ネパール王国

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ネパール王国
नेपाल अधिराज्य
naepaāla adhairaāj?ya
マッラ朝
ゴルカ王国
1768年 - 2008年 ネパール
ネパールの国旗 ネパールの国章
国旗 国章
ネパールの位置
公用語 ネパール語
首都 カトマンズ
国王
1768年 - 1775年 プリトビ・ナラヤン・シャハ
2001年 - 2008年 ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
首相等
xxxx年 - xxxx年 ジャンガ・バハドゥル・ラナ
面積
2008年 140,800km²
人口
2008年 29,331,000人
変遷
ネパール統一 1768年12月21日
王制廃止、共和制へ 2008年5月28日
通貨 ネパール・ルピー
時間帯 UTC +5:45
ccTLD .np
国際電話番号 977

ネパール王国ネパール語: नेपाल अधिराज्य naepaāla adhairaāj?ya英語:Kingdom of Nepal)は、1768年12月21日から 2008年5月28日まで続いたネパールの王国。ネパールの王政時代全般を指す。前身はゴルカ王国

歴史[編集]

前史[編集]

1484年ラーヤ・マッラバクタプル・マッラ朝から、ラトナ・マッラカトマンズ・マッラ朝が独立。1619年シッディナラシンハ・マッラパタン・マッラ朝が独立し、マッラ朝は三王国時代に入る。

ゴルカ王国[編集]

16世紀、ヤショー・ブラフマ・シャハ(Yashobramha Shah)がカスキ公国(現カスキ郡)を征服した。

1599年、ヤショー・ブラフマの子、ドラヴィヤ・シャハ(Dravya Shah)がゴルカ王国を確立[1]。当時、ネパールは多くの独立した小国に分かれていた。1570年にドラヴィヤが死去するまで、彼は近隣諸国を征服し、王国の領土を拡大した[2]

統一絶対王政期(1768年 - 1951年)[編集]

1743年プリトビ・ナラヤン・シャハがゴルカ王(第10代)を継承、ネパール統一に乗り出す。1767年en:Battle of Kirtipur1768年カトマンズの戦い英語版で、ネワール族のマッラ朝にゴルカ軍が勝利。同年9月、彼はネパール国王に即位する[3]

1815年、ネパールとイギリス東インド会社との間で勃発する(グルカ戦争)。この戦争に敗れたネパールは、1816年スガウリ条約で国土の1/3を失った[4]。とはいえ、王政はそのまま存続した。

19世紀中期、王国は宰相ジャンガ・バハドゥル・ラナラナ家に実権を奪われ、名ばかりの王家となる[5]

立憲王政期(1951年 - 2008年)[編集]

王家がその実権を取り戻したのは1951年のことである[6]。亡命先から帰国したトリブバン国王は初めて立憲君主制を採用した。

1959年マヘンドラ国王は憲法を公布してネパール初の総選挙を実施。選挙の結果ネパール会議派が大勝し、ビシュエシュワル・プラサード・コイララ内閣が誕生する。

しかし、改革を進めようとする内閣と、権力を維持したい国王は次第に対立を深め、1960年、マヘンドラは憲法を停止して内閣・議会を解散、コイララ首相ら政党指導者を逮捕した(国王のクーデター)[7]

1962年、マヘンドラ国王は政党の禁止などを定めた新憲法を公布。パンチャーヤト制と呼ばれる国王にきわめて有利な間接民主制が行われた。また、首相の任免は国王が行った[8]

マヘンドラ国王は、1972年1月31日に死去。同日、マヘンドラの長男ビレンドラが跡を継ぎ、国王に即位する[9]

1990年民主化運動であるジャナ・アンドランの高まりに押されて、ビレンドラ国王は民主的憲法を制定し、直接選挙による国会、国会から選ばれる内閣を復活する。この事により、ビレンドラは開明的君主として、国民の厚い信頼を得た。

2001年6月1日ネパール王族殺害事件が発生し、ビレンドラ国王はじめ多くの王家の構成員が死亡した。昏睡状態のディペンドラ皇太子が数日間王位についたが死亡し、叔父のギャネンドラが即位した[10]

2005年2月、ギャネンドラ国王は権力を握るために議会を解散し、政府の実権を掌握する。彼の親政ロクタントラ・アンドランによって2006年4月に終わり、ネパールの君主制と、シャハ王家はネパール制憲議会に委ねられることが決まる。2007年12月24日、王制は制憲議会開会とともに廃止されると発表される。

2008年5月28日、制憲議会の第一回の会議で、「連邦共和制」が宣言され、王政は廃止された[11]。ここにネパール王国は終焉を告げ、ネパール連邦民主共和国が誕生した。

歴代君主[編集]

  1. プリトビ・ナラヤン・シャハ(1743年 - 1775年)1769年王国統一
  2. プラタープ・シンハ・シャハ(1775年 - 1777年)
  3. ラナ・バハドゥル・シャハ(1777年 - 1799年)
  4. ギルバン・ユッダ・ビクラム・シャハ(1799年 - 1816年)
  5. ラジェンドラ・ビクラム・シャハ(1816年 - 1847年) 1846年ラナ家が実権掌握
  6. スレンドラ・ビクラム・シャハ(1847年 - 1881年)
  7. プリトビ・ビール・ビクラム・シャハ(1881年 - 1911年)
  8. トリブバン・ビール・ビクラム・シャハ(1911年 - 1950年、1951年 - 1955年) 1951年復位、王政復古
  9. マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(1955年 - 1972年)
  10. ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(1972年 - 2001年6月1日)
  11. ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(2001年6月1日 - 6月4日)
  12. ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ(1950年 - 1951年、2001年6月4日 - 2008年5月28日) 1951年即位取消、2008年王制廃止

脚注[編集]

  1. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.486
  2. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.486
  3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.496
  4. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.515
  5. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.543
  6. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.611
  7. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.648
  8. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.650
  9. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.654
  10. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.678
  11. ^ “Nepalese monarchy to be abolished”. BBC. (2007年12月24日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/south_asia/7158670.stm 2007年12月25日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年 

関連項目[編集]