NINTENDO64

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ニンテンドウ64から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
NINTENDO64
Nintendo-64-wController-L.jpg
メーカー 任天堂
種別 据置型ゲーム機
世代 第5世代
発売日 中華民国の旗 1996年6月22日
日本の旗 1996年6月23日
アメリカ合衆国の旗 1996年9月26日[1]
欧州連合の旗 1997年3月1日
大韓民国の旗 1997年5月
フランスの旗 1997年9月1日
ブラジルの旗 1997年12月10日
CPU 64bit 93.75MHz NEC VR4300カスタム (MIPS)
GPU SGI Reality Co-Processor 62.5 MHz 64-bit RCP
対応メディア ロムカセット
対応ストレージ コントローラパック
コントローラ入力 ケーブル接続 x 4
外部接続 50PIN拡張コネクタ
オンラインサービス 64DD
売上台数 日本の旗 554万台[2]
アメリカ合衆国の旗 2,063万台[2]
世界 3,293万台[2]
最高売上ソフト 日本の旗 マリオカート64 /223万本
世界 スーパーマリオ64 /1,189万本[3]
互換ハードウェア iQue Player
前世代ハードウェア スーパーファミコン
次世代ハードウェア ニンテンドーゲームキューブ
テンプレートを表示

NINTENDO64(ニンテンドウろくじゅうよん[注釈 1])は、任天堂が開発して1996年に発売した家庭用ゲーム機スーパーファミコンの後継・次世代機種である。略称は「64(ロクヨン)」、「N64」。

1990年代中期当時「次世代機」と呼ばれたゲームハードの一つで、任天堂としては初めて本格的な3Dゲームに対応し、『スーパーマリオ64』など3次元空間を自由に体感でき、その操作性を売りにするゲームが多数登場した。

開発[編集]

1993年(平成5年)の開発発表時のコードネームは「プロジェクト・リアリティ」で正式名が決定する以前の海外名称は「ウルトラ64」(日本国内では当時名称未発表)、ユーザー間の通称は「ウルトラファミコン」だった。ファミコンやスーパーファミコン時代は開発第一部や開発第二部がハード開発を行っていたが、NINTENDO64は竹田玄洋が率いる、ROMカートリッジの特殊チップ開発を担当していた開発第三部がハード開発を行った。当時、任天堂はこれと並行して次世代機としてのCD-ROM機を製作。上村雅之らによるとほぼ完成していたとされるが、それを没にしての正式発売となった。企画立ちあげ当初は山内溥により「ウルトラファミコン」として発表されていた。

ハード設計にあたっては、レア社のクリス・スタンパー (Chris Stamper) が指導・提案役として半年間参加。開発の主導権は任天堂が取っているが、設計提案については大半の75%をSGIが占めた。

ハードウェア[編集]

それまでのファミリーコンピュータ (NES) やスーパーファミコン (SNES) は名称・デザイン・ロゴマーク・内部仕様などが出荷国によってバラバラであったが、本機ではデザイン・配色はもとより、韓国を除く全出荷地で「NINTENDO64」という名称に統一された。韓国のみ当時任天堂製品のライセンス(販売権)を持っていた現代電子産業(現在のハイニックス半導体)により「ヒョンデ・コンボイ64」(현대 컴보이64、Hyundai Comboy64)の名称で発売されたが、本体には「NINTENDO64」のロゴが併記された。本体の型番は韓国を含む全出荷地でNUS-001(XXX)、ピカチュウバージョンはNUS-101(XXX)[注釈 2]に統一された。N64ロゴや各製品の製品名シールに採用されているフォントはFrutiger

描画[編集]

第5世代としては最も後発であり、64ビットCPUパースペクティブ補正Zバッファ[注釈 3]を初めて採用しているなど、他の機種に比べて3Dポリゴンの演算能力と描画品質が高く、1996年(平成8年)当時に存在していた他のゲーム機より高性能である。第5世代で唯一、ポリゴン描画で擬似的な手法を用いず、理論的に正しい手法で描画を行ったため、CGワークステーションに近い安定した3次元空間を描画できた。NINTENDO64と同世代のPlayStationはポリゴンを採用したが、座標計算は固定小数点数演算かつZソート法に簡略化されており、セガサターンに至っては四角形スプライトの変形であったため、どちらも理論的に正しい描画方法ではなく表示の破綻が目に付いた。

CPUは当時グラフィックスワークステーションメーカーだったシリコングラフィックス (SGI) と提携して開発が行われ、メインにはRISCMIPS R4300カスタム、32ビットRISCのR3000をコアに持つグラフィックエンジンである「RCP (Reality Co-Processor)」、メインメモリには当時はまだ珍しかった高速なRambus DRAMを採用するなど、先鋭的なハードウェア構成となっている。64ビットのR4300カスタムは最高122MIPSの処理能力を発揮することが可能で、競合機種の一つであるPlayStationの搭載するCPUの約4倍の処理能力にあたる。ポリゴン機能は環境マッピングやトライリニアといった本格的なテクスチャ・マッピング処理にも対応し、スーパーファミコンの35倍もの性能を発揮する。64ビットCPU搭載を売りにしていたが、64ビットモードでは動作クロックが下がる仕様となっているため、殆どのソフトウエアで32ビットモードを用いていた。

また、「RCP」の描画能力を引き出すためにマイクロコード方式を取り入れた。これはプログラミングによってあらかじめハードウエアに実装された機能に、後からプログラミングコードを追加または書き換えることで、開発するソフトウェアの種類に合わせた演算性能の特化を可能にしたものである。例えば、3Dポリゴンの描画性能に特化したマイクロコード(『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』等)や、2Dグラフィックに特化したマイクロコード(『ヨッシーストーリー』等)、演算処理に長けたマイクロコード(『最強羽生将棋』、『F-ZERO X』等)、4人対戦のために4画面同時出力に長けたマイクロコード(『マリオカート64』等)を、メーカーや開発者が独自に開発することが可能だったが、開発の難易度が上がる弊害もあった。

当初、NINTENDO64のグラフィックスチップの性能をあまり活かせておらず、岩田聡(後の任天堂代表取締役社長)がアメリカへ渡り勉強をすることでその性能を上げていった[5]

カートリッジ[編集]

ゲームソフトの供給媒体には、当時主流となりつつあったCD-ROMではなくROMカートリッジを採用している。また、カートリッジにリージョンプロテクトが物理的に施されており、日本国内版ソフトと海外版では背面にあたる形状の一部が異なることで、異なるリージョンのソフトが対応しない本体に刺さらないようになっている。ただし、あくまでもカートリッジに施された物理的なプロテクトであり、接続端子は共通のものであったため、非公式の変換アダプタを使用するか本体のカートリッジコネクタにあるカセット形状を判別する部品を外す等を行えば問題なく動作する。一方で、本体にはイジェクトボタンが搭載されてないため、カートリッジを本体から外すには上から手でカートリッジを引き抜く必要がある。

コントローラ[編集]

コントローラや本体の一部のパーツにはグレーが採用された[注釈 4]

コントローラは三つ又の独特な形状を採用。コントローラ中央にアナログスティック「3Dスティック(サンディスティック)」を装備[注釈 5]し、新しいゲーム感覚をアピールした。しかし、小さい子供に対してはコントローラが大きいという難点もあった。「レフトポジション」、「ライトポジション」、「ファミコンポジション」など、握り方が多数存在する特異なコントローラである。主に十字キーと3Dスティックで操作するレフトポジションを採用したソフトは片手で数えられるほどの少数で、A・B・Cユニット等の各種ボタン類と3Dスティックで操作するライトポジションのソフトが大半を占めた。また、それまでは2つが主流だったコントローラ端子は本体に標準で4つ用意されており、多人数プレイを想定した設計となっている。4人対戦対応ソフトも数多く開発された。

発売当初は『スーパーマリオ64』(1996年)、『マリオパーティ』(第1作、1998年)など、3Dスティックをグリグリと回す操作方法を取り入れたソフトが多かったが、この操作はスティックの故障の原因につながるほか、プレイヤーが指や手を痛めることが多く、次第にそういったことを勧めるゲームはなくなっていった。しかし、普通に使っていても使用頻度によってはかなりの短期間で、「操作しているキャラクターがスティックに触れていないのに勝手に動いてしまう」などの誤作動を起こす場合があった。この原因は、コントローラ内部で3Dスティックの動きをX軸、Y軸の回転として変換し、またスティック自体を支えている部品に樹脂素材を使用していた事による。スティックが磨耗すると遊びがかなり大きくなり、指を離しても3Dスティックが正確な中心に戻らなくなる。本体の電源を入れるとそのときの3Dスティックの位置を中心として認識する仕様のため、正確な中心位置が認識できなくなるためである。また3Dスティックの内部では部品の一部が粉末状になり堆積する。NINTENDO64においてはスティックを使用するゲームがソフトの大半を占めていたこともあり、コントローラを修理に出したり買い替えなければならなくなることもしばしばあった。

なお、3Dスティックは「サンディスティック」と呼ぶのが正しい[6]テレビ雑誌等で「スリーディースティック」と呼称する場合があったが、これは誤りで、任天堂の広報が対応する場合、スリーディーと言われるとその場で訂正することがあった。

周辺部[編集]

発売当時は本体上面にあるメモリー拡張パック用(後述の周辺機器参照)の接続端子(ターミネータパックが刺さっている)に「はがさないでください」という赤い警告シールが貼られていた。メモリー拡張パックを必ず装着しなければならない『ドンキーコング64』のCMでは、3人の子供たちがこのシールに戸惑いながらも、大丈夫だとシールを剥がすシーンを盛り込んで、啓蒙活動を行った。実際、メモリー拡張パックが必要ないソフトも、ターミネータパックを外した状態では起動しない。

スーパーファミコン用RGBケーブルは対応していないが、初期型ではRCPから送られたデジタル信号をアナログRGBに一度D/A変換してからビデオ信号に変換する仕様のため、アナログRGB信号を基板上の映像コネクタまで配線を施すと使う事が可能。中期型以降では、デジタル信号から直接ビデオ信号に変換されているため、この改造を施すことが不可能である[7]

本体側の電源端子の形状も全世界で統一され、ACアダプタ部分を除く分類ではカラーテレビの規格がNTSC方式を採用する日本・韓国向けのもの(前述のリージョンプロテクトとしてカートリッジ裏側の切り欠きが内側にある)、同じくNTSC方式を採用するアメリカ合衆国カナダ向けのもの(カートリッジ裏側の切欠きが外側にある)、PAL方式を採用するヨーロッパ(主にEUの西欧諸国)とオセアニアオーストラリアニュージーランド)向けのもの(カートリッジ裏側の切欠きが内側にある)の3つに絞られている。スーパーファミコンまでは本体に内蔵していたRFユニット(RFモジュレーター)は出荷国の放送規格に合わせるために出荷国によって基板を作り分けしなければならない要因であったが、本機が発売された1996年(平成8年)当時は既にRCAコンポジット端子を備えたテレビが普及していたことやコストダウンの観点から、AV仕様ファミリーコンピュータ(HVC-101)と同様にRFユニットは外付け・別売りとなった。

仕様詳細[編集]

CPU
RCP
RDRAM

任天堂公式ホームページより[6]

  • CPUMIPS 64ビットRISC R4300iカスタム 93.75MHz (NEC製VR4300カスタム)
  • メディアコプロセッサ:Reality Co-Processor (RCP) 62.5MHz
    • SP(サウンド及びグラフィックス演算プロセッサ: Signal Processor):32bitCPUコア(MIPS4命令のスカラユニット)、16ビットの固定小数点を8列同時実行できる積和演算機(最大500MIPS)を搭載し、ポリゴンの頂点演算(座標変換)や光源、Z値の計算などを行う。さらに、より高精度な頂点座標の算出や色補間データの生成をするためのサブ・ピクセルポジショニングを行う。
    • DP(ピクセル描画プロセッサ: Display Processor):32bitCPUコア
    • 浮動小数点演算性能:187.5MFLOPS
  • メモリ:NEC製RAMBUS DRAM 36Mbit(標準4.5MB、メモリー拡張パック増設時9MB) 最大転送速度: 4500Mbit/秒 (562.5MB/s)
  • ポリゴン表示能力:最大10万ポリゴン/秒
  • 最大解像度:256×224 - 640×480ドット
  • 色数:RGBA21bitカラー 最大32bitカラー 8bit階調の色混合機能(アルファブレンディング)
  • サウンド機能:ステレオADPCM音源 16bit(チャンネル数の概念はなく、RCPの配分で変動する。100%をサウンドに使うと100チャンネルほど出せるとされる)
  • メディア:ロムカセット 容量: 4MB - 64MB
  • 外形寸法:260mm(幅)×190mm(奥行き)×73mm(高さ)
  • 質量:880g

沿革[編集]

韓国版 Hyundai Comboy64
中国版 iQue Player

本体・周辺機器[編集]

型番に見られる「NUS」は、「Nintendo Ultra Sixty-four」の略といわれている。

本体色[編集]

  • ブラック(1996年6月23日 - )
  • クリアブルー(1999年12月1日 - )
  • クリアレッド(1999年12月1日 - )
限定版
  • ゴールド(1998年11月 - )トイザらス限定カラー
  • クリアオレンジ&クリアブラック(1999年9月26日 - )ダイエーホークス優勝記念 ダイエー限定カラー
  • ミッドナイトブルー(1999年11月 - )トイザらス限定カラー第二弾
  • クリアグレー(1999年12月 - )ジャスコ限定カラー
  • クリアブラック(1999年11月 - ) 64DDと本体とのセットでの購入のみ。
  • ピカチュウNINTENDO64(2000年7月21日 - )

任天堂純正[編集]

コントローラ
パック
コントローラ
ブロス
振動パック
専用カセット
メモリー拡張パックと接続の様子
ターミネータパックとイジェクタ
64GBパック
VRSユニット
マイクとカバー
RFモジュレータとAV仕様ファミリーコンピュータ用のRFモジュレータの比較
バイオセンサー
型番 名称 備考
NUS-001 NINTENDO64 1996年(平成8年)6月23日発売。
NUS-002 ACアダプタ 本体に直流電源を供給するアダプタ。本体に同梱。
NUS-003 RF
モジュレータ
本体をテレビにRF接続させるための変換器。コンポジットビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。
スーパーファミコンジュニア(スーパーファミコンの廉価機)、ニンテンドーゲームキューブでRF接続する際にもこれが必要。なお、AV仕様ファミコン用(HVC-103)で代用すると、問題がある[28]
NUS-004 コントローラ
パック
コントローラの拡張コネクタに接続して対応ソフトのゲームデータを保存することが出来る。データ容量は256Kbit(32KB)。保存領域は全123ページあり、データのページ数はソフト毎に異なる。
NUS-005 コントローラ
ブロス
三つ又の特徴的な外観で、左側には十字キーと側面のLトリガーボタン、右側に主要操作を担うAボタン(青)・Bボタン(緑)と、補助操作を担うCボタンユニット(黄)、側面のRトリガーボタンを配する。中央にはSTARTボタン(赤)と、3Dスティック(サンディースティック)と呼ばれる入力デバイスがある。3Dスティックは倒す角度によって信号に強弱がつけられ、立体空間での微妙な操作を実現した。
また、背面中央にはZトリガーボタンと拡張用コネクタ(コントローラポート)が装備されている。ゲームの内容によって3種類の使い方ができるのが特長で、
左と中央を持つレフトポジション、右と中央を持つライトポジション、左右を持つファミコンポジションがある。一個が本体に同梱。
NUS-006 カセット N64のゲームプログラムを格納した専用メディア。
本体上部のスロットに挿入する。データ容量は32Mb(4MB) - 512Mb(64MB)で、転送レート5.3MB/sec.。
海外版とは下部の切り欠きの形が異なり物理的に挿入できない。
NUS-007 メモリー拡張パック 旧称「ハイレゾパック」。36Mb(4.5MB)の増設メモリで、本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに接続、メモリ容量を倍加できる。上部の放熱口は赤色になっている。
ソフトによってはメモリ拡張が必須となっており、そういったソフトには同梱されて発売されることもあった。また、64DDを使用する場合も必要になる。必須ではないが対応しているソフトも存在し、画面解像度の向上等の効果がある。
非対応ソフトでも接続したままで問題は無いので取り外す必要はない。ただし説明書には取り外すことを推奨するものもある。
NUS-008 ターミネータ
パック
本体上部手前の36Pinメモリー拡張コネクタに予め接続されている。ターミネーターはバスの終端に配置された未接続のコネクタの信号反射などを抑える役目がある。メモリー拡張パックを接続するときには取り外す。
NUS-009 RFスイッチUV アンテナ線を介してテレビに接続させるための混合器。
ビデオ入力に対応していないテレビで必要になる。
NUS-010 64DD 本体下部の50PIN拡張コネクタに接続するディスクドライブ。64DDが正式名称だが、発売前はNINTENDO64 DISK DRIVEとも呼ばれていた。
NUS-011 64DDディスク 64DDのゲームプログラムを格納した専用メディア。
データ容量は約64MBだが、その内約38MBは追記用の領域になっている。
DDD(ダイナミック・データ・ディスク)という呼称もあった。
NUS-012 ターミネータ
パック イジェクタ
メモリー拡張パックに同梱。
ターミネータパックを「てこ」の要領で取り出すことができる。
NUS-013 振動パック コントローラの拡張コネクタに接続する。
内部にバイブレータが内蔵されており、その振動によってゲームの臨場感を高めることができる。使用には単4電池が必要となる。最初の対応ソフトは『スターフォックス64』。
NUS-014 クリーニング
カセット

本体のカセット用コネクタをクリーニングするカセット。日本未発売。

NUS-015 クリーニング
パック

コントローラの拡張コネクタをクリーニングするパック。日本未発売。

NUS-016 クリーニング
スティック
カセットやパックをクリーニングするスティック。日本未発売。
NUS-017 マウス ボール式の2ボタンマウス。
コントローラポートに接続する。『マリオアーティスト ペイントスタジオ』に同梱されたのみであり、ランドネット会員しか正式に入手することができなかった。
そのためマウス対応と表示されているソフトは64DD関係のソフトに限られるが、『デザエモン3D』のように対応しているカセットソフトも存在する。
なお、非対応ゲームでも使用は可能で、マウスの動きが3Dスティック、左ボタンがAボタン、右ボタンがBボタンの役割を果たす。
NUS-019 64GBパック コントローラの拡張コネクタに接続する。
ゲームボーイゲームボーイカラーのカートリッジを本体に繋げるアダプタ。これが使用できるのは一部の対応ソフトのみであり、使用方法としてはプレイデータをリンクさせるものである。
『ポケモンスタジアム』シリーズと『ポケットモンスター』シリーズの組み合わせのように特別に対応したソフトを除けば、スーパーファミコンにおけるスーパーゲームボーイのように、ゲームボーイソフトをテレビでプレイするための周辺機器としては使用できない。
また、コントローラにつけるには少々重すぎるのか、きちんと装着したにもかかわらず存在自体を感知できなかったり、操作中にエラーが出たりすることも多い。
スーパーゲームボーイ3(仮)が出る予定もあったが発売されず、次世代機のニンテンドーゲームキューブゲームボーイプレーヤーが出るまでの5年間はゲームボーイカラー専用のゲームは64GBパック対応ゲーム以外テレビではできなかった。
NUS-020 VRSユニット Voice Recognition System(音声認識システム)の略。「声」をゲームの操作に利用できる。音声認識エンジンとしてNEC製のアルトーカーというLSIを搭載した。アルトーカーは、ディープラーニングビッグデータ等が現れる10数年も前の、それも単一チップに載せられるトランジスタ数が少ない時代の音声認識LSIであったため、限られた単語の認識しか行えなかった。VRSユニットは有限会社アンブレラによる対話ゲームの研究開発の成果が任天堂に認められ製品化されたものである[29]
発売当時は音声認識をゲームに応用した例がなく、画期的な機器だったが、対応ソフトは『ピカチュウげんきでちゅう』『電車でGO!64』の2本のみに留まった。
NUS-021 マイク 単一指向性のモノラルコンデンサマイクVRSユニットキャプチャーカセットに附属。
NUS-022 マイク
ホルダー
マイクを固定して首から提げるタイプのホルダー。VRSユニットに附属。
NUS-023 スマートメディア専用カセット 汎用メモリーカード「スマートメディア」を挿入できるカセット。
画像編集ソフト『マリオのふぉとぴー』に同梱。類似した周辺機器に、ゲームキューブ用SDカードアダプタがある。
NUS-025 コントローラ用マイクホルダー マイクをコントローラに固定するタイプのホルダー。VRSユニットに附属。
NUS-026 マイクカバー 球状の黄色いスポンジで、マイクに入る風や息などのノイズを軽減する。マイクに附属。
NUS-028 キャプチャー
カセット
RCAジャック(映像、音声L・R)とマイク用ミニジャックがついたカセットで、
映像や音声を取り込むことが出来る。『マリオアーティスト タレントスタジオ』に同梱。
ファンタム電源とも異なるプラグインパワー方式[30][31]で電源を供給している為、専用マイク等のコンデンサマイク以外は絶対にミニジャックに接続してはいけない。
NUS-029 モデム 通信速度28.8kbpsの専用モデムカセット。モジュラジャックは背面にある。
NUS-101 ピカチュウNINTENDO64 2000年(平成12年)7月に発売された。このモデルは、本体にポケットモンスターのキャラクター「ピカチュウ」があしらわれたものとなっている。
電源ランプの位置が本体正面からピカチュウのほっぺ部分に移動しており、従来モデルよりも若干サイズが大きくなった。また、底面にあったEXTポートがふさがれている為、64DDを使用することが出来なくなっている。それ以外の機能は従来モデルとの変更は無い。
「ブルー&イエロー」のカラーリングは発表時はブルー部分がバイオレットに近い色合いだったが、後に青に近い色に変更されている。
NUS-A-BIO バイオセンサー コントローラの拡張コネクタに接続し、センサーがついたクリップを耳たぶに装着して使用する。
プレイヤーの脈拍数を測定し、脈拍の変化をゲーム内容に反映させるというもの。対応ソフトは『テトリス64』のみ。任天堂ではなくセタからの発売だった。
NUS-NMSJ 通信カートリッジ モジュラーケーブルで電話線を通じて通信をすることができるソフトのカセット。セタから発売された『森田将棋64』のみ。カートリッジと通信用の機構が一体化しており、接続も容易なため、簡単に扱うことができる。
不明 64GBケーブル ゲームボーイを画面付きコントローラとして使用するためのケーブルが試作されていたが、その機能を活用したゲームの開発は滞り発売には至らなかった。しかしこの構想は後継機のゲームキューブゲームボーイアドバンスで実現することとなる。
HVC-053 モジュラーケーブル 電話線。ニンテンドーゲームキューブファミリーコンピュータでも使用可能。
SHVC-007 モノラルAVケーブル 映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブAV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。
SHVC-008 ステレオAVケーブル 映像と音声をテレビに出力するケーブル。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブAV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)でも使用可能。
SHVC-009 S端子ケーブル 映像と音声をテレビに出力するケーブル。

ステレオAVケーブルより高い画質で出力できる。スーパーファミコンと共用。ニンテンドーゲームキューブでも使用可能。

その他、ファミリーコンピュータスーパーファミコン用のRFスイッチ(HVC-003)はNINTENDO64でも使用可能。

他社製品(ライセンス商品)[編集]

電車でGO!64専用コントローラ
発売元 型番 名称 備考
アスキー ASC-0901 アスキーパッド64 連射機能付きのコントローラ。外観は純正コントローラと大差ないが、連射スイッチとスタートボタン附近が異なっている。A/B/Z/L/Rボタンに連射が設定できる他、ホールド機能も搭載

[32]

ASC-0905 つりコン64 釣り竿型のコントローラその名の通り釣り竿の形をしたコンローラー。対応ソフトは『糸井重里のバス釣りNo.1』、『バスラッシュ』。
タイトー TCPP-20003 電車でGO!64コントローラ 電車でGO!64』専用のコントローラ。コントローラコネクタ3に接続して使用する。
ハドソン HC-739 ジョイカード64 連射機能付きのコントローラ。純正とグリップの形状が大きく異なる他、連射スイッチ付近が盛り上がっている。3Dスティックのアジャスト機能がある。A/B/Zボタンに連射が設定できる他、スローモーション機能(スタートの連射)を搭載[32]
ホリ HN6-02 - 6(カラーにより異なる) ホリコマンダーN64 連射機能付きのコントローラ。左右のグリップが純正と大きく異なり、丸っぽくなっている。A/B/Zボタンに連射が設定できる[32]
HN6-07 - 9,12 - 13,19,20,22 - 24(カラーにより異なる) ホリパッドミニ64 コンパクトなコントローラ。純正コントローラとゲームキューブコントローラの中間のような形状になっている[33]

この他にも、多くの機器が発売されている。

ゲームソフト[編集]

日本[編集]

日本におけるローンチタイトルは『スーパーマリオ64』、『パイロットウイングス64』、『最強羽生将棋』。

PlayStationセガサターンのようなCD-ROM媒体を用いた多くのゲームが動画を多用し映画風に進化を遂げていく中で、NINTENDO64は全年齢に親しまれるラインナップが多かった。

発売されたソフトは日本では全208タイトルでPlayStationやセガサターンと比べて少ないが、『ゴールデンアイ007』、『ドンキーコング64』、『バンジョーとカズーイの大冒険』、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』など人気を博したソフトや、『風来のシレン2』など作品として評価されているソフトも存在している。また4人同時プレイに最初から対応していたという事もあり、多人数ゲームで大きな広がりを見せた。そのため、小中学生を中心に一定のシェアを獲得することに成功した。

特に『マリオカート64』、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』、『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などは売上も好調だった。また、売り上げこそ劣るものの『実況パワフルプロ野球』や『実況ワールドサッカー』なども3Dスティックでの操作性が独特で、シリーズ屈指の作品として支持されている。

本ハードで初めて登場したマリオパーティシリーズは、NINTENDO64以降のゲーム機でも続編が発売される人気タイトルとなっている。また2001年にはNINTENDO64において任天堂最後のソフトとなる『どうぶつの森』が発売された。当時はN64市場の終末期であったことから初回生産分はわずかなものであったが、インターネット上の口コミなどによってたちまち品薄状態を生み出し、ニンテンドーゲームキューブニンテンドーDS、さらにはスマートフォンアプリにもなるなど現在も続く任天堂の看板タイトルとなった。

新作ソフトの発売は日本国内においては2001年(平成13年)12月発売の『ボンバーマン64』が最後となった。

海外[編集]

当時、任天堂ハードでは発売されていなかったリッジレーサーシリーズだが、海外ではNintendo Software Technologyによって開発された「Ridge Racer 64」が発売された。

北米では2003年(平成15年)夏まで新作ソフトが発売された。最後のNINTENDO64用新作タイトルとなった『トニーホークプロスケーター3』である[注釈 8]

発売後の動向[編集]

国内[編集]

当初は次世代ゲーム機戦争の本命として期待されており、「ゲームが変わる。64が変える。」のキャッチコピーとともに登場した。しかし、度重なる延期でライバル機より2年近くも遅れた発売により、登場時には全出荷国でPlayStationが、日本国内ではさらにセガサターンも市場を占拠し始めていた[注釈 9]

ライバル機より普及が進まなかった要因として

  1. 開発環境の変化による、ゲームの発売延期・中止
  2. 参入メーカー不足による、ゲームのジャンル不足・人気シリーズ不在

が挙げられる。

ゲームの発売延期・中止[編集]

ゲーム機に3Dが導入されたことに伴いソフトの開発環境が変化し開発人員も増大した。開発言語が従来のアセンブリ言語からC言語へ変わり、開発環境には、SGIのグラフィックワークステーション、SGI Onyxが使用された。後にSGI Indyも使用された。日本では、安価なMicrosoft Windowsベースの京都マイクロコンピュータインサーキット・エミュレータ「PARTNER-N64」も用意された。

ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)はソフトの開発機材を安価でソフトメーカーに提供し、開発環境の負担を軽減することにより、サードパーティーを数多く取り込んでいた。これは元々ソニーがスーパーファミコンの開発機材を作っていたりなどしたためノウハウがあったことによる。しかし当時の任天堂は従来通りソフト毎に開発者が独自にプログラムを組んでいたため、プログラムのライブラリを作るという発想がなく、ましてやそれをサードパーティに配布するノウハウなどなく、当初はセカンドパーティの増強を考え、マネージメント会社「マリーガル」を設立して対処していた[注釈 10]

開発環境の変化は任天堂自身にも大きな影響を与えた。岩田は「ハードの能力と自由度が上がったことで、逆にゲームにおけるハードの限界が明確でなくなってしまって、プログラマーにとってはどこまでハードの性能を出せるのかがわかりにくくなってしまった」「“オプティマイズ”や“チューニング”といった(中略)ゲーム制作の本質とは違う仕事が爆発的に増え、つくり手は思ったとおりにゲーム制作ができなくなってしまった」と述べている[36]。そのため、開発が長期化してしまう状態になっていた。ほぼ時期を同じくしてNINTENDO64の発売直後に出るはずだった周辺機器『64DD』も暗礁に乗り上げる。当初はファミリーコンピュータ ディスクシステムと同様のハードになるはずだったが、様々な構想が消えては生まれる状態が起き、そのたびに開発延期が繰り返された。最終的に「製品群構想」となったが、発売が遅れ過ぎたこと等が響き、ほとんど定着しなかった。

こうして、処理能力はPlayStationの4倍と言われながら[37]、開発の困難さからNINTENDO64は発売初期からすでに参入メーカー不足によりソフト不足に見舞われ、特にハード発売より約3ヶ月は、サードパーティはおろかハードメーカーである任天堂からも新作ゲームが1本も発売されない状況に陥る。任天堂は1996年内にセカンドパーティ製のものも含め、16本の自社ソフトを発売する計画だったが、ソフト開発の遅延や64DDの発売延期などにより4本しか発売できず、後に発売にこぎつけたものすら半分ほどで、残りのものは発売中止となった。また発売当初のキラーソフトの一つ『ゼルダの伝説 時のオカリナ』の発売が大きく延期したことも大きな痛手となった。

ゲームのジャンル不足[編集]

参入メーカー不足で致命的だったのはファミコン、スーパーファミコン時代に抱えていた国民的な人気を誇るRPGシリーズが離れたことであり、ファイナルファンタジーシリーズは大容量メディアであることを理由に、ドラゴンクエストシリーズは普及台数の差と64DDの開発遅延をきっかけに[要出典]いずれもPlayStationに移籍。RPG不足は後々まで尾を引いた。

それ以外にも当時は対戦格闘ゲームの絶頂期であり、セガサターンは『バーチャファイター』、PlayStationは『鉄拳』などの格闘ゲームでハードの売り上げを伸ばしていたが、任天堂は「勝ち負けが付くゲームはマニアックになりやすい」という理由で自社で格闘ゲームを開発しない[38][注釈 11]方針を取っていた。同時期はPlayStationやセガサターンのマルチプラットフォーム作品が度々登場していたものの、NINTENDO64はディスクメディアを不採用にしたことや、コントローラの形状といった操作体系など、他のハードと異なる面が多いことを理由に、マルチプラットフォームでNINTENDO64に発売された作品が少なく、対戦型格闘ゲームなどは後期になってもあまり発売されなかった。

評価[編集]

こうした要因により、本体価格を下げて対応した[注釈 12]が普及が進まず、最終的なハード出荷台数は同世代のPlayStation・セガサターンに及ばなかった。この結果、任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、その後2世代にわたりその座をSCEに明け渡すことになった。

後年山内は、任天堂はソフト体質[注釈 13]の会社だが、NINTENDO64はハード体質[注釈 14]の人間によるものであるため、NINTENDO64を当時から不満に思っていたと回顧している[40]

一方で本体デザインは評価され、1997年にはグッドデザイン金賞を受賞している。

北米[編集]

日本市場では上記の原因により苦戦を強いられたが、北米市場においては上記の事態がほとんど起きず、『スーパーマリオ64』や『ゴールデンアイ 007』がNPD調べで500万本以上売り上げるなど有力ソフトがハードを牽引し、累計販売台数2,063万台とSNES(海外版スーパーファミコン)並の市場を築くことに成功した。当時の北米では任天堂と同様に、プログラマが独自でプログラムを組むことが多く、プログラム問題があまり起こらなかった。また、RPG・格闘ゲーム不足については、日本と異なりさほど人気がなかったことにより問題とならなかった。

米国では画像処理能力とコストパフォーマンスなどが評価され、タイム誌による”マシン・オブ・ジ・イヤー’96”を受賞した[41][42]

宮本茂は「NINTENDO64はね、とりあえず日本ではすごくトーンが下がっているし、ヨーロッパもけっこう厳しいですし、不安な状態に見えるんですけれども、アメリカの勢いのお蔭で、ビジネスとしては完全に成り立った」と述べている[38]

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ ニンテンドゲームキューブニンテンドDSなどと違い、NINTENDO64は「ニンテンド64」が公式なカタカナ表記である(同時期のサービス「ニンテンドパワー」も同様)。ニンテンドー64と誤記しているのも見受けられる[4]
  2. ^ XXXには出荷国のコードが入る。日本向けは"JPN"、北米向けは"USA"、EU圏(フランスを除く)向けは"EUR"、フランス向けは"FRA"、韓国向け(コンボイ64)は"KOR"。
  3. ^ 本機以降、スーパーファミコンジュニアや同世代競合機種のマイナーチェンジ機種を除く全ての据置型ゲーム機はZバッファを標準で搭載している。また携帯型ゲーム機でもニンテンドーDS以降、ゲームボーイミクロを除く全ての機種で搭載している。
  4. ^ スーパーファミコンのカラーリングに合わせたからという
  5. ^ アナログスティックを搭載したゲームコントローラは1989年(平成元年)に電波新聞社から発売されたメガドライブ用のアナログコントローラ「XE-1 AP」が初であり、NINTENDO64のコントローラはそれに次ぐ2例目。
  6. ^ のちの64DDで使用される磁気ディスク
  7. ^ 当時の中国の法律問題や違法コピーを危惧していたことからNINTENDO64は出荷されなかったが、本機をベースにして携帯型・ダウンロード専用とされた。
  8. ^ PlayStation 2ニンテンドーゲームキューブXboxなど、次世代ゲーム機とのマルチプラットフォームで展開された。
  9. ^ NINTENDO64が発売された1996年6月時点で、PlayStationの累計出荷台数は270万台を超えていた。1997年3月末時点でNINTENDO64の累計販売台数は204万台、1998年3月末時点は315万台。対するPlayStationは1997年月末時点で累計出荷台数650万台、1998年3月末時点で1,151万台だった[34]
  10. ^ この両者の方向性の違いは、自社タイトルの強さにもよる。ソニーは自身で有力タイトルを持っていなかったため、サードパーティの取り込みは必要不可欠であった。対する任天堂はサードパーティの厳選を考えており、開発についていけないメーカーは振り落とす方針であった[35]
  11. ^ ただし、後に対戦アクショゲームではあるが『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』などの対戦型ゲームが任天堂から販売された。
  12. ^ System-on-a-chip化の徹底により、ライバル機よりも高性能ながら25,000円というライバル機よりも低価格を打ち出した[39](PlayStationは発売時39,800円、セガサターンは44,800円だった)。しかし、NINTENDO64発売時には価格競争によりPlayStationは19,800円、セガサターンは20,000円まで価格を下げており、NINTENDO64は価格優位性を全く活かせなかった。NINTENDO64は1997年(平成9年)3月14日に一度目の値下げが行われ16,800円となり、最終的に1998年(平成10年)7月1日に行われた二度目の値下げで14,000円となった。本体販売価格の値下げは任天堂ハードとして初めての施策であった。
  13. ^ ハードウェアを利用して娯楽としてのコンテンツの面白さや仕組みを提供する。
  14. ^ 技術や性能面の良さを提供する。

出典[編集]

  1. ^ McCall, Scott (1996年9月28日). “N64's U.S. Launch” (英語). Teleparc. 2019年5月23日閲覧。
  2. ^ a b c d 任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表 (PDF)”. 任天堂. 2019年5月23日閲覧。
  3. ^ Nintendo 64 - VGChartz
  4. ^ a b 任天堂64ビット機披露 発売は4月21日に 本体25000円、カートリッジ9800円」『ゲームマシン』第509号(アミューズメント通信社)、1995年12月15日、9面。
  5. ^ 【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編”. 4gamer.net. Aetas (2015年12月29日). 2020年6月14日閲覧。
  6. ^ a b NINTENDO64ハードウェア紹介”. 任天堂. 2021年3月9日閲覧。
  7. ^ N64のRGB出力化改造可能本体について
  8. ^ 64bit機の開発で任天堂と米SG合意 高速CGチップ含む次世代TVゲーム機 94年業務用で、95年に家庭用250ドルで」『ゲームマシン』第458号(アミューズメント通信社)、1993年10月1日、1面。
  9. ^ 任天堂64ビット機で英国DMA社も ゲームソフト開発に参加」『ゲームマシン』第474号(アミューズメント通信社)、1994年6月15日、7面。
  10. ^ セガ社が出展しなかった夏季CES94 任天堂の64ビット機名称「ウルトラ64」に 制限付きで開発中の2ソフトを内見会で披露」『ゲームマシン』第479号(アミューズメント通信社)、1994年9月1日、19面。
  11. ^ 週刊ファミコン通信 no.367 表紙 小嶺麗奈. 株式会社アスキー. (1995年12月29日). p. 21 
  12. ^ 夏季CESに代わる家庭用ゲーム展 初のE3成功 次世代ゲーム機メーカーも揃う」『ゲームマシン』(PDF)、第500号(アミューズメント通信社)、1995年8月1日、17面。
  13. ^ スクウェアが64ビット機 ディスク用ソフト開発へ 任天度、ジャストシステムと合弁会社」『ゲームマシン』第506号(アミューズメント通信社)、1995年11月1日、2面。
  14. ^ 任天堂64ビット機 発売6月23日に CPU調達とソフト開発理由」『ゲームマシン』第515号(アミューズメント通信社)、1996年4月1日、1面。
  15. ^ 「ニンテンドウ64」を利用 セタが業務用CG機に 低価格で高性能の3タイプを開発、提供」『ゲームマシン』第522号(アミューズメント通信社)、1996年7月15日、1面。
  16. ^ 米国任天堂が「N64」を発売」『ゲームマシン』第529号(アミューズメント通信社)、1996年11月1日、15面。
  17. ^ 第8回初心会展 N64用新作ソフト展示 サードパーティは半減の27社が出展」『ゲームマシン』(PDF)、第533号(アミューズメント通信社)、1997年1月1日、11面。
  18. ^ 任天堂、64ビットゲーム専用機「NINTENDO64」を3月14日から16,800円に値下げ”. PC Watch. インプレス (1997年2月21日). 2019年5月23日閲覧。
  19. ^ 任天堂、コストダウンで「N64」を値下げ ドル高で経常利益増の修正」『ゲームマシン』(PDF)、第537号(アミューズメント通信社)、1997年3月15日、3面。
  20. ^ 米国任天堂、「N64」150ドルに値下げ ソニー「PS」と本体価格並ぶ」『ゲームマシン』(PDF)、第539号(アミューズメント通信社)、1997年4月15日、15面。
  21. ^ セタ「ALECK64」業務用CG基板を開発 「ニンテンドウ64」開発ツールでソフトも」『ゲームマシン』(PDF)、第546号(アミューズメント通信社)、1997年8月1日、4面。
  22. ^ 任天堂、中間決算 大きく増収増益 海外で「N64」普及進む」『ゲームマシン』(PDF)、第555号(アミューズメント通信社)、1997年12月15日、3面。
  23. ^ 米国任天堂が訴える「ドクターV64」 「N64」ソフトを無断コピー」『ゲームマシン』(PDF)、第556号(アミューズメント通信社)、1998年1月1日、23面。
  24. ^ ニンテンドウスペースワールド97 GB用デジカメも披露 「64DD」の発売はさらに延期に」『ゲームマシン』(PDF)、第557号(アミューズメント通信社)、1998年2月1日、4面。
  25. ^ 報道資料「NINTENDO64」でデジタルカメラ撮影画像を楽しめる製品(商品名:ふぉとぴー)の共同企画・開発についてのお知らせ - ウェイバックマシン(1998年2月5日アーカイブ分)
  26. ^ “12月1日サービス開始、11月11日より会員募集開始 ゲーム業界初の月会費制で大幅価格ダウン” (プレスリリース), 任天堂, (1999年10月20日), https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/1997-99/991020a.html 2021年5月1日閲覧。 
  27. ^ ランドネットサービス終了のお知らせ - ウェイバックマシン(2000年11月10日アーカイブ分)
  28. ^ RF接続の世界
  29. ^ ピカチュウげんきでちゅう/開発者からのコメント”. www.nintendo.co.jp. 2021年4月9日閲覧。
  30. ^ 1119 :ファンタムパワーとプラグインパワーは全く違いますよ|ShinさんのPA工作室
  31. ^ プラグイン・パワーとは - ウェイバックマシン(2019年3月30日アーカイブ分)
  32. ^ a b c 64対応ハード・アクセサリー - ウェイバックマシン(2008年2月4日アーカイブ分)
  33. ^ ホリパッドミニ64 - ウェイバックマシン(2016年5月13日アーカイブ分)
  34. ^ 滝田 2000, p. [要ページ番号].
  35. ^ 小山 2020, p. 266.
  36. ^ 「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」 任天堂株式会社 取締役経営企画室室長 岩田聡氏 (1/5)”. ASCII.jp. 角川アスキー総合研究所 (2001年9月14日). 2020年6月4日閲覧。
  37. ^ 井上 2009, p. 38.
  38. ^ a b 武田 2000, p. [要ページ番号].
  39. ^ 小山 2020, p. 262.
  40. ^ 井上 2009, pp. 235-238.
  41. ^ 週刊ファミ通 No.417 表紙新山千春. 株式会社アスキー. (1996-12-13). p. 12 
  42. ^ Krantz, Michael (1996年11月25日). “64 BITS OF MAGIC TIME 1996 MACHINE OF THE YEAR” (英語). TIME USA, LLC.. 2021年3月9日閲覧。

参考文献[編集]

  • 武田亨『It's The NINTENDO』ティーツー出版、2000年2月1日。ISBN 978-4887497160OCLC 676090757
  • 滝田誠一郎『ゲーム大国日本 神々の興亡 2兆円市場の未来を拓いた男たち』青春出版社、2000年6月1日。ISBN 978-4413032063OCLC 674763847
  • 井上理『任天堂 驚きを生む方程式』日本経済新聞出版社、2009年5月12日。ISBN 978-4532314637OCLC 754554152
  • 小山友介『日本デジタルゲーム産業史 ファミコン以前からスマホゲームまで』人文書院、2020年4月30日、増補改訂版。ISBN 978-4409241332OCLC 1165394423

関連項目[編集]

外部リンク[編集]