ドール・バイ・ドール

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ドール・バイ・ドール
Doll by Doll
出身地 イギリスの旗 イギリス
ジャンル ロックアート・ロックニュー・ウェイヴ
活動期間 1977年 - 1983年
レーベル Automatic、Magnet
旧メンバー ジャッキー・レヴン
ジョー・ショウ
ロビン・スプレアフィコ
デヴィッド・マッキントッシュ
トニー・ウェイト

ドール・バイ・ドールDoll by Doll)は、1977年にジャッキー・レヴンによって結成されたロンドンを拠点とするロック・バンド。ニュー・ウェイヴの時期に有名になったが、当時の音楽プレスにはほとんど無視されていた。 彼らのエモーショナルでサイケデリックな音楽は、当時の他のバンドと歩調を合わせていないと判断されていた[1]

略歴[編集]

オリジナルのラインナップは、ジャッキー・レヴン(ボーカル、ギター)、ジョー・ショウ(ボーカル、ギター)、ロビン・スプレアフィコ(ボーカル、ベース)、デヴィッド・マッキントッシュ(ボーカル、パーカッション)であった[1]。このラインナップは、スプレアフィコがトニー・ウェイト(1958年–2003年)と交代する前にスタジオ・アルバム『Remember』1枚のみを録音している。交代後のラインナップでは、バンドが分裂するまでに、アルバム『ジプシー・ブラッド』(ジョン・シンクレアがプロデュース)と、その名を冠したサード・アルバム『Doll By Doll』をリリースした[2]

最終アルバム『Grand Passion』の時点で、オリジナル・ラインナップから残ったのはレヴンだけとなり、ヘレン・ターナー(ボーカル、キーボード)とトム・ノルデン(ボーカル、ギター、ベース)が、ピンク・フロイドデヴィッド・ギルモアを含む数多くのゲスト・ミュージシャンと共に参加。ライブではマーク・フレッチャー(ベース)とクリス・クラーク(ドラム)がグループで演奏した。ドール・バイ・ドールは1983年になり崩壊したが、レヴン、ショウ、マッキントッシュに元セックス・ピストルズグレン・マトロックを加えた編成で、「Concrete Bulletproof Invisible」という名前の下、1988年にシングル「Big Tears」をリリースしている。その後、レヴンは多作なソロ・アーティストとなり、よりフォーク志向の楽曲をフィーチャーしたアルバムなど一連のリリースを行うようになった[3]

2005年にオリジナル・バンドによるライブ・レコーディングがリリースされた。アルバム『Remember』の1曲を除くすべての曲をフィーチャーした『Revenge Of Memory』は、1977年にシェフィールドのリミッツ・クラブで録音されている[4]

4枚のドール・バイ・ドールのスタジオ・アルバムはすべて、2007年3月にWEA/ライノから初めてCDでリリースされた。

ディスコグラフィ[編集]

アルバム[編集]

  • Remember (1979年、Automatic)
  • 『ジプシー・ブラッド』 - Gypsy Blood (1979年、Automatic)
  • Doll By Doll (1980年、Magnet)
  • Grand Passion (1982年、Magnet)
  • Revenge of Memory (2005年、Haunted Valley) ※1977年、シェフィールド・リミッツ・クラブでのライブ録音

脚注[編集]

  1. ^ a b Doll By Doll: Night Of The Psychotic Woodsmen”. Trakmarx.com. 2012年11月16日閲覧。
  2. ^ Rock and Jazz Music. “British rock's lost masterpiece”. Telegraph. 2012年11月16日閲覧。
  3. ^ Jackie Leven Interview”. Vanguard-online.co.uk. 2013年5月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月16日閲覧。
  4. ^ Simon Rueben, The Digital Fix (2006年4月12日). “Doll by Doll - Revenge of Memory | Review | Music @ The Digital Fix”. Themusicfix.co.uk. 2012年11月16日閲覧。

外部リンク[編集]