ドラゴン・ルージュ作戦

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ドラゴン・ルージュ作戦
コンゴ動乱シンバの反乱
Congo Crisis dead hostages.jpg
1964年末にスタンリーヴィルにて。ドラゴン・ルージュ作戦を展開するベルギーの兵士の前に殺害された人質の死体が横たわっている。ベルギーのパラシュート部隊がシンバの反乱を起こした反政府勢力側の人質となっていた1,800人以上のヨーロッパ人を解放した
1964年11月24日 (1964-11-24)
場所Flag of Congo-Léopoldville (1963-1966).svg コンゴ民主共和国 スタンリーヴィル
結果 ほとんどの人質が救出された
衝突した勢力
ベルギーの旗 ベルギー
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
Socialist red flag.svg シンバ反乱軍
指揮官
ベルギーの旗 シャルル・ローラン
ベルギーの旗 フレデリック・ヴァンデワレ
アメリカ合衆国の旗 バージェス・グラッドウェル
Socialist red flag.svg ピエール・ムレレ
Socialist red flag.svg クリストフ・グベリエ
戦力
  • パラシュート部隊320人
  • 奇襲部隊128人
反乱兵300–500人
被害者数
2人死亡、12人負傷 不明
24人の人質が殺害

ドラゴン・ルージュ作戦1964年にベルギーのパラシュート部隊が行ったコンゴ民主共和国スタンリーヴィルシンバ反乱軍に捕らわれた人質の救出作戦である。

背景[編集]

1964年までにコンゴ民主共和国政府は西洋諸国の支援を得て、シンバ反乱軍を鎮圧する足掛かりを得ており、シンバ反乱軍は敗北が濃厚となった。このため、自らの支配下にいる白人を人質にした。数百人の人質が、スタンリーヴィルに連れられ、ヴィクトリアホテルで監禁された。

コンゴ民主共和国政府はベルギーアメリカ合衆国に援助を求めた。

ベルギー陸軍アメリカ第322空輸師団によりレオポルドヴィルに送られた。救出作戦はベルギー・アメリカ両政府により練られた。また、シンバ反乱軍との人質の交渉は失敗していた。

作戦[編集]

作戦はベルギー陸軍のシャルル・ローラン大佐により行われた。[1] 1964年11月24日、アメリカのC-130 ハーキュリーズ5機から320人のパラシュート部隊が、スタンリーヴィルに降下し[2]、一部の人質が殺害されたが、大半の欧米諸国の人々が救出された。

脚注[編集]

  1. ^ Odom 1988, p. 46.
  2. ^ Odom 1988, p. 51.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]