ノート:ガブリエル・フォーレ

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Tenuto[編集]

細かいことですが、「よりテヌートな」というのは一般向けの記述としてはどうかなと思いました。音を(きれめなく)保つ、としていいかどうか迷いましたので、とりあえずはこのままにしておきます。--Aphaia 2005年8月12日 (金) 01:33 (UTC)[返信]

いくつかの疑問点[編集]

大変良くかかれた項目と思いました。以下、文中の表現で疑問に思った点を記します。ご意見をお聴かせください。

  • 頻繁な転調のなかに、ときとして無調的な響きも挿入される
すいません、私はそう感じたことがないのですが、どの作品で無調的な響きがするのでしょうか。検証してみたいのでご教示いただけますか。
  • 旋法性やドビュッシーが打ち立てた全音音階
ドビュッシー以前にもリストが使用しています。ここは、たんに全音音階で良いのではないでしょうか。
  • まさに時を越えた作曲家なのである。
私もフォーレを至高の作曲家と思っていますが、時を越えたというのはいささか価値判断に寄りすぎているのではないでしょうか。中立とは言えない記述だと思います。
  • ユニゾンとアルペジオは、フォーレの生涯にわたって特徴的に見られるが、この時期のそれは、もっぱら音色の効果や装飾性の域を脱するものではない
たとえば、『バラード』や『舟歌1番』においては、アルペジオは同時に対位旋律であったりします。記述の意図はわかりますが、私の意見は違います。どのように皆さんはお考えでしょうか。
  • 半音階的な動きが支配的で、調性感はより希薄になっていく
これはまさにワーグナーの影響を感じさせます。しかし、前の方の記述ではワーグナーの影響について、「歌劇『ペネロープ』でライトモティーフを採用するなど一定の影響を受けつつも」としか記載されていません。ワーグナー的なオーケストレーションは採用しなかったとしても、半音階主義では影響を受けたと言えるのではないでしょうか。意見を求めます。
  • 現実を超えた高みへの憧れが盛り込まれ、これに耳を傾ける者の感動を誘うのである
個人的には大いに同感です。ですが、辞典の記述としてはもう少し中立よりの記述が望ましいかと思います。

以上です。--marienbad 2006年12月1日 (金) 15:48 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。自分で書いたな、と心当たりがある部分について、お答えします。
  • ドビュッシーが打ち立てた全音音階
全音音階の説明でもドビュッシーの貢献が主体となっており、「打ち立てた」という表現はそれほど外していないと思っています。ここではフォーレが影響を受けた音楽について語っていますので、全音音階を以前にリストが使っていたとしても、ドビュッシーの存在はより大きかったと考えます。
  • ユニゾンとアルペジオ
ここでは作風の変化について、中期や晩年との比較で特徴的・端的に述べています。コルトーが似たようなことをいっていたと思います。もし各曲のすべてのアルペジオを分析すれば、これとこれは例外とか、晩年でもこれは単純とか、出てくるかもしれませんが、そこまで細かく述べる意味があるとは思いません。また、アルペジオを対位旋律と見るかどうかは演奏解釈と関わってきますので、それはそれでちょっと書きにくい気がします。ここでは例外として『エレジー』(アルペジオの文脈ではありませんが)を出していますので、これに二、三付け加えるということは可能かもしれませんが、『エレジー』が『バラード』や『舟歌第1番』と同列となると、例外ばかりではないかという気もします。
  • これに耳を傾ける者の感動を誘うのである
ここはいささか自分でも感情的に書いたという自覚があります。ほかに書きようを探したのですが、こうしかなりませんでした。このあたりは、Wikipedia:ウィキケットにいう「あまりにも情熱を持っている事柄については執筆を避けてください」を痛感します。
いずれにしても、現状の書きぶりが唯一絶対とは思いませんし、より適切・妥当な表現があれば、加除修正を歓迎します。--みっち 2006年12月2日 (土) 00:46 (UTC)[返信]
みっちさんがお答えになった部分以外についてです。
  • 頻繁な転調のなかに、ときとして無調的な響きも挿入される
  • 半音階的な動きが支配的で、調性感はより希薄になっていく
両者は同じことを言っているつもりでしたが、「無調」というタームの使い方が適切でなかったかも知れません。これをワーグナーの影響とすることは、間違いではありませんが、むしろそれは当時の音楽世界全体を覆っていた流れであり、ワーグナーからの直接的な影響であったのかどうかは、解りません。
  • まさに時を越えた作曲家なのである。
書いているときには、教会旋法という古い旋法と、半音階的なモダンな和声をきわめて自然な形で融合させたということを指して「時を越えた」と表現したという記憶がありますが、改めて読むと誤解を招きやすい表現で、適切でないというご指摘もごもっともだと感じます。
marienbadさんは、フォーレについて深い造詣をお持ちのようです。この記事をよりブラッシュアップして頂ければ、大変嬉しく思います。--汲平 2006年12月2日 (土) 02:44 (UTC)[返信]

English Wikipedia[編集]

Hello. Sorry to write in English. Just a note to say that the English version of this article is now very good, and you should be able to translate information from it, and also to use images from it. Best regards, -- Ssilvers.