トマス・アーン

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トマス・アーン

トマス・オーガスティン・アーンThomas Augustine Arne,1710年3月12日1778年3月5日)はイギリス作曲家。イギリスの愛国歌「ルール・ブリタニア」の作曲者として最も著名で、この曲は現在でもしばしば歌われている(BBCプロムスの最終夜では毎年演奏される)。

生涯[編集]

アーンはロンドンコヴェント・ガーデンの室内装飾業で成功した家族に生まれた。イートン・カレッジで教育を受け、若くして音楽に興味を持つようになる。マイケル・フェスティング(en)との思いがけない出会いによって音楽にのめりこむようになった。父親のトマス・アーンはアーンを弁護士にさせたがっていたが、後に息子の音楽家としての才能を認めるようになった[1]

アーンの妹スーザナ・マリア・アーン(のちに1734年に結婚して、シバ夫人(Mrs. Cibber)と呼ばれるようになる)は有名なアルト歌手で、1733年にリンカーンズ・イン・フィールズ劇場で上演されたアーンのオペラ『ロザモンド』にも出演した。彼女はアーンに声楽の指導を受け、1732年にもう1人の兄弟リチャードとあわせて3人で共演してデビューを果たしている。

当時ロンドンで主に上演されていたイタリア・オペラに対抗して、1732年にイギリス・オペラが結成された。アーンはこのために『ロザモンド』や『オペラの中のオペラ』を作曲している[2]。なおイギリス・オペラは1732年5月にヘンデルの『エイシスとガラテア』を改作して勝手に上演している[3]

1736年に声楽家セシリア・ヤングと結婚。セシリアは、作曲家ジョン・フレデリック・ランプと結婚した歌手イザベラ・ヤングと姉妹であり、アーンとランプは義兄弟となった。

イギリス・オペラは1734年に本拠をドルリー・レーン劇場に移した。1738年にはミルトンにもとづく仮面劇『コーマス』を上演した。この作品は長期に渡って人気作品となった[1]

アーンのオペラと仮面劇は非常に有名になり、英国皇太子フレデリック・ルイスの庇護を受けた。「ルール・ブリタニア」が有名な仮面劇『アルフレッド』は、1740年にクリヴドン英語版の東宮御所で初演されている(ロンドンでの上演は1745年)。

1759年にオックスフォード大学は音楽博士の学位を贈った[1]

1750年にアーンの妹スーザナは、劇場支配人デイヴィッド・ギャリック英語版と口論の末にドルリー・レーン劇場を去ってコヴェント・ガーデン劇場に移り、アーンもその後に続いた。ここで1762年にメタスタージオの有名な『アルタセルセ』を英語に翻案して上演し、成功した[1]

1755年にアーンは、妻が精神病だと言い張ってセシリア夫人と別居する。その頃にはかつての門人のひとりであり、神童として知られたソプラノ歌手のシャーロット・ブレント英語版としばしの関係を持つようになっていた。だがブレントは、その後ヴァイオリニストと結婚している。1777年に亡くなる直前になって、妻セシリアと和解した。ロンドンのコヴェント・ガーデンにあるセント・ポール教会に葬られた。セシリアとの一粒種マイケル・アーンは、歌曲の作曲家として名を残している。

作品[編集]

  • ルール・ブリタニア(1740 仮面劇『アルフレッド』のための曲)
  • ミツバチが蜜を吸うところで(1746 シェークスピア『テンペスト』の中の曲)
  • 「たんぼの中の一軒家」として知られる曲は、もともと1777年に『乞食オペラ』を再演した際にアーンが書いた音楽だという[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d “Arne, Thomas Augustine”. 英国人名事典. 2. (1885). pp. 104-107. https://archive.org/stream/dictionaryofnat02stepuoft#page/104. 
  2. ^ ホグウッド(1991) pp.181-182
  3. ^ ホグウッド(1991) p.180,p.500訳註14
  4. ^ Rogers, Pat (1982). “The breeches part”. In Boucé, Paul-Gabriel. Sexuality in Eighteenth-century Britain. Manchester University Press. p. 250. ISBN 0719008654. 

参考文献[編集]

外部リンク[編集]