テレマルク県

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テレマルク県
Telemark fylke
テレマルク県の県章
県の紋章
テレマルク県の位置
ノルウェーの国旗 ノルウェー王国
地方区分エストラン
県庁所在地シーエン
面積
 - 総計
 - 国土に占める割合
10位
15,299 km²
4.55 %
人口
 - 総計 (2007)
 - 全人口に占める割合
 - 人口変化 (10年)
 - 人口密度
13位
166,731 人
3.63 %
1.8 %
12 人/km²
県内総生産
 - 総計(2001)
 - 全GDPに占める割合
12位
219,404 万NOK
2.38 %
県番号(ISO 3166-2:NONO-08
公式サイトwww.telemark-fk.no

テレマルク県 (テレマルクけん、Telemark [ˈteːləˈmɑrk] ( 音声ファイル)) は、かつてノルウェーに存在したヴェストフォル県ブスケルー県ホルダラン県ローガラン県アウスト・アグデル県と県境を接していた。県庁所在地はシーエン。県番号は8番。

2020年1月1日ヴェストフォル県と合併しヴェストフォル・オ・テレマルク県となった[1]2024年1月1日にヴェストフォル・オ・テレマルク県の合併は解消され、テレマルク県が再度発足する予定である[2]

ノルウェーの南西に位置し、ハダンケル地域からスカゲラク海峡まで続く。海岸線はランゲサンスフィヨルド (Langesundsfjorden) からジェーネストアンゲン (Gjernestangen)、 さらにアウストアグデルまで続いている。地形は起伏に富み、多くのがある。

シーエン、ポースグラン (Porsgrunn)、ノトデンリューカン (Rjukan)、クラーゲリョーなどに人口が多い。スタテレ (Stathelle)、ウレフォス (Ulefoss)、ブレヴィク (Brevik)、ランゲサン (Langesund)、ボー ()、フィレスダル (Fyresdal)、ヴィニェ (Vinje) などの都市も有名である。

名称・県章[編集]

1919年まではブラッツベリ県 (Bratsberg amt) という名前であった。知事の赴任地であったブラッツベリ (Bratsbergbrattr が眠るを意味し、berg が山を意味する)にちなんで名づけられていた。

現在の地名の命名の由来は Þelamörk であり、前半は þelir で、これは古ドイツにいたと考えられる民族の名前であり、後半の mörk は森林地帯や、国境地帯を現す。

現在あるスポーツやレジャーとしてのスキーが確立された地であり、19世紀中頃に「近代スキーの父」であるソンドレ・ノルハイムノルウェー語版ノルウェー語 (ニーノシュク)版英語版が編み出したスキーの技術はこの県にちなんで、テレマークと名づけられている。ノルディックスキーの基本となるものである。

県章は旧時代の戦斧を表しており、1970年に制定された。

歴史[編集]

ヴァイキング時代の昔にテレマルクに王国があったと考えていた歴史家もいたが、現在では証拠がなく否定的である。

20世紀初頭からノルスク・ハイドロによる水力発電所や、その電力を利用した化学的窒素固定による合成肥料工場が県内のノトデンなどに建設された。その施設群は20世紀初頭の新たな産業発展を伝える文化財として、「リューカン=ノトデンの産業遺産」の名で世界遺産リストに登録されている。

テレマークの要塞』(原題: The Heroes of Telemark)という1965年の英米合作映画は第二次世界大戦中のドイツによって原子爆弾開発の為に接収されたリューカンにあるノルスク・ハイドロ重水施設の大規模破壊活動(ノルスク・ハイドロ重水工場破壊工作)を描いたものである。しかしながら、その映画には誤りがあるとして、en:Ray Mearsが詳しく手直しして真の『テレマルクの英雄』という映画を製作している。また、1948年には同様のテーマのノルウェー・フランス合作映画が作られている。

下位行政区[編集]

18の基礎自治体がある。

脚注[編集]

  1. ^ Fylkessammenslåinger i regionreformen”. Regjeringen.no (2019年12月19日). 2023年5月13日閲覧。
  2. ^ Fylkesinndelingen fra 2024”. Regjeringen.no (2022年7月5日). 2023年5月13日閲覧。