デービッド・イゲ
デービッド・イゲ David Ige | |
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生年月日 | 1957年1月15日(67歳) |
出生地 | アメリカ合衆国 ハワイ準州パールシティ |
出身校 | ハワイ大学マノア校 |
前職 | ハワイ州議会上院議員 |
現職 | ハワイ州知事 |
所属政党 | 民主党 |
配偶者 | ドーン・イゲ |
子女 | 3人 |
サイン | |
在任期間 | 2014年12月1日 - 2022年12月5日 |
副知事 |
シャン・ツツイ ダグ・チン ジョシュ・グリーン |
在任期間 | 1995年1月15日 - 2014年12月1日 |
州知事 |
ベン・カエタノ リンダ・リングル ニール・アバークロンビー |
在任期間 | 1985年12月2日 - 1995年1月15日 |
州知事 |
ジョージ・アリヨシ ジョン・ワイヘエ ベン・カエタノ |
デービッド・ユタカ・イゲ(英語:David Yutaka Ige、日本名:伊芸 豊〈いげ ゆたか〉[1]、1957年1月15日 - )は、アメリカ合衆国の政治家。ハワイ州知事(第8代)を務めた。2014年に民主党の指名選挙で66パーセントを得票して現職のニール・アバークロンビーを破り、州知事選挙では49.5パーセントの票を得て、共和党のデューク・エオナと無所属のムーフィー・ハンネマンを破った。2014年12月1日に史上4番目のハワイ生まれの州知事として就任した。ハワイ州知事の中ではジョージ・アリヨシに次ぐ2番目の日系人で、沖縄にルーツを持つ知事としては初となる[2]。
生い立ち
[編集]1957年1月15日にオアフ島パールシティでトキオ・イゲとツルエの間に6人兄弟の四男として誕生する。父方は沖縄県出身、母方は山口県出身である[1][3]。父であるトキオは第二次世界大戦中に第442連隊戦闘団第100歩兵大隊に従軍し[4]、パープルハート章とブロンズスターメダルを授与されている。戦後、トキオは製鉄所に勤務し、一方の母・ツルエは看護師や歯科衛生士として働いた。トキオは2005年に86歳で他界したが、ツルエはパールシティに住み続けている。
デービッドはパールシティ小学校、ハイランズ中学校、パールシティ高校に通った。パールシティは野球が盛んで、少年時代はパールシティ・リトル・リーグに8年間所属していた。当時新設のパールシティ高校では第3学年で生徒副会長を務め、最終学年で学級委員長になった。また、高校で始めたテニスも徐々に上達し、オアフ島西部地区で優勝するまでになった。学業成績も500人中4位であった[5]。
マサチューセッツ工科大学への入学も認められていたが、ハワイ大学マノア校に進学し、電気工学を専攻した。在学中には学生自治会事務局なども務めた。
また、後に妻となるドーンとも出会った。結婚後1男(マシュー)2女(ローレン、エイミー)をもうけた。
職歴
[編集]大学卒業後、ハワイアン・テルコムで働きながら、ハワイ大学大学院で決定科学を研究して経営学修士号(MBA)を取得した。1986年、ハワイ・ビジネス・マガジンでハワイ大学MBA取得者トップ10に選ばれた。
会社では電気技師とプロジェクトマネージャーとして34年間勤務し、情報技術、テレコミュニケーション、ネットワーク、公共政策部門に関わった。
政治的キャリア
[編集]1985年12月2日、当時の州知事ジョージ・アリヨシから指名され、ハワイ議会下院議員となった。1994年からはハワイ議会上院議員を務めた[6]。在任中9つの委員会で議長を経験した[7]。また、主に情報やテレコミュニケーション政策に深く関わった[7]。州情報ネットワークやハワイ情報ネットワーク機構の整備を定めた、ハワイテレコミュニケーション及び情報産業法の制定に尽力した。一方で、経済の多様化にも中心的役割を果たし、ベンチャーキャピタルプログラムやソフトウェア開発支援構想、技術移転プログラムなどを推進した。
知事選出馬
[編集]2014年、民主党の指名選挙で66%を得票して[8][9][10]、現職のニール・アバークロンビーを破り、民主党知事候補に任命された[6][11]。知事選挙では49.5パーセントの票を得て、共和党のデューク・エオナ候補と無所属のムーフィー・ハンネマン候補を破った。
州知事就任
[編集]2014年12月1日に前州知事時代からの続投となるシャン・ツツイ副知事と共に州知事の就任を宣誓した[12]。就任式では、「過去を敬い、新しい明日を描こう」というテーマが掲げられた。アメリカ合衆国上院議員を長く務めた故ダニエル・イノウエらと共に[12]第442連隊戦闘団第100歩兵大隊で戦った父への敬意を表す言葉でもある。また、「子供のために」、「おかげさまで」という日本語を取り入れたスピーチを行った[13]。
2023年、日本国政府より令和5年春の叙勲において、旭日重光章が贈られた[14]。
参照
[編集]- ^ a b 惠隆之介 (2019年8月23日). “現役の米陸軍大将も、ハワイ州知事も沖縄移民三世! なぜアメリカで沖縄移民が活躍してるのか?”. 日刊SPA!. 2019年12月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月12日閲覧。
- ^ Shikina, Rob (November 6, 2014). “Okinawan newspapers cover Uchinanchu Ige's win”. Honolulu Star-Advertiser December 14, 2014閲覧。
- ^ “ハワイ州知事、周防大島町のサプライズに感激 母親の古里「いとこがいると知らなかった」”. 中国新聞 (2022年8月29日). 2022年8月30日閲覧。
- ^ “Roll Call”. 100th Infantry Battalion Veterans Education Center. December 14, 2014閲覧。
- ^ “Governor's Bio”. governor.hawaii.gov. State of Hawaii. December 14, 2014閲覧。
- ^ a b “Sen. David Ige announces candidacy for governor - Hawaii News - Honolulu Star-Advertiser”. Staradvertiser.com. August 10, 2014閲覧。
- ^ a b “Meet David Ige, the Democrat who defeated Hawaii’s governor - OnPolitics”. OnPolitics. September 20, 2014閲覧。
- ^ Bussewitz, Cathy (August 10, 2014). “In stunning defeat, Hawaii Gov. Abercrombie ousted by state Sen. Ige in Democratic primary - 8/10/2014 12:52:20 AM”. Newser. Newser. August 10, 2014閲覧。
- ^ Cathy Bussewitz and Juliet Williams (August 10, 2014). “Hawaii's governor ousted in stunning primary loss”. Associated Press. オリジナルの2014年8月9日時点におけるアーカイブ。 August 10, 2014閲覧。
- ^ Sullivan, Sean (August 10, 2014). “Hawaii governor loses primary; Schatz holds slim lead over Hanabusa for Senate”. Washington Post August 14, 2014閲覧。
- ^ “Sen. David Ige enters race for governor”. KHON2 (July 9, 2013). August 10, 2014閲覧。
- ^ a b Lincoln, Mileka (December 1, 2014). “David Ige sworn in as eighth Governor of Hawaii”. Hawaii News Now (Raycom Media) December 14, 2014閲覧。
- ^ 中村 将 (February 16, 2015). “日系のハワイ州知事 デービッド・イゲ(1)「子供のために」と「おかげさまで」”. 産経新聞 June 14, 2015閲覧。
- ^ 令和5年春の外国人叙勲 - 内閣府 (PDF)
参考文献
[編集]- David Ige for Governor 公式サイト
- Office of the Governor, State of Hawaii "ハワイ州知事公式サイト"
外部リンク
[編集]公職 | ||
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