トラピスチヌ修道院

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天使の聖母トラピスチヌ修道院
トラピスチヌ修道院.jpg
天使園トラピスチヌ修道院
情報
用途 修道院巡礼地
所在地 042-0914
北海道函館市上湯川町346
座標 北緯41度47分16.26秒 東経140度49分21.05秒 / 北緯41.7878500度 東経140.8225139度 / 41.7878500; 140.8225139
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トラピスチヌ修道院(トラピスチヌしゅうどういん)は、北海道函館市郊外にあるトラピスト会(厳律シトー会)系の女子修道院天使の聖母トラピスチヌ修道院」の通称であり、通称天使園とも呼ばれる。日本最初の観想女子修道院である。また男子禁制である。お土産物として売られている、マダレナ(ケーキ)やクッキーが有名。

修道規律の改革が起きたとき、フランスのノルマンディー地方にある「トラップ修道院」の厳しい規律に従うシトー修道会のグループを厳律シトー修道会、修道院の場所の名を取ってトラピスト(女子はトラピスチヌ)と呼ばれるようになった。

トラピスチヌ修道院は1898年明治31年)にフランスから派遣された8名の修道女によって創立された[1]。その後1925年大正14年)と1941年昭和16年)の2回、火災に遭い再建をしている[1]

三木露風がここを訪ねて「野薔薇」を書き、山田耕筰作曲の日本歌曲として親しまれている[2]

沿革[編集]

  • 1896年(明治29年) - 初代カトリック函館教区長の要請により、中国コンソラシオン修道院のベルナール・ファーブル院長が修道院建設を決意[1]
  • 1898年(明治31年) - フランス・ウプシー修道院から修道女8名が到着、4月30日に「天使の聖母トラピスチヌ修道院」を創立[1]
  • 1899年(明治32年) - 最初の日本人志願者2人が入会[1]
  • 1905年(明治38年) - 本館正面側の一部となるレンガ2階建ての建物を完成させた[3]
  • 1907年(明治40年) - 函館大火。このときに、いくつかの部屋をシャルトル聖パウロ会に提供し、その修道女たちが世話していた孤児たちの避難所となった[3][1]
  • 1912年(大正元年) - オランダ種クリーム・チーズの製造が始まる。後年、バターも製造されるようになる[3]
  • 1913年(大正2年) - 本館正面棟と聖堂が落成[1]
  • 1925年(大正14年) - 10月に火災が発生、本館正面棟と聖堂が焼失[1]。その後、2年足らずで再建[3]
  • 1927年(昭和2年) - 本館と聖堂を再建[1]
  • 1932年(昭和7年) - 修道院の共同体が100人を超える[1]
  • 1941年(昭和16年) - 5月に2度目の火災が発生[3][1]。牛舎、チーズ製造所、パン製造所等が焼失[1]
  • 1944年(昭和19年) - 米軍空襲に備え、鐘楼や本館屋根をコールタールで塗装[1]。約10年後に本来の白や緑色に戻る[1]
  • 1948年(昭和23年) - 創立50周年記念式典[1]
  • 1956年(昭和31年) - 焼き菓子「マダレナ」の製造販売を開始[1]
  • 1959年(昭和34年) - バター飴の製造販売を開始[1]
  • 1968年(昭和43年) - 就寝前と食事時の祈りをラテン語から日本語に変更[1]
  • 1982年(昭和57年) - 韓国への分院創立を決定[1]
  • 1987年(昭和62年) - 韓国分院「水晶の聖母修道院」創立[1]
  • 1998年(平成10年) - 創立100周年記念式典[1]
  • 2004年(平成16年) - 牛舎閉鎖、約90年間続いた酪農事業を終了[1]
  • 2013年(平成25年) - バターあめの製造を終了[1]
  • 2016年(平成28年) - 旧通用門に陶板レリーフが完成[1]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x 光のもとで 函館・トラピスチヌ修道院 祈り 暮らしとともに - 北海道新聞2017年5月19日朝刊14面
  2. ^ 実際にはハマナスである(『山田耕筰作品全集第5巻~独唱曲1 三木露風の詩による作品』春秋社)。
  3. ^ a b c d e 天使の聖母トラピスチヌ修道院 青菁社

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

座標: 北緯41度47分16.26秒 東経140度49分21.05秒 / 北緯41.7878500度 東経140.8225139度 / 41.7878500; 140.8225139