デルタフォース

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第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊
創設 1977年11月27日
所属政体 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
所属組織 アメリカ陸軍
兵種/任務/特性 特殊部隊
所在地 ノースカロライナ州フォート・ブラッグ
愛称 デルタフォース(Delta Force)
上級単位 統合特殊作戦コマンド
主な戦歴 駐イラン米国大使館人質救出作戦
イーグルクロー作戦
グレナダ侵攻
パナマ侵攻
湾岸戦争
ソマリア内戦
アフガニスタン侵攻(2001)
イラク戦争
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デルタフォース: Delta Force)は、第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊: 1st Special Forces Operational Detachment Delta/略称:1st SFOD-D)の通称であり、主に対テロ作戦を遂行するアメリカ陸軍特殊部隊である。なおアメリカ政府公式にはデルタフォースの存在を認めていない[1]

「デルタフォース」自体は通称だが、それをさらに省略しデルタと呼称することもある。なお、第1特殊作戦部隊デルタ分遣隊と訳される場合もある。

概要[編集]

私服姿のデルタ隊員

1977年11月19日イギリス陸軍の特殊部隊SAS(特殊空挺部隊)をモデルにつくられた。 アメリカ陸軍には以前よりグリーンベレー(陸軍特殊部隊群)が存在したが、SASで訓練を受けたアメリカ陸軍のチャールズ・アルヴィン・ベックウィズ大佐国防総省に対テロ部隊の必要性を提唱したのが、創設のきっかけである。

通常は四人一組で行動する[2]近接戦闘等のほか、現地の語学に精通するなど頭脳面でも高い水準が要求される。演習時には他部隊の一般の兵士に容易に作戦内容を知られぬようにドイツ語フランス語を使って作戦会議を行うなど、隊員の語学水準は非常に高い。

任務の中では民間人に偽装する必要もあるため、頭髪は他の部隊(アメリカ海兵隊第75レンジャー連隊)に比べて自由度が高い。また、服装も任務の性質によっては必ずしも軍服を着るとは限らないようで、民間軍事会社の警備要員のように私服に近い服装に武装して任務に当たる写真が数点ある。

部隊名称の由来について[編集]

デルタフォースの部隊名については、一部に「ベックウィズ大佐がベトナム戦争中に指揮していた『プロジェクト・デルタ』に由来する」とされることがあるが、これは誤解である。部隊名の由来について、創設者であり初代司令官だったベックウィズ大佐の回顧録をはじめ、いくつかの書籍には次のように記されている。

(新部隊を何と呼ぼうか、という問いに対して)第一特殊部隊作戦分隊=デルタと呼ぼうではありませんか。われわれのA分遣隊は大尉が指揮をとり、B分遣隊は少佐が、C分遣隊は中佐が指揮官です。ですから、D分遣隊は大佐が指揮官となっては、どうでしょう

チャールズ・ベックウィズ、チャールズ・ベックウィズ他 『対テロ特殊部隊を作った男』 ABC出版、1987年、136〜137ページ。ISBN 978-4900387379

(前略)デルタの名称はグリーンベレーの通常の用語から取られたものだった。
グリーンベレーでは、大尉に率いられる六つのアルファ分遣隊(Aチーム)が、少佐に率いられる中隊規模のブラボー分遣隊(Bチーム)を構成する。チャーリー分遣隊(Cチーム)は、中佐が指揮する大隊規模の部隊である。
第1特殊部隊作戦分遣隊は大佐に率いられ、通常の特殊部隊とは違い、イギリスのSASの中隊-小隊編成をお手本にして部隊が編成されているため、デルタ分遣隊という独自の名称が与えられたのである。

テリー・グリスウォルド、テリー・グリスウォルド他 『最強の対テロ部隊 ザ・デルタフォース』 並木書房、1994年、36ページ。ISBN 978-4890630530

以上のことから、デルタフォースの名称は小隊相当のA・中隊相当のB・大隊相当のCの各分遣隊が既にあったためである。なお、グリスウォルドの言が事実なら、D分遣隊の隊員構成はどのレベルにも相当しない特殊な編成になっていたことになる。

本部[編集]

ノースカロライナ州フォートブラッグの陸軍特殊作戦軍団基地の一角に本部が存在し、部隊の訓練は厳重な秘密の壁に守られている。施設には世界の最先端を行くとされる射撃場、水泳プール、潜水プールがあり、地下鉄旅客機などあらゆる種類のテロを想定し造られた模擬訓練施設が存在するとされる。市街地での急襲や人質訓練には、「恐怖の館」が使用される。

恐怖の館[編集]

「恐怖の館(House of Horror ハウス・オブ・ホラー)」はデルタフォースの訓練施設である。この施設は、各種テロ状況を実演できる一連の部屋のことで、人質救出CQBの訓練に使用される。または、ここで奇襲攻撃戦術を学び、敵と味方、人質の区別を即座に行えるようにする。この恐怖の館はSASの訓練施設である「キリング・ハウス」を手本に造られたものである。

入隊条件[編集]

デルタフォースの選抜訓練は年2回、3月と9月に行われる。

基本的な入隊資格は以下の通りである。

  • 米国籍を保有していること
  • 志願者であること
  • 連邦航空身体検査に適合すること
  • 空挺資格保有、または空挺訓練へ志願できること
  • 秘密取扱資格保有、またはそれを取得できる見込みがあること
  • 陸軍一般適性検査で110ポイント以上を記録できること
  • 陸軍体力テストで、22歳〜26歳標準の225ポイント以上を記録できること(内容は、腕立て伏せと腹筋運動をそれぞれ2分間に55回と62回以上、ランニング2マイルを15分6秒以内に完走)
  • レンジャー / 特殊部隊体力テストに合格できること
  • 軍法会議で有罪になった経歴・軍律違反を繰り返した記録、共にないこと
  • 身体面で特に弱点が無いこと

加えて、志願者が士官か下士官かで追加条件が変化する。

士官の場合
  • 少佐または大尉であること(所属兵科不問)
  • 将校上級課程を修了していること
  • 学士(4年制大学卒業者)であること
  • 入隊後、最低24ヵ月間は勤務できること
  • 大尉の場合は入隊後、最低12ヵ月間は指揮を執れること
下士官の場合
  • 2等軍曹以上であること(所属兵科不問)
  • 入隊後、最低50ヵ月間(4年2ヶ月間)は勤務できること

以上の条件を満たした者は1ヵ月間の評価選抜課程、続いて6ヵ月間のOTC(Operator Training Course/戦闘員訓練課程)へと進む。また、入隊後も最低18ヵ月間はOJTの立場での勤務となる。

構成[編集]

3個の作戦中隊、支援中隊、通信中隊、飛行小隊から成り、隊の最小単位は4名である。

参加したとされる主な任務・作戦[編集]

ウダイクサイ兄弟が立てこもる建物への攻撃を行う第101空挺師団と特殊部隊隊員(左奥の黒いヘルメットを被っている隊員)

(アメリカ政府は公式に存在を認めていない)

  • 駐イラン米国大使館人質救出作戦(イーグルクロー作戦) 1980年
  • グレナダ侵攻作戦(アージェント・フューリー作戦) 1983年 
  • パナマ侵攻作戦(ジャスト・コーズ作戦) 1989年
  • 湾岸戦争(砂漠の嵐作戦) 1990年〜1991年
  • ソマリア・アイディード将軍捕獲作戦(希望の修復作戦) 1993年
モガディシュの戦闘も参照。映画『ブラックホーク・ダウン』のモデルとなった。
元デルタフォース隊員が『CBSドキュメント』に出演した時の証言によると、ビンラディンをぎりぎりまで追い詰めたが、実際には殺害許可が得られなかったため、作戦が中止された。


歴史[編集]

アメリカ陸軍第1特殊部隊デルタ作戦分遣隊(通称:デルタフォース)は、米国内で自国のテロ対策の甘さや不備を指摘する声が多かったため、1977年11月19日に創設された。

同部隊は、以前から「陸軍全体から集めた精鋭による部隊」の必要性を訴えていたチャールズ・アルヴィン・ベックウィズ大佐によって編制された。当時すでに、陸軍にはグリーンベレー、海軍にはSEALsといった特殊部隊が存在しており、米国政府や軍上層部は新たな特殊部隊の創設には消極的な姿勢を見せていた。しかし、同年にソマリアモガディッシュで起きたルフトハンザ航空181便ハイジャック事件におけるドイツの警察系特殊部隊GSG-9(ドイツ連邦国境警備隊第9部隊)の活躍に衝撃を受けた政府は、1960年代前半に、英陸軍のSASに1年間交換勤務した経験を持つベックウィズ大佐に「対テロ専門特殊部隊」の編成を命じたのである。ベックウィズ大佐はSASでの勤務経験を活かし、SASを手本としデルタフォースを創設した。実際にデルタとSASを比べると、組織構成から部隊の性質、訓練プログラムに至るまで酷似している。

1980年4月イランで発生したイランアメリカ大使館人質事件において、デルタフォースが実行した作戦「イーグルクロー作戦」が失敗し、今まで秘匿が貫かれてきたデルタフォースの存在が明るみに出る事になった。その後、この失敗を教訓とし、軍上層部は改めて強靭な組織作りを進めた。

1981年JSOC(統合特殊作戦コマンド)、そして、1987年U.S.SOCOM(アメリカ特殊作戦軍)を設立した。このSOCOMには陸軍海軍空軍及び海兵隊の各特殊部隊を統括するに至る。結果、デルタフォースもSOCOMの指揮下に置かれ、その一方、国防総省直轄の組織として機能するようになる。

何れにせよ、全ては秘密のベールに隠され詳細は不明である。

歴代司令官[編集]

職名 氏名 階級 在任期間
司令官 Charles A. Beckwith 大佐 1977〜1980
James R. Paschall 1980〜1982
Sherman H. Williford 1982〜1985
William F. Garrison 1985〜1989
Peter J. Schoomaker 1989〜1992
William G. Boykin 1992〜1994
Bernard J. McCabe, Jr. 1994〜1996
Eldon A. Bargewell 1996〜1998
Gary L. Harrell 1998〜2000
James H. Schwitters 2000〜2002
Bennet S. Sacolick 2002〜2004
Peter Blaber 2004〜2005
Austin S. Miller 2005〜2007
Alford J. Smith 2007~

デルタフォースの著名人(関係者含む)[編集]

  • Charles A. Beckwith退役陸軍大佐。デルタフォース創設者にして初代司令官(1977年〜1980年)。
第7特殊部隊グループの大尉だった1962年〜1963年の間、英第22SAS連隊へ交換将校として派遣されたことが契機となり、デルタフォース創設を決意するに至る。Operation EAGLE CLAW失敗後は特殊作戦部隊の統合運用の徹底を訴えてJSOC創設に尽力し、1981年に退役。同時にテロ対策のコンサルタント事業を行うSASオブ・テキサス社(Security Assistance Services Of Texas, Ltd)を設立し、社長に就任。
1984年にはホワイトハウス直々の要請でロサンゼルスオリンピック大会における警備計画の全面的点検を担当した。
1994年6月13日、心不全のため没(64歳)。生前、自身の回顧録である『対テロ特殊部隊を作った男―米軍デルタフォース秘話』(原題 Delta Force: The Army's Elite Counterterrorist Unit)を出版している。
  • Richard J. Meadows:退役陸軍少佐。Arthur D. Simons退役陸軍大佐と並ぶ米特殊作戦界の伝説的人物。
1947年、16歳で陸軍へ志願入隊。朝鮮戦争従軍時には20歳で曹長へ昇進し、米陸軍史上最年少の曹長となった。
1961年〜1962年の間、第7特殊部隊グループの下士官として初めて英第22SAS連隊へ派遣(この時に知り合ったSAS特務曹長の娘と後に結婚)。帰国後は第8特殊部隊グループ第5特殊部隊グループで勤務し、ベトナム戦争ではMACV-SOGに所属して北ベトナムおよびラオスへの24回以上にも及ぶ極秘越境作戦に従事した。また、1970年に行われたソンタイ捕虜収容所奇襲作戦では地上強襲チームを指揮した。
1977年に退役するが、民間アドバイザーとしてデルタフォース創設を支援、中南米におけるDEAの麻薬撲滅作戦の支援、Operation EAGLE CLAWにおける情報収集チームの一員としてイランへ潜入…など現役引退後も常に特殊作戦の最前線に立ち続けた。
1995年7月29日、白血病のため没(64歳)。当時のビル・クリントン大統領から大統領自由勲章を死後授与された。現在、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地には彼の銅像が立っている。
  • Eric L. Haney:退役陸軍最先任上級曹長。
デルタフォース創設メンバーの一人として、1979年〜1985年の間、B戦闘中隊第1小隊Cチームに所属。その間、Operation EAGLE CLAW、レバノンにおける米国務省要員の身辺警護とテロリスト狙撃任務、Operation URGENT FURYホンジュラスにおける共産ゲリラ掃討作戦など幾多の実戦を経験。
デルタフォースを離れた後、第193歩兵旅団の旅団付き最先任上級曹長としてOperation JUST CAUSEに参加し、1990年に退役。
退役後はフリーランスの特殊作戦コンサルタントとして活動し、中南米における誘拐事件の人質交渉、アルジェリアにおける対テロ作戦の支援などの他、1994年にはハイチへ戻るジャン=ベルトラン・アリスティド大統領の警護隊長を務めた。自身の回顧録である『デルタ・フォース極秘任務 創設メンバーが語る非公式部隊の全貌』(原題 Inside Delta Force: The Story of America's Elite Counterterrorist Unit)を出版している。
  • Lewis H. Burruss, Jr.:退役陸軍中佐。デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した将校の一人。部隊の創設準備に従事する傍ら英第22SAS連隊へも派遣されており、帰国時には当時のSAS連隊長に「こいつがいらないなら、うちで引き取るぞ」と言わしめた。
デルタフォースA戦闘中隊の初代中隊長を務め、その後は選抜訓練&OTC責任将校に就任。Operation EAGLE CLAWおよびOperation URGENT FURYに参加。デルタフォース副司令官の職を最後に1986年に退役。
  • Walter L. Shumate:退役陸軍最先任上級曹長。
デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した下士官の一人。デルタフォースでは主に選抜担当上級下士官を務めた。
空挺歩兵として朝鮮戦争に従軍し、その後グリンベレーに入隊。水泳が得意であったため海軍のUDT-12(水中破壊工作チーム12)へ派遣されて訓練を受け、特殊部隊水中作戦学校を設立した。Beckwithが少佐としてベトナム戦争でB-52 Project DELTAの指揮を執っていた頃からの付き合いで、46歳というデルタフォース史上最年長で選抜課程をクリアした人物である(なお、この時に水泳を特技としながらも単純な水泳テストで落伍しているが、Beckwith大佐の特別な計らいにより再度チャンスを与えられている)。
1982年に退役した後も民間の保安担当官としてデルタフォースに勤務し続け、癌で没している。
生前、戦友達と共にジョークでデルタフォース本部施設へのパラシュート降下を敢行した。Shumate曹長は独特の口髭を生やしていたことでも有名で、デルタフォース本部の廊下には額縁に入った彼の口髭が飾られている。
なお、息子であるAlan J. Shumateは現役の陸軍将校で、第82空挺師団、グリンベレー、デルタフォースなどで勤務している。
  • Wade Y. Ishimoto:退役陸軍大尉。
ファミリーネームが示すとおり日系人である。デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した下士官の一人。デルタフォース入隊時は曹長だったが、Beckwith大佐の推薦により一足飛びに大尉への昇進を果たし(ダイレクトコミッション)、情報将校補佐に就任した。柔道合気道など様々な武道の達人である。
  • Wayne E. Long:退役陸軍大佐。
デルタフォース創設メンバーの一人であり、部隊創設にあたって最初にBeckwith大佐自らが選抜した将校の一人。デルタフォースでは主に情報将校を務め、他にISA(情報支援活動)部隊やDIAでの勤務経験もある。1994年〜2003年の間、ソマリアにおける国連の保安担当主任顧問と人質交渉担当主任を務めた。
  • Jesse L. Johnson:退役陸軍大佐。
1980年〜1983年の間、デルタフォース副司令官を務めた。その他、第10特殊部隊グループ司令官や、湾岸戦争時にはSOCCENT(中央特殊作戦コマンド)司令官を務め、“大の特殊部隊嫌い”として有名だったノーマン・シュワルツコフ陸軍大将(当時のアメリカ中央軍司令官)に「湾岸戦争の影の功労者であり、偉大な武人」と言わしめた。1991年に退役。
  • Larry Vickers:退役陸軍曹長。
高校卒業後に陸軍入隊、グリーンベレーに所属する。その後予備役となり、大学で機械工学を専攻しながら1911専門のガンスミスとして有名なスティーブ・ナストフに師事する。
大学卒業後に陸軍に戻り、デルタフォースに入隊する。1989年、パナマ侵攻時のCIA工作員救出作戦(Operation Acid Gambit)に参加。
2004年の退役後はガンスミスに転身し、1911のカスタムだけでなくHK416HK45の設計にアドバイザーとして携わっている。
  • Tyler Grey:退役陸軍一等軍曹
陸軍入隊後、第2レンジャー大隊にスナイパーとして4年半所属し、その後、史上最年少でデルタ・フォースに入隊する。
2005年、サドルシティにてIED攻撃を受けて右腕に欠損寸前の負傷を負い、除隊。合計数ヶ月間の入院生活と30以上の外科手術、4年間のリハビリを余儀なくされる。
現在は左手での射撃術を体得し、コンバット・インストラクターとして活躍。また、GORUCK社のニュース枠で手記を発表している。
1993年10月3日、デルタフォースC戦闘中隊の一員としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、撃墜されたヘリコプター搭乗員救助のための戦闘で戦死。
1994年5月23日、同じく戦死したRandall D. Shughart一等軍曹と共に当時のビル・クリントン大統領から名誉勲章を死後授与された。彼等はベトナム戦争以来初の名誉勲章受章者となった。
デルタフォース入隊前は第10特殊部隊グループに所属しており、現在、第10特殊部隊グループ第3大隊の本部施設には彼の名が冠されている。また、海軍の車両貨物輸送艦にも彼の名が冠されている。
  • Randall D. Shughart:陸軍一等軍曹。
1993年10月3日、デルタフォースC戦闘中隊の一員としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、撃墜されたヘリコプター搭乗員救助のための戦闘で戦死。
1994年5月23日、同じく戦死したGary I. Gordon曹長と共に当時のビル・クリントン大統領から名誉勲章を死後授与された。彼等はベトナム戦争以来初の名誉勲章受章者となった。
現在、海軍の車両貨物輸送艦に彼の名が冠されている。
  • Paul R. Howe:退役陸軍曹長。1993年10月3日〜4日、デルタフォースC戦闘中隊の一員としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、タスクフォース・レンジャーの強襲チームリーダーを務めた。ちなみに、彼の妻はBeckwith大佐の娘である。レンジャー試験に合格した後レンジャーにはならず、そのままデルタフォースの選抜試験を受けて入隊した。
  • Norman Hooten:陸軍曹長。
1993年10月3日〜4日、デルタフォースC戦闘中隊の一員としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、タスクフォース・レンジャーの強襲チームリーダーを務めた。その後も引き続きデルタフォースで勤務し、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件後はアフガニスタン侵攻にも参加している。
  • John G. Macejunas:退役陸軍上級曹長。
1993年10月3日〜4日、デルタフォースC戦闘中隊の一員としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、タスクフォース・レンジャーの強襲チームメンバーを務めた。2001年9月11日の同時多発テロ後はフィリピンにて、第1特殊部隊グループと共にテロ組織アブ・サヤフ掃討作戦に参加している。
  • William F. Garrison:退役陸軍少将。
1985年〜1989年の間、デルタフォース司令官を務める。Operation GOTHIC SERPENTではJSOC司令官(少将)としてタスクフォース・レンジャーを指揮した。その後、JFK特殊戦センター司令官を務め、1996年に退役。単なる偶然か、彼の退役日はかつてソマリアで交戦した武装民兵組織の指導者モハメド・ファラ・アイディド将軍が戦死した日の翌日であった。
  • William G. Boykin:退役陸軍中将。
デルタフォース創設メンバーの一人で、1992年〜1994年の間、デルタフォース司令官を務め、Operation GOTHIC SERPENTにも参加。
その後、CIAへ出向して特殊活動部の副部長を務め、軍復帰後は特殊部隊コマンド司令官、JFK特殊戦センター司令官、国防総省の情報&戦闘支援担当国防次官代理などを歴任し、2007年に退役。
敬虔なクリスチャンとしても有名で、まだ現役の陸軍将官だった頃、2001年から始まった一連の対テロ戦争キリスト教イスラム教による宗教戦争だと見なす趣旨の発言をし、一時物議を醸した。
また、アブグレイブ刑務所における捕虜虐待事件など対テロ戦争における米側不祥事にも関与した疑いが持たれている。
  • Gary L. Harrell:退役陸軍少将。
1998年〜2000年の間、デルタフォース司令官を務める。1993年10月3日〜4日、デルタフォースのC戦闘中隊長(中佐)としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、タスクフォース・レンジャーの地上任務指揮官を務めた。その後、SOCCENT司令官、NATO軍緊急展開タスクフォース司令官、U.S.ASOC副司令官などを歴任し、2008年に退役。
  • Austin S. Miller:陸軍准将。2005年〜2007年の間、デルタフォース司令官を務める。
1993年10月3日〜4日、デルタフォースC戦闘中隊の小隊長(大尉)としてOperation GOTHIC SERPENTに参加し、タスクフォース・レンジャーのデルタ地上部隊指揮官を務めた。
2009年現在は統合参謀本部の特殊作戦&対テロ担当副部長に在任中。
  • Lee A. Van Arsdale:退役陸軍大佐。元デルタフォース戦闘中隊長。
Operation GOTHIC SERPENTではタスクフォース・レンジャーの統合作戦センター司令官を務めた。
その後、国防総省の特殊作戦&小規模紛争担当国防長官補オフィスで対テロ&特別計画部長を務め、1999年に退役。
映画「ブラックホーク・ダウン」のテクニカル・アドバイザーも務めている。
  • Lawrence N. Freedman:退役陸軍上級曹長。元デルタフォース狙撃手
退役後はCIAの契約工作員として活動し、1992年12月22日、ソマリアでの秘密作戦中に戦死した。
彼はOperation GOTHIC SERPENT以前にソマリアで最初に命を落としたアメリカ人である。
  • Peter J. Schoomaker:退役陸軍大将。
デルタフォース創設メンバーの一人で、1989年〜1992年の間、デルタフォース司令官を務めた。
その後、JSOC司令官、U.S.ASOC司令官、U.S.SOCOMの5代目司令官などを歴任して2000年に退役するも、2003年、当時のドナルド・ラムズフェルド国防長官の要請で一時現役復帰し、2007年まで35代目アメリカ陸軍参謀総長を務めた後、完全に退役した。
  • Edward C. Meyer:退役陸軍大将。デルタフォース創設を支持した代表的人物で、1979年〜1983年の間、29代目アメリカ陸軍参謀総長を務めた。
1977年〜1979年の間、陸軍作戦計画担当参謀次長(中将)として陸軍内で己の持ちうるありとあらゆる権力・政治力を駆使してBeckwith大佐を支援した。Meyer大将は特殊作戦に従事した経験こそ全く無かったが非常に先見の明のある人物であり、今後、アメリカの国益のためにデルタフォースのような部隊が必要だと直感していた。1983年に退役。
  • Robert C. Kingston:退役陸軍大将。
デルタフォース創設を支持した中心人物の一人で、1983年〜1985年の間、U.S.CENTCOMの初代司令官を務めた。1977年当時、ジョン・F・ケネディ軍事援助センター(現在のJFK特殊戦センター)司令官を務め、Beckwith大佐のデルタフォース創設プロジェクトを支援した。Kingston大将は特殊作戦経験豊富な人物で、朝鮮戦争でゲリラ戦に従事したのをはじめ、レンジャー課程の教官、MACV-SOGの作戦将校、第3特殊部隊グループ司令官などを歴任している。1985年に退役。
U.S.SOCOM創設時、初代司令官候補に名前が挙がったが既に陸軍を退役済みであったため、当時の現役大将クラスで経歴の一部に特殊部隊勤務があるJames J. Lindsay陸軍大将が選ばれた。2007年2月28日、没(79歳)。
  • William E. DePuy:退役陸軍大将。
デルタフォース創設を支持した人物の一人で、1977年当時、TRADOC(陸軍訓練教義コマンド)の初代司令官としてBeckwith大佐のデルタフォース創設プロジェクトを支援した。
DePuy大将自身も特殊作戦の経験があり、1950年代初頭にCIAへ出向して中国での秘密作戦に従事したのをはじめ、1962年〜1963年の間に陸軍の特殊戦部長を、1967年〜1969年の間には統合参謀本部議長のSACSA(対反乱&特殊活動担当特別補佐官)を務めている。
1977年に退役。1992年9月9日、没(72歳)。
  • James J. Lindsay:退役陸軍大将。
デルタフォース創設を支持した人物の一人で、1987年〜1990年の間、U.S.SOCOMの初代司令官を務めた。
1977年当時、第18空挺軍団の参謀長(准将)として創設間近のデルタフォースの司令部となる建物を探していたBeckwith大佐のために、フォートブラッグ基地内の営倉の使用を快く許可した。「今、営倉には数人の懲罰兵が入っているが、そいつらを街の刑務所へ移してしまうのはどうだろう。君の提案のほうがよほど有効的だと思うからね。大佐、君の勝ちだ」―この言葉を聞いたBeckwith大佐は大変感謝すると同時に、しかしこの将軍はもう二度と昇進できないだろうな…と悔やんだが、結果的にそれは杞憂だったようである。1990年に退役。
  • Samuel V. Wilson:退役陸軍中将。
デルタフォース創設を支持した人物の一人。アメリカの特殊作戦界および諜報界における有名人であり、第二次世界大戦中にOSS(戦略事務局。CIAの前身組織)の将校や"Merrill's Marauders"の通称で有名な第5307臨時混成部隊の情報偵察小隊長などを務め、戦後はロシア語訓練を受けて軍からCIAへ出向し、国防総省や国務省のロシア語翻訳官を偽装身分としてソ連や東欧で諜報活動に従事。軍に復帰後は創設されたばかりの第10特殊部隊グループの将校として朝鮮戦争に従軍。
その後は特殊作戦担当国防長官補代理、第6特殊部隊グループ司令官、在ソ連アメリカ大使館の駐在武官、CIAの長官付き副官、DIA長官などを歴任し、1977年に退役。
  • Arthur D. Simons:退役陸軍大佐。
Richard J. Meadows少佐と並ぶ米特殊作戦界の伝説的人物。デルタフォース創設を支持した人物の一人で、デルタ専用狙撃銃の設計に関与。第2次大戦中、レンジャー隊員として太平洋戦線で日本軍と戦い、戦後は第77特殊部隊グループ(現在の第7特殊部隊グループ)の将校としてラオスでの秘密作戦に従事。その後、第8特殊部隊グループの初代司令官(この当時の部下の一人にRichard Meadowsがいた)を経てベトナム戦争でMACV-SOGの地上研究グループ部長(この部署は地上における全ての越境偵察作戦を指揮していた)を、1970年に行われたソンタイ捕虜収容所奇襲作戦では任務指揮官を務めた。
1973年に退役。1979年、アメリカのコンピュータ会社EDSの幹部2名がイランのテヘラン支社で不当に逮捕され、巨額の保釈金を要求された際、当時のEDS会長ロス・ペローから救出作戦を依頼され、見事成功させた。この出来事の一部始終はケン・フォレット著の『鷲の翼に乗って』(原題 On Wings of Eagles)という小説として書かれている。
1979年5月21日、心筋梗塞のため没(61歳)。なお、U.S.SOCOMには特殊作戦コミュニティに大きく寄与した人物に与えられる栄誉賞として、彼の名を冠した"Bull Simons Award"がある。現在、ノースカロライナ州フォートブラッグ基地には彼の銅像が立っている。
  • Othar J. Shalikashvili:退役陸軍大佐。
デルタフォース創設を支持した人物の一人で、Beckwith大佐の旧友。1977年当時、第10特殊部隊グループ司令官を務めていた彼は、Beckwith大佐がデルタ新隊員の人材探しに苦労しているのを知ると部下達に「Beckwith大佐のやろうとしていることは、我々のやろうとしていることよりもはるかに重要である。したがって、デルタに挑戦したいと思う者は遠慮無く申し出るように。私はそのような熱心な人間を支援するつもりだ」と言い放った。
1978年に退役。なお、1993年〜1997年の間、13代目統合参謀本部議長を務めたJohn M. D. Shalikashvili陸軍大将(1997年退役)は彼の弟である。

出典・脚注[編集]

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  1. ^ USASOCの公式サイトには、グリーンベレー等の記述は見られるが、デルタフォースの記事は存在しない。
  2. ^ これは室内への突入を考慮したものである。ちなみに海軍特殊部隊SEALsの最低作戦行動人数は二人一組となっている。

参考文献[編集]

  • 江澤隆士・藤沢英一『別館宝島 世界の特殊部隊 〜極秘任務を遂行する最強エリート集団〜』 宝島社 ISBN 4796652817
  • ヒュー・マクマナーズ・著、村上和久・訳『特殊部隊(ULTIMATE SPECIAL FORCES)』 朝日新聞社 ISBN 4022500344
  • チャーリー・ベックウィズ、ドナルド・ノックス・著、佐藤睦、草野徹・訳『対テロ特殊部隊を作った男 米軍デルタフォース秘話』 ABC出版
  • エリック・L・ヘイニ・著、伏見威蕃・訳『デルタ・フォース極秘任務 創設メンバーが語る非公式部隊の全貌』 早川書房
  • テリー・グリスウォルド、D・M・ジャングレコ・著、北島護・訳、毛利元貞・監訳『最強の対テロ部隊 ザ・デルタフォース』 並木書房

登場作品[編集]

映画[編集]

デルタフォースシリーズ
ブラックホーク・ダウン
ダイ・ハード2
スリー・キングス
28週後…
狙撃班として登場

ドラマ[編集]

24 -TWENTY FOUR-
ザ・ユニット 米軍極秘部隊

小説[編集]

デセプション・ポイント
フルメタル・パニック!
レインボーシックス』(原作)
真夜中のデッドリミット"The Day Before Midnight"』(新潮文庫)

漫画[編集]

ブラック・ラグーン
Cat Shit One
闇のイージス
邪眼は月輪に飛ぶ
ゴルゴ13
ヨルムンガンド

ゲーム[編集]

デルタフォース
メタルギアシリーズ
F.E.A.R.
マーセナリーズ
スペシャルフォース
レインボーシックス
コール オブ デューティ モダン・ウォーフェア3
コンフリクト・デルタ 湾岸戦争1991
コンフリクト・デルタII 湾岸戦争1991
ARMA2』(ARMA 2: Operation Arrowhead)

デルタフォースをモチーフにした作品[編集]

ゴーストスカッド
レイジングストーム
OPERATION G.H.O.S.T.

関連項目[編集]