ノート:インドにおける仏教の弾圧

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インドの仏教と言う記事があるのだから、この記事はそのなかに記述したほうが良いと思います。その他にも、無理に分けなくても良い物を分けているのが気になります。例えば、仏教遺跡などは仏教に含んだ方が良いと思います。すなわちあまり一般的なタイトルでない記事は作らない方が良いと思いますがいかがでしょうか?--Yoshitaka Mieda 14:17 2003年3月18日 (UTC)


仏教は各地で相当違いますし、仏教にはあくまで思想に関する面に重点をおき、小乗仏教でそのなかの遺跡の項にするなどとして分けたほうが良さそうな気もします。kzhr 00:04 2003年3月19日 (UTC)

意見が分かれるものですね。深刻な対立の種でもないと思うので気軽に思うところを書いてみます。
僕は「宗教弾圧」というページがあり、その中から歴史上の様々な宗教弾圧を扱った記事へのリンクが張られるとしたら、「インドにおける仏教の弾圧」というのは比較的無難な記事名ではないかなというようなことを思っていました。Setuさんがそこまで考えていたかどうかはわかりませんが。
あ、でも「存在と非存在を超えて」は何か別の記事名にしたい感じがしています。(いい候補を思いついたらまたその時にしかるべきところに書きます。)
また「仏教遺跡」は、今の時点では独立した記事になっている必然性は感じませんが、これも可能性としてはいろいろ書くことはあるだろうと思っています。少し思いつく例を挙げてみると、「遺跡は仏教がかつて普及し、かつ何らかの理由で廃れた土地で、かつ、破壊行為などが起こっていない土地に見出されることになる。具体的には、」といった類の総括的な記述ができますし、遺跡の種類として「仏像」「建築」「その他」に分けるとか、観光資源としての利用実態、保護措置の有無や種類、遺跡を対象とする学術研究活動の総括などがありそうです。そこで、独立した立派な記事になる可能性は十分あると思います。ただ、「仏教遺跡」という記事名自体が一般的なのか、もっといい記事名があるのかは、よくわかりません。
また、「仏教」「大乗仏教」などの各ページにちょっとした解説があり、リンクが張られる、というのはよいと思いますし、当面はそれだけで十分で記事として独立している必要はないかも知れません。それはまあ誰がどの位内容を付け足していくか、ということにも関わってくるわけですが。
一般的な印象として、Setuさんは内容に乏しい記事をどんどんつくってしまう、という傾向があるようでもないので、まあ個人的には賛成も反対もせず、静観したい感じです。(あるいはチャンスがあれば参加するか。)
Tomos 00:35 2003年3月19日 (UTC)

  • はい、Tomos さんのおっしゃる事に近いです。
「インドにおける仏教の弾圧」は他の記事から引用される可能性のある重要なイベントなので独立してあります。この記事へのリンクを見てもらえば分かると思いますが、既に他の場所からリンクが来ているはずです。
これから使う予定の例としては、「ボーディダルマ」または「中国の禅」に関する記述の部分に置くつもりです:「ボーディダルマは、南インドから中国に渡ったが、南インドを離れた理由のひとつとしてインドにおける仏教の弾圧があげられる。」
まだ小さな記事ですが、これから膨らますつもりです。また、知っていること以外にも、これから調査するつもりがあるので、調査したことをここに書いたり、ぶら下げたりする予定です。
中国でも弾圧によって仏教がほとんと失われていますから、中国における仏教の弾圧も多少書いてみるつもりです。この場合仏教の弾圧という項目も出来る可能性があります。日本でも弾圧はあったとおもいますし。また、Tomosさんのおっしゃる通り宗教弾圧はそのうち知っていることを落しに行きます。例えば魔女狩りはそこからぶら下げます。エジプトのセト神も弾圧された形跡があるので調べていますが、既にヨーロッパの魔女狩りとエジプトのセト神の弾圧に時をはなれて繋がりがあることを見つけています。
仏教遺跡ですが、これから知っているものを放り込むつもりですのですぐに膨らむと思います。数の多さも知っていますので、まだ記事は作ってないですが、インドの仏教遺跡 のタイトルなども作っています。数の少ないうちは、全部仏教遺跡に記事やリンクを置くことにして、そのうち数が増えたら、重要なものだけを残して残りは…の仏教遺跡に移動するつもりです。
「内容に乏しい記事」についてのご指摘ですが、「知識のネットワーク(ウェブ)」上独立しているべきと思って、なおかつそのタイトルで既に複数の場所からリンクを使ってウェブを作りたい時は、とりあえず「内容に乏しい記事」のまま書くことがあります。その記事は後で膨らますつもりがある場合もありますし、他の人が内容を膨らましてくれるだろうと期待するときもあります。
個人的には、日本ウィキペディアの状況としては、「読者」よりも「筆者」を優先させる状況かと思います。これが記事が増えて来て、内容も充実して来たら、「内容に乏しい記事」に対する考え方は違って来ると思います。(まあ、その時点では「知識のネットワーク(ウェブ)」の「重要なノードとなるタイトル」は揃っているでしょうから、「内容に乏しい記事」でタイトルを作る必要もなくなっていると思いますが)。
もしタイトルの付け方にたいするご意見でしたら、「インドにおける仏教の弾圧」は、「仏教弾圧 (インド)」として、使い方は「この理由として[[仏教弾圧 (インド)|インドにおける仏教の弾圧]]が考えられる」という感じでしょうか?
存在と非存在を超えてについては、ノート:存在と非存在を超えてに書くつもりですが、後になるかもしれません。(とりあえず、「消したほうが良いと思います」と言わないでくれてどうもありがとう)。
--Setu 03:43 2003年3月19日 (UTC)