ネイズビーの戦い

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ネイズビーの戦い
Naseby-map.001.jpg
ネイズビーの戦いにおける布陣
戦争イングランド内戦
年月日1645年6月14日
場所ノーサンプトンシャー州マーケット・ハールバラ近郊ネイズビー
結果:議会軍の決定的勝利
交戦勢力
国王軍 議会軍
指導者・指揮官
チャールズ1世
カンバーランド公ルパート
トーマス・フェアファクス
オリバー・クロムウェル
ヘンリー・アイアトン
戦力
騎兵 7,000
歩兵 6,000
騎兵 4,100
歩兵 3,300
損害
不明 3,500
清教徒革命
主教戦争
ニューバーン
イングランド内戦
エッジヒルアドウォルトン・ムーアマーストン・ムーアネイズビー
スコットランド内戦
インヴァロッヒーキルシスフィリップホフ
アイルランド同盟戦争
ジュリアンストーンキルラッシュリズキャロルニュー・ロスベンバーブダンガンの丘ノクナノース
三王国戦争
プレストンダンバーウスターラスマインズドローエダクロンメルマクルームスキャリフホリスリムリックノックナクラシーゴールウェイ

ネイズビーの戦い(ネイズビーのたたかい、英語: Battle of Naseby)は、イングランド内戦の帰趨を決定づけた、国王軍と議会軍の戦闘である。この戦いによって形勢は議会軍に大きく傾いた。

前哨[編集]

1645年の初め、国王軍は強化されつつある議会軍、とくにニューモデル軍に脅威を感じてきていた。いまだ編成途上であったニューモデル軍を早めに叩く機会をうかがっていた。その一方で、マーストン・ムーアの戦いによって失われていたイングランド北部を取り戻し、スコットランドのモントローズ侯の助力をえることも期待していた。国王軍は北方に戦力をさいて平定に赴き、主力は数を減らしていた。

一方、議会軍は国王軍本拠地のオックスフォード包囲をフェアファクスに命じた。当初国王軍は、北部平定のためには都合が良いと相手にしなかったが、5月になってオックスフォードが陥落しそうだという報が伝わると、5月31日、議会軍の気をそらすために議会軍の砦(レスター)を攻撃した。さらにフェアファクスを叩くため、チャールズ1世カンバーランド公ルパートはオックスフォードに軍を向けた。

イングランド議会はレスター陥落に動揺し、国王軍主力の撃退をフェアファクスに命じた。6月5日フェアファクスは北に軍を向け、ダヴェントリーで国王軍の先遣隊と衝突した。

戦闘[編集]

議会軍は左翼にヘンリー・アイアトン少将、右翼にオリヴァー・クロムウェル中将が布陣した。午前10時、国王軍が一斉に前進を始めた。右翼のクロムウェルは対抗するために、ダストの丘の上まで上がって剣戟を交えた。左翼ではルパートの激しい突撃にアイアトンが堪えきれず、潰走を始めた。アイアトンはほどなく捕虜となった。敗走を続ける議会軍左翼部隊にルパートは追撃を続け、戦場から離れてしまった。

中央ではアストレーとスキッポンが銃撃戦を始め、その後長槍(パイク)の応酬が行われた。そのなかで議会軍中央のフィリップ・スキッポンが銃撃に遭って負傷し、議会軍はじりじりと後退し始めた。予備隊にいたフェアファクスは、スキッポンの代わりに戦線を維持せざるを得なかった。のちに「プライドのパージ」で知られることとなるプライド大佐らの働きで、アストレーの攻勢に対処できた。

右翼のクロムウェル鉄騎隊は、激しい攻撃によってじりじりとランデールを押し返してきていた。クロムウェルは国王本隊に迫りつつあり、チャールズは親衛隊を割いて鉄騎隊を追い払おうとした。ところがこの命令が誤って伝わり、親衛隊は後ろにさがってしまった。クロムウェルはこの隙を見逃さず、チャールズの歩兵連隊を壊滅させた。いっぽう左翼でもアイアトンの部隊の一部が、空になった国王軍右翼を攻め立てていた。国王軍は左右から挟撃される形となってしまった。遠く離れてしまったルパートが戻ってきたときには、国王軍は総崩れとなっていた。

その後[編集]

ネイズビーの戦いによって、国王軍は壊滅的な損害を被った。議会派はこの勝利をイングランド中に宣伝し、勝利を印象づけた。兵糧や大砲は議会軍に接収され、国王軍の再建は事実上不可能となった。内戦はさらに1年続いたが、国王軍は劣勢を逆転することはできず、チャールズはスコットランドに亡命を余儀なくされた。