トーマス・トラクスタン

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トーマス・トラクスタン
Thomas Truxtun
Thomas Truxtun.jpg
トラクスタン代将
生誕 1755年2月17日
ニューヨーク州ヘムステッド
死没 1822年5月5日
所属組織 アメリカ海軍
最終階級 代将
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トーマス・トラクスタン(もしくはトラクストン)(Thomas Truxtun or Truxton, 1755年2月17日 - 1822年5月5日) は、アメリカ合衆国軍人海軍士官。最終階級は代将

トラクスタンはロングアイランドヘムステッドの近くに生まれる。12歳でイギリスの商船ピット (Pitt) に乗り組むまで、正式な教育はほとんど受けたことがなかった。しかしながら20歳までに彼の才能は開花し、自らの船、アンドリュー・コールドウェル (Andrew Caldwell) を指揮するようになる。アメリカ独立戦争の間、彼は私掠船を指揮し、コングレス (Congress) 、インデペンデンス (Independence) 、マーズ (Mars) 、セント・ジェームズ (St. James) といった船の指揮を執った。この時期、彼は敵艦を数多く拿捕し、一度も苦杯をなめることはなかった。

戦後、彼は海運業に戻り、12年間働いた。1786年には中国との貿易を行った最初のアメリカ船を指揮した。その船カントン (Canton) はフィラデルフィアを拠点として活動した。

トラクスタンは1794年に合衆国海軍で大佐に任命され、フランスとの擬似戦争ではフリゲートコンステレーション (USS Constellation) の指揮を執った。以前彼はサイラス・タルボットと共にコンステレーションの建造工事を監督し、階級論争の後ワシントン大統領によって艦長に任命された。トラクスタンは代将に昇進し、大きく成功した。彼の勝利の内最も有名なものはフランス軍のフリゲート、L'Insurgente の捕獲であった。それはトラクスタンを当時の英雄に祭り上げた。

しかしながら、この期間にトラクスタンはリチャード・デイルと共に階級論争に関わった。トラクスタンは1800年の数ヶ月間、プレジデント (USS President) の指揮を執り、その後間もなく海軍を退役、ニュージャージー州パースアンボイに居を定め、後にフィラデルフィアへ移り住んだ。彼は第一次バーバリ戦争が始まると1801年に軍に戻るよう要請されたが、これを拒否し完全に引退した。

トラクスタンは1810年に合衆国下院議員に立候補したが落選し、1816年にフィラデルフィア郡の保安官に選出、4年の任期を務めた。彼はまた当時有名となった数冊の本を発行した。その内容は航法および海軍戦術についてのものであった。トラクスタンは死後クライスト・チャーチ墓地に埋葬された。

何隻かの海軍艦艇が彼に因んでトラクスタンと命名された。また、ニューヨーク州トラクスタンも彼に因んで命名された。ワシントンD.C.には以前、トラクスタンに因んで名付けられたトラクストン・サークルという名のロータリー交差点が存在したが、現在は撤去され近くに地名としてその名を残している。メリーランド州アナポリスのトラクストン・パークも彼に因んで命名された。

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