを示すのに「原音主義でないと明記された書籍のみ」を要求するのは不合理なことです。原音を重視する文献が相当数あるのであれば、この都市の名を表記する際には原音を重視するのが慣習として一定程度定着していることを示すものと単純に解釈するべきです。
  4. サラエヴォの履歴を見ていただければおわかりになる通り、最初の改名提案は一週間かけて議論が行われ、二度目には17日間かけられました。これはナインチェ・プラウスの8箇月間には及ばないもののWikipediaにおいて通常の議論に必要な期間の目安が一週間とされていることを考えれば決して「ごく短期間」とは言えないはずです。特に二度目の提案ではほぼ論点が出尽くしたと言えるほど活発に議論が行われました。
    「真っ当な結論であったなら再検討を行なっても同じ結果になるはず」であることを根拠に何度も同じことを蒸し返すのが妥当なこととはとても思えません。プロの裁判官なら控訴や上告された案件は必ず審理しなければならないでしょうが、誰もがボランティアで参加しているWikipediaのようなプロジェクトでは余計なことで労力を負担させないようお互いに配慮し合うことが必要なはずです(現実の法的手続きでも再審請求は新たな証拠などの提示がない限り受理されないんでしたよね?)。
    議論が閉じられてからわずか十日の後に提案を行うのなら、少なくとも前回の議論の要点を整理した上で、新たな判断材料を提示するなり前回の議論で不備のある点を明確に指摘するなりして、明確な論点を提示することが求められるはずです。私は2008年11月19日 (水) 13:15 (UTC) の発言を以て改名の発議そのものに抗議することをやめ成り行きを静観する姿勢に転じましたが、結局その後半月以上にわたって議論は放置されました。私が終了を提案した後になってやっと出てきた提案者の意見はいずれもすでに過去の議論で既出のもので、しかもこのケースでは正式名称に該当するものが存在しないことを理解していなかったりマスコミでの使用例のように信頼性を相対的に低く評価する必要のある資料を論拠とするものでしかありませんでした。現在曲がりなりにも議論の体裁を保っているのはひとえにM.Mさんのご仲介の賜です。しかしこのM.Mさんの丁寧な交通整理を以てしても個々の発言がサラエヴォについてのものなのかサラエボ事件についてのものなのかを巡って度々混乱が引き起こされているのを見るにつけ、やはりこの提案は無謀なものだったと確信を深めているところです。
  5. 百科事典にはみなそれぞれ編集方針があり、それに基づいて判断しているのでしょう。Wikipediaの編集においてもまずはWikipedia自身の方針に則って判断することが求められます。サラエヴォの項目名に関してはWikipedia:外来語表記法が最大の拠り所となるはずです。すでに述べましたがこの文書には「一般的慣用」、「専門的慣用」、「原音主義」、「正式名称」という四つの基準が併記されています。このうち本件では正式名称に該当するものが存在しないので、残りの三つを考慮する必要があります。まず一般的慣用としては主にサラエボ、サラエヴォ、サライェヴォの三通りの表記が普及していて、このうち特にサラエボの使用例が多く日本語話者の多くはこの表記に慣れ親しんでいると思われます。一方、やや少数ではあるもののサライェヴォに慣れ親しんだ日本語話者もいるという事情も考慮する必要があります。また専門的慣用についてはこの地域に関心を持つ学術研究者の間ではサライェヴォやサラエヴォなどより原音に近い表記が用いられる傾向にあります。そして原音への忠実さではサライェヴォが最も望ましく、次にサラエヴォ、サラエボの順になります。これらの三つの観点を最もバランスよく満たしているのはサラエヴォということになると思います。
    なおWikipedia:外来語表記法#地名には「現代の地名については、その地域の公用語(または、それに準ずるもの)を元に表記してください。ただし、日本での慣用で別の表記が定着している場合には、その点を十分考慮してください」という文言がありますが、この件で候補に挙がっている三つの名称はいずれも現地語の仮名転写に基づいているのでこの文言によって何か考慮しなければならない論点が生じるということはありません。
    「高校世界史などの表記を優先すべきだ」などとは私を含めて誰も述べていないにも関わらずこのような質問をされる意図が理解できません(もしそうならサライェヴォを支持しているはずなのですが)。
  6. マスコミについては報道される事件・事故などの内容についてはともかく外来語の表記については特に権威のある機関ではないのですから信頼性は相対的に低く評価する必要があると思います。国語辞典については最も権威あるものと評価されている広辞苑が初版からサラエヴォを採用しているという点も無視できないと思います。
  7. 繰り返し述べましたように私は参考とすべき全ての資料と考慮すべき全ての観点を総合した上で判断しています。マスコミについては信頼性を相対的に低く評価する必要があると考えますが、それ以外は考慮から外しているわけではありません。それはサライェヴォを支持していないからといってサライェヴォと表記された資料を無視しているわけでも原音主義を考慮していないわけでもないのと同じです。「考慮する必要はない」などとは私を含めて誰も述べていないにも関わらずこのような質問をされる意図が理解できません。
    逆にもしよろしければサラエボを支持している方はサラエヴォやサライェヴォと表記された資料、学術研究者がこれらの表記を多く用いているという傾向、これらの表記がより原音に忠実であるという事実などをどのように考慮されているのか伺いたいところです。少なくとも私にはその主張がこれらの点を全て考慮した上で導き出されているようには見えないのです。

以上、大変長くなりましたがお答え致しました。「大演説は不要」とのことですが私としても説明すべきことは説明しておく必要があります。自分で七箇条にわたる質問を行っておきながらこのように仰るのが誠実な議論態度といえるのかはいささか疑問に感じているところであります。--sergei 2008年12月24日 (水) 09:04 (UTC)[返信]

sergeiさんご返答ありがとうございます。申し訳ないのですが、長過ぎて私には根拠がどのあたりかよくわからなくなってしまいました。誤解をさけるため、客観的な根拠が何かわかりやすいように「◯◯にこのように書いてある」というように手短かに要約をお願いできますでしょうか。勝手ながら後々の編集を容易にするために節を細分化させていただきましたので事後承諾いただけますようにお願いします。--N yotarou 2008年12月24日 (水) 15:05 (UTC)[返信]

外務省の表記変更について[編集]

節をわけ、確認のために簡潔に要点のみを質問させていただきます。

  1. 外務省は信用できる情報源でしょうか?
  2. 外務省の検討の結果をサラエボが妥当という根拠の1つにできるでしょうか?
  3. 「慣用に従って外務省の表記がサラエヴォからサラエボに変更され統一された」は真でしょうか偽でしょうか?

--N yotarou 2008年12月22日 (月) 17:10 (UTC)[返信]

コメント[編集]

話が混乱しないようにコメント節を設けましたのでご了承下さい。--N yotarou 2008年12月23日 (火) 09:50 (UTC)[返信]

これ以上、外務省表記について議論する必要性は感じません。理由は既述の通りです。--M.M 2008年12月22日 (月) 18:08 (UTC)[返信]
「客観的な基準に従って記事名を審議する」ように呼びかけながら、具体的な根拠が提示されると「相手の主張をちゃんと吟味して理解していない結果」と言って否定するあなたの姿勢に疑問を感じます。「「サラエボ」を支持する人たちの論拠に問題があり、Wikipediaの基本方針に従って決着がついた議論を蒸し返している行為に問題がある」とのことですが、変更を強行した上で現状維持という結果にされたものであり、統一を図るのなら再度審議するべきでしょう。「サラエボ」が悪くないのなら、「サラエボ」で統一するという事も当然選択肢の一つであるはずです。「議論が自分に都合の良く進んでいないから駄々をこねている」のは「サラエヴォ」に拘る人達の方でしょう。
sergeiさんはしばらく期間を置いた後回答されるとのことですが、手続き論には拘らず、「サラエヴォ」の正当性について述べていただきたいと思います。--uaa 2008年12月23日 (火) 04:13 (UTC)[返信]
個人攻撃をしても話は進みませんから、論点の確認や整理へのご協力をお願いします。M.Mさんの態度が問題だというのでしたら、ここではなくコメント依頼でお願いします。それとこの節はsergeiさんは現状まったく関係ありません。sergeiさんもこの説では無視して下さるようお願いします。混乱を排除して話をわかりやすくしましょう。--N yotarou 2008年12月23日 (火) 09:50 (UTC)[返信]
論点の確認や整理はする方がよいと思うのですが、いかがですか?しない方がよい理由があればご指摘下さい。--N yotarou 2008年12月23日 (火) 09:50 (UTC)[返信]
「論点の確認や整理」はしたほうがいいのですが、すでにかげろんさんが引用されている外務委員会の答弁の引用によって、外務省の法文における外国表記の方針が明らかにされているわけですから、もう議論する必要はなくなっているはずですよね。外務省の表記が信用できるかとか、サラエヴォからサラエボに表記が修正されているのが正しいかとかを議論する必要ありません。結局、議論の間口を広げることによって横道にそれてしまっているのですから、元に戻さねばなりません。ここで必要なのは、選択肢を広げることではなく絞ることです。やたら検索の範囲を広げても、決まらなかったら意味はありません。外務省が「辞書やら教科書表記やら」を目安にするのであれば、こちらも「辞書やら教科書表記やら」の中から、妥当なものを選択するように議論をすべきです。--M.M 2008年12月24日 (水) 11:30 (UTC)[返信]
この節で私がお願いしているのは議論ではなく要点の確認・整理ですので、繰り返しご協力をお願いします。
それだけではご不満のようなので私の誤記があるかも知れませんが、調べた結果を付け加えておきます。
  • 百科事典#主な百科事典で示されたうちのポプラディアをのぞく全数と学研『グランド現代百科事典』・旺文社『学芸百科事典』・暁教育図書『現代教養百科事典』・講談社『NAVIX』を調査したところ、小学館の『日本大百科全書』および『万有百科事典』の世界歴史でのサライエボ(ただし世界地理ではサラエボ)以外はサラエボで一致(ラジエターの表記に関しては百科事典での長音表記の揺らぎが確認されました)しました(平凡社『世界大百科』初版ではサライェヴォでしたが1985年と2007年の版はサラエボ、変更時期は未確認)。
  • 国語辞典では、広辞苑(2版はサラエボ、3版以降はv音をヴ行表記としてサラエヴォ)以外一致で同様でした(三省堂『大辞林』、講談社『日本語大辞典』、小学館『日本国語大辞典』、角川『角川国語中辞典』などでサラエボ。古い国語辞典では戦前発行の平凡社『大辞典』の縮刷版でのサライェヴォのほか、昭和49年発行の三省堂『大辞林第5版』のサライエボもありました)。
  • 歴史辞典などではサライェヴォ・サラエヴォ表記が目立ちました。サライェヴォに関しては確認できた範囲では「原音を重視」ですから原音を重視しない改名であれば除外するのが妥当でしょうし、サラエヴォに関しては外務省が主にサラエヴォと表記していた時期の発行のものは外務省の表記に習った可能性が十分考えられますので、外務省の表記を重視しない立場あれば外務省準拠でないことが確認できないものは除外するのが妥当でしょう。サラエボの表記は最大多数ではないものの皆無ではなく複数確認されました。
  • 地図(旅行ガイドの地図も含む)の表記ではサラエボが多いものの、サラエヴォと表記したものもかなりありました。サラエヴォの原則で明確だったものは原音重視でした。
調べた資料を全数示すには数が多く混乱の原因になりかねませんし、誤記してしまうことも避けたいと考えていますのでその点はご了承下さい。ご紹介いただいた『外国地名レファレンス事典』は近くの図書館にないので参照できておりませんが、含まれているらしい辞書の半数ほどは調査済みなのですが、それらには揺らぎが見られました。
  • 教科書は重視しなくてよいというご意見がいくつかあるようですが、教科書の表記は「外国の国名の表記は,原則として外務省編集協力『世界の国一覧表』によること」とされているようです(平成12年6月の報道発表によるものでかなり古いのですが、平成17年11月15日大臣会見概要でも触れられていますのでこの3年以内に変更されていなければそのままでしょう)が、高校世界史Bは例外なくサライェヴォ事件(11冊中11冊)、高校地理ではサラエボを取り上げる場合はサラエボを採用(地理B教科書の5冊中2冊)しているようです(いずれも山川出版の2008年度版の用語集による)。中学校では確認された範囲ではサラエボのようです。『世界の国一覧表』は発行元の「世界の動き社」が解散して古書でしか入手できないようですが、それに準拠した表記らしい『データブックオブザワールド』(二宮書店)では「サラエボ」でした。
  • 以上の調査結果から2008年現在の地名の表記として慣習では「サラエボ」、原音重視なら「サライェヴォ」が妥当だろうと私は思うのですが、合意が成立しない状況が延々続いています。サラエボ事件の記事名称に関してはサライェヴォ事件への改名を検討する余地はあると思うものの(色々考えたのですが、サラエボ事件の記事名のままで読みのあとに「◯◯とも」と説明するのがもっとも容易だとの結果に至りましたし、改名しなければ手間が省けます)、改名の理由がサラエヴォへの変更でサラエヴォに合わせるでは私は同意できません。個人的な見解ではサラエヴォからサラエボへの再改名を検討し、それとは別にサラエボ事件の記事名を再検討するというのが妥当になるのですが、この点に関してはいかがでしょうか。
  • 最後に。私は調べた上で百科事典の見出しなどに準じサラエボが妥当だろうと述べていますので、調査・確認へのご協力もお願いします。私の誤記や調査範囲以外での例外がある可能性が十分あります。夜飛さんには申し訳ないのですが、記述を少なくするために版の明記を基本的に省略させていただきましたことをご了承下さい。新しい版でヴォ表記に変更されたものがあれば版を指定して頂ければ幸いです。--N yotarou 2008年12月24日 (水) 15:05 (UTC)[返信]

(インデント戻し)N yotarouさん、こんばんは。

>個人的な見解ではサラエヴォからサラエボへの再改名を検討し、それとは別にサラエボ事件の記事名を再検討するというのが妥当になるのですが、この点に関してはいかがでしょうか。

当初、私から提案させていただいていたのは、おっしゃるとおり「それとは別にサラエボ事件の記事名を再検討する」ということです。参加者のほとんどは「別に検討する」に納得されていると思いますが、uaaさんが表記の統合を掲げて反対しているので話が先に進んでいない状況でした。「サラエボ事件」については「サラエヴォ」とは別に検討するということで私は賛成です。あとは、表記選定の基準となる典拠を絞り、そこから妥当なものを選択するというのが提案の趣旨です(私は、百科事典の表記から抽出して選択すればよいとの考えています)。--M.M 2008年12月25日 (木) 14:00 (UTC)[返信]

M.Mさん、「百科事典の表記から抽出して選択」ということですから、私の「主な百科事典」の調査結果へのコメントをお願い申し上げます。--N yotarou 2008年12月26日 (金) 11:16 (UTC)[返信]
現在手元にある電子辞書で確認した限りでは、ブリタニカ国際大百科事典とマイペディアは共に「サラエボ事件」です。--M.M 2008年12月26日 (金) 15:13 (UTC)[返信]
M.Mさん手間を裂いていただきありがとうございます。他の方にもご協力いただければ嬉しいのですが、年末年始は図書館は休館でしょうから時期がよろしくないですね……。--N yotarou 2008年12月30日 (火) 15:23 (UTC)[返信]
コメント『外国地名レファレンス事典』を調べて来ました。v音はバ行で統一したとして見出しが「サラエボ」で、三省堂『コンサイス外国地名事典』・古今書院『世界地名語源辞典』・東京書籍『世界地名情報事典』・創拓社『世界地名ルーツ辞典』・三省堂『最新世界の地名ハンドブック』・平凡社『東欧を知る事典』が「サラエボ」、朝倉書店『世界地名大事典』が「サライェヴォ」、小学館『日本大百科全書』が「サライエボ」とされていましたが、巻頭の「収録事典一覧」に記載されている東京書籍『最新世界各国要覧(11訂版)』の12訂版(2006年)・朝倉書店『図説大百科世界の地理 13 東ヨーロッパ』・朝倉書店『世界地理大百科事典 6 ヨーロッパ』・昭文社『ビジュアル大事典世界の国々』は「サラエボ」(私が細かい字を見落としたのかも知れませんがメモにはありませんでした)で、三省堂『コンサイス外国山名辞典』・小学館『ビジュアル・ワイド世界遺産』には「Sarajevo」の見出しを確認できませんでした。「収録事典一覧」に記された資料のうちネコ・パブリッシング『地球大図鑑』以外は原典を確認したつもりなのですが、その中には「サラエヴォ」の見出しはありませんでした。ただし、先に書きましたように『外国地名レファレンス事典』はv音をバ行表記としていますので、納得しない人はまだ納得しないような気がします。--N yotarou 2009年1月14日 (水) 12:10 (UTC)[返信]
『外国地名レファレンス事典』の見出し語は同事典だけの話なので、判断には影響しません。参照先の辞典類でどう表記されているのか、だけを参照すべきです。つまり、収録辞典類では、サラエボが 6 例、サライェヴォ、サライエボが各 1 例、ということです。--Jms 2009年1月14日 (水) 12:22 (UTC)[返信]

(コメント)過去50年分の義務教育(小・中学校)で使用されたすべての歴史教科書・地図帳の平均を取るというのは。これなら世代の違いや教育を受けた程度の誤差とを縮めれる気がするのですが。参考までに。--219.106の者 2008年12月26日 (金) 14:07 (UTC)[返信]

(コメント)誤差を縮めるもなにも、過去50年間の義務教育段階に限定してしまえば、すべて「サラエボ」表記と考えてよろしいのではないでしょうか(少なくとも現行の小・中の歴史・地図帳は全メーカーとも「サラエボ」表記です。ただし、小学校は来年度から大改訂のはずだったように記憶しておりますが、変更されたのを確認した場合はそのときにまた報告します)。根拠としては、旧文部省による地名の呼び方と書き方<社会科手びき書>とN yotarouさんが提示された『新地名表記の手引』(財団法人教科書研究センター)が挙げられるでしょう(本当はその2つの間に『地名表記の手引』(財団法人教科書研究センター)が1冊あるわけですが、これについてのみ確認が取れていません)。--かげろん 2008年12月26日 (金) 14:58 (UTC)[返信]
コメント昭和33年(1958年)の『地名表記の手引』の現物は確認できていませんが、『新地名表記の手引』183-191ページに『地名表記の手引』から『新地名表記の手引』で変更された地名の一覧の「新旧対照表」が記載されていまして、そこには「インジアナ」から「インディアナ」や「ノルマンジー」から「ノルマンディー」などの変更は記されていますが「カンザスシチー」や「サラエボ」は記されていませんので、約50年前の『地名表記の手引』でも「カンザスシティー」・「サラエボ」だったようです。--N yotarou 2009年1月14日 (水) 12:10 (UTC)[返信]
  • (コメント)こんにちは。ちょこっとだけ。事典・辞書の類は、項目をあいうえお順に並べて製本するという性質上、配列や例外の問題を生じやすい「ヴ」を用いると、校正が煩雑になりすぎるという面が大きいのではないでしょうか。ウィキペディアは紙ではないですから、そこは大きな違いではないかと思います。
    • 「サラエヴォ」か「サラエボ」かという情報は、地名にまつわるもので、地名についてはサラエヴォの議論として話すべきではなかろうか。そうでなければ適当な方針やガイドライン、中欧~東欧関係のプロジェクトなどで。議論の実態としては、明らかに正式名称と言えないものについての「v音v表記」について、カナ表記として「ヴ」か「ブ」かというものになってきているように思います。
    • このノートで話をするなら、一般には地名記事の表記に合わせるとしても、サラエボオリンピックのように、特に歴史分野において「サラエボ事件」が一般的な「サラエボ/サラエヴォ」の使い分けに比べて多く用いられているということであれば、「サラエヴォ」「サラエボ事件」という混在が許容されるという形になるのでは。
    • 「ヴ」「ブ」の議論は、あまり話に出てきていないようですが、「ヴ」は原音・原綴りを想起しやすいというメリットがあり、「ブ」は実際の発音からの選択である(読む時にヴで発音する人は少ない)というのが一般的な理由であったかと思いますが、まあ、結論が出せるものではないようです。なので、ウィキペディアとしてはどっちがいいかということをゼロベースで考えるというのもないわけではないし(考えなければならないことは山ほどあります)、あまり労力をかけず執筆者に委ねるという解決策もあるかと思います。それくらいを一旦射程に入れた上で、どこで、どういうレベルで判断するのがよいかというのを、それぞれに考えてみないと、議論が拡散する一方になってしまうと思います。せっかく進行役がいらっしゃって、それぞれに調査を進めているのですから、実りある議論を期待しています(個人的には、ヴで表記することを好みますが、ウィキペディアでは原綴り、原音のカナ転写または発音記号を本文で書いてもらえれば、リダイレクトでたどり着ければそれでいいと思っています)。--Ks aka 98 2008年12月26日 (金) 16:54 (UTC)[返信]

個別の検討への移行の提案[編集]

M.Mさんなどからすでにご提案いただいているようですが、個別の検討への移行を重ねて提案させて頂きます。改名の根拠となった「サラエヴォ」との慣用表記があるという典拠を提示していただけません(原音を重視すれば「サライェヴォ」なり「サラエヴォ」なりの方がよいのでしょうけれども2008年末現在に定着した表記であるとは言える根拠は示して頂いておりませんし、根拠として妥当というのであれば「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」などもヴ行へ改名してよい前例にされ、同様の議論が何度もくりかえされるおそれがあります)し、「中庸な表現」も独自の研究に思われますので、「サラエヴォ」は典拠が示されなければ「サラエボ」へ戻す改名提案をノート:サラエヴォで行ない、「サラエボ事件」の方に関しては慎重に判断する方がよいと思われますのでこちらを一度整理した上で「サラエボ事件」のままにするか、「サライェヴォ事件」に改名するかの議論を行ないましょう(「サラエヴォ事件」を検討する場合には、検討すべき根拠を簡潔に示していただけますようお願いします)。--N yotarou 2009年1月14日 (水) 12:10 (UTC)[返信]

サラエヴォ支持者から明確な反応がないので、サラエボに戻すことに賛成します。--118.237.82.254 2009年2月5日 (木) 14:50 (UTC)[返信]

もうこれ以上どのように意見表明すれば議論を前に進めることができるのかわからなくなってしまっていたので放置していましたが、議論場所を分けることについては異論はありません。
なお、上でKs aka 98さんがコメントして下さっているのでそれに乗っからせていただきますが、すでに何度も述べているようにこの件ではサラエボもサラエヴォもサライェヴォも全て日本語として正しい(もしくは妥当な)表記であることは明らかなのですから、取り敢えず主執筆者に任せるということでいいのではないかと思いますがそれではだめなのでしょうか。それから東ヨーロッパでは-evoとか-ovo(キリル文字でいうと-евоや-ово)という語尾を持つ地名は数多く存在するのでそれらとの兼ね合いもあり、そのあたりをWikipedia:ウィキプロジェクト 東ヨーロッパの方で議論してもらうというのもいい案だと思うのですが。--sergei 2009年2月9日 (月) 09:03 (UTC)[返信]
>改名の根拠となった「サラエヴォ」との慣用表記があるという典拠を提示していただけません
既に何度も提示されているとしか小生には思えません。都市名をサラエボに戻す事にも反対致します。--Kliment A.K. 2009年2月9日 (月) 17:27 (UTC)[返信]
いや、「慣用表記として」の、百科事典の見出しとしてサラエヴォを採用すべきだとする合理性のある出典が示されていないということでしょう。過去に示された出典は、そのいずれもが「この書籍ではサラエヴォと表記されている」というレベルか、あるいは過去の所定分野では同表記が用いられていたというものであり、それは「現在において汎社会的に同表記が最も一般的である」とする論拠足りえない物だと認識しています。--夜飛/ 2009年2月10日 (火) 16:17 (UTC)[返信]
>いや、「慣用表記として」の、百科事典の見出しとしてサラエヴォを採用すべきだとする合理性のある出典が示されていないということでしょう。
小生は合理性を見出しています。というより合理性を見出していなければ「既に何度も提示されている」とは申しません。--Kliment A.K. 2009年2月11日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
ウィキペディアでは、なるべくは同じ名称なら表記は統一する方向で検討されていると思います。ボルティモア (曖昧さ回避)ノート:ボルチモア)、ペンシルバニア (曖昧さ回避)などの例を挙げておきます。従って、基本的には「個別の検討」は避けるべきです。
ただ、例えば都市のページが「サライェヴォ」になったとしても、「サラエボオリンピック」を変更しろとは思いません。逆に、空港や鉄道駅、路面電車やバスといった都市の存在に依存する事物については、年のページ名に合わせたものがよいと思います。
要は、固有名詞化の度合いの問題だと思います。都市の存在からの乖離の度合いです。サラエボオリンピックは都市の存在に依拠せずまず1984年の冬季オリンピックという概念が先にあります(1984年冬季オリンピックがたまたまサラエボで開催されたからサラエボオリンピックなわけで)。それにひきかえ、空港や駅といったものはまず都市の存在ありきです。
事件については一番難しいところだと思います。最近の歴史関係の書籍での表記に従うのでよいと思いますが(学問的な見地に立てば、何も古臭い研究をわざわざ優先することもないでしょう)、仮に都市と事件が別表記になった場合、混乱が起こるのでしょうか。私はそんなこともないと思いますので、WP:RSに準じた文献における表記例の集積を行い、そこから妥当なものを選出するという考え方でよいと思います(できれば全部統一した方がよいと思いますが)。
なお、参考元についてですが、都市のページは地理や歴史、観光、文化、言語、その他諸々、極めて多くの話題を含むため「どの分野」とは断言しにくいのですが、歴史上の事件についてはまあ凡そ歴史学の分野であると考えてよいと思います(+政治学、文学、などもあるでしょうが、重要度は一段下がると思います)。ですので、この事件については歴史学関係の文献を最重視するのが妥当であると思います。--PRUSAKiN 2009年2月19日 (木) 11:16 (UTC)[返信]
ところで、質問がひとつとお願いがひとつあります。
まず、ノート:サラエヴォ#改名提案では「サラエボ事件の改名と合わせてノート:サラエボ事件で審議したいと思います。」と2008年11月18日 (火) 17:16 (UTC)の時点でこちらを議論場所に指定してあるのですが、結局こちらでは個別に議論をしようという方向になっていると思います。となると、サラエヴォについては、あちらのノートにて改めて改名提案をするなり、「ノート:サラエボ事件での議論の結果、こちらに戻ってきました」というようなことをきちんと明言する必要があると思います。現状では、仮にあちらの都市のページに興味があって議論参加したいと思っている人がいた場合、あちらを見ると「サラエボ事件でまとめて」と指定されており、こちらに来ると「個別にやる」となっており、行き場がありません。
次に、議論に参加されてこられた方々にお願いなのですが、これまでの長大な議論の暫定的なまとめを行っていただけませんか?現状では、新参者は過去の膨大な議論を最初から自力で読み返さなければならず、実質的に新規参加は困難です。「サラエヴォ」派、「サラエボ」派、「サライェヴォ」派がいらっしゃるようですが、それぞれの意見について、それぞれにまとめていただければよろしいかと思います。その上で仕切り直しした方がよいのではないでしょうか。今のままでは外部から状況が把握できませんし、極端な話、これまでの参加者の方がどうにかしない限り永久に議論停止状態になりかねません。
これまで皆様方がたいへん苦心されてきたことは、今あるこのページをざっと見るだけでもお察しできるのですが、ただ、現実問題としてこのまま各ページに改名提案テンプレートを貼り付けたまま放置というのも望ましくはないものと思います。なんらかの打開策が必要だと思いますので、稚拙ながらご質問とお願いをさせていただきました。--PRUSAKiN 2009年2月20日 (金) 06:36 (UTC)[返信]
おや、私はてっきりこのページは改名提案状態にあると思っていたのですが、テンプレート貼られていないじゃないですか!2008年11月16日 (日) 13:13の版以降このページには改名提案テンプレートが貼られていないのですが、改名提案しているんですか?それともただ議論しているだけなのですか?本文よく確認せずノートばかり見ていました。不注意ですみません。--PRUSAKiN 2009年2月20日 (金) 07:29 (UTC)[返信]
このページ、改めて改名提案したほうがよいですか?本来なら、改名を差し戻した方がそのとききちんと責任を持ってテンプレートを戻しておくべきだったと思いますが。--PRUSAKiN 2009年2月26日 (木) 13:26 (UTC)[返信]
誰も議論もしない状況なので、個別の検討はやめてノート:サラエヴォに書かれている通り、こちらでまとめて検討することにします。改名テンプレートも貼り忘れを誰も修正してくれないので、私の一存で再度貼り付けました。たんに2008年11月の段階で貼られているべきであったものを修正したものとみなして下さい。
改めて提案するまでもないと思いますが、本項目については「サラエヴォ事件」か「サライェヴォ事件」への改名を提案します。前者の理由は、「ボ」か「ヴォ」かは普通論点にならないこと、つまり「サラエヴォ」でもより原語に正確という以外に何ら不都合な点がないこと、「サライェヴォ」と思っている人なら「サラエヴォ」表記は理解しているだろうし、「サラエボ」と思っている人でも「サラエヴォ」でも理解可能であることから、WP:NCの掲げる第一原則「日本語話者の大多数にとって、最も曖昧でなく、最も理解しやすいもの」の「最も理解しやすい」に適合すると考えられるということです。以前主張されたように、最近の歴史関係の書籍では「サライェヴォ事件」だということであれば、それでもよいかもしれません。ですが、できれば都市ページと同じ表記の方がよいだろうと思います。
都市ページについては、同様の理由で現状維持を提案します。--PRUSAKiN 2009年3月10日 (火) 11:06 (UTC)[返信]
なんだか「最も理解しやすい」の「最も」が蔑ろにされている気がします。「それでも構わないんだからそっちにする」ということが「最も」なのかどうかは疑問です。サラエヴォとググッた結果として「サラエボ」が検索に引っ掛かり、その双方を排他的に検索した結果(サラエヴォ / サラエボ)に無視できない合致数の差(文字通り桁が違う)以上は、何を持って「最も」とすべきかを配慮する必要があると考えます。--夜飛/ 2009年3月10日 (火) 12:06 (UTC)[返信]
普通は「バ」行と「ヴァ」行は同一視されますよね。「理解しやすい」ということは、「サラエボ」だという人からも「サラエヴォ」だという人からも、「サライェヴォ」だという人からも「理解されやすい」という意味ではないのでしょうか?確かに「サラエボ」は「サラエボ」だという人からは最も理解されやすいのですが、「サラエヴォ」や「サライェヴォ」だという人からの理解は得にくいでしょう。妥協点が「最も理解されやすい」ということはあると思います。「サライェヴォ」と「サラエヴォ」両派から妥協可能な表記は「サラエヴォ」ではありませんか?(なお、話の前提として「サラエボ」も「サラエヴォ」も「サライェヴォ」もそれなりに出典文献があるとみなしています。この点が違えば話はまた別です。なお、ネット検索はWP:RSにおいて絶対視できません。)--PRUSAKiN 2009年3月10日 (火) 12:15 (UTC)[返信]
  • (コメント)この事件に関しては「サラエヴォ」or「サライェヴォ」のどちらでも構わないと思います。ただし、都市名は「サラエボ」でいいのではないでしょうか。無理に表記を統一するよりは、地理・歴史の各分野のスタンダードなものに表記を統一しておいた方が妥協点になると考えます(地理・歴史の各分野でのスタンダードが違うことを本文中で明記すれば問題はないでしょうし)。都市名「サラエボ」に関しては地名辞典に準ずる参考文献(辻原康夫『世界の地名ハンドブック』 三省堂、1995、125頁)がありましたので紹介しておきます。--かげろん 2009年3月10日 (火) 12:17 (UTC)[返信]
  • (コメント)個人的には、「サラエボ」or「サラエヴォ」についてはどちらでもよいと思っています。普通、現代人なら「ヴォ」と「ボ」(と「ウォ」)が同じだということは常識的に判断できると思うからです。ですので、その点で言えば「サラエボ」でも構いません。
    ただ、そうすると一方でそれなりに出典のある「サライェヴォ」を置き去りにしている感があります。「サラエヴォ」だったら、「サラエボ」で検索する人にも、「サライェヴォ」で検索する人にも、どちらにも理解されやすいかなと思うのですが、まあそういうのって私の勝手な勘違いかもしれませんね。
    なお、朝倉書店の『世界地名大辞典』では「サラエヴォ」でした。--PRUSAKiN 2009年3月11日 (水) 16:26 (UTC)[返信]
  • (コメント補足)日本の財団法人の発行した『ロシア大革命史4』(昭和33年)では、「サライェヴォ事件」でした。書名が「ロシア革命」なので参考するに値する書籍なのか疑問を持たれる方もあるかと思いますが、内容は19世紀から20世紀にかけての世界史を、政治・文化・文学等多方面から論じた大著ですので、サライェヴォ事件に丸々一章費やしているのも違和感はありません。参考に値します。いままで多くの出典が出ているので、一例としてその末尾に加えます。--PRUSAKiN 2009年3月18日 (水) 06:30 (UTC)[返信]
  • (コメント)ニコライ・バジャーノフ著、小林久枝訳『ラフマニノフ』第3版、音楽之友社(2003年)という本で、この事件についてふれたくだりで「サライェヴォ」と表記していました。歴史学の専門書以外でもこうした表記が用いられている参考例としてご紹介しておきます。--sergei 2009年3月18日 (水) 09:36 (UTC)[返信]
  • (コメント)今更、観測点を幾ら増やしても「客観的合理性のある最も適切な表記」でどれを選ぶかの議論にとってはノイズにしかならず、下手をすれば特定の表記を推すための論拠にしかなっていないように感じます。問題は「最も(排他的条件付け)」に合致するだけの、客観的合理性がそれらの資料を基とすることにあるのか?かと。無制限にそういった断片的資料を提示するだけの行為は、議論を無制限に延長することで他者を疲弊させるだけの効果しかないと考えます。現状、そのいずれにも出典があるのだし、今更「出典の有無」なんて次元で論じるのは(議論の巻き戻しにしかなっておらず)どうかと思いますけどね。少なくとも、上何点か新たな観測点が出した側は「(最良の答えを選択する上で)それらの資料を示す・論拠とする合理的な理由の説明」をしてくださることに期待します。まあ、個人的には後から出てくる時点で参照性が低いために主要な議論に絡まない気もするけど…--夜飛/ 2009年3月18日 (水) 12:01 (UTC)[返信]
    • コメントサラエヴォとかサライェヴォとか書いてある書籍があるのは事実ですが、そのような書籍では概ねユーゴスラヴィアとかソヴィエトとかヴァティカンとか書いてあるんですよね。なかにはワーテルローでもウォータールーでもなくヴァタルローだかなんだか書いてあるものもあります。それらの書籍をいくら列挙したところで「現地での発音」にしかなりませんので「サラエヴォが一般的」の根拠には不適切として排除していいと思います。そうでないなら、今後ボスニア・ヘルツェゴヴィナやらユーゴスラヴィアへの改名で同様の議論が繰り返されてしまうおそれがあります。それを防ぐためには記事名称では原則としてv音はヴ行音表記するとガイドラインを変更するかどうか議論するのが先であって、サラエヴォが妥当だとの主張を繰り返すことではないはずです。特定の分野のみ特別な理由もなくヴ行表記とされると読者の理解の妨げになる以外は「現地での発音を尊重すべきだ」との信念を貫きたい方々の正義感を満たす以外の効果はないと思うんです。--N yotarou 2009年3月18日 (水) 12:30 (UTC)[返信]
      • 「現地での発音」は現地で使われている言語による表記および(ネイティブ話者の?)発音に拠ってしか再現し得ない以上、下手に他言語で表現を近づけようと努力すると他者に伝わり難かったり伝わらない(そしてそれは意思疎通の道具としての言語として致命的な状態)ことに成ると思いますので、百科事典的とはいえません。個別議論を無制限に繰り返すよりも、総合的な方針として表記関連のガイドライン(この場合はWikipedia:外来語表記法か?)に盛り込むべきだと言う意見に賛成です。--夜飛/ 2009年3月18日 (水) 12:42 (UTC)[返信]
    • (コメント)「議論を無制限に延長することで他者を疲弊させる」のは、新たな資料を提示することもなくグーグル検索のヒット数などという信頼性の低い情報を根拠に持ち出すような行為のことでしょう。私が2008年12月24日 (水) 09:04 (UTC)のコメントにおいて尋ねた「サラエボを支持している方はサラエヴォやサライェヴォと表記された資料、学術研究者がこれらの表記を多く用いているという傾向、これらの表記がより原音に忠実であるという事実などをどのように考慮されているのか」という質問にも、2009年2月9日 (月) 09:03 (UTC)において尋ねた「取り敢えず主執筆者に任せるということでいいのではないかと思いますがそれではだめなのでしょうか。…Wikipedia:ウィキプロジェクト 東ヨーロッパの方で議論してもらうというのもいい案だと思うのですが」という質問にも答えていただけないから議論が前に進まないのではないですか。何でこんなことをいちいち繰り返さなければならないのかわかりませんか、本件は信頼できる資料において「サラエヴォ」や「サライェヴォ」と表記されている例が数多くある事実を項目名にどのように反映させるか、という問題です。私が提示したものはともかくPRUSAKiNさんが紹介して下さった文献は無視することはできないはずです。「下手に他言語で表現を近づけようと努力すると他者に伝わり難かったり伝わらない(そしてそれは意思疎通の道具としての言語として致命的な状態)ことに成る」というのは私は聞いたことがありませんが何の説ですか? --sergei 2009年3月18日 (水) 13:19 (UTC)[返信]
見つけた出典の例示は特に下心あってのことではないので、そう悪く取らないで下さい。これまで多くの出典が方々で出されていますから、ひとつふたつ増えたところで議論の大勢には影響しないものと思っています。それとも、何かこれ以上出典を見つけてきてはいけないという特別の事情でもあるのでしょうか?
「サライェヴォ」という表記は「現地での発音」に近づけようとしているのではなく、「Sarajevo」という表記を機械的に片仮名にしたものでしょう(現地での発音に近づけるなら、やや長めに発音されるアクセント位置への長音符が必要になるかと)。ある外国語表記をどう片仮名にするのかと、ある外国語の発音をどうカタカナで表すのか(IPA記号の代わりに)、というのは普通まったく別の話です(dictionaryは普通「ディクショナリー」と書くというのと、その発音は「ディクシェネリ」とも「ディクシュヌリ」とも書ける、というのは別の問題です)。ここで発音がどうのという説を持ち出すのは、どうも議論に飛躍があるというか、話題をよく理解されていらっしゃらないのではと感じざるを得ません。また、ウィキペディアでは国名は特別扱いで別途決められているので、普通、都市名等の検討の時にはあまり参考にはしませんね。「ロシア・ソエト共和国のボリシェヴィキ」と書くのは、ウィキペディアでは許容されています(それこそ、仰るとおりウィキペディアではV音を「ヴ」で書くのかバ行で書くのか規定がないもので)。
とはいえ、おっしゃるようにもうすでに議論は出尽くしている感もありますので、これ以上表記そのものに関する議論を続けることは避け、この段階でもう決定段階へ移ってもよいかもしれません。ウィキペディアではネット検索にはあまり信頼が置かれていないので、書籍での出典数を基にした方がよいと思います。
ここでまず決めなければならないのは、「サラ〜」と「サラ〜事件」の記述を一緒くたにカウントするか、分けるかです。この説の名前になっているように個別に検討するということであれば分けてカウントするべきだと思いますが、それがどのくらいコンセンサスが得られているのか不明なので、今一度確認を取っておいたほうがよいと思います。
もう一点確認したほうがよいのは、各出典の扱いについてです。例えば、戦前の出典と50年前のと20年前のと去年のとを同じ価値で扱ってよいか、ということです。それでよいという考え方と、古いものより新しいものを優先的に扱ったほうがよい、あるいは逆だと諸説あって、これまで議論が紛糾してきたものとも思われます。
以上の2点について、まずは確認を行いたいと思います。--PRUSAKiN 2009年3月18日 (水) 13:30 (UTC)[返信]

(コメント)ネット検索なら、今回の場合はGoogleなどの一般的なサーチエンジンよりGoogle SchlorとかCiNiiとか論文などを専門にしたものの方がより良いのではないでしょうか(とはいうものの実際は検索件数が少なすぎて何とも……な感じですが。詳しくは本ノートの上部の方を見て頂ければ)。あと、ПРУСАКИНさんの出典の扱いに関する指摘も仰る通りですが、ぶっちゃけたことを言ってしまえば、内閣告示でのカタカナの第1表を優先して使用するのか、第2表を優先して使用するのかという視点の方が、この改名問題の本質ではないかと感じますね(ちなみに内閣告示の中身では「1.第1表に示す仮名は,外来語や外国の地名・人名を書き表すのに一般的に用いる仮名とする。」「2.第2表に示す仮名は,外来語や外国の地名・人名を原音や原つづりになるべく近く書き表そうとする場合に用いる仮名とする。」とはなっています。ただし、留意事項で「国語化の程度の高い語は,おおむね第1表に示す仮名で書き表すことができる。一方,国語化の程度がそれほど高くない語,ある程度外国語に近く書き表す必要のある語―特に地名・人名の場合―は,第2表に示す仮名を用いて書き表すことができる。」となっているために揉めてしまうのではないかと)。--かげろん 2009年3月18日 (水) 13:49 (UTC)[返信]

(コメント)サラエボ、サラエヴォ、サライェヴォと三つの提案があるようですが、元ネタであるサラエヴォの記事においても同じような議論があるようですね。私個人としてですが、学生時代にサラエボ事件として暗記した経験があります。教科書等の記載は寡聞にしてどのように記載されているかは存じませんが、ちなみにですが外務省は「サラエボ」と記載しているようですし、報道各社も「サラエボ」で統一しているような雰囲気ですね(これは大手新聞各社のホームページで確認してみました)。また、外部のサイトにも飛び火してるようでもあります。そこにWikipediaについての批判なども出ているようで、まことに残念なことですが。--Hideokun 2009年3月21日 (土) 04:24 (UTC)[返信]

私は初期から議論に参加しているわけではなく、ただこの議論が差し戻されたままあまりに長期間放置されていたのでいい加減収拾した方がよいのではないかと思い、今回改めて提議してみたものです。これまでどうして問題がこじれてしまったのか事情は把握できていませんし、そのためどういう問題があるのかもあまり理解していません。
かげろんさんのおっしゃるような論点で検証するのは、建設的でよいと思います。ただ、その辺りの解釈は難しく(告示の規定とウィキペディアの「すり合わせ」が難しく)、私はどちらともコメントしがたいというのが正直なところです(強いて言えば、ケースバイケースではと思うのですが、じゃあ今回はどんなケースでしょうか?と)。
新聞社については、「ヴァ」行表記は「バ」行か「ワ」行で代用するのが普通なので、その点は斟酌して考えなければならないでしょう。その点を踏まえた上で、新聞社の表記に合わせる方が益が多いという判断があるのならば話は別ですが、一般的に言うと、ウィキペディアで「ヴァ」とか「ヴォ」とか書かれているものも、新聞社では「バ」とか「ボ」(あるいは「ワ」とか)になっていると思います。私の個人的な見方ですが、私は「バ」と「ヴァ」は同じとみなすのは大多数の日本語話者にとってごく常識的なものであり、その辺はあまり拘泥しなくてもよいのでは?と思っています(というスタンスなので、どうして本件がこんなにこじれているのかいまいち理解できない……)。
とりあえず、手順として段階に分けて検討したほうがよいと思うのですが、まずは「サ〜事件」と「サ〜市」で表記を区別する必要があるかないかの点をきちんと決めるほうがよいのではないでしょうか。この点を決定しないと、出典数の単純なカウントすらできませんから。
基本的に、WP:NCでは直接関連のないものについては表記は統一しなくてよいとなっていますが、現実にはできれば統一するというのがウィキペディアの傾向であり、また実用上もその方が便利だろうと思います。
なお、Wikipedia:ウィキプロジェクト 東ヨーロッパの方でも検討をという要請もありましたが、実際問題としては、同じスラヴ系の言語でも言語ごとに日本語表記法が違うので(例えば、ロシア語とポーランド語は原語発音は似ているが日本語表記法は全然違う!)、結局のところボスニア語・クロアチア語・セルビア語の日本語表記法として検討することになり、そういう狭い分野で検討しなければならなくなるのであればこのままここで議論しても変わらないだろうと思います。なお、私はそれらの諸言語の日本語表記法を理解していないのでその点についてはコメントできません(ロシア語とポーランド語ならコメントできますが)。--PRUSAKiN 2009年3月24日 (火) 10:11 (UTC)[返信]

この議論に則って、北京→ベイジン、アテネ→エセンズ、シドニー→スィドゥニー、アトランタ→エトラァンタァ、バルセロナ→バーセロゥナァ、ソウル→京城、ロサンゼルス→ロスアンジェルスに改名しましょう。 日本語として間違ってない、学術書に表記が見受けられる、マスコミ・外務省が用いている表現は避ける、といった条件はすべて満たしました。 東京もトンキンに直すべきだと思いますが、まずはここ四半世紀のオリンピック開催都市から改名したいと思います。118.237.77.55 2009年5月25日 (月) 23:20 (UTC)[返信]

反対
意義不明なため。--Kliment A.K. 2009年5月26日 (火) 09:02 (UTC)[返信]
反対
Kliment A.K.さんに同意。全く意義が不明でしょう。加えて、どなたもこの改名議論の中では「マスコミ・外務省が用いている表現は避ける」などの「条件」は提示しておりません。この議論に先行する形で行われたサラエヴォの議論でも、あくまでも「学術書の表記も参考・尊重する」、「マスコミ・外務省が用いている表現に絶対従わななければならないというものではない」というご意見を示された方はいらっしゃると記憶していますが、そのような絶対条件として提示された方はいらっしゃいません。--Awakko 2009年5月26日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
コメント
改名提案テンプレートを貼っていないので、改名提案は無効であり、まともに取り合う必要はないのでは?たんなる冗談かと。
もしまともに取り合うのであれば、「エトラァンタァ」というような表記が「日本語として間違ってない」という出典、「学術書に表記が見受けられる」というのであれば実際にどの学術書にそう書いてあるのか、具体的な書籍なり論文なりのご提示を求める必要があるでしょう。--PRUSAKiN 2009年5月29日 (金) 09:16 (UTC)[返信]

自らの些末な意見と同じものを否定するには、拙いものしか出せないようですね。いい加減自分の論拠の置かれている立場を認識してみたらどうですか。

また議論をこちらから呈しているのに即時にアクセス制限をかけるPeccafly様は、ご自身の存在意義すら問うた方がよろしいでしょう。それが「管理者」のすることですか。当事者に紛れて出す感情的な対応は、出自通りのレベルの低さを露呈されてます。118.236.116.126

コメント 勘違いなさっているようですが、今回は118.236.116.126さんの態度が悪いということが問題なのではなくて、Wikipedia:ページの改名に定められた正規の手順をまったく踏まずに改名を宣言されても何も効力を持ちませんよ、ということです。--PRUSAKiN 2009年6月8日 (月) 14:02 (UTC)[返信]