ノート:海部俊樹

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学位[編集]

最終学歴についてですが、修士の学位は持っていないのではないでしょうか。Jazzy 2005年8月22日 (月) 13:09 (UTC)[返信]

最終学歴の記載について・・[編集]

履歴に出ていた(www.doblog.com/weblog/myblog/5890/1322918海部の前に海部なく、海部の後に海部なしは、早稲田での話。学歴は最終校で統一されてます。)→見たんですけどその記載する意味がわからないんですけど・・・。 匿名氏は最終学歴しか記載してはいけないということで、その同じ匿名氏が渡辺喜美も早稲田大学卒業をわざわざ中央大学卒業の後にもっていっていませんか?だけど、中央大学は学士入学していますし、中大のほうが後の卒業ですよ。それと渡辺氏の経歴には両校卒業で出ていますよ。その匿名氏の言でいけば、記載は本来なら中央大学卒業だけでいいということになりますけど。

それと高級官僚で入省後海外留学しますけど、それでも大概は東大卒業となってます。この辺はどう考えますか?--222.1.66.16 2006年5月14日 (日) 11:01 (UTC)[返信]

ブロック依頼[編集]

Wikipedia:投稿ブロック依頼/学歴荒らしを提出したので審議にご参加ください。--Clarin 2008年12月27日 (土) 17:28 (UTC)[返信]


リクルート事件について[編集]

かなり昔の話で恐縮なのですが、評論家の西部邁氏の著書の中に海部首相(当時)はリクルート事件で千五百万円もらっていたと判明したとあります。ところが海部俊樹リクルート事件を見てもそういう記述は見つかりませんでした。

本文の「総理総裁就任と辞任」という項目の中に

「海部が首相に就任した頃は、いわゆるリクルート事件などで国民の間に政治不信が強まっていた。それだけに、清新なイメージで颯爽と登場した海部に寄せられた党内外の期待感は大きかった。組閣においてはリクルート・ロッキード事件にかかわったとされる政治家を一切排除した。」

とあるのですが、これだと海部氏はリクルート事件に一切関わっていないかのようにも解釈できることになってしまうと思うのですが、どうでしょうか。--Yayamachi 2009年8月1日 (土) 13:36 (UTC)[返信]

海部さんはリクルートから表金の政治献金として受け取っていたということです。リクルート事件の時に問題視された、値上がり確実な「未公開株」の譲渡は確認されていません。また、自民党総裁選に立候補をする際に、リクルートから表金の政治献金を受け取っていたことを表明しています。--経済準学士 2009年8月31日 (月) 03:51 (UTC)[返信]

そうですか。わかりました。--Yayamachi 2009年9月1日 (火) 15:37 (UTC)[返信]

首相経験者の公職選挙落選[編集]

首相経験者の公職選挙落選した例
首相経験者候補 選挙区 最下位当選候補 惜敗率
1949年衆院選 片山哲 神奈川3区(5) 中西伊之助 99.12%
1963年衆院選 片山哲 神奈川3区(5) 小金義照 98.57%
石橋湛山 静岡2区(5) 山田弥一 88.44%
2009年衆院選 海部俊樹 愛知9区(1) 岡本充功 55.67%

46年ぶりの首相経験者の落選とか騒がれましたが・・・過去の片山や石橋と異なるのは、小選挙区の中での大逆風と選挙で惜敗率がかなり低かったことでしょうか。--経済準学士 2009年12月30日 (水) 07:11 (UTC)[返信]

画像[編集]

画像が分かりにくいので取り替えてください。--以上の署名の無いコメントは、210.228.190.142会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2010年5月27日 (木) 04:05 (UTC) に投稿したものです(Nnkrkrhhdiによる付記)。[返信]

(人物のわかる顔写真にしてください。)--以上の署名の無いコメントは、210.228.190.142会話/Whois IPv4IPv6)さんが 2010年7月16日 (金) 05:44 (UTC) に投稿したものです(Nnkrkrhhdiによる付記)。[返信]

担ぐ御輿は軽くてパーがいい[編集]

>自民党幹事長を務めていた小沢一郎は「担ぐ神輿は軽くてパーな奴が一番いい。」等と海部を暗に揶揄され

よく誤解されるのですが、これは海部俊樹を指した言葉ではありません。1982年の総裁選で中曽根康弘を田中派が支持したときの小沢一郎のオフレココメントです。「海部は本当に馬鹿だな。宇野宗祐のほうがよっぽどマシだ」というのが海部政権時のオフレココメントです。『文藝春秋』1994年10月号の「小沢一郎との訣別」を参照して下さい。--203.91.164.37 2010年6月22日 (火) 12:18 (UTC)[返信]

「神輿」発言の主は平野貞夫であると彼自身が『小沢一郎完全無罪』で述べています。中曽根擁立に際して田中派幹部某が「なんであんなボロ神輿を担ぐんだ」と疑義を呈したところ、田中が「ボロ神輿だからこそ担ぐんだ」と説得したというのが事実であると記憶しています。幹部某は金丸だったか後藤田だったか。

内閣不信任決議について[編集]

利用者:221.12.206.36この編集で「小泉純一郎が記録を塗り替えている」として「首相在任日数818日間は日本国憲法下において衆議院で内閣不信任決議が採決されなかった内閣の首相としては最長日数記録」という記述を消していますが、事実は違います。以下に理由を示します。

内閣不信任決議が
最初に採決されたランキング
首相 就任日 不信任採決日 採決の中身 在任日数
海部俊樹 1989年8月10日 1991年11月5日 818日目 非採決 818日間
橋本龍太郎 1996年1月11日 1997年12月11日 701日目 不信任否決 932日間
佐藤栄作 1964年11月9日 1966年5月14日 552日目 不信任否決 2798日間
小泉純一郎 2001年4月26日 2002年7月20日 451日目 不信任否決 1980日間
池田勇人 1960年7月19日 1961年6月8日 325日目 不信任否決 1575日間
中曽根康弘 1982年11月27日 1983年5月24日 179日目 不信任否決 1806日間
吉田茂 1947年5月3日
(1948年10月15日)
1948年12月23日 92日目
(70日目)
不信任可決 2273日間
(2251日間)
※不信任否決は海部より首相在任日数が長い首相のみ記載。
※海部首相のみ内閣不信任決議が採決されていないため、便宜上首相退任日を不信任採決日に仮に記載。
※吉田茂は「括弧なし」は日本国憲法施行日の1947年5月3日を首相就任日として便宜上基点とし、大日本国帝国憲法下の首相在任は考慮しない。「括弧つき」は第2次吉田内閣成立日である1948年10月15日を基点とした首相在任。
※吉田茂は「括弧なし」では日本国憲法施行日の1947年5月3日を首相就任日として便宜上基点としたが、実際には「1947年5月24日に首相から退き、1948年10月15日に首相に再度就任」しているため、1947年5月25日から1948年10月14日まで首相空白期間が存在。

--経済準学士 2011年1月9日 (日) 12:43 (UTC)[返信]

肖像写真[編集]

解像度が低いため、モザイクがかかっている様に見えます。代わりの画像はないのでしょうか。--Goebbels127会話) 2014年5月7日 (水) 04:08 (UTC)[返信]

家族欄について[編集]

家族欄にシンコーホーム常務の方と天文学者の方が記載されていますが、信頼できる情報源による出典・記載はあるのでしょうか?ないのであれば、そのうち除去させていただきます。--Niedo会話) 2018年1月21日 (日) 10:08 (UTC)[返信]