ディディエ・ラツィラカ

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ディディエ・ラツィラカ

ディディエ・ラツィラカ(Didier Ratsiraka、1936年11月4日 -)は、マダガスカル軍人政治家。元大統領(在任1976-1993と1997-2002、最高革命評議会議長時代を含む)。日本のメディア等では「ラチラカ」と表記されることも多い。

経歴[編集]

マダガスカル1960年6月に独立すると、初代大統領フィリベール・ツィラナナの下で親フランス南アフリカ政策を実施したが、経済低迷と民族主義の台頭から軍部クーデターが発生し(1972年5月18日)、ガブリエル・ラマナンツォア少将が軍事政権人民国家開発評議会」を設立し、社会主義路線へ舵を切った。ラマナンツォアの後任リシャール・ラツィマンドラヴァ大佐が暗殺される(1975年2月11日)と、ジル・アンドリアマハゾ将軍率いる軍評議会が全権を掌握した。

アンドリアマハゾの後任に選出されたのがディディエ・ラツィラカ海軍少佐であり(1975年6月)、最高革命評議会議長に就任して社会主義路線の強化に取り組んだ。ラツィラカ政権は主要産業での国有化、農業集団化を実施し、1976年1月大統領に就任した。1980年代に入ると、社会主義政策の停滞が明らかとなり、改革を求める民衆運動が発生した。1982年に再選、1989年に三選を果たしたラツィラカだが、1990年には反ラツィラカ派によるクーデター未遂事件が発生するに至る。ラツィラカは経済自由化に取り組み、民主化を進めた。1992年11月、大統領選挙で野党候補アルベール・ザフィが当選し、ラツィラカは退陣を余儀なくされた。

1996年議会がザフィに弾劾決議を下すと、ラツィラカは選挙で大統領に返り咲いた。しかし、ラツィラカ政権は経済状況の改善を達成できず、腐敗も指摘された。2001年の選挙ではマーク・ラヴァルマナナ候補と開票結果をめぐり激しく対立した。ラツィラカはトアマシナに本拠地を移し、ラヴァルマナナ派の支配する首都への物資輸送を停止。2002年4月、最高裁判所判決でラヴァルマナナ支持が表明され、ラツィラカは国外退去を強制されることとなった。