ドゥ・マゴ

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ドゥ・マゴ
Les Deux Magots
ドゥ・マゴのテラス
ドゥ・マゴのテラス
種類 単純型株式会社(SAS)
本社所在地 フランスの旗 フランス
6, place Saint-Germain-des-Prés, 75006 Paris, France
北緯48度51分14秒 東経2度19分59秒 / 北緯48.85389度 東経2.33306度 / 48.85389; 2.33306座標: 北緯48度51分14秒 東経2度19分59秒 / 北緯48.85389度 東経2.33306度 / 48.85389; 2.33306
設立 1885年
業種 飲食店
事業内容 カフェレストラン
代表者 カトリーヌ・マティヴァ(代表取締役社長)
資本金 85,800 €[1]
売上高 10,703,400 €(2018年)[2]
従業員数 50 - 99人
外部リンク Les Deux Magots
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ドゥ・マゴ[注 1]フランス語: Les Deux Magots フランス語発音: [le dø maɡo])は、1885年創業のフランス老舗カフェパリ6区サン=ジェルマン=デ=プレ地区(パリ最古のサン=ジェルマン=デ=プレ教会の向かい)にあり、当初はマラルメヴェルレーヌランボーらが常連であったが、1933年にカフェの常連であった文学者・画家らによってドゥ・マゴ賞が創設されて以来、シュルレアリスト、次いで実存主義哲学者など多くの文人が集まる文学カフェとして知られるようになった。現在は観光客が来店客の約70%を占める。

歴史[編集]

前身[編集]

ドゥ・マゴは1812年、パリ6区ビュシ通りフランス語版23番地に流行品店として開店した[3]。「マゴ (magot)」とは、極東(特に中国)のややグロテスクでずんぐりした陶製人形(坐像)を表わす[4][5]。店名の「ドゥ・マゴ」は、シャルル=オーギュスタン・バソンピエール(通称Sewrin)監督が制作し、パリ2区ヴァリエテ劇場フランス語版で上演されて好評を博した一幕ヴォードヴィル『中国のドゥ・マゴ(2体の中国人形)』[6]に因むものであり[7]、当時、同店では絹織物を扱っていたことから、の産地である中国のイメージを際立たせようとしたものである[8]。演劇『中国のドゥ・マゴ』に着想を得て制作された2体の中国人形は、現在も店内に置かれ、店のシンボルとしてロゴにも使用されている。

ドゥ・マゴのシンボルである2体の陶製中国人形

ドゥ・マゴは、1873年に同じ6区のサン=ジェルマン=デ=プレ広場フランス語版に移転した[3]。サン=ジェルマン=デ=プレ広場は面積2300平方メートルほどの小さな広場であり、向かいには中世に建造されたパリ最古の教会であるサン=ジェルマン=デ=プレ教会がある。1880年には、サンジェルマン大通りを挟んだ向かいにブラッスリー・リップ、1885年頃には、サン=ブノワ通りフランス語版を挟んだ隣に、ドゥ・マゴ同様に文人が集まる場所となるもう一つの老舗カフェ「カフェ・ド・フロール」が創設された。

カフェの開店[編集]

1885年、流行品店ドゥ・マゴは廃業し、同じ「ドゥ・マゴ」の店名で酒類を出すカフェバーとして再出発した。すでに1860年代に同じ6区のモンパルナスにあるカフェ「クロズリー・デ・リラ」は、エコール・デ・ボザールシャルル・グレールの学生(クロード・モネピエール=オーギュスト・ルノワールアルフレッド・シスレーら)が集まる場所となっており[9]、次第にカルティエ・ラタンに近いこの界隈に芸術家文学者が集まるようになった。特に、詩人のステファヌ・マラルメやポール・ヴェルレーヌ、1871年に「酔いどれ船」を携えて上京し、ヴェルレーヌの義父母のもとに身を寄せたアルチュール・ランボーはドゥ・マゴの常連であった[3]

だが、この頃、ドゥ・マゴは経営難に陥り、1914年に、オーヴェルニュ出身のオーギュスト・ブーレ・マティヴァがドゥ・マゴを買収し、事業を受け継ぐことになった[10]

第一次大戦によりそれまでの価値に対する信頼が崩れ、戦間期に様々な前衛芸術・文学運動が起こった。この頃、ガートルード・スタインが「失われた世代」と呼んだアメリカ人作家らがパリを拠点に活動し、一方で、1919年に活動の場をチューリッヒからパリに移したトリスタン・ツァラアンドレ・ブルトンを中心に、既成の価値の破壊やブルジョア的な社会秩序の壊乱を目指すダダイスムの運動が起こった。スタインに「失われた世代」だと言われたヘミングウェイ、およびアンドレ・ジッドジャン・ジロドゥジャック・プレヴェールギヨーム・アポリネール藤田嗣治らの作家や画家がドゥ・マゴの常連であり[10]、やがて、ダダイスムを批判的に受け継ぐシュルレアリスムの運動が起こると、ブルトンを中心とするシュルレアリスト、すなわち、ルイ・アラゴン(および女性初のゴンクール賞受賞作家で妻のエルザ・トリオレ)、ポール・エリュアールバンジャマン・ペレフィリップ・スーポーロベール・デスノスらの活動拠点となった。キュビスムやシュルレアリスムの画家フェルナン・レジェパブロ・ピカソも参加した。ピカソが写真家ドラ・マールに出会ったのは、1936年1月、ドゥ・マゴでのことである[9]

文学カフェ[編集]

ドゥ・マゴは老舗の「文学カフェ」と呼ばれるが、きっかけとなったのは1933年に、ドゥ・マゴの常連によってドゥ・マゴ賞が創設されたことである。最初に提案したのはエコール・デ・ボザールの司書マルティーヌであった。権威主義的なゴンクール賞に対抗して、より斬新で独創的な作品を積極的に評価する必要があると考えたからである。元シュルレアリストの詩人・劇作家ロジェ・ヴィトラックフランス語版がこれに賛同し、審査員を募った。ヴィトラックと同様に、ブルトンによってシュルレアリスム運動から除名されたロベール・デスノス、ミシェル・レリスジャック・バロンフランス語版ジョルジュ・リブモン=デセーニュフランス語版が参加。さらに作家アンリ・フィリポン[11]、イサック・クリュンベール (Isaac Grünbert)、アルマン・メグレフランス語版アンドレ・ド・リショーフランス語版、および画家ガストン=ルイ・ルーフランス語版アンドレ・ドランアルフレッド・ジャニオフランス語版が加わった。審査員13人はいずれもレーモン・クノーの友人で彼の斬新な作品『はまむぎフランス語版』を選出し、それぞれ100フランずつ持ち寄って計1,300フランの賞金を進呈した[12][13][14][15]。以後も、ポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』をはじめとし、文学伝統にとらわれない独創的な作品が選出されている。

ドゥ・マゴのテラス(1965年、Nationaal Archief)

なお、これはこれ以後についても同様だが、ドゥ・マゴの常連は隣のカフェ・ド・フロールの常連でもあり、ドゥ・マゴ賞審査員の文学者らはカフェ・ド・フロールにも頻繁に出入りしていた。ジャン=ポール・サルトルは、『存在と無』(1943年出版)の大半をカフェ・ド・フロールで執筆したが[9]、ドゥ・マゴは、サルトルとボーヴォワールを中心とする実存主義哲学者らの拠点の一つであり、サルトルもボーヴォワールもそれぞれにいつも決まったテーブルを使っていた。ボーヴォワールが使っていた場所では、現在、毎週木曜の午後7時30分からジャズ・コンサートが行われている[8]

客層・雰囲気の変化[編集]

1960年代以降は、これもカフェ・ド・フロールと同様に、音楽界や映画界、モード界の著名人が出入りするようになった。ドゥ・マゴは1997年に、ドビュッシーの抒情劇『ペレアスとメリザンド』に因んで、音楽に関する著書に与えられるペレアス賞フランス語版を創設した。第1回受賞者はジャズ・ピアニストでもある作家ローラン・ド・ウィルドフランス語版の『モンク』(セロニアス・モンク)であった[16]。また、1941年に創設されたギヨーム・アポリネール賞フランス語版は、2016年からドゥ・マゴの主催で行われるようになり、2011年にベルナール=アンリ・レヴィによって創設されたサン=ジェルマン賞フランス語版は、ドゥ・マゴ、リップ、カフェ・ド・フロール、ソニア・リキエル(2008年にサンジェルマン大通りにブティックを開店)の協賛で行われている[17][18][19][20]

現在の経営者カトリーヌ・マティヴァは4代目にあたる。ISG高等経営学院を卒業した彼女は、ドゥ・マゴのほか、宿泊施設の経営などにも携わっている[21]

2013年、サンドリーヌ・ド・スーザ・コスがドゥ・マゴ初の女性ギャルソンとして採用された[22]

現在は観光客が来店客の約70%を占める[7]

1989年に、渋谷Bunkamuraに「ドゥ・マゴ」が開店した。建築デザインは、ルーヴル美術館の内装も手がけたフランス人建築家ジャン=ミシェル・ヴィルモットフランス語版によるものである[23]。また、翌1990年には「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」が創設された[24]

映画の舞台[編集]

ドゥ・マゴはまた、映画の舞台にもなった。ジェラール・ウーリー監督の1973年の映画『ラビ・ジャコブの冒険』(邦題『ニューヨーク←→パリ大冒険』)では、革命家スリマーヌがドゥ・マゴの裏手で秘密警察に連れ去られ、ジャン・ユスターシュ監督が同じ年に制作し、カンヌ国際映画祭審査員特別賞を受賞した映画『ママと娼婦フランス語版』では、ジャン=ピエール・レオが演じるアレクサンドルがドゥ・マゴの常連客である。また、エリック・トレダノフランス語版監督とオリヴィエ・ナカシュフランス語版監督が共同で制作した『最強のふたり』(2011年)では、ドリス役のオマール・シーとフィリップ役のフランソワ・クリュゼがドゥ・マゴで食事をする場面がある[25]。さらに、米国の映画監督J・J・エイブラムスは、2014年の『ヴァニティ・フェア』誌において、『スター・ウォーズ』の第7作『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の脚本を書くために、ドゥ・マゴからインスピレーションを得たいと思い、ローレンス・カスダンとともにここで8時間かけて執筆したと語っている[26]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 「レ・ドゥ・マゴ」または「ドゥマゴ」と表記されることもある。

出典[編集]

  1. ^ Les Deux Magots - Mentions légales” (フランス語). www.lesdeuxmagots.fr. 2020年1月14日閲覧。
  2. ^ DEUX MAGOTS - Société : 334365947” (フランス語). Societe.com. 2020年1月14日閲覧。
  3. ^ a b c Les Deux Magots” (フランス語). www.lesdeuxmagots.fr. Les Deux Magots. 2020年1月14日閲覧。
  4. ^ magot” (フランス語). www.larousse.fr. Éditions Larousse - Dictionnaire de français Larousse. 2020年1月14日閲覧。
  5. ^ MAGOT” (フランス語). www.cnrtl.fr. Centre national de ressources textuelles et lexicales. 2020年1月14日閲覧。
  6. ^ Les deux magots de la Chine - Spectacle - 1813” (フランス語). data.bnf.fr. Bibliothèque nationale de France. 2020年1月14日閲覧。
  7. ^ a b Les Deux Magots se réinventent !” (フランス語). www.onirik.net. Onirik (2018年3月29日). 2020年1月14日閲覧。
  8. ^ a b Sylvie Sénart (2018年3月18日). “Le café-littéraire Les Deux Magots propose une soirée jazz tous les jeudis” (フランス語). Monsieur Vintage - la référence Vintage. 2020年1月14日閲覧。
  9. ^ a b c Michel Braudeau (2006年7月22日). “Paris : Les Deux Magots” (フランス語). Le Monde. https://www.lemonde.fr/a-la-une/article/2006/07/22/paris-les-deux-magots_797756_3208.html 2020年1月14日閲覧。 
  10. ^ a b Anne Sollier, Sophie Béguerie et Isabelle Blondel (2018年3月15日). “Les 5 cafés littéraires historiques à Paris” (フランス語). Le Figaro.fr. 2020年1月14日閲覧。
  11. ^ Henri Philippon. A propos de quelques rêves célèbres. Extrait de « Visages du Monde – Le Rêve dans l‘Art et la Littérature », (Paris), n°63, 1939, pp. 68-69.” (フランス語). Histoire de la Folie. 2020年1月14日閲覧。
  12. ^ Anne Béric Le Goff (2009年1月3日). “Le Prix des Deux Magots” (フランス語). Paris-Bistro. 2020年1月14日閲覧。
  13. ^ Jean-Paul Caracalla (2017-05-04) (フランス語). Saint-Germain-des-Prés. Éditions de la Table Ronde. 
  14. ^ Le Prix des Deux Magots” (フランス語). Paris-Bistro (2009年1月3日). 2020年1月14日閲覧。
  15. ^ レーモン・クノー『はまむぎ』滝田文彦訳、白水社, 1976年; 久保昭博訳、水声社、2012年。
  16. ^ ローラン・ド・ウィルド『セロニアス・モンク ― 沈黙のピアニズム』水野雅司訳、音楽之友社、1997年。
  17. ^ Les Deux Magots - Prix Littéraire” (フランス語). www.lesdeuxmagots.fr. Les Deux Magots. 2020年1月14日閲覧。
  18. ^ Les Deux Magots ont fait peau neuve” (フランス語). LaQuotidienne.fr. Cebier Group inc. (2018年4月6日). 2020年1月14日閲覧。
  19. ^ Camille Cado (2019年4月17日). “Inédit : deux lauréats pour le Prix Pelléas - Radio Classique 2019” (フランス語). www.actualitte.com. ActuaLitté. 2020年1月14日閲覧。
  20. ^ Bernard-Henri Levy crée le prix Saint-Germain-des-Prés, pour le cinéma” (フランス語). LExpress.fr (2011年4月12日). 2020年1月14日閲覧。
  21. ^ Catherine MATHIVAT - Dirigeant de la société Deux Magots - BFMBusiness.com” (フランス語). dirigeants.bfmtv.com. BFM TV. 2020年1月14日閲覧。
  22. ^ Sandrine, garçon de café aux Deux Magots” (フランス語). leparisien.fr. Le Parisien (2013年3月8日). 2020年1月14日閲覧。
  23. ^ Les Deux Magots - International” (フランス語). www.lesdeuxmagots.fr. Les Deux Magots. 2020年1月15日閲覧。
  24. ^ Bunkamuraドゥマゴ文学賞” (日本語). Bunkamura. 2019年3月21日閲覧。
  25. ^ Les Deux Magots - Cinéma” (フランス語). www.lesdeuxmagots.fr. Les Deux Magots. 2020年1月14日閲覧。
  26. ^ Mathilde Cesbron (2015年6月24日). “J.J. Abrams a travaillé le scénario de "Star Wars 7" aux Deux Magots, à Paris” (フランス語). RTL.fr. 2020年1月14日閲覧。

参考資料[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]