ノート:カールハインツ・シュトックハウゼン

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

いくつか手直し致しましたが、これは未だに書きかけのままです。「群作法」や「不確定性」の成立から書かないと、本来は話になりません。--Noda,Kentaro 2006年2月7日 (火) 09:36 (UTC)[返信]

Noda様> 作風の欄、思い切ってほとんど書き直しました。 カットした項目にある中で、後世、同時代への影響、受用などは別項目を立てると良いかと思います。43.244.169.250

現在加筆してみましたが、やはり作風ではなく別項目を思い切って立てたほうが良さそうです。もうちょっと考えてみます。--Noda,Kentaro 2006年2月10日 (金) 18:21 (UTC)[返信]


プロポーショナル・ノテーションは「シリウス」でいくつも見受けられますし、「光」の諸作品にも数多く用いられています。もちろん伝統的な記譜法がメインではありますが、管理された中でリズムや細かいグリッサンドの処理など不確定に記譜されている部分も決して少なくありません。43.244.169.250

非常に献身的な改訂に感謝しております。このページは編集のさい「時刻つきの著名」(Wに禁止マークの横)を入れてもらうと、助かります。プロポーショナル・ノーテーションの件は消してしまっても都合はつきますが、「ケルン派」がヘルマン・ハイスなどのドイツ語圏を魅了し、正弦波にこだわったことはかなり大事なので、どこかで入れるべきかとは思いました。フェルト云々はラッヘンマンがレクチャーで使ってましたが、シュトックハウゼンの承認は得ていない可能性はありますね。まだまだ書きかけのままです。多くの協力者を募集しています。--Noda,Kentaro 2006年2月12日 (日) 15:38 (UTC)[返信]

フェルトという言葉はシュトックハウゼン自身によるZEITMAZSEの解説などにも出て来ますが、「点の音楽」「群の音楽」などと等価に扱われる作曲技法ではなく不確定性、可変性を伴った作曲法を考える上での1つの概念といった扱いのように思われます。正弦波は彼の電子音楽の出発点としては非常に重要ですが、彼の長いキャリアから考えるとあくまでも最初期の試みにしか過ぎず、これを取り上げるとその後の彼の電子音楽作曲の細部まで記述しなくてはならず、全体のバランスがとれなくなります。彼の電子音楽の作曲法について別項目を立てるのでない限り、正弦波に関する言及は必要ないと思います。43.244.169.250 2006年2月13日 (月) 00:27 (UTC)[返信]

カーデューはピアノソナタ第三番の時点で「ほぼシュトックハウゼンの様式模倣」を行っていたので、ミクスチュールもお手伝いをやってたと思ったのですが、わたしの記憶違いだったかもしれません。電子音楽は後に別項目扱いにしたほうがよろしいでしょう。--210.251.61.37 2006年2月13日 (月) 07:40 (UTC)[返信]

音が聞き取れる範囲で、というのは「シュトックハウゼンが聞き取れる範囲で」のほうが、より自然です。確かに著作からは「セリエルに限界を感じて云々はデマ」という主張はわからなくはありませんが、60年代はラマティ、シェッフェル、シュネーベル、プスール、68年以前のラッヘンマン、などの後進が発表した研究結果からの示唆、つまりは「古典的セリー形態の限界」を指摘した様々な人々からの影響のほうが大きい筈です。こういうことは何処にも書かれてはいませんが。--Noda,Kentaro 2006年2月15日 (水) 21:52 (UTC)[返信]

60年代までの技法の強度はかなり後退、というのは本当に私見でしかないのでしょうか?--222.1.25.141 2006年2月16日 (木) 19:49 (UTC)[返信]

書き込みから一週間程経ちまして、うちの書き込みは正確性はともかく「記事に合わなく」なりました。ので、当分この項目への投稿を控えることにします。どうしても譲れなかったのは1)70年代以降の和声イディオムの変遷と音楽的密度の推移が抜けていること。この記事を初めて読んでシュトックハウゼンを知る人は確実に混乱するはずです。2)60年代までの技法が後退したのは、ダルムシュタットの衰退とは無関係ではありません。シュトックハウゼンのイディオムが何処から何処までがダルムシュタットの共有ソースだったかまで暴く必要はないでしょう。要するに、「文献上確認できなければ、それは事実ではない」という見解は、音楽学では許容されるのかも知れませんが、実際の演奏や受容の現場では全く役に立ちません。--Noda,Kentaro 2006年2月16日 (木) 20:01 (UTC)[返信]

クッキーミュージック[編集]

本人の談話、そしてブレーズのマルトー・サン・メートル全曲音高分析を博士論文にしたコブリャコフのリサーチが出典です。--Noda,Kentaro 2006年10月4日 (水) 07:50 (UTC)[返信]

WDRから彼のインタビューがどんどん流れています。エトヴェシュらの証言も信頼性の高い情報です。--79.233.150.52 2008年12月4日 (木) 20:34 (UTC)[返信]

ZEITMASZE[編集]

ZEITMASZE ↑ 正確にはZeitmaße。楽譜にもそう書いてある。記事全体は素人が書いてるので、全部書き換えないと意味が無い。特に酷いのはシュトックハウゼンは題名の大文字と小文字は詳細に指定しているのに、この記事は全てが大文字になっているのはどういうこと?信者の実力だと、それが精一杯ということか?176.31.202.178 2011年10月3日 (月) 01:12 (UTC)[返信]

「書きかけの記事」除去の提案[編集]

シュトックハウゼンの当記事でありますが、末尾についております、「書きかけの記事」に関しまして、個人的には、(出典がどうこうとかはこの際置いといて)、内容としては十分充実しており、もう「書きかけの記事」のをはずしても良いのではないかな?と思いました。

5日ほど待ったのち、もし反論、異論等がなければ、除去してしまおうかと考えてます。ご意見のほどお待ちしております。 --Robert Swann de Schumann会話2021年5月24日 (月) 05:10 (UTC)[返信]

全く意味をなしていない参考文献欄の大幅除去予告[編集]

タイトルの通りです。当記事を読んでいたところ、脚注の多くは注釈で、参考文献欄で列挙されてる海外文献の多くは実態のない、おそらくは翻訳時のものをそのまま載せたにすぎないようなものばかりで、むしろいっそつかわれていないならば、その部分をバッサリ除去してしまって、少なかろうとも、有用な文献が少しでも見やすく参照できるようにするべきかと思いました。

5日ほど待って異論・反論等なければ実行したく思います。 --Robert Swann de Schumann会話

賛成 です。--Gruppetto会話2021年7月4日 (日) 10:55 (UTC)[返信]