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ドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Deutsche Fußballmeisterschaft
シーズン 1911-1912
優勝 ホルシュタイン・キール
(1回目)
試合数 7
ゴール数 32 (1試合平均4.57)
得点王 フリッツ・フェアデラードイツ語版
(6点)

ドイチェ・フースバルマイスターシャフト 1911-1912ドイツサッカー協会によって開催された第10回目のクラブチーム全国大会である。ホルシュタイン・キールが初優勝し、1回目のドイチャー・フースバルマイスターの座に就いた[1][2][3]

概要

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大会史上初めて、かつて決勝で顔を合わせたことのある2クラブが再び頂点を争った。今回は二年前とは逆の結果となり、ホルシュタイン・キールがカールスルーアーFVに雪辱を果たし、北ドイツサッカー協会に初のドイツ王座をもたらした。

出場クラブ[2]

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決勝大会エントルンデには、各地域協会王者7クラブと前回ドイツ王者、計8クラブが出場した。また1911年4月29日、DFBの圧力により、ベルリンブランデンブルク地域の主導権争いを続けていた三団体、ベルリン球技クラブ協会・マルクサッカー協会・ベルリン陸上競技クラブ協会が合併し、新たにブランデンブルク球技クラブ協会ドイツ語版 (Verband Brandenburgischer Ballspielvereine, 略称VBB) が発足。これにより、過去20年以上続いた紛争に終止符が打たれ、同地域のサッカー統括権・全国出場枠は一本化された。前回王者枠の復活はこれと関係している。ただし今回はベルリナー・ヴィクトリアが前回王者枠を手にしているので、初代VBB王者のBFCプロイセンと合わせ、ベルリンからは2クラブが本大会に出場した。

クラブ 出場資格
BuEVダンツィヒドイツ語版 バルティッシェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝
ATVリークニッツドイツ語版 ズュートオストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝
ベルリナーFCプロイセンドイツ語版 VBBベルリナー・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝
ベルリナーTuFCヴィクトリア89ドイツ語版 前回王者
SpVgg1899ライプツィヒ=リンデナウドイツ語版 ミッテルドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝
ホルシュタイン・キール ノルトドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝
ケルナーBC01 ヴェストドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝
カールスルーアーFVドイツ語版 ズュートドイチェ・フースバルマイスターシャフト1911-1912優勝

準々決勝

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開催日: 1912年5月5日・12日[4]
会場:Heinrich-Ehlers-Platz (ダンツィヒ)、Güntzwiesen (ドレスデン)、シュポルトプラッツ・ホーエルフト (ハンブルク)、Kampfbahn Am Alten Wasserturm (メンヒェングラートバッハ)

チーム #1 スコア チーム #2
FVホルシュタイン・キール 2–1 ベルリナーFCプロイセン
カールスルーアーFV 8–1 ケルナーBC01
SpVggライプツィヒ=リンデナウ 3–2 ATVリークニッツ
ベルリナーTuFCヴィクトリア89 7–0 BuEVダンツィヒ

北東部王者BuEVダンツィヒと対戦したドイツ王者ベルリナー・ヴィクトリアは、エーリヒ・アーントのハットトリックにより前半を3-0で折り返した。後半はパウル・クーグラーとシャイペの得点、ヴィリ・ヴォアピツキーの2ゴールで加点し、7-0で圧勝した。因みに、ダンツィヒの右サイドの選手パウル・レンハルトは、1910年大会決勝にホルシュタイン・キールの選手として出場していた。

中部王者ライプツィヒ=リンデナウは南東部王者リーグニッツと対戦し、3-2で勝利した。前半はエルンスト・ダーテの得点でライプツィヒの1-0リードで終了、後半に入り47分にフェアヴェルトの同点ゴールで1-1となった。ライプツィヒは53分フェルディナント・ミュッケンハイムが決め再度勝ち越し、さらに69分オットー・ホフマンのPKで突き放すと、リーグニッツの反撃を84分の得点者不明ゴールのみに抑え、逃げ切った。

北部王者ホルシュタイン・キールは、2-1でブランデンブルク王者BFCプロイセンに逆転勝ちした。BFCプロイセンはロベルト・クリューガーが前半30分に先制点、キールは試合終盤の84分にヴィリ・フィック、次いで87分ダーヴィト・ビンダーが立て続けに決めた。

西部王者ケルナーBC1901と南部王者カールスルーアーFVによる準々決勝最後の試合では、8-1の大差で下馬評通りにKFVが圧勝した。得点者は、KFVがフリッツ・フェルデラー二点、ゴットフリート・フクス二点、フリッツ・チェルターとマックス・ブロイニヒとユリウス・ヒルシュが一点ずつ。ケルナー唯一の得点は、スコアを1-4とした69分のオウンゴール (KFVのヘルマン・ボッシュ)であった。

準決勝

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開催日: 1912年5月19日[4]
会場:ウニオン=プラッツ (ベルリン=マリエンドルフ)、FFV-Platz Roseggerstraße (フランクフルト・アム・マイン)

チーム #1 スコア チーム #2
ホルシュタイン・キール 2–1 aet ベルリナーTuFCヴィクトリア89
カールスルーアーFV 3–1

ホルシュタイン・キールにとって、ヴィリ・ヴォアピツキーをはじめとする昨季ドイツ王者ベルリナー・ヴィクトリアの攻撃陣は脅威だったが、しかしふたを開けてみるとキールの攻撃力も相手を十分に押し込み、0-0のまま90分が終了した。106分にキールのダーヴィト・ビンダーが均衡を破り、その一分後ヴィクトリアも相手GKアドルフ・ヴェルナーのオウンゴールですぐ追いつく。最後は延長後半129分にビンダーがこの日自身二点目を決め、2-1で王者を下したキールが、二度目の決勝進出を果たした。

カールスルーアーFVは、3-1でライプツィヒ=リンデナウを破った。KFVはドイツ代表FWゴットフリート・フクスが負傷欠場したものの、前半のうちにフリッツ・フェルデラーの2ゴールで2-0とリード。後半ライプツィヒのオットー・ホフマンにPKを決められ一点差となるも、70分にフェルデラーがハットトリックを達成し3-1と突き放した。

決勝

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FVホルシュタイン・キール1 - 0[5]カールスルーアーFV
エアンスト・メラー 52分にゴール 52分 (pen.) レポート
シュターディオン・ホーエルフト, ハンブルク
観客数: 9,000
主審: パウル・シュレーダー
ミュンヘン=グラートバッハ
FVホルシュタイン・キール
  ドイツの旗 アドルフ・ヴェアナードイツ語版
  ドイツの旗 ハンス・レーゼドイツ語版
  ドイツの旗 ハインリヒ・ホーマイスタードイツ語版
  ドイツの旗 ヴィリ・ツィンケドイツ語版
  ドイツの旗 ゲオーク・クローグマンドイツ語版
  ドイツの旗 ハンス・デーニンドイツ語版
  ドイツの旗 エアンスト・メラードイツ語版
  ドイツの旗 ヴィリ・フィックドイツ語版
  ドイツの旗 フーゴー・フィックドイツ語版
  ドイツの旗 ヘルムート・ボークドイツ語版
  ドイツの旗 ダーヴィト・ビンダードイツ語版
監督
カールスルーアーFV
  ドイツの旗 フランツ・ブアガードイツ語版
  ドイツの旗 マックス・ブロイニヒドイツ語版
  ドイツの旗 クアト・ヒューバードイツ語版
  ドイツの旗 エアンスト・ホルシュタインドイツ語版
  ドイツの旗 ユリウス・ヒルシュドイツ語版
  ドイツの旗 ヴィルヘルム・グロスドイツ語版
  ドイツの旗 ヘアマン・ボーシュドイツ語版
  ドイツの旗 フリッツ・チェアタードイツ語版
  ドイツの旗 ヘアマン・ケーヒェレドイツ語版
  ドイツの旗 ゴットフリート・フクスドイツ語版
  ドイツの旗 フリッツ・フェアデラードイツ語版
監督
イングランドの旗 ウィリアム・タウンリー英語版[6]

1910年度決勝戦の再現となった、ホルシュタイン・キールとカールスルーアーFVの頂上対決は、双方譲らぬタイトな展開から始まり、前半は0-0のまま終わった。52分、キールはヴィリ・フィックが敵陣エリア内で倒されPKを獲得、これをエルンスト・メラーが決めて先制した。先制後キールは巧みに1点リードを守り、対するKFVは高い評価を受けるCFゴットフリート・フクスの怪我が響いた。前半終了までギプス包帯で膝を固めてプレーしたフクスは、結局その痛みからほとんど力を発揮できず、チームも敗れた。また、KFVのイングランド人監督ウィリアム・タウンリーは、この試合限定でSpVggフュルトからレンタルした指導者であった。

FVホルシュタイン・キールのマイスターマンシャフト

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FVホルシュタイン・キール

得点ランキング[7]

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ATVリーグニッツは1ゴールだけ得点者不明である。

選手 クラブ 出場数 得点数
1. ドイツの旗 フリッツ・フェアデラードイツ語版 カールスルーアーFV 3 6
2. ドイツの旗 エーリヒ・アントドイツ語版 ベルリナーTuFCヴィクトリア89 2 3
3. ドイツの旗 ダーヴィト・ビンダードイツ語版 FVホルシュタイン・キール 3 3
4. ドイツの旗 ゴットフリート・フクスドイツ語版 カールスルーアーFV 2 2
ドイツの旗 オットー・ホフマンドイツ語版 SpVgg1899ライプツィヒ 2 2
ドイツの旗 ヴィリ・ヴォアピツキードイツ語版 ベルリナーTuFCヴィクトリア89 2 2
7. ドイツの旗 ローバート・クリューガードイツ語版 ベルリナーFCプロイセン 1 1
ドイツの旗 Verwerd ATVリークニッツ 1 1
9. ドイツの旗 エアンスト・ダーテドイツ語版 SpVgg1899ライプツィヒ 2 1
ドイツの旗 パウル・クーグラードイツ語版 ベルリナーTuFCヴィクトリア89 2 1
ドイツの旗 フェアディナント・ミュッケンハイムドイツ語版 SpVgg1899ライプツィヒ 2 1
ドイツの旗 Schiepe ベルリナーTuFCヴィクトリア89 2 1
13. ドイツの旗 マックス・ブロイニヒドイツ語版 カールスルーアーFV 3 1
ドイツの旗 フーゴー・フィックドイツ語版 FVホルシュタイン・キール 3 1
ドイツの旗 ユリウス・ヒルシュドイツ語版 カールスルーアーFV 3 1
ドイツの旗 エアンスト・メラードイツ語版 FVホルシュタイン・キール 3 1
ドイツの旗 フリッツ・チェアタードイツ語版 カールスルーアーFV 3 1

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ Dinant Abbink (2023年4月27日). “Germany - Championships 1902-1945” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  2. ^ a b Germany 1911/12” (英語). RSSSF. 2025年2月5日閲覧。
  3. ^ Deutsche Meisterschaft 1911/1912 » Finale” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。
  4. ^ a b Deutsche Meisterschaft 1911/1912 » Spielplan” [German championship 1911–12] (German). Weltfussball.de. 2016年1月12日閲覧。
  5. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 478頁
  6. ^ リヒテンベルガー/秋吉 2005, 56頁
  7. ^ Deutsche Meisterschaft 1911/1912 » Torschützenliste” (ドイツ語). weltfussbal.de. 2025年2月5日閲覧。

参考文献

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  • ウルリッヒ・ヘッセ・リヒテンベルガー 秋吉香代子訳 (2005). ブンデスリーガ ドイツサッカーの軌跡. バジリコ株式会社. ISBN 4-901784-92-7 
  • Geschichte des deutschen Fußballsports. Band III der Schriftenreihe des Deutschen Fußball-Bundes. Carl Koppehel, Verlag Wilhelm Limpert, Frankfurt 1954, 4. erweiterte Auflage ohne Jahresangabe.
  • Deutsche Meisterschaft (1903-1923), IFFHS-Magazin Libero Nr. 36. International Federation of Football History & Statistics, Wiesbaden, II. Quartal 2002.
  • Das Goldene Buch des Deutschen Fußballs. Hardy Grüne, Dietrich Schulze-Marmeling, Verlag Die Werkstatt, Göttingen 2015.
  • Karlsruher Fußballverein e. V. (Hrsg., 2016), Ein Stück deutscher Fußballgeschichte – 125 Jahre Karlsruher Fußballverein, Karlsruhe, 2016.