ナイアル・クイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ナイアル・クイン Football pictogram.svg
Quinn, Niall.jpg
ヴィラ・パークで行われたアストン・ヴィラサンダーランドAFCの際のクイン (2008年9月27日)
名前
本名 ナイアル・ジョン・クイン
ラテン文字 Niall John Quinn, MBE
基本情報
国籍 アイルランドの旗 アイルランド
生年月日 1966年10月6日(48歳)
出身地 アイルランドの旗 ダブリン
身長 193cm
体重 87kg
選手情報
ポジション FW
利き足
ユース
イングランドの旗 アーセナル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1990 イングランドの旗 アーセナル 67 (14)
1990-1996 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 203 (66)
1996-2002 イングランドの旗 サンダーランド 203 (61)
1983-2002 合計 473 (141)
代表歴
1985 アイルランドの旗 アイルランド U-17 5 (4)
1986-1989 アイルランドの旗 アイルランド U-21 5 (0)
1990 アイルランドの旗 アイルランド U-23 1 (1)
1990 アイルランドの旗 アイルランド B 1 (2)
1986-2002 アイルランドの旗 アイルランド 92 (21)
監督歴
2002 イングランドの旗 サンダーランド (選手兼任コーチ)
2006 イングランドの旗 サンダーランド
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ナイアル・ジョン・クイン (Honorary)MBENiall John Quinn, MBE, 1966年10月6日 - )は、アイルランドダブリン出身の元サッカー選手、元アイルランド代表、元サッカー監督、実業家。2011年10月までサンダーランドAFCの会長を務めていた。大英帝国勲章名誉受勲者[1]。現役時代のポジションはフォワード

現役時代は、1980年代、1990年代、2000年代とプレミアリーグアーセナルFCマンチェスター・シティFC、サンダーランドでプレー。アイルランド代表としては、92試合21得点を記録し、その間にUEFA欧州選手権19881990 FIFAワールドカップ2002 FIFAワールドカップに出場した。

経歴[編集]

クラブ[編集]

アーセナル[編集]

少年時代は、サッカーの他にもハーリングの選手としても活動しており、1983年には全アイルランドマイナーハーリング選手権の決勝戦でプレーする等、全国的に名の知られた若手有望選手であった[2]

サッカーの方では、プライマリースクール時代の1978年にジェラルディン・カップ (Geraldine Cup)で優勝し、セカンダリースクール時代の1983年にレンスタースクール・カップを獲得している[2]。また、同年にはフラムFCのトライアルに参加し、ポール・パーカーらと練習を受け、ユースチームとリザーブチームの2試合に出場[3]。その際に、センターバックとしてプレーしていたクインは、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCとのリザーブリーグ戦でクライヴ・アレン英語版に5得点を挙げられてしまい、マルコム・マクドナルド英語版監督から厳しい叱責され[3]、失意のどん底でダブリンに帰国した。その後、ハーリングで一定の成功を収め、また、夏にオーストラリアで1ヶ月間行われたゲーリックフットボールのツアーに主将として参加した際にオーストラリアンフットボールシドニー・スワンズメルボルン・フットボールクラブのプロ2チームからオファーを受けたことでプロ転向を志していた[2]。しかし、同時期にアーセナルFCからトライアル参加を打診されると、当初は乗り気ではなかったものの、母の説得もあって9月に5月以来となるロンドンへ渡ることになったクインは、今度はセンターフォワードでプレーし、最初の試合でハットトリックを達成、次の試合で2得点を挙げる活躍を見せ、10月12日にアーセナルから3年契約を提示[4]され、サッカー選手としてのプロキャリアを開始した。

加入から2季は出場機会が訪れなかったが、1985-86シーズンにリザーブチームで18試合18得点と結果を残した[5]結果、1985年12月のリヴァプールFC戦でトップチーム初出場を飾ると、プロ初得点を挙げ[5]、最終的にリーグ戦12試合に出場してシーズンを終了する。翌1986-87シーズンは、ジョージ・グラハム新監督の下、19歳の若さながら定位置を掴み、マーティン・ヘイズペリー・グローヴスチャーリー・ニコラス英語版らと攻撃を牽引[6]し、リーグ戦35試合8得点でチームの4位、更にフットボールリーグカップ制覇に貢献した[7]。だが、1987-88シーズンにアラン・スミス英語版が加入した影響から、退団するまでの2季半を控えで過ごすことになり[6]、出場機会を求めて1989-90シーズンに移籍要望書を提出することに繋がった。アーセナルでは、94試合(先発81試合)20得点を記録した[7]

マンチェスター・シティ[編集]

1990年3月に移籍金80万ポンドハワード・ケンドール監督率いるマンチェスター・シティFCと契約すると、シーズン終盤での加入だったが、初出場となったチェルシーFC戦を含む9試合4得点を挙げ、降格圏の18位だったチームを14位に押し上げることに貢献[8]。在籍6季で245試合78得点を挙げたクインは、1990-91シーズンにはチームの得点源として22得点を挙げ、また、1991年4月20日のダービー・カウンティFC戦では、先制点を挙げた他にも、前半にディーン・ソーンダースを倒して退場したGKトニー・コトン英語版の代役を務め、ソーンダースのペナルティーキックを防ぐ活躍を見せた[9]

1993年8月、嘗て指導を受けたケンドール監督率いるエヴァートンFCから移籍金200万ポンドのオファーがされる[10]も、ブライアン・ホールトン英語版新監督の評価が高く残留することになった[11]1993-94シーズンは、11月7日のマンチェスター・ユナイテッドFCとのマンチェスター・ダービー (2-3)で前半の内に2得点を挙げる[12]等、チームを牽引していた。しかし、11月下旬のシェフィールド・ウェンズデイFC戦での膝十字靱帯を負傷したことで長期離脱となる[13]と、1994-95シーズンに復帰後はポール・ウォルシュ英語版ウーヴェ・レスラー英語版の存在から常時先発出場こそならなかったが、35試合8得点と一定の数字を残した。1995年5月下旬にスポルティング・リスボンと合意すると報じられる[14]も、契約に関する相違から最終的に移籍話は消滅した[15]

サンダーランド[編集]

1996年8月15日に移籍金130万ポンドでプレミアリーグサンダーランドAFCと合意する[16]。8月18日のレスター・シティFC戦 (0-0)で51分から初出場を飾った[17]クインは、スティーヴ・ウォルシュ英語版ケーシー・ケラーの好守備から得点こそ奪えずにいたが、攻撃を活性化するプレーでマン・オブ・ザ・マッチに選出され[18]、次のノッティンガム・フォレスト戦で2得点を挙げる[19]上々のスタートを切った。しかし、9月21日のコヴェントリー・シティFC戦での膝の負傷[20]で長期離脱すると、その間にチームは低迷し、4月上旬のニューカッスル・ユナイテッドFC戦で復帰を果たす[21]も、チームの危機は救えずに最終的に2部への降格となった。

1997年8月16日、同年に完成したクラブの新スタジアムであるスタジアム・オブ・ライトのこけら落としとなった古巣マンチェスター・シティ戦において、最初に得点を挙げた人物となる[22]1997-98シーズンからは、新加入のケヴィン・フィリップスとのコンビで得点を量産しており、2シーズンでのプレミアリーグ昇格の原動力となると、プレミアリーグ復帰1季目の1999-2000シーズンでは、2人で44得点 (フィリップスは30で得点王)を挙げ、シーズンを7位で終えることに貢献した[23]2002-03シーズンは、ピーター・リード監督の下で選手兼任コーチを務める[24]ことになったが、慢性的な背中の負傷から引退を決意し、2002年11月10日に本拠地で行われたトッテナム・ホットスパーFC戦でのハーフタイム中にファンへ別れの挨拶をする[25]。10月19日のウェストハム・ユナイテッドFC戦が現役最後の試合となった[25]

代表[編集]

1986年5月にアイスランドで開催されたアイスランド代表チェコスロバキア代表、アイルランド代表の3ヶ国によるアイスランド・トライアングラー大会のアイスランド戦で85分から初出場、1987年のイスラエル戦で初得点を挙げ[26]、代表引退までに92試合21得点を記録する。なお、この21得点は当時の代表最多得点であり、2004年10月にロビー・キーンによって塗り替えられるまで記録を保持していた[27]

主要大会では、UEFA欧州選手権19881990 FIFAワールドカップ2002 FIFAワールドカップの3大会に出場し、欧州選手権では主将フランク・ステープルトンとの交代で出場したイングランド戦のみだったが、1990年大会では、グループリーグ最後のオランダ戦で同点弾を挙げ、決勝トーナメント進出に大きく貢献した[注釈 1][28]1994 FIFAワールドカップは、予選で12試合全てに出場し、本大会出場に貢献したものの、クラブでの試合中に十字靭帯損傷をしたことで出場を断念[29]。35歳の誕生日となった2001年10月6日の2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でのキプロス戦において、代表最多となる21得点目を挙げる[30]。2002年大会は、ロビー・キーンとダミアン・ダフの存在から常に控えだった[29]が、グループリーグのドイツ戦において、フリックオンでロビー・キーンの同点弾をアシスト[31]し、決勝トーナメントのスペイン戦では、ペナルティーエリア内でフェルナンド・イエロからユニフォームを引っ張られてペナルティーキックを獲得する見せ場を作った[32]。PKをロビー・キーンを成功させて試合終了間際に同点に追いついたが、PK戦 (2-3)の末に敗退となると、大会終了を以って代表からの引退を発表した[33]

現役引退後[編集]

2002年に現役引退した後は、Sky Sportsで主に自身の古巣の試合で解説者を務める仕事をしていたが、2006年7月にドラマヴィル・コンソーシアムの代表として古巣のサンダーランドAFCを買収し、クラブのチェアマン兼監督に就任した[34]。ドラマヴィル・コンソーシアムは8人のアイルランド人と1人のイングランド人実業家による共同組合で、クインは1000株を保有している(筆頭株主はパディ・ケリーの2360株でクイン以外の大半は1180株を保持)。監督としては、2006-07シーズン開幕から4連敗と成績不振に陥り、8月22日のリーグカップでベリーFCに敗戦後に次の試合から新監督が指揮を執ることを発表[35]ロイ・キーンを28日に監督に据えた。サイパン事件以降、関係が亀裂していたキーンを連れてきたことは、大きな驚きとなったが、キーンは連勝に次ぐ連勝をもたらし、このシーズンを優勝で終え、プレミアリーグへの自動昇格を勝ち取った。

2011年10月に会長を辞任すると共にサンダーランドの国際的発展の担当ディレクターに就任[36]。家庭やサッカー以外のビジネスに専念する為、2012年2月にアイルランドに帰国することを発表[37]し、その後、衛星ブロードバンド事業を展開している[38]

私生活[編集]

ティペラリー州サーレス出身の両親[39]の下、ダブリンに生まれる。父ビリー (Billy)は元ハーリング選手[40]であり、叔父のナイアル・コンドン (Niall Condon)も同じくハーリング選手[41]、叔母メイ (Mae)はサーレスの市長だった[39]。アイルランド出身のモデルのジリアン (Gillian)と結婚し、2人の子供を授かる。ジリアンはモデルの他にもテレビの司会者ピラティスのインストラクターとして活動している[42]

2002年にゴーストライタートム・ハンフリーズによる自伝Niall Quinn - The Autobiography (2002)を出版する。同書籍は高評価を受け、British Sports Book Awardsを獲得し、William Hill Sports Book of the Yearにノミネートされた[43]

ロイ・キーンとの関係[編集]

2002年5月にサンダーランドAFCアイルランド代表のテスティモニアル・マッチを開催 (この試合の収益を全て慈善事業に寄付[44])。当初、ロイ・キーンも出場する予定であったが直前で故障を理由に出場をキャンセル。しかし、試合当日にショッピングをしている姿がマスコミによって報道され、バッシングが巻き起こり、翌月のキーンのアイルランド代表離脱事件の伏線ともされる。ただ、これに関し、クイン本人はキーンに含むところは無いと表明した。

2002 FIFAワールドカップ直前のサイパン合宿でキーンがミック・マッカーシー監督と衝突し、代表チームから追放される事件が発生。クインはこの事件に際し、代表チームの最年長者として事態収拾に奔走するも、キーンからはマッカーシー監督の肩をもったと見られて恨みをもたれることになった(サイパン事件)。同大会後もキーンはメディアに於いてはクインへの敵対姿勢を崩さないままであり、実際、2002年9月に行われたプレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドFCとサンダーランド戦では、同じくアイルランド代表の同僚であったジェイソン・マカティアとキーンが乱闘騒ぎを起こし、仲裁に入ろうとしたクインをキーンが無視してロッカーに引き上げるというシーンもあった[45]。だが、キーンは、2006年にクインの求めに応じてサンダーランドの監督に電撃就任している。二人のコンビはサンダーランドを2部優勝に導き、さらに、2007年夏のオフシーズンにクインはロイ・キーンに大金を与えて彼が望む選手を次々に獲得するなど、周囲の懸念と当惑をよそに、2人のコンビは順調に機能している。

個人成績[編集]

クラブでの成績[編集]

出典:[46][47]

所属クラブ シーズン リーグ カップ リーグカップ 合計
所属リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
アーセナル 1983-84 ディビジョン1 0 0 0 0 0 0 0 0
1984-85 0 0 0 0 0 0 0 0
1985-86 12 1 3 0 2 0 17 1
1986-87 35 8 4 1 9 3 48 12
1987-88 11 2 2 0 3 0 16 2
1988-89 3 1 0 0 0 0 3 1
1989-90 6 2 1 1 2 1 9 4
合計 67 14 10 2 16 4 93 20
マンチェスター・シティ 1989-90 ディビジョン1 9 4 0 0 0 0 9 4
1990-91 38 20 2 1 3 0 43 21
1991-92 35 12 1 0 3 2 39 14
1992-93 プレミアリーグ 39 9 5 1 3 0 47 10
1993-94 15 5 0 0 3 1 18 6
1994-95 35 8 4 0 6 2 45 10
1995-96 32 8 4 2 3 1 39 11
合計 203 66 16 4 21 6 240 76
サンダーランド 1996-97 プレミアリーグ 12 2 0 0 1 1 13 3
1997-98 ディビジョン1 35 14 2 1 0 0 37 15
1998-99 39 18 2 0 5 3 46 21
1999-2000 プレミアリーグ 37 14 1 0 0 0 38 14
2000-01 34 7 3 1 0 0 37 8
2001-02 38 6 1 0 0 0 39 6
2002-03 8 0 0 0 0 0 8 0
合計 203 61 9 2 6 4 218 67
キャリア通算成績 473 141 35 8 43 14 551 163

代表での成績[編集]

出典:[46]

アイルランド代表
出場 得点
1986 2 0
1987 5 1
1988 5 0
1989 1 0
1990 9 3
1991 4 3
1992 9 1
1993 9 2
1994 3 2
1995 8 1
1996 7 3
1997 1 0
1998 3 1
1999 9 2
2000 8 1
2001 5 1
2002 4 0
Total 92 21

代表での得点[編集]

監督成績[編集]

クラブ 就任 退任 記録
試合 勝ち 分け 負け 勝率 %
サンダーランドAFC イングランドの旗 2006年7月25日 2006年8月30日 &00000000000000060000006 &00000000000000010000001 &00000000000000050000005 &00000000000000000000000 &000000000000001667000016.67

獲得タイトル[編集]

クラブ

イングランドの旗 アーセナルFC

イングランドの旗 サンダーランドAFC

脚注[編集]

  1. ^ "Niall Quinn to receive honorary MBE"
  2. ^ a b c "Football saved me from a life of drink & drugs; EXCLUSIVE: THE NIALL QUINN STORY" thefreelibrary.com
  3. ^ a b "Niall Quinn returns to dig Fulham out of hole"
  4. ^ "The Tall Guy" independent.ie
  5. ^ a b "Liverpool Loses Ground In Soccer Chase"
  6. ^ a b "High and mighty Niall Quinn will be honoured for his labours of love"
  7. ^ a b "Niall Quinn" arsenal.com
  8. ^ "A lifeline before the deadline"
  9. ^ "Who has saved and scored a penalty in the same match?"
  10. ^ "Football: Rejected Everton look to McInally"
  11. ^ "Football: Horton aiming to hold on to Quinn: Everton's pursuit of City man is rebuffed as Keegan seeks to harvest Rieper"
  12. ^ "The Manchester derby: Four classics from 128 years of rivalry between City and United"
  13. ^ "City ready to roll their sleeves up"
  14. ^ "Gaudino faces fraud charge"
  15. ^ "Porto to report Arsenal to Uefa"
  16. ^ "RAIL COMPLAINTS BREAK RECORD"
  17. ^ "Quinn tonic; Sunderland 0 Leicester 0" thefreelibrary.com
  18. ^ "Quinn scores moral victory"
  19. ^ "Quinn fells Forest"
  20. ^ "I've beaten injury before and I will AGAIN; I will AGAIN!" thefreelibrary.com
  21. ^ "Late Dublin strike helps take the relegation pressure off Coventry Evans anger as Liverpool let title lead slip away"
  22. ^ "Football: Phillips illuminates Stadium of Light"
  23. ^ "English football's dying breed of strike partnerships"
  24. ^ "Quinn handed coaching role by Sunderland"
  25. ^ a b "Quinn not ruling out role in management"
  26. ^ "Angel of north still shining"
  27. ^ "Robbie Keane beats record and Faroes"
  28. ^ "FAI History Chapter 29 - World Cup 1990 final tournament"
  29. ^ a b "Football: WE AIN'T SEEN NOTHING LIKE MIGHTY QUINN; THE END OF AN ERA: IRELAND'S RECORD GOALSCORER QUITS CLUB FOOTBALL Legend Niall takes final bow at Stadium of Light"
  30. ^ "Quinn the toast as Irish sweat over Asian play-off"
  31. ^ "Ireland snatch priceless point"
  32. ^ "Spain break Irish hearts"
  33. ^ "Veteran duo bow out"
  34. ^ "Reluctant Quinn will step in to manage Sunderland"
  35. ^ "Shakers make Sunderland quake as Quinn prepares to step aside"
  36. ^ "Niall Quinn steps down as Sunderland chairman"
  37. ^ "Niall Quinn quits Sunderland role after six years"
  38. ^ "Desmond backs Niall Quinn's Q Sat"
  39. ^ a b "Cross-border human trafficking probe finds 12-year-old Nigerian in house"
  40. ^ "Sky’s the limit for Quinn"
  41. ^ "Football saved me from a life of drink & drugs; EXCLUSIVE: THE NIALL QUINN STORY" thefreelibrary.com
  42. ^ "Quinn family's heartbreak in Speed tragedy"
  43. ^ "Autobiographies dominate shortlist"
  44. ^ "Football star's charity goal"
  45. ^ "Quinn proves there is no such thing as 'Saint Niall'"
  46. ^ a b Niall Quinn”. 11v11. 2015年4月1日閲覧。
  47. ^ Niall Quinn”. footballzz. 2015年4月1日閲覧。

注釈[編集]

  1. ^ 勝ち点、得失点全て同一だった為、くじ引きでアイルランドが2位、オランダが3位となった

外部リンク[編集]