ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928
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シーズン | 1927-1928 |
---|---|
優勝 |
ハンブルガーSV (2回目) |
試合数 | 15 |
ゴール数 | 75 (1試合平均5) |
得点王 |
![]() ![]() (7点) |
ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1927-1928 はドイツサッカー協会によって開催された第21回目のクラブチーム全国大会である。ハンブルガーSVが優勝し、2回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]。
概要
[編集]今大会は、通常ならオフシーズンである7月8日から7月29日に行われた。これはドイツ代表が1928年アムステルダムオリンピックのサッカー競技に出場したためである。
ドイチャーマイスターはハンブルガーSV、5年ぶり2回目の優勝であった。ここのところ続いていた南部勢の支配、とりわけニュルンベルク・フュルトのタイトル独占時代は、終わりを迎えようとしていた。1913年以来はじめて、同地域のクラブがDMに進めなかった。
優勝回数最多の1.FCニュルンベルクも二位タイのSpVggフュルトも、ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928で敗退した。ニュルンベルクは1次リーグのベツィルクスリーガ・バイエルン北部を勝ち抜けず、第三出場権を争うプレーオフに回ったが、南東グループ2位に終わり決定戦にすら進出できず。フュルトはBLバイエルン北部1位で決勝リーグに進出したが、三位に終わった。
そして、決勝リーグ1位・南部王者となったFCバイエルン・ミュンヘン、同2位アイントラハト・フランクフルト、プレーオフで第三出場権を獲得したFCヴァッカー・ミュンヘンが南部代表となった。ミュンヘンから複数のクラブが全国大会に出るのは初めての事で、両者とも準決勝まで勝ち進んでいる。とりわけ、これで二回目の南部制覇となったバイエルンは、その栄光に満ちたクラブ史の中で、最初の大きな飛躍の時を迎えつつあった。バイエルンを本大会優勝候補に挙げる人も多かったのだが、準決勝でハンブルガーSVに2-8で大敗し、初の決勝進出はお預けとなった。
労働者体操・スポーツ協会ではベルリンのSCアドラー・パンコフが優勝し、ドレスデナーSVの連覇を7で止めた。ドイツ体操団体では、DFBのドイチェ・マイスターシャフトと同じく北部のクラブが優勝した。初優勝したハーブルガーTB1865だが、準々決勝でのTVフュルト1860戦での敗北が裁定により覆る、という幸運に助けられた。ドイツ青年活力は全国大会を開催しなかった。
クラブ | 出場資格 |
VfBケーニヒスベルク | バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
プロイセン・シュテッティン | バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928準優勝 |
ブレスラウアーSC08 | ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
フェアアイニヒテ・ブレスラウアーSpfr. | ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928準優勝 |
ヘルタBSC | ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
テニス・ボルシア・ベルリン | ベルリナー・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
ハレシャーFCヴァッカー | ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
ドレスナーSC | ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928準優勝 |
ハンブルガーSV | ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
ホルシュタイン・キール | ノルトドイチェ第二代表決定プレーオフ勝者 |
SpVggシュルツ07 | ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
クレフェルダーFCプロイセン1895 | ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928準優勝 |
FCシャルケ04 | ヴェストドイチェ第三代表決定プレーオフ勝者 |
FCバイエルン・ミュンヘン | ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928優勝 |
アイントラハト・フランクフルト | ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1927-1928準優勝 |
FCヴァッカー・ミュンヘン | ズュートドイチェ第三代表決定プレーオフ勝者 |
ラウンドオブ16
[編集]開催日:1928年7月8日[4]
会場:シュポルトプラッツ・ホーエルフト (ハンブルク)、シュターディオン・アム・ツォー (ハレ・アン・デア・ザーレ)、ミュンガースドルファー・シュタディオン (ケルン)、アフス=シュターディオン (ベルリン)、シュヴェルゲルンシュターディオン (ハムボルン)、ハインリヒ=ツィッシュ=シュタディオン (ミュンヘン)、シュポルトプラッツ・クラインブルク (ブレスラウ)、ハンス=ペルツァー=カンプフバーン (シュテティーン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ハンブルガーSV | 4–2 | FCシャルケ04 |
ヘルタBSC | 7–0 | フェアアイニヒテ・ブレスラオアーSpfr. |
プロイセン・シュテッティン | 1–4 | ホルシュタイン・キール |
SpVggシュルツ07 | 3–1 | アイントラハト・フランクフルト |
クレフェルダーFCプロイセン1895 | 1–3 | テニス・ボルシア・ベルリン |
ブレスラウアーSC08 | 2–3 | VfBケーニヒスベルク |
ハレシャーFCヴァッカー | 0–3 | FCバイエルン・ミュンヘン |
FCヴァッカー・ミュンヘン | 1–0 | ドレスナーSC |
準々決勝
[編集]開催日:1928年7月12日[4]
会場:ハインリヒ=ツィッシュ=シュターディオン (ミュンヘン)、VfBプラッツ・マラウネンホーフ (ケーニヒスベルク)、ホルシュタイン=シュターディオン (キール)、シュターディオン・アム・ゲズントブルネン (ベルリン)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
FCバイエルン・ミュンヘン | 5–2 | SpVggシュルツ07 |
VfBケーニヒスベルク | 0–4 | ハンブルガーSV |
ホルシュタイン・キール | 0–4 | ヘルタBSC |
テニス・ボルシア・ベルリン | 1–4 | FCヴァッカー・ミュンヘン |
準決勝
[編集]開催日:1928年7月22日[4]
会場:ヴェダオシュターディオン (デュイスブルク)、プロープスタイダー・シュターディオン (ライプツィヒ)
チーム #1 | スコア | チーム #2 |
---|---|---|
ハンブルガーSV | 8–2 | FCバイエルン・ミュンヘン |
ヘルタBSC | 2–1 | FCヴァッカー・ミュンヘン |
決勝
[編集]
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選手 | クラブ | 試合数 | 得点数 | |
---|---|---|---|---|
1. | ![]() |
ハンブルガーSV | 3 | 7 |
2. | ![]() |
ヘルタBSC | 4 | 7 |
3. | ![]() |
FCバイエルン・ミュンヘン | 3 | 5 |
4. | ![]() |
ハンブルガーSV | 4 | 5 |
![]() |
ハンブルガーSV | 4 | 5 |
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Dinant Abbink (2023年4月27日). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b “Germany 1927/28” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1927/1928 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
- ^ a b c d “Deutsche Meisterschaft 1927/1928 » Spielplan” [German championship 1927–28] (ドイツ語). Weltfussball.de. 2016年1月7日閲覧。
- ^ “Deutsche Meisterschaft 1927/1928 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
参考文献
[編集]- ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7