ナフタラン
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ナフタラン Naftalan | |||
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![]() ナフタラン(2017年) | |||
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位置 | |||
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歴史 | |||
市へ昇格 | 1967年4月28日 | ||
行政 | |||
国 | ![]() | ||
経済地区 | ギャンジャ=ガザフ経済地区 | ||
市 | ナフタラン | ||
市長 | Novruzov Vugar Vahid oglu[1] | ||
地理 | |||
面積 | |||
市域 | 35.73 km2 | ||
標高 | 225 m | ||
人口 | |||
人口 | (2020年1月1日現在) | ||
市域 | 10,254人 | ||
人口密度 | 287人/km2 | ||
市街地 | 8,910人 | ||
備考 | [2] | ||
その他 | |||
等時帯 | アゼルバイジャン時間 (UTC+4) | ||
夏時間 | なし | ||
ISO 3166-2 | AZ-NA | ||
公式ウェブサイト : naftalan-ih.gov.az |
ナフタラン(アゼルバイジャン語: Naftalan)は、アゼルバイジャンの都市。首都バクーから西に330km、ギャンジャから50kmの地点にある[3]。同国では著名な療養地で、古くから医療目的の石油が採掘されている。
行政上は県に属さない特別市のひとつで、ゴランボイ県に囲まれている。アゼルバイジャンからの分離独立を主張するアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ)との「国境」に程近く、2020年ナゴルノ・カラバフ紛争ではアルメニア軍による砲撃で死者が出ている[4]。
歴史[編集]
伝わる話によれば古代、キャラバンが衰弱したラクダを湖に置いていったところ、再び訪れた際にはそのラクダが健康になって生き延びていた。キャラバンは湖の油分に傷を治す治癒能力があることを知り油を郷土へ持って帰った。いつしかこの不思議な油が採取できる湖とその周辺は「油のある地域」という意味でナフタランと呼ばれるようになったという。12世紀に詩人ニザーミーが、13世紀にはマルコ・ポーロが、それぞれナフタランの油について言及している[5]。
1868年にドイツ企業がナフタランで石油の採掘を行った。ナフタランの石油は燃えなかったためガソリンといった用途には使うことが出来なかったが、治療能力に目を付け薬用として研究を進めていった。そうして開発された「ナフタラン軟膏」は治癒能力が評価され、本国のドイツだけでなく欧米諸国や日本など世界中に流通するほど人気を博した。日露戦争では、日本軍の医療袋から瓶一杯に詰めたナフタラン軟膏が見つかっている[5]。
1967年4月28日に市へ昇格。アゼルバイジャン独立後は原油を使った療養風呂で世界的に有名となり[6]、2019年には国内外で約4万人もの人がナフタランを訪れている[7]。
脚注[編集]
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地図を見る |
- ^ “Naftalan Şəhər İcra Hakimiyyətinin başçısı(市長の紹介)”. ナフタラン市役所. 2020年10月28日閲覧。
- ^ “Əhalisi(人口)”. ナフタラン市役所. 2020年10月28日閲覧。
- ^ “Coğrafi mövqeyi(地勢)”. ナフタラン市役所. 2020年10月27日閲覧。
- ^ “【アルメニアがアゼルバイジャンを攻撃】 アゼルバイジャンの民間人2人がさらに死亡”. トルコ国営放送 (2020年9月29日). 2020年10月27日閲覧。
- ^ a b “Tarixi(歴史)”. ナフタラン市役所. 2020年10月28日閲覧。
- ^ “原油風呂で療養、「とても気持ちいい」 アゼルバイジャン”. AFP通信 (2019年4月12日). 2020年10月28日閲覧。
- ^ “İqtisadiyyat(経済)”. ナフタラン市役所. 2020年10月28日閲覧。
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