テリー・ライリー

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テリー・ライリー
Terry Riley
Terry Riley.jpg
基本情報
出生名 Terrence Mitchell Riley
生誕 (1935-06-24) 1935年6月24日(84歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州コルファックス
学歴 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア大学バークレー校
ジャンル 現代音楽ミニマル・ミュージック
職業 作曲家、ミュージシャン
公式サイト http://terryriley.net/

テリー・ライリー (Terry Riley、1935年6月24日 -) は、アメリカ合衆国出身の作曲家である。スティーヴ・ライヒフィリップ・グラスらと並ぶミニマル・ミュージックの代表的な作曲家の一人。

生涯[編集]

アメリカ合衆国カリフォルニア州コルファックスに生まれで、シャスタ・カレッジ、サンフランシスコ州立大学サンフランシスコ音楽院で学んだ。その後、カリフォルニア大学バークレー校に入学、セイモア・シフリンと共に作曲法を学び、修士の学位を得た。しかし、彼に最も大きな影響を与えた教師はパンディット・プラン・ナートであった。プラン・ナートはインド古典声楽の名人で、ラ・モンテ・ヤングマリアン・ザジーラも彼の生徒であった。ライリーはパンディットの課程の間に何度もインドを訪問し、師が演奏する際、タブラタンブーラ、及び声による伴奏に携わった。1960年代を通じて、彼はヨーロッパにも度々旅行した。そこではピアノ・バーで日々の糧を得ながら、音楽的影響も受けた。1971年からはミルズ・カレッジにてインド古典音楽の教鞭をとることとなった。

1960年代にはまた、有名な「徹夜コンサート (All-Night Concert)」を行った。そこでライリーは古い「バラストの中に真空掃除機のモータで風を送り込むような」リードオルガンテープレコーダーによる遅延装置付きのサクソフォーンを用い、日の入りから日の出まで即興演奏を披露した。何時間も演奏し続けた彼がついに休憩を必要とした際、夜中じゅう回しっぱなしにしていたテープレコーダーのテープをループさせ、サクソフォーン演奏の断片を繰り返し再生した。この種のコンサートは何年も続き、観客は寝袋ハンモック持参で家族全員を連れてくるようになった。

ライリーは長年にわたりクロノス・クァルテットとの関係を保ったが、その始まりはミルズ・カレッジで創始者のデイヴィッド・ハリントンと出会った時であり、それ以来、アンサンブルのために13の弦楽四重奏曲を作曲した。最初の管弦楽曲「Jade Palace」を作曲したのは1991年のことであり、その後、同方面の作品が続いた。現在ではインドのラーガ歌唱及びピアノ独奏でも実演と教育を行っている。

音楽の書法と技法[編集]

ライリー初期の試みにはカールハインツ・シュトックハウゼンの影響があるが、ラ・モンテ・ヤングと出会って以降、音楽の方向性を変えた。1955年から1956年にかけて、ライリーはヤングのシアター・オブ・エターナル・ミュージックに加わった。ライリーはヤングを「これまで会った中で最もフリークな奴」といっている。ヤングの発想こそが、ミニマリズムの心臓部であると言うのだ。だが、ミニマリズムにおけるライリーの影響力を挙げる音楽家も多い。この新しいスタイルを初めて用いたのは、1960年の弦楽四重奏曲においてであった。そのすぐ後に作曲された弦楽三重奏曲では短いフレーズを繰り返す技法を初めて彼は会得し、それがミニマリズムのスタイルとなったのである。

通常、彼の音楽は長さの異なるモードセリーを用いた即興演奏に基づいており、「In C英語版」、「Clapping Music」(1972年)、「Keyboard Studies」で見られる。「In C」 (1964年) は最も知られた曲で、ミニマル音楽を一気に有名にした。最初の演奏者としてはとりわけスティーヴ・ライヒジョン・ギブソンポーリン・オリヴェロスモートン・サボトニックが挙げられる。他にも星の数ほどの演奏家(例えばジョン・クーリッジ・アダムズフィリップ・グラス)に影響を与え続けている。それはまさに発明というべきであった。曲は53個の独立したモジュールからなり、それぞれのモジュールはほぼ1拍の長さで、おのおのが異なった音楽のパターンを有している(だが、タイトル通りすべてハ長調 in C である)。演奏者の一人はピアノから一定したハ音の連続を繰り出し、テンポを維持する。他の演奏者の人数と用いる楽器は任意で、いくつかのゆるやかなガイドラインに従ってそれらのモジュールを演奏する。その結果、時とともに異なったモジュールが様々に連動しあって行くのである。「Keyboard Studies」も同様の構造を持つ独奏曲である。

極小の音楽要素を集めて複雑で稠密な全体像を造り上げるこの様式は、凝り固まりつつあった西洋クラシック音楽のアカデミズムから離れる運動をもたらした。20世紀半ばの音楽界は、新ウィーン楽派の複雑な構築と新古典主義音楽によって埋め尽くされていた。ミニマリズム運動はこのような形式主義を放棄した。ライリーは更に一歩を進め、しばしば即興的要素を作曲に取り入れることで緊密な構成を否定するようになった(独奏者としては即興演奏の経験は長かった)。1968年の「A Rainbow in Curved Air」がこの種の技法を用いた最初期のものである。この作品及び対になる「Poppy Nogood and the Phantom Band」(1969年録音)は、ライリーの徹夜コンサートの印象を伝えるものである(そこまで長くはできなかったが)。

インド音楽と独奏に集中するため一旦は作品の記録を止めてしまったライリーであったが、クロノス・クァルテットとの仕事が彼を再び更に構成的な、記譜可能な音楽に向かわせた。しかし即興的要素はクロノス・クァルテットのための作品でも重要な役割を果たしている。

常に音楽の最先端に居続けたライリーにとって、新しい物などなにもなかった。1950年代には当時揺籃期にあったテープループ技法を用い、それ以降もテープを用いた音楽効果をスタジオでもライブでも研究し続けた。微分音を用い、純正律の音楽も作曲した。ロヴァ・サクソフォーン・カルテット、ポーリン・オリヴェロス、クロノス・クァルテットだけではなくマイケル・マクルーアとのコラボレーションも行った。マイケル・マクルーアは脚本家で、作曲のライリーと共にアルバムを制作した。「A Rainbow In Curved Air」は、ロック・バンド、ザ・フーギタリストであるピート・タウンゼントシンセサイザーパートにインスピレーションを与え、「Won't Get Fooled Again」と「ババ・オライリィ」を生んだ。後者はライリーと共に、メヘル・バーバーに捧げられている。また、「A Rainbow In Curved Air」からバンド名を取ったロック・バンド、カーヴド・エア がイギリスから誕生している。

日本では、2005年に自由学園明日館講堂、金沢21世紀美術館・シアター21で、ギタリストのデイヴィッド・タネンバウムらとともに公演を行った。また、2014年には映像作家寒川裕人と共同プロジェクトで来日公演を行った[1]。2017年11月には、フアナ・モリーナ、ジェフ・ミルズとのツーマン(会場:渋谷 WWW X)ならびに単独公演(会場:代官山 晴れたら空に豆まいて)を行い、大きな話題を呼んだ。また、その来日に先駆けてのDOMMUNEでのビデオ・インタビューに於いて、「『ミニマル』というのはアカデミックすぎる。自分はむしろ『サイケデリック』と呼ばれたい」と述べた。

代表作[編集]

サンフランシスコにて(1985年頃)
  • A Rainbow in Curved Air
  • The Harp of New Albion (1986年) 純正律ピアノのための
  • In C
  • Shri Camel (1980年) コンピュータ制御のデジタルディレイで変調された純正律電子オルガン独奏のための
  • Salome Dances for Peace
  • Chanting the Light of Foresight 純正律に合わせたロヴァ・サクソフォーン・カルテットによる
  • Persian Surgery Dervishes
  • Sun Rings クロノス・クァルテットのための 

脚注[編集]

参考資料[編集]

Edward Strickland, "Terry Riley". Grove Music Online. (subscription access)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]