ディルケ世界地図帳

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ディルケ世界地図帳(ディルケせかいちずちょう、ドイツ語: Diercke Weltatlas)は、1883年以来、ドイツ全土で用いられてきた学校教育用の地図帳で、ヴェステルマン出版ドイツ語版が版元となっている。同社の説明によれば、歴代の版には以下のような内容が含まれている[1]

Schulatlas – über alle Teile der Erde(学校地図帳 - 大地の全地域)

副題は、Zum geographischen Unterricht in höheren Lehranstalten高等教育ドイツ語版における地理教育用)。
主要な地図 54点、補助地図 132点、46ページ、ほぼ正方形 (34 × 36 cm; ~1:1.05) で、表紙は茶色。

Diercke Schul-Atlas – für höhere Lehranstalten(ディルケ学校地図帳 - 高等教育用)

  • 1895年、カール・ディルケとエデュアルト・ゲブラーによる第31版で、最初の改訂がおこなわれ、主要な地図 152点、補助地図 149点、148ページで、縦長 (~1:1,6) で、表紙は茶色となった。
  • 1911年、カール・ディルケとパウル・ディルケドイツ語版による第48版で大幅な改訂がおこなわれ、地図350点、156ページ、表紙は茶色となった。

Diercke Schulatlas – für höhere Lehranstalten(ディルケ学校地図帳 - 高等教育用)

  • 1932年、パウル・ディルケによる大改訂が完了した第72版(通称「Grosze Ausgabe」)が、164ページ、表紙は茶色で出た。

Diercke Weltatlas(ディルケ世界地図帳) - 副題はない

  • 1950年リヒャルト・デーメルによって戦後最初となる第84版の出版がおこなわれ、地図300点以上、142ページ、縦長 (~1:1,65)、表紙は緑色となった。
  • 1957年、「begründet von C. Diercke, fortgeführt von R. Dehmel(C・ディルケが創始し、R・デーメルが継続している)」と記された第89班が根本的な改変をおこない、従来より幅の広いDIN C4の規格に近い体裁が採用され、地図 400点以上、148ページ、縦長 (23½ × 34 cm; ~1:1,45)、表紙は茶色となった。
  • 1974年、フェルディナント・メイヤー (Ferdinand Mayer) による第185版が基本的に新しい内容となり、地図・図解500点、200ページ、縦長 (~1:1,4)、表紙は青色となった。
  • 1988年、ウルフ・ザーン (Ulf Zahn) による大改訂版の初版が出て、地図・図解400点、235ページ、縦長 (~1:1,28)、表紙は暗い青色となった[2]
  • 2002年、トマス・ミヒャエル (Thomas Michael) が内容を更新し、改訂を加えた第5版が出て、239ページ、縦長 (~1:1,28)、表紙は暗い青色となった。
  • 2008年、トマス・ミヒャエルによる全面的な改訂版の初版が出て、地図・図解460点、252ページ、縦長 (~1:1,28)、表紙は青色となった。
  • 2015年、トマス・ミヒャエルによる全面的な改訂版の初版が出て、地図・図解510点、320ページ、縦長 (~1:1,28)、表紙は青色となった。

脚注[編集]

  1. ^ Diercke Chronik(archive.org、2021年12月18日) - http://www.diercke.de/ueber_diercke/diercke_chronik/chronik.xtp
  2. ^ 飯島通明による紹介では、副題に「der Neubearbeitung(新訂版)」とあり、総ページ数は275ページとされている。飯島通明 (1989). “文献解題 Dierke Weltatlas, der Neubearbeitung”. 人文地理 41 (4): 381-382. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjhg1948/41/4/41_4_381/_pdf/-char/ja. 

外部リンク[編集]