ニコラス・ロデイロ

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ウルグアイ代表でのロデイロ(2015年)
名前
本名 マルセロ・ニコラス・ロデイロ・ベニテス
Marcelo Nicolás Lodeiro Benítez
ラテン文字 Nicolas LODEIRO
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
生年月日 (1989-03-21) 1989年3月21日(34歳)
出身地 パイサンドゥー
身長 173cm[1]
体重 69kg[1]
選手情報
在籍チーム アメリカ合衆国の旗 シアトル・サウンダーズFC
ポジション MF
背番号 10
利き足 左足
ユース
2003–2007 ウルグアイの旗 ナシオナル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2007-2010 ウルグアイの旗 ナシオナル 41 (11)
2010-2012 オランダの旗 アヤックス 21 (2)
2012-2014 ブラジルの旗 ボタフォゴ 47 (7)
2014-2015 ブラジルの旗 コリンチャンス 7 (0)
2015-2016 アルゼンチンの旗 ボカ・ジュニアーズ 30 (6)
2016- アメリカ合衆国の旗 シアトル・サウンダース 131 (33)
代表歴2
2008-2009  ウルグアイ U-20 11 (5)
2009- ウルグアイの旗 ウルグアイ 60 (5)
1. 国内リーグ戦に限る。2022年2月27日現在。
2. 2019年6月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルセロ・ニコラス・ロデイロ・ベニテス(Marcelo Nicolás Lodeiro Benítez, 1989年3月21日 - )は、ウルグアイパイサンドゥー出身のプロサッカー選手メジャーリーグサッカーシアトル・サウンダーズFC所属。ウルグアイ代表。ポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

クラブ[編集]

2003年、地元のクラブでプレーしていたところをスカウトされ、名門ナシオナル・モンテビデオのユースチームに加入した[2]。2007年、トップチームに昇格し、8月19日のフェニックス戦でデビューした。

2009年のコパ・リベルタドーレスでは、セカンドステージ初戦のウニベルシダ・サン・マルティン戦 (2-1) に途中出場して90分に決勝点を挙げ、その後はレギュラーに定着した[3]。ホームとアウェーのナシオナル・アスンシオン戦、ホームでのリーベル・プレート戦でも得点し、セカンドステージで6試合4得点を記録したことで同大会のチーム内得点王に輝いた。決勝トーナメントではサン・ルイス(不戦勝[4])、パルメイラスに勝利したが、準決勝でエストゥディアンテスに敗れた。同年にはウルグアイのエル・パイス紙による南米ベストイレブンに選ばれた[5]

2010年1月、アヤックス・アムステルダムに移籍した。2月7日、FCトゥウェンテ戦でデビューを果たし、3月25日、KNVBカップゴー・アヘッド・イーグルス戦で初ゴールを記録した。

代表[編集]

U-20ウルグアイ代表として2009 南米ユース選手権では3ゴールを、2009 FIFA U-20ワールドカップでは2ゴールを決めた。またA代表として2010 FIFAワールドカップ・予選の大陸間プレーオフ、コスタリカ代表戦でデビューを果たした。

2010年5月29日、2010 FIFAワールドカップ本大会に出場する23人に選ばれた[6]。6月12日に行われた初戦のフランス戦で後半途中出場するも18分間のプレーで2度警告を受け退場[7]。2010 FIFAワールドカップの退場第1号という不名誉な称号をもらった。

2011年6月23日のエストニアとの親善試合で代表初得点を挙げた。

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ナシオナル・モンテビデオ
アヤックス・アムステルダム

脚注[編集]

  1. ^ a b Nicolás Lodeiro
  2. ^ 「いつだって楽天南米」、ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年11月5日号
  3. ^ 「リベルタドーレス2009に輝いた4つの新星」 footballista、ソルメディア、2009年7月29日・8月5日合併号、8頁
  4. ^ メキシコで新型インフルエンザが流行し、サン・ルイス・ポトシは大会を途中棄権した
  5. ^ ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2010年2月4日号、80頁
  6. ^ ウルグアイ代表にフォルランら23人発表サンスポ、2010年5月30日
  7. ^ ウルグアイMFロデイロ、18分間で退場サンスポ、2010年6月12日

外部リンク[編集]