ノート:くるみ割り人形とねずみの王様

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出典について[編集]

言うまでもなくこのご時世ですので、普段よりも情報収集がしづらいこともありますので、できるところから随時埋めていきたいと考えております。一旦個人的に気になったところをリストアップいたしました。ご確認いただけますようよろしくお願いいたします。なお、これらの文はくるみ割り人形とねずみの王様 2020年5月20日 (水) 14:16‎(UTC)版をベースにしております。

  • 「1816年に発表され、」の箇所
  • 発表の年代が何に基づいているのかが不明瞭。
  • 記事の発展なので今回の主な議題からは少しそれるが、どういった形で発表されたのかがあるとなお良し。ゼラピオン同人集に関しては少なくともドイツ語版他2言語で記事があったため、単体記事を作るなどしてこの記事で詳細を記すことは必須ではないと思案。
  • 「チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』の原作として知られる作品である。」
  • 「知られる」のは誰に対してか。またどうやって知られるようになったか。
  • 余談だが「知られる」ようになるまでに必ず経緯があるはずなので、そこを書くと記事の発展には繋がり易いと考えられる。
  • 「知られる」地域にも差があると考えられるので、どの辺で知名度が高いという話ができると記事が充実するが、本題からも逸れるので頭に置いておく程度はしたい。
  • 「~即興で作ったものであった。」の文
  • 断言しているが複数資料に同一の記述があったのか、本人が断言したのか、それとも後世の有識者が判定したかが不明瞭。
以下同様の疑問に関してパターンAとする。
  • 「~自分の娘を幼くして亡くしていたホフマンはこの子供たち、特にマリーをよく可愛がっていた」の文
  • ほぼ引用箇所がパターンA。
  • 「この話はマリーのためのクリスマスプレゼントとして作られたものであったらしい。」
  • 「誰が」そう判定したかが不明。独自研究ととられかねない。「らしい」ということは著者ではないと思案。
以下同様の疑問に関してパターンBとする。
  • 「~作者ホフマンのイメージが重なる。」の文
文全体がパターンB。
  • 「~フランス語版が元になっている」の文
記載箇所がパターンA。
  • 「~人形の国(お菓子の国)での様々な登場人物の描写に後半部の大半を使っている」の文
文全体がパターンB。
  • 「また、主人公の少女の名前がホフマン版やデュマ版の「マリー」から「クララ」(原作では冒頭でマリーが貰った人形の名前の愛称)に変更されている。」
第三者からの判断が欲しいと思案(Wikipediaの一編集者の判断ではないと言いたい)。
余談だが、これは三種類の『くるみ割り人形とねずみの王様』があり、それぞれ原作のホフマン版、フランス語で書かれたデュマ版、著名なバレエのバレエ版それぞれの違いをある程度まとめたものが調査があってもいいと思案。

概ね、あらすじ以外の箇所全般になります。あらすじはホフマンの原作ベースという認識でよろしいでしょうか。--遡雨祈胡会話) 2020年5月20日 (水) 14:34 (UTC)

論点整理ありがとうございます。出典検索の方針自体が自明でないものがあるので、御意見をいただければと思います。
「人形の国(お菓子の国)での様々な登場人物の描写に後半部の大半を使っている」「また、主人公の少女の名前がホフマン版やデュマ版の「マリー」から「クララ」(原作では冒頭でマリーが貰った人形の名前の愛称)に変更されている。」の2件については、「原典を読めば誰にでも明らかな事実」で独自研究にも値しない内容です。このことに言及した文献はいくらでもありますが、ありすぎて困る、つまり根拠文献として特定するに値するものが存在しないという状況です。こういう場合はどうするべきなのでしょうか。
--Dakarananyanen会話) 2020年5月21日 (木) 11:46 (UTC)
前提として、当方はWikipedia:空が青いということに出典は要るWikipedia:空が青いということに出典は要らないという話だと、前者の人間だと考えております。もし、Dakarananyanenさんが反対側の考えを重んじる方だった場合、議論を行ったところで少なくとも二者間の場合平行線になる可能性が高いと考えております。それだと疲弊するだけで得るものがなさそうなので、一旦その2点を後回しにして、出典が示せそうな箇所や記事の発展に繋がりそうなところを優先して調べていくのが効率がいいと考えます。その過程でもし同様のことを明示的に示すものが見つかった場合、専門的な内容に近いものを代表として2点程度出典に示すのがいいかと考えております。明示されている出典がなさそうであればコメント依頼を出すなりして、改めてどうするかを考えるというのはいかがでしょうか。--遡雨祈胡会話) 2020年5月21日 (木) 12:19 (UTC)
すみません、追加なのですが、後半部の大半、というのはできれば定量的に示せた方がWikipedia:言葉を濁さないという観点からするとベターなのかなと思いますがいかがでしょうか。--遡雨祈胡会話) 2020年5月21日 (木) 12:28 (UTC)
この場合、Wikipedia:空が青いということに出典は要るの趣旨とは少しズレると思います。出典が必要でない理由について議論するより、出典を見つけるほうが楽が成立しないんですよ。適切な出典が存在しないことが自明なんです。
なぜかというと、もう1段階前の情報である「原典」、具体的には「参考文献」や「出典」に既に記載されているホフマン版とデュマ版に加えてプティパ版(バレエの台本)のテキストがあれば、そこから自明な論理で導出できることだからです。従って、それを敢えて主張する文献を誰かが遺す動機が無い。「教科書」的な文章で「解説」として触れられている可能性はありますが、確実に存在する保証は全く無いし、発見したとしてもそれが他の文献を押しのけて挙げるに適切と判断できる可能性は限りなく低い。だったら、出典としては「原典」を挙げれば充分で、そこから目的とする記述に必要な情報を導出する「理路」の出典は不要なんじゃないかという考え方も有り得ます。
自明なのは「空が青い」に相当する事実ではなく、現実的に可能な出典文献から結論を導出する「理路」なんです。そこの違いは認識していただきたいところです。
--Dakarananyanen会話) 2020年5月22日 (金) 12:50 (UTC)
ご意見を汲み取り切れておらず、申し訳ございません。その理路の話が出てしまうこと自体が、大変申し訳ございませんが疑問符だらけになってしまいます。当方は「なければ我々素人があれこれ言う話ではないのでは?」という考えで、それこそ自明なのであれば我々が百科事典の記事の中に書くことではなく、Wikipediaの枠の外で読み手個々人が自分たちで導き出すものであるものだと考えています。ゆえにそのことを書かないで読み手の判断に任せればいい、我々が変に決まった理路を作る必要性はないのではないかというのが当方の考えです。--遡雨祈胡会話) 2020年5月22日 (金) 13:39 (UTC)
二者間であれこれ言っていても進まなそうなので、コメント依頼を提出致しました。--遡雨祈胡会話) 2020年5月23日 (土) 11:59 (UTC)
「変に決まった理路を作る」というのは、この場合には全く当たらないと考えます。「作るほどのこともない理路」なのですから。そもそも百科事典というのは出典を必ずしも「そのまま引用」するものではなく、必要に応じて「要約引用」するのは当然のことです。「要約引用」に際して2点ないし3点程度の出典の情報を併せて要約するのも、状況によっては可能です。問題になっている「登場人物の描写に後半部の大半を使っている」「主人公の少女の名前が変更されている」の2件を導く「理路」とは、その程度のものに過ぎません。
--Dakarananyanen会話) 2020年5月23日 (土) 12:55 (UTC)
  • コメント 出版の経緯や当時の評価など加筆しました。出典に加えた若宮 (2008)ではバレエ・ホフマン版・デュマ版の相違について触れており、その注釈では15)で登場人物の違いに触れていて、16)では「ホフマン版とデユマ版の相違については、平林1998で詳しく論じられている」とありますので、資料がないことは無いのでしょうね。
ウィキペディアの編集者が行うのは編集であって検証・分析ではないので「各作品の違い」はどこかで発表されている内容を基にすべきでしょう。ところで「この物語はもともと~(中略)~イメージが重なる。」の出典はどこでしょうか。--Strangesnow会話) 2020年5月26日 (火) 06:34 (UTC)
  • コメント ところで「~として知られる」という表現は私も使ってしまいがちなのですが、そのように紹介されている資料がなく「~である」に留めても説明できる内容が大きく変わらないのであれば、避けたほうが良いかもしれませんね。河出文庫の種村訳本の販促あおり文に「バレエで有名な「くるみ割り人形」の知られざる原作」とあるのをみつけて少し笑ってしまいました。--Strangesnow会話) 2020年5月26日 (火) 07:19 (UTC)