ノート:ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

この記事は一度削除されています。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムをご覧ください。

このページは一度削除が検討されました。削除についての議論はWikipedia:削除依頼/ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム20071212をご覧ください。

Filing cabinet icon.svg

このページの節に {{Section resolved|1=~~~~}} を置くと、7 日後に SpBot がその節を過去ログ化します。

関連項目追加[編集]

検閲検閲日本における検閲とに分割されましたので、関連項目の追加を管理者に依頼しようと思います。異論がなければ一週間後に依頼します。--ΑΩ 2008年3月30日 (日) 15:47 (UTC)

定義文について[編集]

冒頭の定義文ですが、概要が江藤の主張に沿って記述されているため、当該項目が江藤の主張に拠るとの記述にしました。--彩華1226 2010年1月21日 (木) 12:24 (UTC)

日本における検閲及び大東亜戦争に於ける記述についても書換えられていますので、こちらにてご議論いただければと思います。
彩華1226さんは編輯要約で「「WGIPがあった」「WGIPと言う名称」は江藤の主張というのが現状までのノートで行われた議論の結果」、日本における検閲では「江藤の主張=事実かのような記述」として書換えていますが、それはどの部分でしょうか、お示しいただければと思います。私は、有山輝雄が第一次資料によって明らかにした先駆的研究であるとの評価をしている他に、一定の評価があることからことから問題はないかと考えます。--廿粁 2010年1月23日 (土) 02:23 (UTC)

WGIPはあくまで江藤の主張である編集理由は、当該ノートの以下の指摘に拠るものです。

  1. 「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の名称を「江藤が主張していること」までは確認できる。[1]
  2. 「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」と(する江藤の訳は)「訳」ではなく、解釈とか、理解、評価などというべきものでは[2]
  3. この項目はひたすら江藤淳の著書の一部にのみに拠って構成されています。[3]

また、当項目の削除依頼[4]では江藤の研究であるならば、そこを明確にして記述すればいい“「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」が存在した”という趣旨の記事ではなく、“「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムが存在した」と江藤が主張した”と誤解なく読み取れる記事とするべきとの意見があり、存続との結論に至っています。

以上から、“「WGIPが存在した」と江藤が主張した”とする記述に改めました。

なお、有山の評価は占領軍の検閲を明らかにした事への評価であり、「WGIPがあった」と言う江藤の主張そのものへの評価または肯定を読み取ることはできませんし、「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる」と「WGIPが存在した」とする江藤の主張自体への批判が見受けられます。

最後に訂正しておきますが、日本における検閲での「江藤の主張=事実かのような記述」とする編集内容の要約は正しくは「江藤の主張=事実かのような記述の修正」です。--彩華1226 2010年1月23日 (土) 10:43 (UTC)

有山輝雄は新刊紹介で、資料解釈への言及はしていますが、第一次史料について疑義を呈してはいません。彩華1226さんのいう「なお、有山の評価は占領軍の検閲を明らかにした事への評価であり、「WGIPがあった」と言う江藤の主張そのものへの評価または肯定を読み取ることはできませんし、「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる」と「WGIPが存在した」とする江藤の主張自体への批判が見受けられます。」の根拠をお示しいただければと思います。
彩華1226さんが挙げたノートによる根拠ですが、これは江藤淳の著作を読んで各自批評したものではないでしょうか。もしこれが記事に反映されるとすれば、独自研究に当るのではないかと私は考えます。2として挙げたものは訳として著作を解釈したことに対する指摘であって、これを根拠とするには些か憚られるのではないかと思います。
江藤の研究で明らかになったことであるということについて、記事の冒頭に記載することには私は異存ありません。--廿粁 2010年1月25日 (月) 02:12 (UTC)
眞相はかうだについてもこちらでのご議論をお願いしました。--廿粁 2010年1月25日 (月) 02:56 (UTC)
「江藤の研究で明らかになったことである」ではなく、「研究の結果、江藤がそう主張していることである」とするのであれば異論はありません。--彩華1226 2010年1月25日 (月) 14:24 (UTC)
彩華1226さんが「「江藤の研究で明らかになったことである」ではなく、「研究の結果、江藤がそう主張していることである」とする」との判断に至った理由について宜しければお教えいただければ幸いです。--廿粁 2010年1月27日 (水) 02:31 (UTC)
そもそも、「(WGIPが)江藤の研究で明らかになった」(すなわちWGIPは事実である)とする論拠が示されていません。ノートでの議論の結果は「WGIPは江藤の主張であるから、江藤の主張であると明記すべき」です。先に示した根拠も、各個人の批評ではなく、議論の成果を示したものです。ノート及び削除依頼での議論の結果、「WGIPは江藤の主張である」との結論に至ったのであるから、それを覆して「(WGIPが)江藤の研究で明らかになった」(すなわちWGIPは事実である)と書いたあなたが論拠を示すべきです。--彩華1226 2010年1月27日 (水) 15:47 (UTC)

2人で話しあっても議論が平行線になると考えますので、この問題についてコメント依頼を行い広く意見を収集します。--彩華1226 2010年1月27日 (水) 15:47 (UTC)

コメント依頼を見て参りました。結論を先に申し上げますと、私は彩華1226さんの文案を支持します。なぜなら、もし江藤の主張する内容が事実であったならば、両者の文案はともに正しく事実を表現しています。もし江藤の主張する内容が事実でなかったならば、彩華1226さんの文案は正しく事実をあらわしますが廿粁さんの文案は内容が間違っています。よって、江藤の主張する内容が事実であるということが、江藤本人以外の手による、江藤の書籍の内容のみを根拠とするのではない、複数の信頼できる情報源によって確かめられない限り、彩華1226さんの文案が適切と考えます。--114.145.183.12 2010年1月29日 (金) 01:58 (UTC)

繰返しになりますが、私は、有山輝雄が第一次資料によって明らかにした先駆的研究であるとの評価をしている他に、一定の評価があることからことから問題はないと考えます。彩華1226さんいう根拠及び質問のご回答をいただければと思います。--廿粁 2010年1月29日 (金) 02:29 (UTC)
一般に誰かがなにかを主張したときに、その主張を読んだ他の誰かがなるほどと思ってその主張を広めようとするとき、これを「紹介」といいます。ふつう誰かがある主張を紹介していることを「一定の評価」とは言いません。また、念のためですが、私は(そしておそらく彩華1226さんも)、WGIPは虚構であるとはまったく主張していませんし、WGIPは虚構であると記述すべきだと主張しているわけではありません。WGIPが真実であると記述するべきではないと主張しているだけです。この違いを理解してから反駁してください。--114.145.183.12 2010年1月31日 (日) 02:13 (UTC)
IPさんが「WGIPが真実であると記述するべきではない」と主張するに至った根拠をお示しいただけますか。ウィキペディアではこの辞典を執筆する者が、独自にその書物を検証し或は研究の成果を記事として発表する行為を独自研究であるとして忌避しています。詳しくはWikipedia:独自研究は載せないをご覧いただければと思います。又、ウィキペディアは真実かどうかではなく、検証可能かどうかを執筆の際の一つの基準としています。詳しくはWikipedia:検証可能性をご覧下さい。--廿粁 2010年2月1日 (月) 01:01 (UTC)
「WGIPが真実である」という出典を出してから言うことではないですか?--彩華1226 2010年2月8日 (月) 20:27 (UTC)
ウィキペディアは真実かどうかではなく、検証可能かどうかを執筆の際の一つの基準としています。詳しくはWikipedia:検証可能性をご覧下さい。ウィキペディアは独自の研究の成果を発表する場ではありません。Wikipedia:独自研究は載せないも合わせご一読いただければと思います。
私の質問に対するご回答をいただければと思います。--廿粁 2010年2月13日 (土) 02:01 (UTC)
うーん、もうその回答はご自身で書かれているではないですか。「ウィキペディアは真実かどうかではなく、検証可能かどうかを執筆の際の一つの基準としている」から「真実であると記述するべきではない」と主張されているのでしょう。また、一定の評価がある、定説である、との廿粁さんの主張の検証可能性は、「一般に誰かがなにかを主張したときに、その主張を読んだ他の誰かがなるほどと思ってその主張を広めようとするとき、これを「紹介」といいます。ふつう誰かがある主張を紹介していることを「一定の評価」とは言いません。」と否定されています。これに反論が無いのであれば議論は既に結論を得ていると思います。--hal* 2010年2月13日 (土) 03:34 (UTC)
山本武利が「評価」と云う言葉を使って江藤淳を評価しています。その評価について記事に加筆しましたのでご覧いただければと思います。如何でしょうか。--廿粁 2010年2月14日 (日) 01:47 (UTC)
江藤の研究への評価であってWGIPが事実かどうかへの評価じゃないじゃないか。--彩華1226 2010年2月14日 (日) 03:16 (UTC)
繰返しになりますが、「ウィキペディアに執筆してよいかどうかの基準は「真実であるかどうか」ではなく「検証可能かどうか」です。つまり、私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。このことをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。」とWikipedia:検証可能性にあります。また、Wikipedia:独自研究は載せないには「記事に含められるのは、信頼できる情報源に基づいた、検証可能な内容に、解釈を加えていないものだけです」とあります。このWikipedia:検証可能性及びWikipedia:独自研究は載せないはウィキペディアに於ける三大方針であり、すべての利用者が従うべきであると考えられています。この点を彩華1226さんもご理解の上、ご賛同をいただければと思います。--廿粁 2010年2月15日 (月) 01:02 (UTC)
加筆部分[5]を参照しましたが、彩華1226さんのご意見同様に、江藤の研究そのものへの評価を以ってWGIPが事実かどうかという点を検証することは不可能だと思います。--hal* 2010年2月17日 (水) 04:25 (UTC)
「検証」とはどのようなことでしょうか。--廿粁 2010年2月19日 (金) 00:42 (UTC)
廿粁さんが引用した「信頼できるソース(情報源)を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。」の検証と同義です。明らかに、議論になりませんね。--hal* 2010年2月19日 (金) 16:50 (UTC)
当該記述に出典を付けており、検証可能性を満たしています。hal*さんはWikipedia:検証可能性の主旨を勘違いしているのではないでしょうか。ウィキペディアの記事の記述が出典によって確認できることをウィキペディアでは検証可能性と呼んでいます。詳しくはWikipedia:検証可能性をご覧下さい。--廿粁 2010年2月20日 (土) 02:27 (UTC)
ですから、明示された出典に言及し検証不可能と述べたのが私の意見です。--hal* 2010年2月20日 (土) 03:56 (UTC)
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに関しては、既に参考文献並びに脚註により検証可能な出典が示されているところです。「検証不可能」な出典とは何を指しているのでしょうか。--廿粁 2010年2月21日 (日) 00:17 (UTC)
明示された全出典です。私同様、先行議論の削除依頼でも、本節でも、「WGIPの存在自体が事実である」という情報内容を確認できる検証可能な資料はないと複数の方が指摘しています。一方検証可能な出典が示されていると主張しているのは廿粁さんだけです。そのように主張されるのであれば「WGIPの存在が事実である」という情報内容を確認できる検証可能な出典を明示してください。--hal* 2010年2月21日 (日) 02:48 (UTC)
hal*さんはウィキペディアの方針を誤解しているようですね。Wikipedia:検証可能性にはこうあります。「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません。実際のところ、編集者はその種の調査をしないよう強く求められます。なぜならウィキペディアでは独自研究(オリジナル・リサーチ)を発表してはならないからです。記事は信頼できる情報源が公開している題材だけを含むべきです。それは個々の編集者が真実であると思うかどうかには関係ありません。直観に反するようですが、ウィキペディアに掲載してよいかどうかの基準は「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」(真偽よりも検証可能性)なのです。」また、Wikipedia:独自研究は載せないにはこうあります。「ウィキペディアは真実性ではなく検証可能性を基準に情報を掲載します。つまりウィキペディアでは、情報それ自体が正確であると認められるかどうかに拘わらず、他の信頼できる情報源によって発表された事柄のみを発信します。」ウィキペディアに於ける三大方針をWikipedia:検証可能性及びWikipedia:独自研究は載せないでご確認の上、ご理解をいただければと思います。江藤淳の著作をお読みいただければ、検証可能である記述が記事になっていることを確認できます。この点はご諒承いただけるのではないでしょうか。--廿粁 2010年2月22日 (月) 02:39 (UTC)
ですから、そのように仰っているのは廿粁さんだけです。ニューヨークタイムスや学術誌と江藤淳氏の著作では情報源の信頼性において差があり、この点を考慮した結果、検証不可能と私もみなさんも判断を下しています。それから、根拠無く、議論の相手(私)に対していちいち日本語や方針を理解していないという前提で話を進めるのを止めて下さい。リソースの無駄です。--hal* 2010年2月22日 (月) 15:37 (UTC)
他の方も当該著作により記事を編輯されています。検証可能性を満たしていることは明らかではないでしょうか。--廿粁 2010年2月23日 (火) 03:16 (UTC)
何ですかそれは。どなたもWGIPが事実であるなんてことは書いてないので明らかでないですね。--hal* 2010年2月23日 (火) 16:48 (UTC)
江藤淳の著作を読みましたか。--廿粁 2010年2月25日 (木) 02:29 (UTC)
ご質問と本議論との関連が希薄です。--hal* 2010年2月25日 (木) 22:27 (UTC)
「考慮」し「判断」を下したようですのでお訊ねした次第です。--廿粁 2010年2月27日 (土) 01:19 (UTC)
情報源の信頼性を考慮するにあたって、その情報源自体を読んだって仕方ないってこともわかってないんですか?ご自分で引用した「例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が真実かどうか検証する責任があるという意味ではありません」って、つまりそういうことですよ?本当にわかってないんですか?ちょっと考えられません。本当にわかっていないんだったら論外。わざとわかってないふりしてるんだったら迷惑です。いい加減にしてください。--114.145.183.12 2010年3月1日 (月) 10:09 (UTC)
Wikipedia:検証可能性に於いて「この文脈における「検証可能性」とは、編集者が、例えばニューヨーク・タイムズの記事の中身が・・・」となります。一部分を抜出して利用するのではなく、主旨をご理解いただきたくお願い致します。--廿粁 2010年3月2日 (火) 01:44 (UTC)
彩華1226さんは「「WGIPが真実である」という出典を出してから言うことではないですか?」と発言していますが、鉤括弧にある「WGIPが真実である」は一体誰の言葉でしょうか。誤解が生じていますので、明確な説明をお願いします。--廿粁 2010年2月14日 (日) 01:47 (UTC)
ささいな言葉尻を捉えて議論を混ぜ返すのはやめて下さい。2010年1月25日 (月) 14:24 (UTC)と2010年1月27日 (水) 15:47 (UTC)の私のコメントを再読ください。--彩華1226 2010年2月14日 (日) 03:16 (UTC)
彩華1226さんの発言「「WGIPが真実である」という出典を出してから言うことではないですか?--彩華1226 2010年2月8日 (月) 20:27 (UTC)」について、彩華1226さんの考えを表明した[6]及び[7]を鉤括弧で表した、という認識で宜しいでしょうか。--廿粁 2010年2月15日 (月) 01:02 (UTC)

文章だいぶいじりましたが、上の議論になるべく触れない範囲内にとどめたつもりです。但し「この名称は江藤の著書に見られるものだが」と直した部分についてはもし問題があれば適切に直して下さい。--КОЛЯ 会話 2010年2月22日 (月) 12:03 (UTC)

他にないようですので、加筆と共に修正いたしました。--廿粁 2010年3月17日 (水) 01:27 (UTC)

何の他に何が無いようなのか分かりませんが、議論を放棄して独断で編集を進められるのはよくないです。ここで廿粁さんが仰った意見には皆さん筋道を立てて反論されているのですから、まずはこれに再反論されてはどうですか?--hal* 2010年3月17日 (水) 10:19 (UTC)
hal* さんは私の質問[8]にはお答いただいておりません。2月25日[9]以来、私はhal* さんのご回答をお待ちしていた次第です。再度質問いたしますが、江藤淳の著作を読みましたか。--廿粁 2010年3月19日 (金) 01:26 (UTC)
ここでの議論の前提として、他者が自分の質問に応えない事を以って自分の意見を正とみなす道理は受け入れられません。もしそんな道理が成り立つなら、反論もせず延々と質問を続ける暇な人が常に正しい事になってしまいます。(実際来週からしばらく私は廿粁さんのご質問には答えられませんが、それは廿粁の意見を認めた分けでも自分の意見を取りざた分けでもなく、単に忙しいからです。)私や他の方の意見を無視してご自身の意見を通されるのなら、少なくとも、廿粁さんの指摘する不明点(質問したが回答の得られなかった事柄)によって、相手の述べた意見が成立しなくなる理路を説明するか、不明点についてある仮定をした場合に成り立つ理路(反論)を示して下さい。--hal* 2010年3月19日 (金) 06:59 (UTC)
hal*さんが、主張を広めることは評価ではなく紹介だ、「これに反論が無いのであれば議論は既に結論を得ていると思います。」[10]と批判したことに対して私は出典と共に反論しましたが、これに対してはhal*さんは「江藤の研究そのものへの評価を以ってWGIPが事実かどうかという点を検証することは不可能だと思います。」[11]と論点をずらして反論しています。これに対して私はそれに逐一対応して参りましたが、hal*さんは「仰った意見には皆さん筋道を立てて反論されているのですから、まずはこれに再反論されてはどうですか?」[12]と私を非難しています。そしてまたhal*さんは「ここでの議論の前提として、他者が自分の質問に応えない事を以って自分の意見を正とみなす道理は受け入れられません。」[13]と非難しています。私はウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについての論点を明らかにする為に質問等を行って参りました。著作についてお読みいただいているのでしたら内容について議論することもあったかと思います。--廿粁 2010年3月24日 (水) 01:41 (UTC)
2/24の私の意見[14]とそれ以前の私の「WGIPがあった事実は検証不可能」という意見に反論がない(出来ない)のであれば、それ以上議論の必要もないでしょう。ただ、これまでの議論を無視して独断で編集を進められることについては、意見ではなく批判として苦言を申し上げます。--hal* 2010年4月4日 (日) 02:38 (UTC)
議論を混ぜ返す→議論が停止する→「他にないようですので」ですか。確かに議論の結果、検証可能なことは「江藤の主張である」のみで他にないようです。--彩華1226 2010年3月18日 (木) 04:28 (UTC)
彩華1226さんには、私の質問にお答をいただきたく再三に亘り回答を促して参りました。しかし1月頃に私がした質問にまだご回答をいただいておりません。是非ご回答をいただきたく御願いする次第です。それと共に彩華1226さんにもう一点質問いたします。江藤淳の著作は読まれましたか。--廿粁 2010年3月19日 (金) 01:26 (UTC)
質問に対するコメントは「2010年1月25日 (月) 14:24 (UTC)と2010年1月27日 (水) 15:47 (UTC)の私のコメントを再読ください。」と2010年2月14日 (日) 03:16 (UTC)のコメントで申し上げているはずです。ただ言葉尻を捉えて話を混ぜ返し、議論を停止させるのは控えていただきたいです。
著作は読みましたよ。しかし、hal*さんが2010年2月25日 (木) 22:27 (UTC) のコメントで仰っているように著作を読むことと本議論との関連は希薄です。なぜなら、主張している人の著作を読んだところで、「その人の主張はこうなんだ」以上の結論が得られないからです。研究・新説・新事実というものは査読と批評を経て初めて定説となります。だからこそ「IWGPは江藤の主張である」のみで他にないと言わせていただきます。--彩華1226 2010年3月19日 (金) 05:33 (UTC)
私の質問とは「有山輝雄は新刊紹介で、資料解釈への言及はしていますが、第一次史料について疑義を呈してはいません。彩華1226さんのいう「なお、有山の評価は占領軍の検閲を明らかにした事への評価であり、「WGIPがあった」と言う江藤の主張そのものへの評価または肯定を読み取ることはできませんし、「著者の主張に結びつけるための強引な資料解釈も随所に見受けられる」と「WGIPが存在した」とする江藤の主張自体への批判が見受けられます。」の根拠をお示しいただければと思います。」[15]の事です。「言葉尻を捉えて話を混ぜ返し」ている訳ではありません。私がこの議論の冒頭に言った部分に対するもので議論の根幹の部分です。
批評は私が加筆したところですが、その中で一定の評価が為されています。彩華1226さんの持論ですと、江藤の著作は全くの主張でないことになるかと思います。--廿粁 2010年3月24日 (水) 01:41 (UTC)

(インデント戻し)占領軍の検閲=WGIPではありませんから、「占領軍の検閲を明らかにした事への評価」がそのまま「WGIPがあった」という江藤の主張への評価にはつながりません。そもそも有山は「著者の主張」(=WGIPがあった)に結びつけるための「強引な資料解釈」が行われていると明確に書いています。そしてそれが(=WGIPがあったという江藤の主張)が「占領軍の検閲に様々な悪の根源を押しつける悪玉善玉史観」であり、「現在の政治状況・思想状況への著者の戦術」であると推定しています。ここから江藤の主張(=WGIPがあった)及び江藤の著作への批判が明確に読み取れます。江藤の主張(=WGIPがあった)及び江藤の著作が全面的に評価されていると考えるあなたの主張自体、単なる誤読か、都合のいい解釈です。--彩華1226 2010年4月1日 (木) 06:58 (UTC)

ですから、そのように解釈する彩華1226さんの根拠をお訊きしているわけです。--廿粁 2010年4月3日 (土) 02:01 (UTC)
有山氏による江藤氏の著作への批判を誤読(ないしは身勝手な解釈を)したままで議論をしたいのであれば、議論になりません。これ以上、hal*さんや私を含めた議論相手を疲弊させて横車を押し通そうとする行為はやめて下さい--彩華1226 2010年4月3日 (土) 13:05 (UTC)
有山は著者の主張について、本書に於ける著者の主張は今も閉ざされた言語空間の中にあることだとその前段ではっきり言ってます。しかし彩華1226さんは再三再四の質問にも拘らず根拠を提示することなく自己の解釈[16][17]を繰返しています。そればかりか逆に私を非難しています。一体どういう事でしょうか。彩華1226さんの主張の根拠を先ずは提示して下さい。
これまでの議論に於いて、彩華1226さんを始めとしてその主張の根拠が一つも示されていません。独自研究ではなことを証明する為にも是非明確な資料と共にご提示下さい。
彩華1226さんが表明されていました「冒頭の定義文ですが、概要が江藤の主張に沿って記述されているため、当該項目が江藤の主張に拠るとの記述にしました。--彩華1226 2010年1月21日 (木) 12:24 (UTC)」などについてですが、別の複数の参考文献により加筆したところです。彩華1226さんのご懸念は解消されたことと思います。以上により該当文の削除及び修正を提案いたします。--廿粁 2010年4月5日 (月) 02:55 (UTC)
>有山は著者の主張について、本書に於ける著者の主張は今も閉ざされた言語空間の中にあることだとその前段ではっきり言ってます。
それは江藤の主張の「まとめ(要約)」ですよ。それがあなたの主張の何を満たすんですか? 有山氏が江藤氏の主張をまとめていたら「有山氏による江藤氏の著作への批判」は行われておらず、全面的に評価されていると言うことになるんですか? 
「別の複数の参考文献」についても、江藤の主張を全面的に肯定(あるいは利用・援用)した「保守派の主張」であれば、やはり「主張」の域を出るものではありません。何一つ「提案」を満たす条件は揃っていません。--彩華1226 2010年4月7日 (水) 20:24 (UTC)
彩華1226さんが自己解釈を振舞わすので、彩華1226さんの解釈について疑義を呈しているわけです。
「全面的に評価されている」と私は言っていません。言ってもいないものを作り出してそれに批判を加えても議論が混乱するばかりですのでお止め下さい。
別の複数の文献は全面的に援用も利用もしていないことは加筆された文面を読めば判ることです。彩華1226さんの反論は、江藤淳の著書を読んでいないと云うことを自ら披瀝しているに等しいお答ですね。彩華1226さんの言葉「保守派の主張」は、正に彩華1226さんの主観或は思いこみから出てものであることを象徴していると思います。彩華1226さんの根拠もない自己主張が繰返されるのも頷けます。--廿粁 2010年4月10日 (土) 02:24 (UTC)

横から入りますが、「有山氏から全面的に評価されているのではない」ことが両者の間で合意されたということですね。あとは議論の余地はないものと思われます。--КОЛЯ 会話 2010年4月10日 (土) 02:53 (UTC)

どういうことでしょうか。КОЛЯさん、もう少し詳しくご説明いただけますか。КОЛЯさんは江藤の著書を基にウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムのGHQ文書を加筆されていますが、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムは一次資料にあたるものであることはご存じかと思います。有山は資料自体に何等疑義を呈することなく著者の資料解釈に言及しています。江藤が提示しているものはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムというGHQの文書です。それを別のGHQ関連文書で検証していきます。それは検閲と不可分であることは書かれてあるとおりです。有山が言及しているのは、あくまで資料解釈であるということは否定しようもありません。--廿粁 2010年4月11日 (日) 02:45 (UTC)
ですから、資料解釈に疑義が呈されているということについては合意がされたのでしょう? その疑義に対して賛否はあるでしょうが、一方の解釈に乗っかって記述するわけにはいかないということにはご理解いただけないのですか?--КОЛЯ 会話 2010年4月11日 (日) 07:32 (UTC)
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの文書の解釈について他にありましたら検証可能な出典と共にご自由に加筆下さい。妨げるつもりは毛頭ありません。--廿粁 2010年4月17日 (土) 01:09 (UTC)

なんなんだろうね、この態度。さも自分がこの議論で優位に立ってるかのような言い方。一歩足りとも「GHQの検閲はあったが、WGIPは江藤の主張」から議論は進んでいないはずですが。--彩華1226 2010年4月17日 (土) 11:25 (UTC)

端的に言いますと、彩華1226さんが「議論の結果」を主張していますが、以前ここで行われた議論ではウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(以下プログラムと略)は江藤の著書以外になく第三者による検証が必要だとの趣旨です。しかしながらその議論の前提が抑も誤りであることは、プログラムに関して別の文献が存在することにより明らかです。先ずは彩華1226さんが加筆修正した記述の検証可能な出典を自ら提出し、「江藤の主張=事実かのような記述」を立証すべきでしょう。--廿粁 2010年4月24日 (土) 02:20 (UTC)
私は1月23日の書き込みで「江藤の主張=事実かのような記述の修正」を行ったと述べているはずです。どうして「江藤の主張=事実かのような記述」を立証すべきなのでしょうか。4月10日のКОЛЯさんの指摘の通り、「江藤の主張が有山氏から全面的に評価されているのではない」ことは合意されました。つまりこれは、第三者による検証の結果、プログラムが江藤の著書での主張の域を出るものではないことが立証されたということです。そもそも有山氏以外の論拠(産経新聞の論評、高橋史朗、鈴木正人、手束正昭牧師)はすべて保守派に属する人々が江藤の主張を無批判で受容したものなのですから。なお、山本武利の発言について当該記事を転載したもの[18]を参照したところ、やはり「江藤の占領研究」への評価はあってもWGIPという江藤の主張には触れられていませんので、日本における検閲には書くべきですが当該項目を肯定的に評価したものではなく適切でないと考えます。--——以上の署名の無いコメントは、彩華1226ノート履歴)さんが 2010年4月26日 (月) 15:23 (UTC) に投稿したものです。
そのような批判に当らないことは、ちょっと検索[19]すればすぐ判ることです。又、著書を読んだと公言しながら、閉された言語空間についての著書に書かれている経緯を意図的に無視し、占領研究からウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムを除外するような発言は何を意図しているのでしょうか。加筆修正した当の本人から検証可能な出典が出される可能性はないようなので広く出典を求めたいと思います。--廿粁 2010年5月17日 (月) 03:02 (UTC)
検証可能な出典等ないようであれば修正したいと思いますが如何でしょうか。--廿粁 2010年6月16日 (水) 01:37 (UTC)
修正もなにも、自分が加筆修正したいなら、そのための出典を出すべきなのはあなた自身だというのがこの議論でさんざん言われていたことでしょう。また、議論相手が話する気もなくなるくらい議論を混ぜ返してさも合意が得られたように装っていますね。Hal*さんの批判、КОЛЯさんの反論にちゃんと答えてからにしてもらえませんか?--彩華1226 2010年6月18日 (金) 14:47 (UTC)
では出典を求めているのはどの記述か、要出典のテンプレートをつけていただけませんか。--廿粁 2010年6月19日 (土) 02:11 (UTC)
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(以下プログラムと略)について複数の出典を挙げ加筆修正し、又プログラムについての論評も記述され、プログラムに言及されている書籍或は研究についての評価も記事には記述されています。それに対して「江藤の主張=事実かのような記述の修正」を行ったり、そのような主張をノートで展開されてはいますが、しかしそうと主張するに至った根拠、つまり参考とされた文献等がそこには一切出てきません。参考文献が提示されることによって初めて両論併記つまり、プログラムについてこの様な見解があるがまた別の見解があるとする様々な見方や異論の記述が可能でしょう。又、そうすることによって文献を基にした構成の仕方も議論となりより建設的になりはしないでしょうか。これまでの議論は資料に基づかない考え方、見方で遣り込めようとしている様にしか見えません。--廿粁 2010年6月21日 (月) 02:08 (UTC)
お願いしておりましたテンプレートの貼付や返答もないので修正しました。ご確認の上、要出典のテンプレート等を附けていたければと思います。--廿粁 2010年6月29日 (火) 01:05 (UTC)
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの記事について六月以来議論が無く、私が附した議論の告知のテンプレート及び独自研究のテンプレートを削除致しましたが、Hal*さんはこれを「議論の無視」[20]として差戻しています。Hal*さんにはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムについてのご議論を先般御願い[21]したところですが今以てご返事をいただけず「議論の無視」との非難には私としては理解いたしかねるところです。独自研究のテンプレートも戻されていますが、これと合わせていかなる理由にて差戻されたのかご回答をいただければと思います。--廿粁 2010年8月11日 (水) 01:32 (UTC)修正--廿粁 2010年8月11日 (水) 01:49 (UTC)
差し戻しは、本来であれば廿粁さんがここでの議論を無視して進められた編集全てを差し戻さないといけないところ、取り急ぎ、テンプレートの復帰のみに留めたものです。War guilt information program なるものが存在したか否かに関して、複数の独立した二次資料―すなわち、江藤さんとは別に、War guilt information program そのものの存在を自分の目で確認し、これに言及したことが分かる資料を提示できないのであれば、議論の結果を受け入れてください。廿粁さんのご主張では一次資料を目で確かめた人は誰と誰なのですか?それが示されない限り、いくら私の会話ページに書き込んで頂いても私の意見に変化はありません。個別のお返事も控えさせていただきますので悪しからず。--hal* 2010年8月11日 (水) 10:01 (UTC)
私が他の資料などを用いて加筆修正した編輯をhal*さんは全て差戻すとしていますが、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(以下プログラム)自体についてのご理解はあるのでしょうか。hal*さんは独自研究のテンプレートも差戻していますが、独自研究の有無やそれに当る範囲の切り分け、理由などを明らかにすべきではないでしょうか。議論を喚起しながら「個別のお返事も控えさせていただきますので悪しからず。」ではあまりにも暴慢ではないでしょうか。
私が加筆修正し、参考文献として挙げた中に江藤以外の文献によるプログラムの記述も含まれています。ご理解いただけないのでしたらもう一度その点に注意してお読みいただくか、この項目に於ける議論が始る前の過去の記事と比較してご確認いただければと思います。又この議論でも過日触れましたのでお読み下さい。--廿粁 2010年8月13日 (金) 01:49 (UTC)

項目名[編集]

議論中済みませんが、1989年単行本では「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」と長音符が余計についています。それから「WGIP」と略記した部分も見つけられませんでした。江藤の著書の引用部分については直していいですか。なお初出と文庫版は確認していません。--КОЛЯ 会話 2010年2月13日 (土) 12:57 (UTC)

当該引用部分についてはウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラムのようです。--廿粁 2010年2月17日 (水) 02:12 (UTC)
修正しました。項目名はこのまま(インフォメーション)でよいかどうか、最近の動向を知りませんのでお任せします。--КОЛЯ 会話 2010年2月22日 (月) 12:03 (UTC)
他の方の著作についてはウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムがあり、江藤の著作に於いてもウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムも見られるようですので問題はないのではないかと思います。--廿粁 2010年2月23日 (火) 03:16 (UTC)

仮名遣について[編集]

仮名遣について読者の便宜に供する為、脚註として付加しました。--廿粁 2010年2月25日 (木) 02:29 (UTC)

特に便宜にならないと思います。もし機械読み上げの読者のためでしたらほかにやりようがあると思いますし。--КОЛЯ 会話 2010年2月25日 (木) 10:41 (UTC)
私は有意義であると考えます。--廿粁 2010年3月2日 (火) 01:39 (UTC)
「仮名遣いは引用元のママ」という注記の方が意義があると思います。「歴史的仮名遣い」であるという注記を付すことには問題があります。原文が「正しい歴史的仮名遣い」になっているかどうかを引用者は判断しなくてはなりません。もし原文が正しくない仮名遣いになっていた場合は何と注記するか困ってしまいます。更には「歴史的仮名遣いである」という注記が殊更に付されていると、却って読者に誤解を招くおそれがあります。つまり原文は「正しい歴史的仮名遣い」になっていなくて引用者が「正しい歴史的仮名遣い」に校訂したのではないかという疑いを引き起こします。以上の点から、便宜にならないどころか却って有害であると考えます。--КОЛЯ 会話 2010年3月2日 (火) 02:14 (UTC)
歴史的仮名遣で書かれた物が、或る部分間違っていたとしてもそれは別の仮名遣へと変質したということにはならないと思います。読み手にとってその仮名遣が基本的に現代仮名遣ではなく、歴史的仮名遣で書かれた物であるということが示されていることは有意義であると考えます。「仮名遣いは出典のママ」との脚註を付加することについて否定するものではありません。--廿粁 2010年3月8日 (月) 01:16 (UTC)
見ればわかるものについて殊更に注をつける必要がないということです。敢えて注をつけるということはどこか問題があるのではないかという疑念を起こさせます。喩えて言えば「江藤淳」という語について「人物。」という注をつけるようなものです。--КОЛЯ 会話 2010年3月8日 (月) 13:58 (UTC)
「仮名遣いは出典のママ」もその点同様の部分もあるのではないかと思いますが、見れば分る人は分るであろうし知らない人は分らないと思います。現代仮名遣に対する仮名遣として歴史的仮名遣であることを示すもので意義があるものと私は考えます。--廿粁 2010年3月11日 (木) 01:01 (UTC)
どこがどう同様なのでしょうか。知らない人は、注をつけられても読めないと思います。それだったら注をつけるよりは現代仮名遣いに直す方が親切というものです。歴史的仮名遣であることを注することにどういうメリットがあるのか、ここまできても全然語っていただけませんね。--КОЛЯ 会話 2010年3月11日 (木) 20:51 (UTC)
「仮名遣いは出典のママ」についても敢てそのような註を附けるということは、どこかに問題があるのではないかと考えることが可能があると云う意味に於いて同様な点があるのではないかと指摘したまでです。私は知らないことに対して取っ掛りを付けるのが百科事典の一つの役目ではないかと考えます。親切であるべきだということについては、仮名遣を現代仮名遣に書換えた文章を脚註として併記するのも一案ではないでしょうか。繰返しになりますが、私は読み手にとってその仮名遣が基本的に現代仮名遣ではなく、歴史的仮名遣で書かれた物であるということが示されることは有意義であると考えます。--廿粁 2010年3月12日 (金) 02:36 (UTC)
私は「仮名遣いは出典のママ」という注をつけたいのではなく、「歴史的仮名遣い」という注を取り除きたいわけです(「ママ」で代用になるかと思ったのですが、特に問題がないのであれば、仰るとおり注記の必要はありません。尤も引用とは元々問題を孕むものです)。歴史的仮名遣いの文章を見てそれが現代仮名遣いとは違うということがわからないような読者は、想定する必要がないということです。無知な読者への配慮ということを言い始めると、英語が出てくるたびに「英語。」と注をし、常用漢字外の漢字が出てくるたびに「常用漢字ではない。」と注をしなければならなくなります。議論の本筋は、「歴史的仮名遣い」のメリットを示すことです。--КОЛЯ 会話 2010年3月12日 (金) 05:14 (UTC)
国語を書き表わす仮名遣が歴史的仮名遣であることの区別です。現代仮名遣と違うと云うことは誰しも認識できるでしょう。それが何かと云うことの明示です。「仮名遣いは出典のママ」との註は現代仮名遣で書かれた文章にも適用可能でしょう。--廿粁 2010年3月13日 (土) 01:57 (UTC)
疲れたけど再開しますね。その原文の仮名遣いが正しい歴史的仮名遣いであることは誰が判定するのでしょうか。現代仮名遣いでなければ歴史的仮名遣い以外にありえないかと言えばそんなことはないわけです。--КОЛЯ 会話 2010年4月5日 (月) 03:24 (UTC)

GHQ文書発見により、内容修正が必要です[編集]

GHQによるWGIPの元文書が発見されました。関野道夫著「日本人を狂わせた洗脳工作 いまなお続く占領軍の心理作戦」(自由社ブックレット)に実際の文書が提示されています。これにより、当該ページの 「文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない。」 この箇所の修正が必要かと思いますが、いかがでしょうか? Amanda Givson会話) 2015年3月17日 (火) 15:30 (UTC)

貴重な文献をご紹介いただき、ありがとうございます。必要と思われる修正と補足をしておきました。ただし、江藤(1989年)が根拠としている「1948年2月6日付のCIEからG-2への内部文書」は関野(2015年)に掲載されておりませんので、GHQの内部文書で「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」という名称が使用されていたことの証拠にはなりますが、これをもって「1948年2月6日の内部文書」の存在が証明されたことにはなりません。また、関野(2015年)の12・13ページなどの記述から、著者がウィキペディアの内容を誤解している可能性もあります。ノートページも合わせて読んでいただければ、
(1) 「WGIP」と目される政策はあった。その証拠は太平洋戦争中からのいくつもの文書(GHQ/SCAP 一般命令第4号など)で、それらの多くは公的機関によりインターネット上で公開されている。
(2) 「WGIP」という名称の根拠は不明だった(が、関野(2015年)によって明らかになった)。
(3) 江藤(1989年)が根拠とする「1948年2月6日の内部文書」は未だに所在が明らかにされておらず、公開もされていない。そのため、この文書が存在するかどうかは明確でない。
というのがウィキペディアの内容であることが容易に理解できることと思います。江藤(1989年)によって「1948年2月6日の内部文書」、ひいては「WGIP」という名称がGHQによって使用されたことを証明し得ない(関野(2015年)では証明できる)のは、某工学博士のネイチャーに掲載された論文と、「STAP細胞はあります。」という発言だけでは、STAP細胞の存在を証明できないのと同様です。事実を明らかにする上で重要なのは「再現性」で、後者について第三者による確認実験が必須であるのと同様、前者つまり江藤(1989年)について記述の根拠となった文書を第三者に公開し、自由に閲覧させることは必須です。--Lichenes会話) 2015年3月22日 (日) 06:47 (UTC)

秦郁彦は「陰謀史観」において、WGIPを「東京裁判史観」批判論の「証拠固め」に乗り出したものと分析しており(p.132-p.145)、関野(2015年)において同氏が執筆の動機を「諸悪の根源にあるのは、東京裁判史観」「それだけでは説明がつかない、もっと悪辣な何かがあるのではないか、と思いつきました」と述べている以上、「東京裁判史観」批判論の立場からWGIPを「肯定的に使用している」「江藤の支持者」としての主張の域を出ていないのではないでしょうか。そうした観点から言えば「関野氏が「WGIP」を公文書の中に見つけたと言っている」という趣旨の記述にした方がいいような気がします。--彩華1226会話) 2015年3月29日 (日) 12:19 (UTC)

ウィキペディアは、「関野通夫は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の名称を使用しているGHQの指令文書を発見したと主張している」と書いています。 私は、主張しているのではなく、この原資料のコピーを本の中に提示し、かつ、発見の経緯も明らかにしています。疑問を持たれる方は、自分で、国会図書館なり明星大学に行き、私が示したコピーがねつ造品であることを確認してから、意見を言うべきです。 また、この提示によって、江藤淳に関する記述も訂正すべきです。--~~~~——以上の署名の無いコメントは、42.148.170.156ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2015年4月12日 (日) 00:34 (UTC) に投稿したものです。

繰り返されるウィキペディア批判について[編集]

最近、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」に関する新しい著作が出版され、この分野に関する議論が活発化し始めているのは喜ばしいことだと思います。しかし、それらの著作の中で、ウィキペディアの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の項目に対する批判が執拗に繰り返されていることについて、議論を萎縮させかねない問題として指摘しておきたいと思います。

  • 関野通夫『日本人を狂わせた洗脳工作-いまなお続く占領軍の心理作戦』(自由社、2015年3月3日発行)
「(前略)そこで、江藤淳氏の『閉された言語空間』(文藝春秋)を読み返し、ウィキペディアも参照すると、思いがけない疑問符が付けられていました。下記は、そのウィキペディアの文です。
【戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画。文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない】
私が自明の存在だとばかり思っていたWGIPが、真偽を疑われていたのです。」(12ページ)
  • 勝岡寬次「〈書評〉 関野通夫著『日本人を狂わせた洗脳工作-いまなお続く占領軍の心理作戦』」(『戦後教育史研究』第28号)(明星大学戦後教育史研究センター、2015年3月31日発行)
「(前略)一般の人が接する機会の多い「ウィキペディア」を見ると、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の項目については、次のような説明がしてある。
「大東亜戦争(太平洋戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)による日本占領管理政策の一環として行われたとされる、戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画。(中略)この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」
(中略)これ[関野(2015年)]によって、“War Guilt Information Program”がCIEの情報宣伝計画として「実在」したことは、自明の事実となった。「実在するかどうか明確ではない」などというウィキペディアの“笑死”な主張に対しては、完全に止めを刺したことになる。(後略)」(161、162ページ)
  • 関野通夫「米占領軍の日本洗脳工作 「WGIP」文書、ついに発掘」(『正論』2015年5月号)(産経新聞社、2015年5月1日発行)
「WGIPについてはこれまで、江藤淳氏や高橋史朗教授が、立派な著作を残されています。なぜ、私が屋上屋を重ねるようなことをするのかという疑問があるかもしれない。ですがインターネット上の百科事典とされるウィキペディアにはWGIPについてこう書かれているのです。
《文芸評論家の江藤淳が『閉された言語空間』(1989年)において、この政策の名称がGHQの内部文書に基づくものであると主張し、江藤の支持者らが肯定的にこの名称を使用している。しかし、この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない》」(71ページ)

引用が長くなってしまいましたが、いずれの著作にも、巻末に引用文献のリストはなく、ウィキペディアへの言及は本文がすべてです。現在のウィキペディアの内容は引用部とかなり異なっています。ウィキペディアの引用のしかたについてはウィキペディアを引用するに詳述されていますが、関野・勝岡両氏がウィキペディアのしくみについて熟知されていないことは明らかです。両氏がなさるべきことは、外部からの批判ではなくて、ウィキペディアの当該記事の編集ではなかったのでしょうか(関野氏を名乗るIPユーザーからノートページへの書き込みはありましたが)。また、両氏の閲覧当時の版にあった「この内部文書そのものは江藤らによって公開されておらず、実在するかどうか明確ではない」という表現も、たしかに「WGIPが実在するかどうか」と読めなくもありませんが、「この内部文書そのものが実在するかどうか」と読むのがより自然ではないでしょうか。後者の意味では、江藤(1989年)が依拠している1948年2月6日付けのCIEからG-2に宛てた文書というのは、関野氏の両著作でも(それ以前の研究者の著作でも)画像や所在が公開されておりませんので、この文書が「実在する」ことは証明されておりません。WGIPの実在が証明されたのだから、1948年2月6日付け文書の実在も信じなさい(あわせて、この文書に依拠した江藤(1989年)の当該記述も信じなさい)、というのであれば、これは乱暴すぎるのではないでしょうか。--Lichenes会話) 2015年5月24日 (日) 07:15 (UTC)