ノート:エフィム・プチャーチン

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ワシリエビッチは父称のようです。名称としてはエフィム・プチャーチンの方が適当なのかもしれません。竹麦魚(ほうぼう) 2005年3月14日 (月) 07:47 (UTC)[返信]

竹麦魚氏のご指摘の通り、タイトルとしては、「エフィム・プチャーチン(または、エフィミ・プチャーチンとも)」が適当です。ワーシリエヴィッチ(ヴァーシリエヴィッチ)は父称(父親の名前。ワーシリーの息子の意)ですね。修正をお願いします。--210.227.0.250 2005年7月27日 (水) 08:55 (UTC)[返信]

エフィム・プチャーチンへ移動し、エフィミ・プチャーチンからのリダイレクトを作成しました。―霧木諒二 2005年10月18日 (火) 00:51 (UTC)[返信]

ディアナ号の件[編集]

ディアナ号が下田にて遭遇した地震(津波)は、安政の大地震(1855)ではないのでは? 日露和親条約締結(1854.12)の為に下田を訪れたのであるから、安政の大地震の1年前の地震による被害です。--218.41.112.43 2006年2月7日 (火) 00:55 (UTC)[返信]