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ドイツ・ブンデスリーガ1982-1983

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Fußball-Bundesliga
シーズン 1982-1983
優勝 ハンブルガーSV
(6回目)
試合数 306
ゴール数 1036 (1試合平均3.39)
得点王 西ドイツの旗 ルディ・フェラー
(23点)
合計観客動員 6,481,847
平均観客動員 21,183

フースバル・ブンデスリーガ 1982-1983ドイツサッカー協会 (DFB) によって開催された男子全国最上位リーグの第20シーズン目である。ハンブルガーSVが連覇し、6回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3][4]

概要

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今季優勝争いはドイツ北部の2大名門クラブ、ハンブルガーSVとヴェルダー・ブレーメンツヴァイカンプフとなった。昨季王者HSVが得失点差でこれを制し、連覇した[5]。敗れて2位となったブレーメンだが、まだ昇格2シーズン目での準優勝であり、1967-1968シーズン以来となる好成績だった。

開幕戦でヴェルダー・ブレーメンは、少し珍しいゴールを決めた。相手はFCバイエルン・ミュンヘンで、ブレーメンが1-0で勝ったのだが、決勝点は自軍スローインが誘発したオウンゴールであり、バイエルンGKジャン=マリー・プファフが、ウーヴェ・ラインダースドイツ語版のスローインを処理し損ねたのであった。プファフは目の前にはずんできたボールに手を伸ばして触れたが、弾けずにそのままゴールネットに吸い込まれた。他の選手は触れていない。スローインが直接入っても得点にならないので、このワンタッチが決め手であった。結果論だが、タッチを避けていれば得点にはならなかったはずである。

ローカルライバルとの優勝争いを制し連覇も達成したHSVは、さらにアテネで開催されたUEFAチャンピオンズカップ 1982-83決勝で、フェリックス・マガトの決勝点により1-0でユヴェントゥスFCを下し、初優勝を飾った。

ケルン開催のDFBポカール1982-1983ドイツ語版決勝では、1.FCケルンSCフォルトゥナ・ケルンのシュタットダービーが実現。ピエール・リトバルスキーが決勝点を決め、1FCKが1-0で試合を制し優勝した。1.FCケルンのUEFAカップウィナーズカップ出場が決まり、彼らが内定していたリーグ5位でのUEFAカップ出場権は、6位の1.FCカイザースラウテルンに譲渡され、リーグ2位ブレーメン、3位VfBシュトゥットガルト、4位バイエルンも出場を決めた。

20世紀最長の公式戦連続無敗

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第17節以降、ハンブルガーSVはブンデスリーガ・DFBポカール・UEFAチャンピオンズカップの3大会で、新記録の24試合連続無敗を記録した。20世紀中には破られなかったが、約41年後の2023-2024シーズンレヴァークーゼンが更新した[6]

順位表[4]

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首位
最下位


チーム 出場権または降格
1 ハンブルガーSV (C) 34 20 12 2 79 33 +46 52 UCC出場
2 ヴェルダー・ブレーメン 34 23 6 5 76 38 +38 52 UC出場[注 1]
3 VfBシュトゥットガルト 34 20 8 6 80 47 +33 48
4 FCバイエルン・ミュンヘン 34 17 10 7 74 33 +41 44
5 1.FCケルン 34 17 9 8 69 42 +27 43 CWC出場
6 1.FCカイザースラウテルン 34 14 13 7 57 44 +13 41 UC出場[注 1]
7 ボルシア・ドルトムント 34 16 7 11 78 62 +16 39
8 アルミニア・ビーレフェルト 34 12 7 15 46 71 −25 31
9 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 34 11 8 15 63 75 −12 30
10 アイントラハト・フランクフルト 34 12 5 17 48 57 −9 29
11 バイヤー04レヴァークーゼン 34 10 9 15 43 66 −23 29
12 ボルシア・メンヒェングラートバッハ 34 12 4 18 64 63 +1 28
13 VfLボーフム 34 8 12 14 43 49 −6 28
14 1.FCニュルンベルク 34 11 6 17 44 70 −26 28
15 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 34 8 11 15 42 65 −23 27
16 FCシャルケ04 (R) 34 8 6 20 48 68 −20 22 昇降格プレーオフ
17 カールスルーアーSC (R) 34 7 7 20 39 86 −47 21 2.フースバル・ブンデスリーガ1983–1984ドイツ語版に降格
18 ヘルタBSC (R) 34 5 10 19 43 67 −24 20
出典: www.dfb.de
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 得失点差; 3) 総得点.
(C) 優勝; (R) 降格.
注釈:
  1. ^ a b ケルンがDFBポカール1982-1983ドイツ語版優勝によりUEFAカップウィナーズカップ 1983-84出場を決めたので、彼らのUEFAカップ1983-84出場権はリーグ6位のカイザースラウテルンに譲渡された。

昇降格プレーオフ

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チーム #1 スコア チーム #2
FCバイヤー05ユルディンゲン 3:1 FCシャルケ04
FCシャルケ04 1:1 FCバイヤー05ユルディンゲン
FCバイヤー05ユルディンゲン 4:2 FCシャルケ04

得点ランキング[7]

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ルディ・フェラーは史上初めて、ブンデスリーガ2部得点王の翌年に1部得点王となった。

順位 選手 クラブ 得点数
1. 西ドイツの旗 ルディ・フェラー SVヴェルダー・ブレーメン 23
2. 西ドイツの旗 カール・アルゲーヴァードイツ語版 VfBシュトゥットガルト 21
アイスランドの旗 アートリ・エドヴァルトソンドイツ語版 フォルトゥナ・デュッセルドルフ
4. 西ドイツの旗 カール=ハインツ・ルンメニゲ FCバイエルン・ミュンヘン 20
5. 西ドイツの旗 ホースト・ルーベシュ ハンブルガーSV 18


ハンブルガーSVのマイスターマンシャフト[8]

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1. ハンブルガーSV
HSV


主審[9]

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名前 生年月日 所属協会 担当試合数 備考
ヴォルフ=ディーター・アーレンフェルダー 1944-02-11 ニーダーライン 9 9 1
カール=ヨーゼフ・アッセンマッハー 1947-05-30 ミッテルライン 8 9 0
ハンス=ハインリヒ・バーニック 1943-02-06 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 8 13 1
ジークフリート・ブレーム 1947-02-03 バイエルン 9 15 0
ノアベアト・ブリュックナー 1947-01-08 ヘッセン 8 22 3
クラウス・クラユス 1940-07-03 バーデン 7 23 1
ハンス=ペーター・デルヴィン 1950-03-15 ラインラント 8 17 1 ブンデスリーガ担当初年度
ヴァルター・エンゲル (審判員) 1939-05-15 ザールラント 9 10 1
アードルフ・エアマー 1939-06-17 バイエルン 9 17 0
ヴァルター・エシュヴァイラー 1935-09-20 ミッテルライン 9 19 0
ヴェアナー・フェックラー 1945-06-24 ズュートヴェスト 10 26 0
ペータ-・ガボーア 1940-04-19 ベルリン 8 12 0
アルフレート・ハイニス 1941-04-23 スイスサッカー協会 1 1 0 交換審判員
ヴィルフリート・ハイトマン 1943-10-04 ニーダーザクセン 9 22 1
フランツ=ヨーゼフ・ホンタイム 1938-08-13 ラインラント 9 20 0
ウド・ホーアアイス 1944-08-27 ハンブルク 8 24 0
フォルカー・フスター 1941-08-28 ラインラント 8 19 0
マックス・クラウザー 1937-07-04 バイエルン 8 13 0
ヴェルナー・リービ 1938-09-02 スイスサッカー協会 1 1 0 交換審判員
アルトゥーロ・マルティーノ 1945-10-18 スイスサッカー協会 1 1 0 交換審判員
ユアゲン・メスマー 1940-05-26 バーデン 8 13 0
ディーター・ミヒェル 1941-06-14 バイエルン 1 0 0
マンフレート・ノイナー 1945-11-20 バーデン 8 18 0 ブンデスリーガ担当初年度
ディーター・ニーバーガル 1950-07-22 ズュートヴェスト 9 17 0
ハンス=ヨアヒム・オスマース 1948-04-07 ブレーメン 8 21 1 ブンデスリーガ担当初年度
ディーター・パウリー 1942-02-14 ニーダーライン 9 13 0
ヤン・レデルフス 1935-08-20 ニーダーザクセン 10 16 0
フリードリヒ・レッツマン 1945-08-10 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 8 6 0
ギュンター・リッセ 1936-09-18 ヴェストファーレン 7 17 0
フォルカー・ロート 1942-02-01 ニーダーザクセン 9 12 0
クート・レートリスベアガー 1951-05-21 スイスサッカー協会 1 1 0 交換審判員
アーロン・シュミットフーバー 1947-02-28 バイエルン 10 21 0
ディーター・シュテークリヒ 1941-02-08 ミッテルライン 8 20 0
ゲアハート・テオバルト 1949-12-27 ザールラント 9 15 0 ブンデスリーガ担当初年度
カール=ハインツ・トリッチュラー 1949-09-16 ズュートバーデン 9 21 0
マンフレート・ウーリヒ (審判員) 1940-03-20 ヴェストファーレン 8 21 1
ヴォルフ=リューディガー・ウンバッハ 1945-08-07 ニーダーザクセン 8 13 0
ハンス・ヴァーマン 1939-06-27 ヴェストファーレン 5 10 0
ローバート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 3 4 0
ヴィンフリート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 12 27 0
ヴォルフ=ギュンター・ヴィーゼル 1947-11-16 ニーダーザクセン 1 1 0 ブンデスリーガ担当初年度
ヤーコプ・ヴィップカー 1939-06-05 ミッテルライン 8 14 0 ブンデスリーガ担当初年度
総計: 306 594 11
出典: weltfussball.de[10]

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Karel Stokkermans and Andreas Werner (2024年10月11日). “(West) Germany - List of Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ Germany 1982/83” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Bundesliga Titelträger” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ a b Bundesliga Tabelle” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 350頁
  6. ^ Leverkusen bricht 41 Jahre alten Startrekord, Bayern halten Schritt”. デア・シュピーゲル (電子版) (2023年12月21日). 2024年4月14日閲覧。
  7. ^ Bundesliga Torjäger 1982/83” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  8. ^ Bundesliga Einsätze” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  9. ^ Bundesliga Schiedsrichter 1982/83” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  10. ^ Schiedsrichter”. weltfussball.de. 2018年5月23日閲覧。

参考文献

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  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

外部リンク

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