ニューヨーク連邦準備銀行

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ニューヨーク連邦準備銀行Federal Reserve Bank of New York)は、連邦準備制度の第2地区を管轄としている連邦準備銀行(連銀)。連銀で構成する連邦準備制度において、ニューヨーク連銀は中心的役割を担っている。総裁は連邦公開市場委員会の副議長を兼ねる。人材は金融・産業各界とハーバード大学から要人を得ることが多い。

歴史[編集]

初代総裁ベンジャミン・ストロングは、連邦準備制度の青写真をつくったジキル島での秘密会合に参加した一人である。ヴェルサイユ条約締結後、ドイツ帝国に多額の投資を行ってきた証券市場の冷え込みに公開市場操作の必要性を認めるに至った。1922年、非公式に金本位制を放棄し、公開市場操作を積極的に行った。1924年、ニューヨーク連銀は現在の住所へ移った。市井では紙切れとなるべき投信が舞う中、1927年までに同連銀の地下金庫には全中央銀行の準備金総額における一割が預託された。1928年にベンジャミンが急逝すると、ピンチヒッターとしてライヒスバンクの重役であったゲイツ(Gates White McGarrah, Jul. 20, 1863 - Nov. 5, 1940)が臨時総裁へ選出された[2]。同年11月22日ジョージ・L・ハリソンが副総裁から持ち上がりで総裁を引き継いだ。

1930年からゲイツは国際決済銀行の会長となった。

1936年の重役陣を年報から紹介する。加盟銀行からG. W. Davison(Central Hanover Bank & Trust Company 会長。同行は1961年Manufacturers Trust Company が吸収合併)、産業界からトーマス・J・ワトソンIBM社長)が選ばれたが、制度理事会からの派遣枠は議長が空席で副議長にオーウェン・D・ヤングが就いた。[3]

1962年初頭まで、ニューヨーク連銀はイングランド銀行がシンジケート(戦後に金プールとなる)から使った正金の量を監視した。副総裁だったクームズ(Charles A. Coombs)によると、イギリスが米財務省を窓口として金・ドル交換を積極的に行い、1958-60年の3年間にわたる購入総額は18億ドルにのぼり、ベルギーオランダフランス三国を足しても15億ドルであった[4]

1998年、ニューヨーク連銀は大手15行を集めてロングターム・キャピタル・マネジメントの救済融資を仲介した。 1999年の重役陣を年報から紹介する。銀行・電気・投信の三頭体制は健在である。加盟銀行からシップレー(Walter V. Shipley)、産業界からマクグラス(Eugene R. McGrath)、制度理事会からの派遣枠として議長ジョン・カニンガム・ホワイトヘッドと副議長ピーターソン(Peter George Peterson, ブラックストーンNY会長)が選ばれた。[3]

2008年、ニューヨーク連銀は世界金融危機にあって、元ベアー・スターンズ株、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)融資部門株、元AIGクレジット・デフォルト・スワップ部門株、以上三種類の証券を流動化する手段として三つのLLCを創設した(Maiden Lane Transactions)。AIGへのベイルアウトには多くの批判がなされている。

2012年現在の加盟銀行には、フランスの庶民銀行や戦前以来のソルヴェー銀行、日本のみずほ銀行も名を連ねる。

歴代総裁[編集]

  1. ベンジャミン・ストロング(1914年 - 1928年)
  2. ジョージ・L・ハリソン(1928年 - 1940年)
  3. アラン・スプロール(1941年 - 1956年)
  4. アルフレッド・ヘイズ(1956年 - 1975年)、ライト・パットマン(Wright Patman)の仇敵
  5. ポール・ボルカー(1975年 - 1979年)
  6. アンソニー・ソロモン(1980年 - 1985年)
  7. ジェラルド・コリガンゴールドマン・サックス、1985年 - 1993年)
  8. ウィリアム・マクドナーメリルリンチ、1993年 - 2003年)
  9. ティモシー・フランツ・ガイトナー(2003年 - 2009年)
  10. ウィリアム・ダドリー(2009年 - )

脚注[編集]

  1. ^ バッファロー支部は2006年11月からニューエラ・キャップ・カンパニーと入れ替わり撤退した。
  2. ^ Federal Reserve History, "George L. Harrison", Sourse: Federal Reserve Bank of New York Board of Directors’ Minutes. Volume 28. August 9, 1928 – June 20, 1929.
  3. ^ a b 須藤功 アメリカ銀行規制の歴史的展開 政経論叢第71巻第5・6号 219頁
  4. ^ クームズ著、荒木信義訳 『国際通貨外交の内幕』 日本経済新聞社 24頁

外部リンク[編集]

座標: 北緯40度42分30秒 西経74度0分31秒 / 北緯40.70833度 西経74.00861度 / 40.70833; -74.00861