トーマス・セーレンセン

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トーマス・セーレンセン
名前
本名 トーマス・レヴェンダール・セーレンセン
Thomas Løvendahl Sørensen
ラテン文字 Thomas Sørensen
基本情報
国籍  デンマーク
生年月日 (1976-06-12) 1976年6月12日(47歳)
出身地 オーデンセ
身長 196cm
体重 88kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1993-1998 デンマークの旗 オーデンセ 0 (0)
1996-1997 デンマークの旗 ヴィエレ (Loan) 6 (0)
1997-1998 デンマークの旗 FCスヴェンボー (Loan) 45 (0)
1998-2003 イングランドの旗 サンダーランド 171 (0)
2003-2008 イングランドの旗 アストンヴィラ 139 (0)
2008-2015 イングランドの旗 ストーク 99 (0)
2015-2017 オーストラリアの旗 メルボルン 29 (0)
代表歴2
1993-1995 デンマークの旗 デンマーク U-19 3 (0)
1993-1997 デンマークの旗 デンマーク U-21 25 (0)
1999-2012[1] デンマークの旗 デンマーク 101 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年4月30日現在。
2. 2016年4月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

トーマス・セーレンセンThomas Løvendahl Sørensen, 1976年6月12日 - )は、デンマークオーデンセ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。元デンマーク代表

経歴[編集]

クラブ[編集]

デンマーク国内でプレーの後、1998年7月1日イングランドサンダーランドAFCへ加入。一見派手なスーパーセーブこそ少ないが、的確な判断とミスの少ない安定したプレーが特徴の堅実な選手で、素早く正確なスローによるフィードも特徴のひとつであった。長らく正GKとして活躍していたが、2003年にチームは2部降格の憂き目にあい、8月8日アストン・ヴィラFCへ移籍する。

アストン・ヴィラ移籍後は正GKとして活躍するも、2007-08シーズンリヴァプールFCからレンタル移籍のスコット・カーソンにポジションを奪われ、ほとんど試合に出ることができなかった。さらにスチュアート・テイラーに控えGKの座すら奪われたため、リザーブチームの試合に出場させられた。

ブラックバーンからブラッド・フリーデルが加入した事で、セーレンセンは余剰戦力とみなされ、シーズン終了後にアストン・ヴィラを自由契約となる。2008年7月30日に23季ぶりに1部へ昇格したストーク・シティFCへ移籍した。移籍後は正GKとして活躍していたが、2010-11シーズンアスミル・ベゴヴィッチの台頭によりベンチを温める試合が増えた。ベゴヴィッチとのポジション争いはしばらく続いていたが、出場機会は減少傾向である。

2015年8月31日メルボルン・シティFCへ移籍した。

代表[編集]

代表デビューは1999年11月イスラエル戦で、シュマイケルの控えながらもEURO2000のメンバーにも選出された。2002 FIFAワールドカップ予選からは本格的に正GKとして活躍している。

EURO2004では代表としてプレーし、特に対イタリア戦ではイタリア代表のGKジャンルイジ・ブッフォンを相手に一歩も引かない守備を見せた。

2010年南アフリカワールドカップでも同国代表の正GKとして出場したが、グループステージ最終節の日本戦では本田圭佑遠藤保仁にフリーキックで2得点を決められたあと、さらに岡崎慎司にも決められ合計3失点を喫した。

2012年2月29日ロシア戦 (0-2) で史上8人目となる代表通算100試合出場を達成した[2]

その後、EURO2012のメンバーにも選ばれたが5月26日ブラジルとの親善試合で背中を負傷し、離脱を余儀なくされた(セーレンセンの代役にはカスパー・シュマイケルが選出された)[3]

2012年8月7日、デンマーク代表からの引退を表明した[4]。結果的に前述の親善試合が代表でのラストゲームとなった。

脚注[編集]

外部リンク[編集]