ノート:ウチナータイム

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飲み会[編集]

記述内容全体は良く書けていると思うのですが、少し気になったので書かせていただきます。記事内でかなりの行数を割いて、例として『飲み会など』が挙げられていますが、 これは妥当なのでしょうか? 私を含めて一般に(日本では)、仕事での時間と飲み会での時間は全く異なる価値基準が適用されていませんか? 私は飲み会は30分や1時間などザラで遅れますし、周囲もほぼ同様です。 それとも私以外の多くの日本人が、仕事も飲み会でも時間は同等にきっちり守るのでしょうか? 飲み会以外での各種集会などでも、主催者側が時間を守って開始しないことが分かっているケースでは、沖縄と同様のような気がします。これらの例では、他府県との違いが良く分かりません。 地方文化の特徴を記述する上で強調することはあるのでしょうが、このような飲み会などを引き合いを出したのでは、意図するところが良く伝わって来ないように思います。偉そうに書いて申し訳ありません。蛇足ですが、私は沖縄人では無いのですが、沖縄出身者と仕事していても時間にルーズな印象は受けません。--Shigeru23 2011年8月12日 (金) 16:48 (UTC)[返信]

> 例として『飲み会など』が挙げられていますが、 これは妥当なのでしょうか?
出典でその例が挙げてあれば、出典の筆者の判断を尊重するほうがよい。ウィキペディアンの個人的な感覚や個人的経験内容を根拠にして、例えば「オレとしては、変だと感じる」などと言って、記述を削ったり改変したりすると独自の研究になってしまいますので、そういうことはやってはいけません。
Shigeru23さんには理由が分からなくても、出典の筆者から見てそれなりになんらかの理由があるから挙げていると推察したほうがよいでしょう。実際、その世界のことを熟知しているから、そういう記述にならざるをえない、しかしそうした書き方をする理由まで長々と説明するほど文字数・行数の余裕は無い、ということはよくあります。このウチナータイムの記事の場合、多分、Shigeru23さんが沖縄で数カ月も過ごして多くの沖縄の人々と過ごし、その人と本土で再会したりすると、ひとりの沖縄人の中でどの時間感覚がネイティブでどれが〔あとづけ〕なのか、分かるようになるのでしょう。
また、それでもまだ仮に、Shigeru23さんによって「事実と違う」と思えても、記述はそのままにしておくべきです。ウィキペディアの記述というのは、事実かどうかをウィキペディアンが議論して決めるべきではなく、それが出典にそう書かれているかどうか(=ウィキペディアにおける検証可能性。 外の世界でいわゆる「検証可能性」と呼ばれているものとは異なるもの。)を基準にして、そこに書かれていることを中立的に紹介してゆく、というルールになっているからです。
ただし、ウチナータイムや沖縄の人々の時間感覚について、現状のウィキペディアの【ウチナータイム】の記述とは異なった角度で説明している出典があれば、それも(出典を明記しつつ)加筆・紹介することはOKです。複数の異なった説がある場合は、(二値論理キチガイのようになって「互いに矛盾がある!受け入れがたい!」などと感情的に主張して一方を消したりせず)淡々と、複数の説を並べて、特に肯定も否定もせず中立的に紹介するべき、というのがウィキペディアのルールです。なお(念のために言っておくと)、出典も無いのに自分の感覚や経験を根拠にして文章を作成し加筆することは絶対にしてはいけません。


> (蛇足)沖縄出身者と仕事していても時間にルーズな印象は受けません
Shigeru23さん個人の印象論ですね。
沖縄の人たちは、本土の人たちと仕事をする時は、記事に出典つきで書かれているように、意識的に努力して、時間感覚を変えているのですよ(日本人が諸外国の人々と付き合う時も、そういう努力はしてますよ)。子供のころから身についた感覚とは異なったことをしているので、彼らなりにストレスがあることでしょう。その努力に頭が下がります。
いずれにせよ、(Shigeru23さんも含めて)ウィキペディアンの個人的印象や経験を根拠に文章を削除したり改変してはいけませんよ。あくまで出典を調べ、そこに書かれていることを中立的に紹介しましょう。--221.188.45.228 2011年8月13日 (土) 02:43 (UTC)[返信]
(競合しましたがそのままShigeru23さんへ) 各種文献を素直に読み取りますと、沖縄では「飲み会に遅れることがある」のではなく、「飲み会に遅れることが普通」のようです。待ち合わせ時間には誰も来ないそうですから。また、冗長になりますので記載は避けましたが、待ち合わせが7時なら、「8時になったからそろそろ行こうかな」、「7時になったし、そろそろ着ていく服を考えよう」だそうで。結婚式場などもこれではやってられないので(当然、開始が遅れれば終了も遅れる)、最近は延長料金をしっかり取立てる様になってきたようで。また、沖縄人はとにかく飲み会が好きな様ですから、文献でもそこに焦点が当てられる事が多いのでしょうね。今後飲み会以外についても大きく触れられている文献と出会えましたら、Shigeru23さんご指摘の部分についても、徐々に充実させていこうと思います。--Hman 2011年8月13日 (土) 02:50 (UTC)[返信]

「なんくるないさー」の誤用[編集]

または「なんくるないさー」(なんとかなるさ)、細かいことや過ぎたことは気にしないとされる。

と書かれていますが、「なんくるないさー」とは「真まくとぅそーけーなんくるないさ」すなわち、「正しい事、真の事を続ければなんとかなる」が元々の意味であり、ただ単に「なんとかなるさ」の意味の場合は「ちゃーにかいさ」ではないでしょうか。 --Sennsi会話2013年4月13日 (土) 14:46 (UTC)[返信]

うーんその辺りは難しいところでですね、日本語でも誤用が定着してしまっている事例は数知れずでございまして・・・。とりあえず、現代の沖縄人が何とかなるさの意味でなんくるないさーを良く使うことは事実であると仮定しまして、さて、現在、手元に文献が無いため確たる事は申せませんが、その部分は実際に文献にそう書いてあったものであるはずでございまして・・・。つきましては・・・新たに脚注を設け、その中で「こういうなんくるないさーは本来は誤用である」旨、ご解説頂くとよろしいのではないでしょうか。ただしその場合、「本来は誤用である」と明記されている文献を持ってきて頂きまして、それを示して頂く必要があるかもしれません。もし文献をお持ちでない場合(まあ平均的沖縄人は持っている訳もないのですが)、Sennsiさんが沖縄、特に南部在住の方でしたら、県立図書館まで足をお運び頂き、2Fで30分もお探し頂ければすぐに適切な文献が出てくるでしょうし、恐らくそれなりに大きな自治体にお住まいでしたらその図書館にもございます。中部の方でしたら琉大・沖国大の図書館は一般でも身分証さえあれば出入り自由となっておりますので、そちらもご利用可能です。もしくは、そもそも「なんくるないさー」を利用せずに解説するかたちに書き換えて頂いてもよろしいでしょう(その場合も、文献が必要になる場合があります)。--Hman会話2013年4月13日 (土) 17:05 (UTC)[返信]
早速のご返事ありがとうございます。確かに誤用が広まり定着する事例は数多くある以上仕方ないですね。機会があれば文献等を探してみます。--Sennsi会話2013年4月14日 (日) 12:38 (UTC)[返信]
はい。琉球語の専門書がベストですが、そこそこの出版歴のある言語学者さんが著していらっしゃるものでしたら、誤用のツッコミとしての論拠としては、恐らく十分とは思います。与儀辺りにご用時がございました時にでも、お時間に余裕がございましたら、ご検討下さい。もしその過程で、本題の「ウチナータイム」について何か有用な記述を発見なさいましたら、加筆修正の程も、ご検討いただければと思います。当記事は確かに初版執筆を行ったのは私ですし、現在の内容もほとんどが私の書いた物ですが、こんなものはまだまだ書きかけ。まだ記事が無かったので、出典もろくにつけないデタラメ記事が出来るより先にコンパクトでも私が書いてしまおうと言うだけのものです(WPの記事は土台が大切で、初版にろくに出典が無いと、誰も文献をつけないまま勝手な妄想を書き綴り手が付けられなくなる傾向があります。反面出典でガチガチに固めておけば、以後第三者による加筆がなされる時も、ちゃんと出典を付けて下さるケースが比較的多くなります。いわゆる割れ窓理論ですね)。
学者先生の深い考察を伴った論文なども紹介し、何故沖縄はこうも(?)時間感覚が異なるのか、琉球王朝時代は、戦前はどうだったのか、皇民化教育中はさすがに少しはマシだったのか、戦後アメリカ軍は手を焼かなかったのかなど、もし検証可能で確たる資料があるのであればいくらでも書き足せる題材です。何かの折に文献をお見かけになられましたら、加筆修正につきましてもご検討頂けましたらと存じます。出典を明記する限りにおいては、当面の間は、特にツッコまれたり消されたりは無いと思います(ただし多人数で書き足すと、数年に一度大整理を行う必要が出てくる場合があります。もっともその様なものは、例えばヒットしたアニメなどの大人気記事がほとんどなんですけどね。大抵は問題は発生しません)。--Hman会話2013年4月14日 (日) 13:07 (UTC)[返信]