コンテンツにスキップ

ドイツ・ブンデスリーガ1977-1978

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Fußball-Bundesliga
シーズン 1977-1978
優勝 1.FCケルン
(3回目)
試合数 306
ゴール数 1014 (1試合平均3.31)
得点王 西ドイツの旗 ディーター・ミュラー
西ドイツの旗 ゲアト・ミュラー
(24点)
合計観客動員 8,444,530
平均観客動員 27,597

フースバル・ブンデスリーガ 1977-1978ドイツサッカー協会 (DFB) によって開催された男子全国最上位リーグの第15シーズン目である。1.FCケルンが優勝し、3回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3][4]

概要

[編集]

優勝争い

[編集]

1970-1971シーズン以来、7年ぶりにトップ2の勝ち点が並んだ状態で最終節を迎えた。ヘネス・ヴァイスヴァイラー監督の1.FCケルンと、3連覇中の王者ボルシア・メンヒェングラートバッハの争いである。最終節終了後も勝ち点はタイのままであり、史上初めて得失点差がタイトルの行方を左右した。グラートバッハは最終節に勝ったとしても、試合前の時点でケルンに対し得失点差10ポイントのビハインドを抱えていたため、逆転優勝は容易ではなかった。これを逆転するためには、リーグ史上最大差記録 (11点差) を上回る勝利が必要と思われた。そしてグラートバッハは最終節、12-0でボルシア・ドルトムントを下した[5] (得失点差+42)。

だが、3点足りなかった。同時刻、ケルンは降格の決まっているFCザンクト・パウリをホームに迎え、5-0で大勝 (得失点差+45)。ブンデスリーガ初年度以来となる優勝を決めた。グラートバッハに12点を献上したBVB監督オットー・レーハーゲルは、「トーアハーゲル」 (ゴールハーゲル、得点ハーゲル) などと呼ばれることもあるが、ブンデスリーガ史上ワースト記録の12点差敗戦を喫したが故である[6]

その他の争いと話題

[編集]

得点王はケルンのディーター・ミュラーFCバイエルン・ミュンヘンゲルト・ミュラー、ともに24ゴールを決めている。ディーターは7-2で勝った第3節のヴェルダー・ブレーメン戦で、一人で6ゴールを決めた。20世紀ブンデスリーガにおける、個人の1試合最多得点記録である。

マイスターシャーレ奪還後、さらにケルンはDFBポカールも制して2冠を達成。準優勝のフォルトゥナ・デュッセルドルフUEFAカップウィナーズカップ出場を決めた。UEFAカップ出場権はリーグ2位から5位 (グラートバッハ、ヘルタBSCVfBシュトゥットガルトMSVデュイスブルク)が獲得した。バイエルンはクラブワーストとなる12位でフィニッシュ。シュトゥットガルトは平均入場者数54000人を記録、これは1998-1999シーズンにBVBが更新するまで、最多記録であった。

6位のMSVデュースブルクは、計5人の監督が指揮を執った。これは2020-2021シーズンFCシャルケ04まで、同一シーズン中における最多監督交代記録だった。最初の一人オットー・クネフラードイツ語版は昨シーズンからの続投だが、開幕前に胃穿孔を発症した為に休養、アシスタントコーチのロルフ・シャフシュタルドイツ語版が急遽昇格した。しかし彼は開幕戦ハンブルガーSVに5-2で勝った後退団し、ヘルベルト・ブルデンスキドイツ語版が招聘された。

クネフラーは第11節に復帰したが、6試合指揮した後1977年末に再度健康状態が悪化し、また休養に入る。フリードヘルム・ヴェンツラドイツ語版が臨時代行を務め、第17節にカール=ハインツ・リュールドイツ語版に交代した[7]

順位表[4]

[編集]
首位
最下位


チーム 出場権または降格
1 1.FCケルン (C) 34 22 4 8 86 41 +45 48 UCC出場
2 ボルシア・メンヒェングラートバッハ 34 20 8 6 86 44 +42 48 UC出場[注 1]
3 ヘルタBSC 34 15 10 9 59 48 +11 40
4 VfBシュトゥットガルト 34 17 5 12 58 40 +18 39
5 フォルトゥナ・デュッセルドルフ 34 15 9 10 49 36 +13 39 CWC出場[注 1]
6 MSVデュイスブルク 34 15 7 12 62 59 +3 37 UC出場[注 1]
7 アイントラハト・フランクフルト 34 16 4 14 59 52 +7 36
8 1.FCカイザースラウテルン 34 16 4 14 64 63 +1 36
9 FCシャルケ04 34 14 6 14 47 52 −5 34
10 ハンブルガーSV 34 14 6 14 61 67 −6 34
11 ボルシア・ドルトムント 34 14 5 15 57 71 −14 33
12 FCバイエルン・ミュンヘン 34 11 10 13 62 64 −2 32
13 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 34 14 4 16 43 53 −10 32
14 VfLボーフム 34 11 9 14 49 51 −2 31
15 ヴェルダー・ブレーメン 34 13 5 16 48 57 −9 31
16 TSV1860ミュンヘン (R) 34 7 8 19 41 60 −19 22 2.フースバル・ブンデスリーガ1978–1979ドイツ語版に降格
17 1.FCザールブリュッケン (R) 34 6 10 18 39 70 −31 22
18 FCザンクト・パオリ (R) 34 6 6 22 44 86 −42 18
出典: www.dfb.de
順位の決定基準: 1) 勝ち点; 2) 得失点差; 3) 総得点.
(C) 優勝; (R) 降格.
注釈:
  1. ^ a b c ケルンはDFBポカール1977–1978ドイツ語版でも優勝したため、そのUEFAカップウィナーズカップ 1978-79出場権はポカール準優勝のフォルトゥナ・デュッセルドルフに譲渡され、さらにデュッセルドルフに内定していたUEFAカップ1978-79出場権がMSVデュースブルクに譲渡された。

得点ランキング[8]

[編集]
順位 選手 クラブ 得点数
1. 西ドイツの旗 ディーター・ミューラー 1.FCケルン 24
西ドイツの旗 ゲアト・ミュラー FCバイエルン・ミュンヒェン
3. 西ドイツの旗 クラウス・トップメラー 1.FCカイザースラウテルン 21
4. 西ドイツの旗 マンフレート・ブアクスミュラー ボルシア・ドルトムント 20
西ドイツの旗 クラウス・フィッシャー FCシャルケ04

1. FCケルンのマイスターマンシャフト[9]

[編集]
1. 1. FCケルン
1. FC Köln

シーズン途中の移籍: ユアゲン・グロヴァチュ (→SVヴェルダー・ブレーメン)

主審[10]

[編集]
名前 生年月日 所属協会 担当試合数 備考
ヴォルフ=ディーター・アーレンフェルダー 1944-02-11 ニーダーライン 7 12 0
ハインツ・アルディンガー 1933-01-07 ヴュルテンベルク 10 11 1 FIFA国際審判員
フェアディナント・ビヴェアジ 1934-06-24 ザールラント 10 6 1 ブンデスリーガ担当最終シーズン
1978年限りでFIFA国際審判員引退
ヴェアナー・ブアガース 1934-05-15 ニーダーライン 8 15 1
マンフレート・デールフェル 1941-09-28 バイエルン 8 21 1
ディーター・ドレーア 1933-03-17 ヘッセン 7 15 1
ペーター・ドレシャー (審判員) 1940-11-02 バイエルン 7 15 0
ヴァルター・エンゲル (審判員) 1939-05-15 ザールラント 9 12 0
ヴァルター・エシュヴァイラー 1935-09-20 ミッテルライン 9 18 0 FIFA国際審判員
ルドルフ・フリッケル 1932-07-16 バイエルン 10 9 0 FIFA国際審判員
ペータ-・ガボーア 1940-04-19 ベルリン 8 19 0
イェアク・グラスネック 1946-03-23 ブレーメン 7 24 0
ゲアト・ヘニヒ 1935-04-24 ニーダーライン 9 18 1
フランツ=ヨーゼフ・ホンタイム 1938-08-13 ラインラント 8 19 0
ヴァルター・ホアストマン 1935-08-28 ニーダーザクセン 10 13 0 1978年からFIFA国際審判員
エッカート・イェンゼン 1938-05-11 シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 9 17 0
ホアスト・ヨース 1934-07-27 ヴュルテンベルク 9 11 0
パウル・キンダーファーター 1940-01-24 ミッテルライン 9 6 0 FIFA国際審判員
マックス・クラウザー 1937-07-04 バイエルン 9 11 1
ギュンター・リン 1935-03-16 ラインラント 10 17 0
メダードゥス・ルカ 1935-03-12 ザールラント 8 16 0
ユアゲン・メスマー 1940-05-26 バーデン 8 7 0
ゲアト・モイザー 1936-06-26 ズュートヴェスト 8 7 1
ヴァルター・ニーマン (審判員) 1933-01-01 ハンブルク 8 19 0
クラウス・オームゼン 1935-10-16 ハンブルク 10 19 0
ハインツ・クヴィンドー 1933-08-28 ズュートヴェスト 8 16 0
ヤン・レデルフス 1935-08-20 ニーダーザクセン 10 12 0 FIFA国際審判員
ギュンター・リッセ 1936-09-18 ヴェストファーレン 8 13 1
フォルカー・ロート 1942-02-01 ニーダーザクセン 10 18 0 1978年からFIFA国際審判員
エーバーハート・シュモーク 1937-04-12 ズュートバーデン 8 15 0
ディーター・シュテークリヒ 1941-02-08 ミッテルライン 7 11 0
ライナー・ヴァルタート 1940-06-09 ヴェストファーレン 8 16 1
ユアゲン・ヴァルター 1942-10-01 バイエルン 8 15 0
ヴィンフリート・ヴァルツ 1942-02-27 ヴュルテンベルク 8 18 0
マンフレート・ヴィヒマン 1937-10-02 ヴェストファーレン 8 20 0
ウド・ツハントケ 1936-12-28 ベルリン 8 11 1
総計: 306 522 11
出典: weltfussball.de[11]

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ Karel Stokkermans and Andreas Werner (2024年10月11日). “(West) Germany - List of Champions” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ Germany 1977/78” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Bundesliga Titelträger” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ a b Bundesliga Tabelle” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 275頁
  6. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 352頁
  7. ^ Fünf Trainer in einer Saison: Die Geschichte von Schalkes einzigem Vorgänger, kicker.de, 3. März 2021, abgerufen am 4. März 2021.
  8. ^ Bundesliga Torjäger 1977/78” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  9. ^ Bundesliga Einsätze” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  10. ^ Bundesliga Schiedsrichter 1977/78” (ドイツ語). kicker.de. 2025年2月5日閲覧。
  11. ^ Schiedsrichter”. weltfussball.de. 2015年11月5日閲覧。

参考文献

[編集]
  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 

外部リンク

[編集]