ニコマート (コンビニエンスストア)

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ニコマート
Nikomart taiwan.JPG
台湾法人のニコマート(台北市中山区)
各種表記
繁体字 福客多便利商店
簡体字 福客多便利商店
拼音 Fúkèduō Biànlìshāngdiàn
英文 Nikomart
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日本法人の店の例。御島崎店(閉店済)

ニコマートは、かつて日本に存在したコンビニエンスストアである。1980年に創業し、一時は中堅コンビニにまで発展したが、1993年に事実上倒産し、2000年に清算された。ただし、倒産前にFC展開していた台湾では福客多便利商店として2007年まで営業していた。

概要[編集]

ニコマートは今野康裕[注釈 1]1980年4月に会社を設立し、同年6月6日に1号店を東京都江東区にオープンさせた[1]。運営会社の商号は株式会社ニコマートであった。名称の由来は、「お客さまにいつも笑顔でお買物してもらおう」という意味で、「ニコニコ」にマートを付けたものである[1]。今野が1976年よりサンチェーンの社員をしていたことから、会社成立には旧サンチェーンの営業スタッフが多く参加した[2]

同社のコンビニエンスストアの特徴として、通常のFCにみられる売り上げの粗利益からの本部への一定割合を支払うのではなく、1年目から5年目までが月額35万円、6年から10年目までは月額45万円という開業年数に応じて定額を支払うロイヤリティ制度を導入したことである[3]。そのため、売上不振でも支払義務があるが、加盟店にすれば少ない負担で開業できるメリットがあった。また当時他のコンビニエンスストアが住宅地の近くに多く進出していた中で、ビジネス街や繁華街に多く進出していた[4]

また、他社に先駆けてエリアフランチャイズ制度を導入[注釈 2]。これは、地域ごとに本部となる企業に運営をまかせ、ニコマート本体は看板とノウハウを提供する見返りに定額を毎月受け取る契約だった[5]

ニコマートは定額FC制度によって中堅コンビニにまで躍進できたが、反面では大手企業を親会社に持たない独立系であり、業歴が短いこともあり資本力が弱い面もあった。そのため、1985年長崎屋と業務提携を締結していた。1990年時点で475店舗、売上高693億円にまで達していた[6]。また、1997年(平成9年)には1000店舗への拡大計画もあった[7]

1988年には日光連鎖商店股份有限公司(のちの福客多商店股份有限公司)を設立し台湾へ進出、1990年には泰山企業集團とも提携した[8]

1992年6月には東京都墨田区千歳に自社ビルを持つまでになった。コンビニ事業の他にも、日本語学校の経営や雑誌「東京ジャーナル」の出版、外食チェーン「もっきんばーど」のチェーン化などを行っていた[9]

日本法人の倒産[編集]

日本国内のニコマートであるが、様々な原因によって経営破綻することになった。本部直営の都内への展開がオフィス街中心の戦略であったが、深夜や土日の売上不振に繋がり、本部へダメージを与えた。またPOSシステム導入時のシステムトラブルで巨額の損失を出したことや、長崎屋との業務提携が解消されたため、急速に資金繰りが悪化した。金融機関からの融資が引き上げられたことにより、主力納入業者によるテコ入れも効果がなく、1993年6月23日と24日に連続して不渡りを出し銀行取引停止となり事実上倒産した。約450億の債務が残され、ニコマートは事実上解体した。なお法的整理が終了したのは2000年8月であったという。

倒産の原因であるが、事業展開のための資金を銀行からの借入金に大部分依存していたほか、本業外の資産運用に資金を流用したことが大きかったといわれている。全国展開していたコンビニエンスストアとして日本で最初に経営破綻したにもかかわらず、業界に対する社会的信用は毀損しなかったという。

東京都港区六本木3丁目に存在した店舗は日本初の二階建てコンビニという触れ込みだった。

倒産後の状況[編集]

ニコマートのエリアフランチャイズをしていた各社は新しいブランドでコンビニを運営するか、ニコマートのままで運営するかで対応が分かれた。

  • 一部加盟店オーナーやベンダーの要請で、不動産事業を展開する菱宏株式会社を中心にコンビニックスを設立[10]。その後1993年8月16日、ニコマート本社ビル一階に事務所を設け[11]1994年1月にはナナホシテントウをシンボルマークにした「Jマート」になり、約50店舗で再スタートした[12]。その後1994年10月7日には惣菜事業を展開するゼストクックと業務提携を結び、惣菜が400種類もある店舗をオープン[13]。さらに1995年4月15日には、店内で弁当やパンを調理したものを販売する「コンビニックスJデリカ目黒店」を直営でオープン[14]。惣菜とコンビニを合わせた店舗を首都圏120店展開する五ヵ年計画を立てたりするなど完全にニコマートから独立した経営を行った[15]
  • 旧エリアフランチャイズだったパスコリテール・飯野リティル・大森商店の三社で設立した「ジャストスポット」は約100店で設立しニコマートの看板を変えて経営をスタートした[16]。その中でも特にパスコリテールは、都内でのチェーン展開に積極的で店舗を増やしていった[17]。その後1998年4月にパスコリテールをポプラが買収[18]飯野海運の子会社である[19]飯野リティルはローソンに買収を打診していたが[20]、結局は2002年7月新鮮組が買収し、その後2008年2月にローソンとなった[21]
  • 東北ニコマートは1993年にミニストップと業務提携し、ミニショップとなった[22]。それまでミニストップは東北に進出しておらず、東北ニコマートから業務提携の打診があり今回にいたった[23]
  • 日糧製パンの子会社である多摩コンビニエンスは、倒産前の1992年にニコマートの看板を残したままデリーショップと本部を統合[24]。倒産後は2チェーンの名前を統合を検討したものの[25]、結局は多摩コンビニエンス自体が、1996年3月決算で約3億円の債務超過となってしまい会社を清算した[26]
  • 福岡のアイアンドアイリテイルはニコマートのまま運営していたが、2001年6月に九州コンビニエンスシステムズと一緒にココストアに買収された[27]

台湾法人の終焉[編集]

台湾のニコマートは日本での事業撤退後も泰山企業の子会社の福客多商店股份有限公司により「福客多便利商店」として近年まで営業をしていた。台湾でも5番目の営業規模であったが、後発組であったニコマートは、他チェーンに比べ規模が小さく市場占有率は最も低く、競争激化により経営が悪化していた。そのためニコマートを経営していた福客多商店股份有限公司は2007年7月20日に、全家便利商店ファミリーマート)に営業譲渡することが決定した。福客多商店股份有限公司は企業としては合併まで存続していたが、店舗の商標は統合されることになった。これにより、ニコマートは完全に消滅することになった。

不祥事[編集]

店員とその家族に対する、オーナーの恐喝・暴行・傷害

1988年6月23日、ニコマート中町店のオーナーX、新宿店のオーナーY、元浅草店のオーナーZが逮捕された。Xは中町店の売り上げが落ちたのは店員のAさんが売上金を盗んでいるのではないかと疑い、1987年4月中旬、同店の倉庫兼事務所でZ、Yと共謀しAさんの顔を殴ったり、床にこぼれた水をなめて掃除させるなどの暴行を加えた。また、1988年1月頃まで十数回Aさんの体に数百発のプラスチック弾を撃ったり、たばこの火や花火を背中につけてやけどさせた。さらに、Aさんの両親に対して「親が責任をとれ」と脅し、1987年9月下旬から1988年5月下旬まで十数回にわたり計約200万円を脅し取ったうえ、両親が住むマンションの権利証を譲渡する旨の念書を書かせた。また、母親には1987年8月下旬から9か月にわたってほとんど給料を払わず店で働かせていた。[28]

参考文献[編集]

  • 関幸雄 『いま独立するならコンビニ店がいちばんいい ニコマートで成功した』リヨン社、1993年1月。ISBN 4-576-92149-5 
  • 「会社はこうして潰れていく」  帝国データバンク情報局 中経出版 1994年 ISBN 4-8061-0785-9 C2034

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 後にサハダイヤモンドJASDAQ上場)の代表取締役社長にもなる。
  2. ^ 大手コンビニで導入されている。

出典[編集]

  1. ^ a b 関 1993, p. 60.
  2. ^ 関 1993, pp. 57–60.
  3. ^ 関 1993, p. 94.
  4. ^ 関 1993, p. 70.
  5. ^ 関 1993, p. 41.
  6. ^ 関 1993, p. 39.
  7. ^ 関 1993, p. 101.
  8. ^ 関 1993, pp. 87–88.
  9. ^ 関 1993, p. 72.
  10. ^ 菱宏、ニコマート加盟店再出発に際しオーナー会60店を支援 「コンビニックス」設立 1993年8月13日 日本食糧新聞
  11. ^ コンビニックス、16日からニコマート本社ビルに事務所を開設 1993年8月20日 日本食糧新聞
  12. ^ コンビニックス、旧ニコマートを「Jマート」に看板変更 1994年1月24日 日本食糧新聞
  13. ^ コンビニックス、ゼストクックと提携1号店開店 惣菜400品揃える新タイプ店 1994年10月14日 日本食糧新聞
  14. ^ コンビニックス、デリカ強化のCVS「Jデリカ」開店 年内4店に 1995年4月19日 日本食糧新聞
  15. ^ コンビニックス、新体制スタート デリカCVS120店へ 1995年2月24日
  16. ^ チェーン分裂、地縁で結束--生き残りを探る、旧ニコマート加盟店 1993年10月22日 日本経済新聞
  17. ^ パスコリテール、今年度中に都内中心に15店出店 今期100億超目指す 1994年4月6日
  18. ^ ポプラ 沿革
  19. ^ 飯野海運グループ
  20. ^ ローソン、ジャストスポットなど70店を買収、首都圏の密度増す 2002年3月6日 日本食糧新聞
  21. ^ 新鮮組 会社概要・沿革
  22. ^ 東北ニコマート、全店の看板を「ミニショップ」に切替え完了 1994年1月21日 日本食糧新聞
  23. ^ ミニストップ、東北ニコマートと提携、東北進出へ布石 1993年11月1日 日本食糧新聞
  24. ^ 100店未満CVSチェーン 生き残りへ勝負 4* 多摩コンビニエンス 1992年11月18日 日本食糧新聞
  25. ^ 多摩コンビニエンス、95年50店へ着実な歩み、2チェーン統一も検討 1993年8月20日 日本食糧新聞
  26. ^ 日糧製パン「コンビニ」から撤退--競争激化、運営会社整理へ 1996年11月5日 日本流通新聞
  27. ^ 『THE WORLD COMPASS』7・8月号 三井物産戦略研究室
  28. ^ “ニコマート3店主、店員をリンチ 背中に花火、暴行も”. 朝日新聞. 朝日新聞社. (1988年6月23日) 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]