ノート:イラク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ウィキプロジェクト イスラーム (記事品質: Aクラス、重要度・最高に指定されています。)
Kaaba mirror edit jj.jpg この記事「記事」は、イスラームを対象としたウィキプロジェクトであるウィキプロジェクト イスラームの関連記事です。
Aクラス記事 A  プロジェクト:イスラーム/執筆支援/第5回によって、この記事はAクラスに分類されています。
 最高  この記事は、プロジェクト:イスラーム/執筆支援/第5回によって、 重要度・最高とされています。

イラクの地図、とってもいい仕事ですね。ただ他から地図を持ってくるだけでなく、きちんと手が加えてあるのは、日本人的な細かい作業で素敵だと思います。


国名について。Safkanさんのコメント欄が途中で切れてるので、気になるところですが。

> 定冠詞のアルを「=」で繋げるのはWikipedia日本語版の慣例で、
了解です。

> ターマルブータにhをつけないのは日本の学会慣用です。
なるほど。ネットを検索すると、Al-Jumhuriyah Al-Iraqiyahは山ほどヒットするのに対し、Al-Jumhuriya Al-Iraqiyaだと激減します。しかし、日本語の百科事典を3冊チェックしたのですが、いずれも後者(h なし)だったので、不思議に思ってたところでした。感謝です。

あと、ʾ(ʾ) はフォントがなくて表示されなかったので、おそらく一般的な日本語環境で表示されると思われる ‘(‘)で代用させていただきました。この辺もこだわりのある人にとっては気になる所なのかもしれませんが。

ところで、紙媒体の事典は、ラテン文字を使用しない言語についてのラテン文字転写について、各事典ごとに規則を定めており、微妙に違いがあります。Wikipediaでもいずれは規則を定めて統一すべきなんだろうと思いますが、他言語版はどうなってるんでしょうね。oxhop 16:17 2004年5月7日 (UTC)

いや、ちょうど文の終わりの閉じ括弧で切れました。要約欄に書くには長すぎましたね。失礼しました。
ターマルブータですが、これはtをつける人もいます。-hは欧文でよく使われるLibrary of Congress方式(日本では図書館で使う転写方式)のやり方なんですが、日本では平凡社の『イスラム事典』が採用したhやtはついていない方式が学会慣例のようになっていて、ライバルの『岩波イスラーム辞典』でも使われているほどなので、私はだいたいそれにならうようにしています。ただ、アラビア語のラテン文字転写は今のところwikipedia内でも書く人によってまちまちですし、原則として平凡社イスラム事典方式をとっている私も、本当はsの下に点があるものとないものがあったりするのをほとんどの日本語環境では出ないので省略していたりと厳密に従っているわけではありません(ロシア語を転写するときはLC方式にしてるしなー…)。やはり、統一したほうが良いかもしれません。他言語のWikipediaは長母音記号やアインがよく脱落しているので、少なくともLC方式ではないし、特に転写規則は設けられていないと思われます。それと、別にアインは‘で良いと思います。お恥ずかしながらʾが出ない環境があるとは今まで気付きませんでした(自分の環境でも大学の環境でも出るからふつうは出るもんだとばかり…)。以後気がついたら直すようにします。Safkan 17:37 2004年5月7日 (UTC)

人口宗派比率についてのコメント[編集]

イラクの民族構成、宗派構成については、正確な統計がない状態で、さまざまな推測データが出回っています。米国、日本など先進国の政府はそれぞれ独自の推定で数値を出していますが、シーア派住民の60-65%という数値はどこまで正確か、疑問です。 イラクでもっとも信頼に足るとされた宗派別の統計が最後になされたのは、50年以上前の1947年ではありますが、その時点でアラブ・シーア派51.4%、アラブ・スンナ派19.7%、クルド・スンナ派18.4%、その他のシーア派2.7%となっています。その時点から現在までの間で、公表されているイラク政府統計を見ても、シーア派とその他の宗派の人口増加率が大きく違っているとはあまり考えられません。 私自身としては総合的に判断してシーア派比率は55%以上、多くても60%といったところかと思いますので、 65%という通説で出回っている数値はかなり過重なのではないでしょうか。(酒井) —以上の署名の無いコメントは、202.244.105.124ノート)さんが 2004年8月31日 (火) 03:29 (UTC) に投稿したものです(eveningmist会話)による付記)。

イラクの人口の約半分は18歳未満の子ども —以上の署名の無いコメントは、210.175.93.89ノート)さんが 2004年11月2日 (火) 06:51 (UTC) に投稿したものです(eveningmist会話)による付記)。

イラク (2015-03-16T16:28Zの版) において、人口宗派比がおかしいこと (合計が100 % を超えていた)、統計の元となった出典が明記されていないため、追記しました。 ただし、キリスト教徒の構成内訳については、Aphaia さんも 2007年5月5日 (土) 11:00 (UTC) のコメント (#キリスト教) にて懸念されている通り、疑問が残ります。 --eveningmist会話) 2015年5月6日 (水) 02:03 (UTC)

「アメリカの侵攻と新政府」の節について[編集]

この節では昨年の暮れから「正式にアメリカ合衆国の領土に編入された」「植民地経営」などの記述が散見されます。私はこれらが事実に反する、または中立性を欠く記述だと思えますがどうでしょうか?--新アルパカ 2007年2月25日 (日) 06:47 (UTC)

キリスト教[編集]

「1990年時点のキリスト教人口は約100万人である。最大の分派は5割を占めるローマ・カトリック教会。4割強が東方諸教会に属する。アッシリア人だけはいずれにも属さずキリストの位格について独自の解釈をもつアッシリア正教会のネストリウス派に属する。」とありますが、これは正しいのでしょうか。アッシリア正教会はどちらかといえば東方諸教会に属しますし、その前のところで触れられている「東方正教会」がここに登場しません。何を出典とされている記述かわからないので、改稿を控えますが、執筆者の方にはご確認を願います。--Aphaia 2007年5月5日 (土) 11:00 (UTC)

秀逸な記事の再選考[編集]

この記事は、2007年2月10日から同5月16日にかけて、秀逸な記事の再選考の対象となりました。詳しくは、Wikipedia:秀逸な記事の再選考/イラクをご覧ください。58.159.184.171 2007年5月18日 (金) 17:47 (UTC)

トゥルクマーン人&別件:イラク国旗の変遷[編集]

人口比率の項において、赤リンクで言及されているトゥルクマーン人とはトルクメン人のことではないでしょうか。

イラク国旗の変遷に関する記述が見られません。現在の国旗はアメリカによるイラク戦争後に、現代的で斬新なデザインの改訂案旗へのイラク国民の反発から代替案として当時の国旗に小変更が加えられたものです。国旗に関する記述はどの節に記載するべきでしょうか。ご意見をお願いします。 -- 慈姑鑑真 2007年12月8日 (土) 13:48 (UTC)

トルクメニスタントルクメン人のことではありません。トルコ人やアゼルバイジャン人により近いです。大英帝国がオスマン帝国からイラクを取り上げましたが、ローザンヌ条約締結からアンカラ条約トルコ語版締結に至るまで、モースルキルクーク地区は係争地域でした。ローザンヌ条約交渉では、「イラクのトルコ人」と言われていました。大英帝国としては、同地区にトルコ人の同族がいるという印象を与えると交渉で不利になると考えたようで、「トルコ人」とは異なった名称を付与した結果「トゥルクマーン人」になっちゃった、といわれています。トルクメン (曖昧さ回避)英語版にはいろいろな意味があって難しいですよね。Takabeg会話) 2015年10月24日 (土) 10:22 (UTC)

平均寿命と死亡率の記事の削除について[編集]

<--削除した記事-->

イラク国民は、1990年8月のイラク軍によるクウェート侵攻後、それに続く2003年からのイラク戦争によって悪影響を被っている。例えば、戦前、平均寿命は1985年の63.0歳(男性)、64.8歳(女性)から、1990年の77.43歳(男性)、78.22歳(女性)へと向上した。これはフセイン政権による医療改革の影響である。1990年時点の平均寿命はほぼ連合王国(イギリス)と同水準にまで向上していた。しかし、戦乱が続く中、2000年には57歳(男性)、60歳(女性)まで後退してしまう。乳児死亡率は、69‰(1985年)、57.8‰(1990年)、95.3‰(1995年)、102‰(2004年)と変化しており、平均寿命の変化と一致している。都市人口率の変化を追うと、70.2%(1987年)、70.3%(1988年)、69.9%(1990年)、67.2%(2003年)となっており、産業人口率の変化と併せると、都市の破壊、都市機能の低下が平均寿命や乳児死亡率の変化と同じ時期に進行したことが分かる。

<--ここまで削除-->

WHOのWorld Health Statistics 2011を見ると、全く事実に反する[1]。 平均寿命は1990年は男64歳・女69歳、2000年は男65歳・女70歳、2009年は男62歳・女70歳である。 乳児死亡率は出生1000人のうち何人と表すので、何%とは表さない。100%越えはあり得ない(全員死亡したことになる)。 出生1000人のうち、乳児(1歳未満)死亡率は、1990年は男45人・女39人、2000年は男41人・女35人、2009年は男38人・女33人である。 57.8%だと578人、57.8%だと1000人のうち578人、95.3%だと1000人のうち953人、102%だと1000人のうち1020人死亡するという意味になるが、そのような事実はない。

--Fairytale 2012年2月13日 (月) 09:48 (UTC)

"‰"はパーミルでは? --Melan 2012年2月21日 (火) 07:54 (UTC)

記事の分割[編集]

記事肥大化対策として、前政権(サッダーム・フセイン政権)時代(1968年のバース党によるクーデターからイラク戦争による政権崩壊まで)の部分を分割することを提案します。記事名は「イラク共和国 (1968-2003)」を提案いたします。--GOLFLF会話) 2012年9月29日 (土) 01:56 (UTC)

条件付賛成「イラク共和国 (1968-2003)」という記事名は、イラク共和国が1968年に成立し2003年に消滅したように誤解されてしまうので、「イラクの歴史 (1968-2003)」のような記事名のほうがいいと思います。
また、1958年から1968年までが個別記事の空白期間として残されてしまうので、「イラクの歴史 (1958-1968)」も同時に分割するほうがいいと思います。--Greeneyes会話) 2012年9月29日 (土) 11:58 (UTC)
コメントすでに、記事「イラクの歴史」があります。記事「イラク」に残すべき内容は、「イラクの歴史」の要約程度で十分でしょうから、二つの記事と両にらみで大胆に編集していただいてかまわないと思います。
結論から言うと、イラクの記事の「歴史節」を大幅に短くして、必要なものは、「イラクの歴史」に転記。そして、近現代イラクの歴史の分量が分割に値するのであれば(先述の1958-1968、1968-2003が該当すると思います)、適宜分割されてください。そのときにお声かけを再度していただければ十分だと思います。GFDL違反にだけは注意してください。--Tantal会話) 2012年9月29日 (土) 22:59 (UTC)
コメント 国名が変更されず政治体制が異なる場合は、ヴィシー政権(地名+政権)や汪兆銘政権(人名+政権)などの前例を踏襲して判断すると「サッダーム・フセイン政権」か、大統領就任前を含めて「バアス党政権」が良いのではないかと思います。 --江東琴会話) 2012年10月4日 (木) 06:58 (UTC)
報告 シリアの政権党もバアス党なので「イラク・バアス党政権」或いは「バアス党政権 (イラク)」とした方が良いのかも知れません。「イラク・バアス党政権」の用例としては論文「イラク・バアス党政権の変容と対外政策」があります。 --江東琴会話) 2012年10月4日 (木) 09:20 (UTC)
コメント 分割に関しては合意が頂けたと判断します。ご意見ありがとうございます。Greeneyesさんの「イラクの歴史 (1958-1968)」も良いかとは思いますが、江東琴さんご提案の「バアス党政権 (イラク)」の方が他との前例から見て受け入れやすいのではないかと思いますので、この記事名で分割を実行いたします。--GOLFLF会話) 2012年10月7日 (日) 01:03 (UTC)
コメントイラクの歴史」によると、バアス党は1963年にも政権を握ったようです。「歴史用語として1963年の政権はバアス党政権とは呼ばない」ということならそれでもいいのですが、それを言うには資料による言及がほしいところです。--Greeneyes会話) 2012年10月11日 (木) 12:22 (UTC)
コメント 英語版では1958-68年をen:History of Iraq under Qasim and the rise of Arab nationalism(カーシムとアラブ民族主義時代のイラクの歴史)、1968-2003年をen:History of Iraq under Ba'athist rule(バアス党政権時代のイラクの歴史)としているので記事の範囲については問題無いと思いますが、誤解を招くおそれを排除したいのであれば1968-2003の記事名を「第2次バアス党政権」として「第1次バアス党政権」を1958-68年を扱う「アラブ民族主義政権 (イラク)」(シリアやエジプトと区別するため分類カッコを付ける)へのリダイレクトとするなどの方が良いのかも知れません。 --江東琴会話) 2012年10月13日 (土) 12:04 (UTC)
報告バアス党政権 (イラク)」で分割を実施致しました。誤りがある箇所等がありましたら、修正のほどよろしくお願いします。--GOLFLF会話) 2012年10月20日 (土) 19:09 (UTC)
コメント お疲れ様でした。第一次バアス党政権に関してはOtherusesで誘導しておきます。当面は「イラクの歴史」へ誘導し、まだ名称が確定していない1958-68年について項目が立てられた場合はそちらへ誘導先を変更すると言うことで混乱は防げるでしょう。 --江東琴会話) 2012年10月21日 (日) 05:01 (UTC)

クルド人国歌の和訳について[編集]

「国歌: クルド人はEy Reqîb (守護者よ) を唄う」とありますが、クルディスタン地域にはEy Reqîbが「おい、敵よ」と紹介されています。いくらなんでも意味が違いすぎる気がするのでだれか確認していただければと思います。--Akiyama(tentative)会話) 2015年7月27日 (月) 06:40 (UTC)

今日一般的には「敵よ」 (رقيب) でいいのではないかと思います。ディルダル (本名ユヌス・レウフ)がバグダッドの刑務所で作詞したのですが、「守護者」ではなくて「刑務官」、「看守」 (راقبの派生語)に呼びかけた詩だったのだけれども、それが敵というかライヴァルという形で広まった、というのをきいたことがあります。二次資料はありませんが、「守護者よ」は間違いのはずです。Takabeg会話) 2015年7月27日 (月) 12:30 (UTC)
納得しました。なんでこんな真逆の意味になってるんだと疑問におもったのですが、確かにそのエピソードを聞くと「守護者」であり「敵」というのは矛盾しないのですね。すばやい回答をありがとうございました。わたしが直しておきます。--Akiyama(tentative)会話) 2015年7月27日 (月) 13:49 (UTC)
どういたしまして。以前、[[File:ئەی ڕەقیب - تاكا بك.ogg]]を作成してコモンズにアップロードしたところ、他のプロジェクトで結構使ってもらっているようです。出来はいまいちですが楽譜から直接書き起こしたので正確性に問題は無いと思います。よろしかったら、使ってあげてください。Takabeg会話) 2015年7月27日 (月) 14:09 (UTC)